物語の力はここにあり。ドナ・バーバ・ヒエグラ『最後の語り部』レビュー

はじめに

大学生のころ、イギリス近代史を専門としている教授が、「人文”科学”は人文学を科学のうちと捉えるために存在する言葉だと思っている。私は歴史学を役に立たない学問だと思ってほしくないから、できるだけ科学に寄せたい」と言っていたことを覚えています。その言葉の裏には、人文学系の学問に出される研究費が、理系の学問に出される研究費より安いことなど、いろいろと大人の事情があることが伺えます。

たしかに、今の資本主義社会において人文学の地位を高めるには、人文学を「科学;役に立つもの」と政治家や経営者に思ってもらうことが必要です。しかし私は教授の言葉を思い出すと、「科学のみに実用性を求める流れがそもそも問題だ」と思います。(もちろん、一人の力では社会を変えることなどできないので、自分ができる範囲で、と考えたときに教授は上記の考えに至ったのだと思います)

そもそも、何かを「分類する」という行為は、人間が物事を整理・把握しやすいように勝手に行っていることです。例えば、生物学には「○○目」「○○科」という分類が存在しますが、複数の分類に当てはまる生物も数多いると聞きます(とはいえ分類のどこかに当てはまっていないと不便なので、どこかしらに無理やり収めている)。他の例を挙げるなら、図書館の本の分類です。本の目録をつくる行為は、西洋においては中世期ごろから本格的にはじまり、例えば「神学」「法学」などの分類に分けてきました。しかしどちらの分類にも当てはまる本はたくさんあります。

学問においても、現代の形態に「分類」されたのは最近のことで、もとはといえば「必要だったから」すべての学問が存在するはずです。例えば、古代ギリシアにおける哲学は、思考すること全般を指していたため、現代の数学や化学も含まれていました。いわゆる「役に立たない」といわれる芸術分野の、演劇においても、民衆のために必要だったから古代ギリシア社会で存在しました。

仮に人類にとって不要であるなら、あらゆる「役に立たない」ものは何千年もの歴史のなかで淘汰され、衰退するはずです。衰退せずに、現代も存在し発展しつづけているということは、人類にとって何かしら存在意義があるからです。ゆえに、「科学のみが役に立つ」という思考自体がそもそも誤っています。現代の人類は、資本主義社会を前提に考えるため、どうも視野が狭くなっているように思います。

前置きが長くなってしまいましたが、今回紹介するのは、まさに「科学のみが役に立つ」という考えに「それは間違っている!」と反論する物語です。アメリカで出版された児童書の中で、最もすぐれたものに対して贈られる児童文学賞ニューベリー賞と、ラテン系の作家・画家の作品に贈られるプーラ・ベルプレ賞を、2022年に同時受賞した、ドナ・バーバ・ヒエグラの『最後の語り部』です。

※ネタバレなしです。

本との出会い

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行きつけの本屋の海外文学コーナーで見つけました。海外文学コーナーは単行本の小説が並んでいる場所、つまり最近海外で出版され、翻訳された小説が並んでいる場所です(古典作品なら文庫で出版されるはずなので)。古典以外の海外文学を買うときは、けっこう悩みます。古典作品については、数多の人に評価された名作であることが自明ですが、最近出版された小説となると、翻訳して売るに足るというフィルターはかけられているものの、当たりはずれがあることが否めないからです。しかも、単行本は高価なので、はずれたときのショックが大きい……。

ということで、今回の本も買おうかどうか悩みました。しかし、テーマが「語り部」であること、SFという科学万歳なジャンルにおいて物語を武器に戦うという斬新な展開であることから、物語の力がどのように描かれるのか気になって買いました。読み終えてつまらなかったら売ろうと思っていましたが、結果としてとんでもない名作でした。

物語のあらすじ

古代メキシコのカレンダー
古代メキシコのカレンダー、1792年

主人公のペトラには、メキシコの神話や民話の語り部であるおばあちゃんがいる。ペトラは将来、おばあちゃんのような語り部になりたいと思っている。しかし、これまでたくさんのお話を聞かせてくれたおばあちゃんとはお別れだ。なぜなら、数日後に地球にハレー彗星が衝突しようとしており、科学者の両親とペトラ、弟のペーニャ一家は、地球を脱出して新しい惑星に入植し、人類の存続に貢献しなければならないからだ。

恒星間移動をできる宇宙船はアメリカに三機しかないため、宇宙船に乗り地球を脱出できるは、入植に役立つ知識と技能をもつ、限られた家族となる。ペトラの父は地質学者、母は植物学者で、彼らは娘に立派な科学者になってほしいと思っている。そのため、入植する予定の「セーガン」という惑星につくまでの意識のない約四百年間、ペトラの脳内にインストールできる知識エン・コグニートの2つに、地質学と植物学を選んだ。しかし、ペトラはもうすぐ十三歳になるため、選択科目である<世界の神話と伝承>のインストールも依頼していた。ペトラ本人としては、両親の望む通りに科学者になるのはまっぴらで、おばあちゃんのような語り部になりたいと思っていた。

眠りについたペトラが起こされたのは、地球を出発してから380年後だった。しかし、起きるときにそばにいるはずの父も母も不在で、何かがおかしい。まだ目を開けられない状態で、隣のポッドに眠っていたスーマという少女のやりとりに聞き耳を立てる。すると、地球のときの記憶があると判断された彼女は、再びポッドに戻され、記憶を消すための眠りにつかされてしまった! 

どうやら、ペトラが眠っている間に、船内で革命が起き、<コレクティブ>という人類の画一化をはかる信条をもつ人々が船内を支配するようになったようだった。彼らは地球で存在した差別・偏見などを船内に持ち込ませないため、地球から出発した人々の記憶を消し、彼らをコレクティブに従順に従う下僕として洗脳していた。そのことを察したペトラは、機転をきかせて、洗脳されたふりをして、記憶を消されることを免れる。

地質学と植物学のエキスパートとして、「ゼータ1」と名付けられたペトラは、彼らに従うふりをしながら、狂った世界におかれた子供たちに物語をかたり、彼らの人間らしい感情を呼び覚ましていく。そして他の子供たちと共に、船内社会から脱走する計画を立てる。

SF×語り部という斬新なテーマ

人は夜にかがり火を囲み、村の語り部の話に耳を傾けてきた。
人は古くから夜にかがり火を囲み、村の語り部の話に耳を傾けてきた。

この物語の魅力の1つが、SF(サイエンス・フィクション)と物語を語ること、という真反対に位置しそうなテーマをかけ合わせていることです。「はじめに」で記述した通り、科学第一主義の世界では、神話や伝承などの物語は、役に立たないものとして真っ先に切り捨てられます。現に、科学者であるペトラの両親も、「語り部になりたい」というペトラの夢をどこか馬鹿にしたようすで、そんなものになっても人の役には立たないと思っているようです。

しかし私たちは、意識していないだけで、これまでの人生のなかで触れてきた、数々の物語に助けられています。それが分かるのが、<コレクティブ>の思想に支配された社会にペトラが身を置くときです。その社会においては、人々はすべての物語も本も取り上げられ、自分自身で自由な想像をすることも、意見をもつことも許されず、社会のリーダーに盲目的に従うことを求められます。人々は人間らしい感情をもつことを許されず、<コレクティブ>の利益のためなら命を捨てることも厭わない姿勢が求められます。

たしかに、その日を生き延びるために重要な知識は、科学かもしれません。例えば、ペトラは入植予定の惑星セーガンでの調査において、銀河史上最大の毒性をもつ植物を見つけます。もしペトラに科学的な知識がなければ、この植物の葉に触れて、一瞬で死に絶えるところでした。しかし、その日限りでなく、長期的に生き続けるためには、人間には物語が必要です。物語は私たちに明日を生きる希望を与え、人間らしい「愛」などの感情を教え、人生の意味を考えるヒントを与えてくれます。

アインシュタインも、想像力の重要性について次の言葉を残しています。「想像力は知識よりも重要だ。知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」。そして、私たちの想像力を養ってくれるものこそ、物語なのです。

アメリカ産らしいページターナーな展開

『最後の語り部』は良い意味でも悪い意味でも「ページターナー(頁をめくる手が止まらない)」の物語です。次から次へと主人公に試練や危機がもたらされ、読者をハラハラさせて飽きさせない展開です。その点は商業的には「うまい」と言えるのですが、個人的には感情がジェットコースターになって疲れてしまうので嫌でした。商業的に「うまい」点において、この物語は資本主義社会の頂点に立つ国、アメリカらしいなと思いました。

『最後の語り部』は物語の大切さを説く物語ですが、人々に物語の大切さを伝えるためには、少なくとも今のところは、私たちは資本主義の呪縛から逃れることができません。そう考えてむなしくなり、冒頭で記載した、教授の言葉がまたよみがえります。「私は歴史学を役に立たない学問だと思ってほしくないから、できるだけ科学に寄せたい」。物語の大切さを説くためにも、人文学の大切さを説くためにも、我々は資本や科学第一主義の社会の枠組みにあてはめて、なんとかやっていかなければならないのです。やれやれ。

おわりに

今回はドナ・バーバ・ヒエグラ『最後の語り部』の感想を記載しました。

作中ではペトラが『ゲド戦記』について描写する場面があります。

わたしはこの物語を、少なくとも五回は読んでいる。自分で語り直すこともできるけれど、ル=グウィンのオリジナル版と比べられたら、その足もとにも及ばない。

ドナ・バーバ・ヒエグラ『最後の語り部』杉田七重訳、東京創元社、2023年、299頁

『ゲド戦記』は世界的に評価されているアメリカの児童文学かつファンタジー文学で、私も好きな物語なので、嬉しくなりました。また「やっぱり」とも思いました。作中にこの物語を登場させるということは、作者であるドナ・バーバ・ヒエグラもこの物語が好きなのです(嫌いな物語を自分の作品に登場させるはずがありません)。

つまり、『ゲド戦記』が好きな人は、この物語もきっと好きになるということです。ゲド戦記については、ル=グウィン『ゲド戦記』の魔法法則の起原も参照ください。

今回の記事を書いていて思ったのですが、「役に立たない」と一蹴されるもの全般を、「遊び」と捉えることができるかもしれません。高度な「遊び」こそ人間が他の動物と一線を画す行為であり、もっとも人間らしい行為であるといえます。

さらに思考を深めるために、人間を「ホモ・サピエンス(知恵ある人)」ではなく「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と定義した歴史家、ホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』をそろそろ読まなければ……と思いました。

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語り部に興味をもった方におすすめの小説に、2010年にノーベル文学賞を受賞した、バルガス・リョサの『密林の語り部』があります。読みはじめたときは「難しい」と思うのですが、頑張って読み進めていくと、リョサが書きたいことが何なのか分かってきて、どんどん面白くなっていきます。脈絡のなかった話がつながってゆき、あるいは脈絡のないことをこそ、面白いと思えるようになります。

本来、「語る」という行為は、文字で表せない行為です。語る行為(口頭文化)は、文字を書いて人に伝達するという、ここ1000年ほどで人間に定着した行為(文字文化)よりも、ずっと古い歴史を持っています。しかしリョサは、この作品にて、語り部が語るという、本来なら口頭でなされるべき行為を、文字に落とし込もうと試みました。あり得ないことにおそらく歴史上で最も近づけた作品だと思っています。

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以上です。お読みいただきありがとうございました。

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