William Blake, The Ancient of Days, 1794, British Museum

『風の谷のナウシカ』の世界観を考える

はじめに

映画『風の谷のナウシカ』は宮崎駿が『アニメージュ』で連載していた同名のタイトルの漫画を原作とします。公開年は1984年。制作会社こそスタジオジブリではないものの、のちにスタジオジブリで活躍するスタッフが手掛けた映画として、世間ではスタジオジブリが初めて世に出した映画として認知されています。

最近、原作を読み、世界観について色々と考えさせられました。備忘もかねて、本記事に綴ろうと思います。原作を未読の方にとっても、既読の方にとっても、面白い内容になればいいなと思います。

原作を読もうと思ったきっかけ

きっかけははるか昔、高校生時代のころでした。非常に面白い論文ばかりを取り上げる、これぞ現代文の教師の鏡と言えそうな先生が、『風の谷のナウシカ』の原作は絶対に読んだほうがいい、と力説していたことがありました。

「惑星には寿命があるので、地球もいつかは滅びます。でも地球が滅びる心配などしなくていいんです、人類のほうが先に滅びますから」こんな話の流れで、たしか『風の谷のナウシカ』を勧められたのでした。

原作を読もうと決意したのはその時です。ちなみに文章の読み方の基礎はこの先生に習い、今でも大変役に立っています。

世界観の概要

ナウシカが生きている世界は、発達しすぎた人類の文明が崩壊した後の世界です。以下、表紙の見返しに記載された導入を引用します。

ユーラシア大陸の西はずれに発生した産業文明は

数百年のうちに全世界に広まり

巨大産業社会を形成するに至った

大地の富をうばいとり大気をけがし

生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は

1000年後に絶頂期に達し

やがて急激な衰退を迎えることになった

「火の7日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有害物質をまき散らして崩壊し

複雑高度化した技術体系は失われ

地表のほとんどは不毛の地と化したのである

その後産業文明は再建されることなく

永いたそがれの時代を人類は生きることになった

『風の谷のナウシカ』は一見、ジブリ作品でよく扱われる、ひと昔前が時代設定であるファンタジージャンルの物語に見えます。ところがこの引用から、時代設定としては未来であり、ジャンルとしてはファンタジーよりSF(サイエンス・フィクション)に近いことが分かります(※)。現代以前の時代設定であるように一見感じるのは、作中の文明レベルが現在以前に衰退しているためです。

※余談ですが、ファンタジーとSFの線引きは簡単ではありません。以前おとぎ話とファンタジーの違いを書きましたが、ファンタジーを「超自然的な何かがでてくる特定の作者が創作した物語」と定義すると、ときにSFもそれに含まれます。個人的には、現代の文明レベルかそれ以上の科学技術がでてくる物語をSFジャンルに分類し、そうでないものをファンタジージャンルに分類しています。なかには「ファンタジー・SF」とひとまとめにする出版社もあります。

『風の谷のナウシカ』のジャンルがファンタジーにせよSFにせよ、このような現代社会から離れた、空想の翼を思いきり広げられる物語においては、斬新な世界設定が物語の魅力の1つとなります。そこで本記事では、いくつかのキーワードに分けて設定を深堀したいと思います。

設定の深堀

以下5つの設定について順に考えていきます。

  • 腐海
  • 風の谷
  • ナウシカの青い服
  • 巨神兵

腐海

森

『風の谷のナウシカ』の世界の一番の特徴が、「腐海(ふかい)」と呼ばれる粘菌で構成された森です。この造語はおそらく樹海に由来しています。腐海は森ですがそこに樹はなく、人間にとって有害な菌類があるのみです。

腐海は生きており、いずれ世界全体を粘菌で覆うことを目指して広がり続けています。そして瘴気と呼ばれる有害な空気を発します。そのため人間は腐海へ入るとき、必ず特別なマスクをしなければなりません。あまりにも強力な瘴気を吸い込むと、人間は血を吐き出して死に至ります。

腐海から生まれる菌類は非常に強力であり、植物に一粒でも胞子がつけば、その植物をたちまち食らいつくします。人々はそれを「汚染」と呼びます。風の谷の人々は腐海へ行ったあとは毎回、火で自分についた菌を燃やし、風の谷に菌を持ち込まないように気を付けています。

この菌がどれだけ強力であるかは、風の谷にトルメキア王国の飛行船が降り立ったときに分かります。検査も受けずに着地した船には菌がついていました。村人たちはすべての菌を燃やしたつもりでしたが、500年もの間、谷の水源を守ってきた巨大樹に付着したのを見逃していました。ナウシカたちが気づいたときにはすでに樹は菌に浸食されており、村を腐海と化させないために、やむなく樹を燃やす決断をします。

ところがナウシカは村人たちに隠して、城の内部で菌を栽培していました。ナウシカの師である名剣士のユパは、それを見つけて驚きます。ナウシカは自らの発見を説明します。菌は、綺麗な水を使用して育てれば、毒性は持たないのだと。汚れているのは菌ではなく、土なのだと。

ユパは自分が腐海の深部へ迷い込んだ経験と、ナウシカの実験の結果を踏まえて、腐海が世界を浄化するために生まれたのではないかと、仮説を立てます。そしてナウシカの思考と存在こそが新しい世界の鍵となると考えるようになります。

風の谷

ナウシカの暮らす村が「風の谷」であるという設定はよくできています。理由は2つあります。

理由の一つ目として、村の地形が理にかなっていることが挙げられます。物語の鍵となるナウシカは、同じく物語の鍵となる腐海の近くに住んでいなければなりません。彼女は(腐海に暮らす特殊な人々を除けば)腐海のことを誰よりもよく知っていなければならないからです。しかし腐海のそばに暮らすのは一般的に不可能ですし、普通の人なら暮らしたいと思いません。毒性が強いからです。それを可能にしているのが村の地形です。

村は谷底にあります。そして海に近いため、海からの清浄な風が、谷を通って内陸(腐海)へ吹き抜けます。それゆえに腐海の毒から守られ、人間がかろうじて暮らせる土地になっています。

ただし風の谷に毒がまったく届かないわけではありません。腐海の毒は日常のなかに微量に存在し、それが人びとをむしばみつづけています。例えばナウシカの父ジルは長年かけて体内に溜まった腐海の毒により、身体が石のように固まり動かなくなり、寝台から起き上がることができない状態です。「それが腐海のほとりに生きる者の定めとか….…」[1] ナウシカはユパにそう語ります。

ナウシカ自身の出生も、毒に関係しています。彼女は族長であるジルの11人目の子供ですが、彼女の前に生れた10人の子供は、みな母の体内に溜まった毒を引き受けて生まれたため死にました。彼女が生き残ったただ一人の跡取りでした。これらの例から風の谷に暮らす者がみな、腐海の毒と共存していることが分かります。

「風の谷」の設定がよくできている理由の二つ目は、ナウシカが世界に伝わる予言に登場する「風をまねく鳥の人」になる文化を保持していることです。どういう文化かというと、吹き抜ける風を活かして、人ひとりが乗って飛ぶことができるメーヴェと呼ばれる乗り物を使う文化です。トルメキア人がときに「凧」と揶揄するこの乗り物は、風の影響を受けやすく操作が難しい代わりに、機動力に優れています。たとえるなら空の自転車のようなもので、ナウシカはメーヴェに乗って、巨大飛行船と地上を行ったり来たりします。

そのうち、メーヴェで飛ぶナウシカを地上から見上げる人々が、予言に伝わる鳥の人である、翼をもつ使者である、と言い始めます。この噂の元が風の谷の文化にあるため、ナウシカの暮らす村が「風の谷」であることは意味のある設定であると言えます。

ナウシカの青い服

予言に伝わる清浄な世界へと導く人は、「青き衣の者」とも呼ばれます。映画版『風の谷のナウシカ』で、飛行船でナウシカがピンクの服を借りてまとう場面があります。ところが、終盤で王蟲(オーム)の群れに突き飛ばされる場面では、同じ服が青に変わっています。なぜ青に変わったのか、映画では分からなかったのですが、原作を読んで、このときナウシカの服が王蟲の青い血に染まっていたことが分かりました。

なぜナウシカの服を、青という設定にしたのでしょうか。おそらく、ナウシカのイメージカラーを設定する前に、王蟲の眼の色を設定したと思われます。王蟲は平常時には青い眼をしていますが、敵意を持ったときに眼の色が赤く変わります。青は沈静をもたらす色であり、私たちの社会的規範では平和の色です(青の文化史については、青が西洋で人気の色になるまでを参照)。

王蟲を筆頭とした蟲(むし)全般を愛するナウシカは、蟲に対して決して攻撃的にならず愛情をもって接します。そのため彼女の服は対立を現す赤ではなく、友好を表す青なのだと考えられます。

『風の谷のナウシカ』において、蟲(むし)は腐海と並んで特徴的な設定です。この設定が生まれた背景の一つとして、ナウシカの着想が平安時代後期の作品の『堤中納言物語』に登場する虫愛づる姫君であることが挙げられます。虫を愛する平安の姫君は、社会規範に囚われず、自由な人生を歩みます。宮崎駿はこの虫愛づる姫君と『オデュッセイア』に登場するナウシカという名の王女に着想を得てナウシカを描いたと語ります [2]。

蟲の設定が生まれた背景のもう一つとして、虫はほとんどの生物が滅亡しても、生物種として生きながらえる可能性が高いだろうと言われていることが挙げられます(一説によると、ゴキブリは最後まで生き残るとか)。個人的に科学的な知識は全く持ち合わせていませんが、それはおそらく進化の過程で初期に生まれた生物が、過酷な環境下で生きてきたため耐久性があり、最も長く生きながらえるという論理なのだと思います(その論理でいくと人類は快適な環境になってから生まれたので早々と滅亡しそうです)。

上記のことを鑑みると、ナウシカの世界は文明崩壊後の世界であるため、人類ではなく蟲が力を持ち、蟲に人類が脅かされるという設定は無理のない自然な設定であると言えます。

巨神兵

William Blake, The Ancient of Days, 1794, British Museum
William Blake, The Ancient of Days, 1794, British Museum

以前、文明の象徴としての火というタイトルで記事を書きました。巨神兵こそまさに「火」である、つまり発展し過ぎた文明の象徴である……と映画版を観たときは思っていましたが、原作を読んでそれ以上の意味があったことを知りました。

たしかに序盤から中盤にかけて、巨神兵は文明崩壊前の人々が残した不気味な、制御不能な最終兵器として人々に捉えられています。しかし一人の巨神兵に感情が生まれ、ナウシカが話を聞いてみると、彼らは兵器ではなく、「裁定者」として創られたことが明らかになります。

裁定者とは、裁判官のような者です。ある人物の行動が正義であるか、そうでないか、判断を下す者のことです。つまり、ナウシカ世界の人間は文明を発展させすぎて、どの技術が倫理的に正しくどの技術がそうでないのか、自ら考えるのに疲れてしまい、「神」に準じる者を創り出したのだと考えられます。言い換えると、旧世界の人類は巨神兵という裁定者、神に正義の判断を任せることにしたのです。

この設定はなかなか考え抜かれた、ありそうなことだと思います。私たちの社会でも、人類は科学的な知識を手に入れる代わりに、前近代の時代に頼りにしていた神話や宗教から離れていきました(詳細は魔法から科学への移行を参照)。

科学的知識を手に入れた人類は、自分たちの手で解決できることが増えましたが、その代わり「分からない」ことを何者にも押しつけることができなくなりました。例えば前近代であれば「神々が怒っているのだから仕方ない」と受け入れていた天災について、現代ではそうはいかなくなりました。天災を防ぐ何かしらの方策や、起きてしまったとしても被害を軽減させる方策が、あるはずであると知っているからです。

同様に正義と不正義を考えるとき、人類はその判断の責任を誰にも押しつけられません。例えば人間のクローンをつくることは科学的には可能かもしれません……だがそれは倫理的に正義なのか?不正義なのか?それを判断するのは人類であり、その責任を負うのも人類です。

ナウシカの世界に生きていた旧世界の人類は、おそらくこのような正義の判断に疲弊してしまったのでしょう。そのために裁定者であり神である巨神兵を創り出したのだと考えられます。

おわりに

今回は『風の谷のナウシカ』の世界観における5つの設定について考察しました。

物語全体の感想としては、世界観が非常によく考えられた、良作品であると言えそうです。しかし宮崎駿本人も語っている通り、結末がまとまっているかというとそうではないと感じます。巧みな世界観によって、序盤には期待させられるのですが、だんだんと設定が複雑になり、終盤には何が言いたいのかよく分からなくなります。結末は一応訪れますが、最初に感じさせられる期待より下回る結末であると個人的には思います。

私が好きな漫画の1つに大高忍の『マギ』が挙げられますが、『風の谷のナウシカ』はそれと近しいものを感じます。つまり出だしはよかったのに、設定を複雑にしすぎて最後にうまく回収できなかった惜しい物語です。

両者に共通する設定の1つとして「神」の概念が挙げられることに、少し考えさせられます。もしかすると物語中に「神」の概念を持ち出すと扱いが難しくなるのかもしれません。物語も所詮は人間が創り出すものなので、人間の知恵や知識を越えたことは描けません。『指輪物語』の作者であるトールキンの捜索した神話も含めて、今後の考察のヒントとしたいです。

最後に、併せて読みたい本を挙げます。本記事を書いた目的の1つに、実は『ナウシカ考』が読みたかったこともあります(他者の考えを知る前に、まず自分の考えを整理しておこうと思い)。読むのが楽しみです。

参考文献

[1] 宮崎駿『風の谷のナウシカ 1「トルメキア戦役バージョン」』徳間書店、2003年、26頁

[2] 同上、裏表紙の見返しより

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フィンセント・ファン・ゴッホ 《日没の種まく人》1888年、クレラー・ミュラー美術館。ミレーの《種まく人》の構図に基づいて描かれた。映画『戦場のメリークリスマス』の解説前のページ

西洋中世期における言葉と文字に宿る霊性次のページランズベルクのヘラート『喜びの庭』の挿絵より、1180年頃。

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