エストニアの首都タリン

歴史

西洋におけるアジール(例)

はじめに

前回の記事、西洋におけるアジール(概要)で、アジールの概要を説明しました。

アジールとは、「聖域」を意味する言葉で、その領域では人の統治権力が及ばないと説明しました。なぜならアジールは人ではなく、神々などの超自然的な存在が支配する領域だからです。そのため人間の定めた法を犯した者にとって、格好の避難場所となりました。

今回は西洋中世期に存在したアジールを4つ紹介します。

森はおそらく、西洋で最も古くからあるアジールです。なぜなら人びとが共同体(村や町)をつくる前から存在するからです。西洋における森の歴史で説明したように、森は典型的な異界人の住処であり、人びとに畏怖されていました。

ただし時代が下るにつれて、教会や自由都市など、人為的に定められたアジールと比べて、森は伝統的なアジールとしての機能が弱くなります。それは人びとが科学的思考をするようになるにつれて、森への畏怖心がなくなったからであると考えられます。

しかし森に対する畏怖心がなくなった後も、森は見通しのきかない特性から、歴史上で長い間、無法者の避難場所として利用されました。無法者、つまり犯罪などにより法の保護を受けられなくなった人物のことを、アウトロー(outlaw)と呼びます。

ノッティンガムにあるロビン・フッド像
ノッティンガムにあるロビン・フッド像

森で生活する代表的なアウトローにロビン・フッドがいます。ロビン・フッドは中世イングランド(現在のイギリスの一部)の伝説上の人物です。

中世期の盛期(11世紀~)から、西洋貴族の間では狩猟が娯楽として流行しました。そのため森の一部を、狩猟動物を育てるために保護していました。特にイングランドには、国王が保持する御料林があったことで有名です。

シャーウッドの森と呼ばれる御料林で暮らしていたのが、ロビン・フッドとその一味です。ロビン・フッドは弱者にやさしく、権力者に意地悪な民衆のヒーローでした。民衆が代官の圧政に困っていると、森から現れ、得意な弓の腕を活かして代官を懲らしめてくれます。

御料林とロビンフッドについては西洋中世期における森の利用と保護への動きでも取り上げているため参照してください。

ところで、英語で”take to the woods”という言い回しがあります。「森に逃げる」あるいは単に「逃げ出す」という意味です。ここまで記事を読んだ皆さんはもうお分かりでしょうが、この言い回しはアジールとしての森の歴史に基づいています。

教会

森が西洋の伝統的な神々の支配領域であったのに対し、教会はキリスト教の神の支配領域でした。教会の敷地内に逃げ込んだアウトローに対し、追手は何もしてはいけない決まりでした。

教会のアジール機能は近代になり、王権が強化されると各地域で徐々に廃止されていきます。そのため、次に挙げる例がアジールの規則に基づいて成された例であるかは時代的に微妙ですが、イメージとしてはヴィクトル・ユーゴ―の『レ=ミゼラブル』における、銀の燭台の場面を思い浮かべてください。

この場面は1815年の出来事であるという設定です。以下、銀の燭台の場面を簡単に紹介します。

主人公のジャン・バルジャンはたった一つのパンを盗んだ罪で19年間、徒刑場で服役する生活を送っていた。その苦労が報われついに、自由の身になる。しかし犯罪歴のある男を雇う仕事はどこにもなく、途方にくれていると司教から一夜の宿を提供された。

ジャン・バルジャンは司教との食事の際に、戸棚に銀器があるのを見つけた。これらの銀器を売ればしばらくは食べていける……。そう思ったジャン・バルジャンは、聖職者たちが寝静まった頃に銀器を盗み、逃走した。

しかし翌朝、憲兵に捕まったジャン・バルジャンは司教の前に差し出される。憲兵が言った。

「この男があなたの銀器を盗んだようです」

それに対して司教が言った。

「盗んだのではない、わたしが彼に与えたのです。しかし兄弟、これを忘れているよ」

司教は銀の燭台を二本持つと、ジャン・バルジャンに与えた。ジャン・バルジャンは司教の行動に涙して改心し、この出来事以降、正直な人間として生きていくことを誓った。そしてどこへ行こうと、何年経とうと、司教に与えられた二本の銀の燭台を手放さなかった。

先述した通り、この時代(1815年)に教会にアジールとしての機能があったかは定かではないので、イメージとしてとらえてください。中世期の教会はこの場面と同様の憐みをアウトローにかけたと考えられます。

自由都市

エストニアの首都タリン
中世都市の面影を残すエストニアの首都タリン。ハンザ同盟都市だった。

「都市の空気は自由にする」というドイツのことわざがあります。このことわざは、農奴が自由都市(自治都市)に逃げ込み、1年と1日たてば、農奴の身分から自由になるとされたことに由来しています。

中世後期になると、商人の動きが活発になり、皇帝から法的に自立した自由都市が誕生します。自由都市で保護されたのはアウトローではなく、農奴に限定されました。これも一種のアジールです。

自由都市のアジールは、元の意味である「聖域」要素を含まない、完全に人為的なアジールです。都市で働く人手を確保するために、このような措置を取ったと考えられますが、詳細な理由については今後の課題にします。

都市の例は、もともと「聖域」として存在したアジールが、人間の利益のために新たにつくられたことを示すため興味深いです。

渡し場

最後に、少し変わったアジールを紹介します。渡し場のアジールです。

渡し場とは、岸から岸へと人を小舟で運ぶ渡し守がいる場所です。今でこそ川を渡るとなれば橋がありますが、中世期には橋はあまり存在しませんでした。なぜなら橋を造るには莫大な費用がかかりますし、造ったあとも、維持するための費用がかかるからです。権力者や金持ち(商人)などの後ろ盾がなければ、橋は建設されませんでした。

そのため通常、川を渡るとなれば浅瀬を見つけて足を濡らしながら歩いていくか、渡し守にお金を払って対岸に渡してもらいました。阿部謹也は、この渡し場にもアジールの機能があったと説明しています。最も有名な例として、1384年オーベルエルザスのケムズの判告禄の記述を挙げています。

人を殺してしまったり、その他の犯罪を犯した者がライン河に辿りつき、「船頭さん、渡してくれ!」と叫んだとする。そのとき渡し守はこの男を渡すべきである。もしこの男のあとから何者かがつけてきたり、追跡してきて「向こう岸へ渡してくれ」と叫んだとき、もし船が岸を離れていれば渡し守は最初に着いた者をまず渡し、しかるのちとってかえしてあとから着いた者を渡す。もし追跡してきた者が岸から船がまだ離れていないときに着いたばあいには、渡し守はさきに着いた者を船の舳先にのせ、あとから来た者を船尾にのせて、自分はその真中に立つ。対岸に着いたときはまず舳先の客をおろし、そののち船尾の客をおろす。かくすることによって渡し守はいかなる犯罪にも加担することなし。

阿部謹也『中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 』ちくま学芸文庫、2015年、55頁。

渡し守はアウトローと追手のどちらの味方にもならず、中立の立場を貫くことが求められました。そのため、渡し場もアジールの一種と言うことができます。

おわりに

今回は西洋中世期に存在したアジールを4つ紹介しました。紹介したアジールは以下の4つです。

  • 教会
  • 自由都市
  • 渡し場

アジールの概要については、西洋におけるアジール(概要)を参照してください。

以上、西洋におけるアジールの例でした。

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