地動説の図

歴史

魔法から科学への移行

はじめに

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』感想で近代化以前の人びとと、現代人の思考の違いについて触れました。両者の違いは、世の中の事象の原因を、超自然的な存在に求めるか、科学に求めるかです。

今回は魔法から科学への移行について歴史的に見ていきます。人びとが世界をどうとらえていたのか、近代以前と近代以降に分けて考えます。

前提-超自然的とは

本記事における「超」は現代人が日常で使う「すごく」「とても」という意味ではありません(超かわいい!)、文字通り「超す」という意味です。「自然」を「超す」、つまり一般的な自然現象ではありえないことを意味します。要するに、「超自然的な力」といえば魔法や霊的な力のことであり、「超自然的存在」といえば神や精霊、妖精のことを指します。

近代以前の人びと

死の舞踏
死の舞踏。Illustrations from the Nuremberg Chronicle, by Hartmann Schedel (1440-1514)

近代以前、つまり科学革命が起きる前の人びとは、超自然的な存在が宇宙を支配していると考え、物事の原因を超自然的な存在・力に求めていました。例えば、彼らに「なぜ雨は降るのか」と尋ねれば、「雨の妖精が降らしているから」とか「天上の神々が泣いているから」などと答えます。

1345年に西洋で流行した黒死病(ペスト)についても、超自然的な力に原因があると考えられました。当時の人びとは黒死病の原因を占星術に求めました。具体的には、黒死病が流行したのは、その年の3月20日に水瓶座に土星、火星、木星が集まったからだ、と解釈されました[1]。

つまり神話や超自然的な力は、彼らが一生懸命、世界を理解しようとした結果の産物でした。雷が落ちるのは神が怒っているから、人が病気になるのは悪い妖精に目をつけられてしまったから。

原因の分からないことは気持ち悪いし、対処もできず、やるせないです。そのため、人びとは自分たちではコントロールできない事象に超自然的な存在や力が関わっていると考えました。そして祈ったり、供物を備えたりしてコントロールできない事象に対処しようとしました。

近代以降の人びと

コペルニクス『天球の回転について』から太陽中心説の図。
コペルニクス『天球の回転について』から太陽中心説の図。

近代以降になると人びとは、数字が宇宙を支配していると考え、物事の原因を数字に求めるようになります。例えば、当時キリスト教で伝統的だった天動説に意を唱えた、コペルニクス(1473-1543年)という人がいます。彼は太陽中心説(地動説)を唱え、天空が動いているのではなく、地球が回っているのだと説きました。その考えを支持したケプラー(1571-1630年)は、「数が宇宙の秩序の中心である」と唱えます。

地動説の図
地動説の図。Andreas Cellarius’s illustration of the Copernican system, from the Harmonia Macrocosmica, 1660

地動説はキリスト教の考えにとって、神の神性を否定する、都合の悪い説でした。そのため、コペルニクスの後に同じく地動説を唱えたガリレオ=ガリレイ(1564-1642年)は、異端刑で投獄されました。しかしそのようなキリスト教権力の抵抗もむなしく、徐々に人びとは彼らの説を受け入れはじめ、科学者たちは世の中のすべての事象を方程式で表わしはじめます。

これは近代以前の超自然的な存在が、数字(科学)に置き換わったことを意味します。ニーチェの有名な言葉、「神は死んだ」はこの時代の流れから発せられました。人びとはもはや超自然的な存在を信じず、物事の原因を科学に求めはじめました。それは同時に、中世期に幅をきかせたローマ・カトリック教会(=カトリック。キリスト教の最もメジャーな一派)の権力の失墜も意味していました。

おわりに

今回は、魔法から科学への移行を紹介しました。

魔法(神)は古くから、人びとが世界を認知する際のベースでした。そして現代ではその役割が科学(数字)に置き換わったと言えます。

今のところ、科学はわれわれの問に対し最も明快な答えを導きだしてくれますが、もちろん科学で証明できない事象も無数にあります。もしかしたら、科学に置き換わる何かが未来に出てくるかも……と考えてみるのも面白いですね。

参考文献

[1] 中山茂『西洋占星術史 科学と魔術のあいだ』講談社学術文庫、2019年、134頁。

関連書籍

アイニック・ニュート『世界のたね 真理を探求する科学の物語 上』角川文庫、2016年

マリオ・リヴィオ『神は数学者か?―ー数学の不可思議な歴史』早川書房、2017年

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