インドへ向かうマルコ・ポーロの隊商

歴史

西洋中世期における旅する商人

はじめに

国民的RPGゲームの『ドラゴンクエスト4』には、武器商人のトルネコというキャラクターが登場します。妻と幼い息子と暮らす、中年の太ったおじさんで、世界を救うにはちょっと頼りない……と言ったらかわいそうですが、ザ・英雄というタイプではありません。なぜ彼のようなキャラクターが、かっこいい英雄が大好きな子供たちのゲームにでてくるのでしょう。

じつは中世期において、商人というのは熟練の旅人でした。トルネコは一攫千金を目指して一人、旅に出ます。旅では盗賊や狼に襲われる危険があり、財産を一挙に失う危険もありました。その危険を顧みずに新天地を求めるのが商人なのです。

今回は、西洋中世期における商人についてご紹介します。

2種類の商人

商人には遍歴商人と、それに対する定住商人がいます。遍歴商人とは、都市や市場まで商品を運んで商売をする商人で、定住商人とは、都市に定住して商売をする商人です。

西洋では13世紀後半までは遍歴商人が多数を占めていました。しかし時代がくだるにつれて、都市に定住する商人が増えていきます。つまり商売は現代企業の経営形態に近づいていきました。やがて商人の識字能力は必須となり、商売は他の支店や拠点と手紙でやりとりする形へ変わっていきました。

遍歴商人が多かった理由

インドへ向かうマルコ・ポーロの隊商
インドへ向かうマルコ・ポーロの隊商

ではなぜ、中世中期までは遍歴商人が多かったのでしょうか。それは当時の社会においては、物を移動させるよりも、物がある場所に人が移動するほうが楽だったからです。

交通網や商品・貨幣経済の発展が不十分な初期中世の「半遊牧民社会」では、物資を移動するよりも、物資が生産もしくは貯蔵されている地点に人が移動する方が容易であった。

関哲行『旅する人びと (ヨーロッパの中世 4)』、岩波書店、2009年、199頁。

当時は保険や為替手形などの商売技術が発展していませんでした。他人を信頼できる制度がないのであれば、自ら現地に赴き自ら仕入れ、自ら売ったほうが安心です。部下を信頼せずに仕事を抱えすぎる上司と似ていますね。

そうなれば、当然自分で自分の身を守ることも必要になります。遍歴商人はしばしば武装し、隊商を組んでいました。冒頭で紹介したトルネコも、闘う商人なのです。

商人に対する社会の態度

商人全般に対する社会の態度は完全に矛盾していました[1]。ユダヤ商人が好例ですが、利潤を求める者は、当時のキリスト教社会では卑しいと考えられていました。

また神学者らは次の言葉を喚起させるのが好きである――「商売稼業は神のお気に召さない」。キリスト教社会の一神父によれば、実際、売り買いの関係に罪が忍びこまないはずがない。商売はほとんどつねに神学者から「不正」と「不純」と見なされた職業のリストに挙げられた。

ジャック・ル・ゴフ『中世の人間―ヨーロッパ人の精神構造と創造力』鎌田博夫訳、法政大学出版、1999年、228頁。

また当時の階級社会では、「本質的な価値は、貴族出身であること、そして騎士的勇気があること」[2]でした。商人はいくら裕福になろうと貴族にはなれません。価値ある身分がないのにもかかわらず財産のみ多い商人は、貴族の反感を買うことが多々ありました。

一方で、利潤を追求しなければ生活できないのも事実です。教会が存続するためには寄付金が必要ですし、一般市民も利潤追求を放棄すれば、明日の生活がありません。社会の存続のためには、商売という行為が不可欠でした。気に入らないけれど、いなければ困る、それが商人でした。

冒険者としての遍歴商人

文学の1ジャンルに、ファブリオーというジャンルがあります。ファブリオーとは作者の分からない説話のことで、チョーザーの『カンタベリー物語』にはファブリオーの物語も出てきます。『カンタベリー物語』については西洋における樹木信仰のなごりでも触れましたので、参照してみてください。

そのファブリオーにおいて、遍歴商人は頻繁に主人公として登場します。この文学では遍歴商人の短所(利潤追求)だけでなく、長所についても強調されました。たとえば彼らの長所は「商才、エネルギー、大胆さ、危険な冒険の趣味」[3]でした。彼らは安住の地で快楽にふけっている金持ちとは異なり、放浪と流浪の人生を送る冒険者なのです。

このことから、商人は常に嫌われ役とは限らなかったことが分かります。

現代の遍歴商人-富山の薬売り

最後に少し面白い話を紹介したいと思います。先日、つい最近まで日本にも遍歴商人がいたことを知りました。

「富山の薬売り」という遍歴商人をご存知でしょうか。母が教えてくれたのですが、高校生がよく使う山川出版の用語辞典で調べても、関連用語がでてこなかったので、おそらく日本史の授業では習わないのでしょう。「富山の薬売り」とは、富山蕃または富山県の売薬集団のことを指します。

「富山の薬売り」が昔よく従妹の旅館に泊まっていた、と母は語りました。彼らは薬を携えて、バイクで全国各地の家を訪ねていたそうです。各家庭はよく使う薬一式を受けとり、薬売りが再び訪れた際に、使った分だけ代金を後払いしていました。彼らは薬を届けるついでに、子供たちに紙風船、時代がくだるとゴム風船をくれました。わたしも祖父母の家で、その風船で遊んだ記憶があります。

「富山の薬売り」の歴史は江戸時代に遡り、当時は徒歩や馬で各地を回っていたと思われます。また、富山から見て海を隔てた県の出身である父に尋ねても、同じく子供の頃に「富山の薬売り」が来ていたと言っていました。つまり彼らは船も使い、海を渡って商売をしていたということです。「富山の薬売り」はまさしく、危険を顧みない冒険者としての商人であると思いました。

おわりに

今回は西洋中世期の商人について紹介しました。

商人には2つのタイプが存在し、1つは遍歴商人、もう1つは定住商人でした。遍歴商人は中世の中期まで商人の大多数を占めていましたが、徐々に定住商人に取って代わられました。その変化は保険や為替手形などの商売技術の発展によりもたらされました。

商人に対する社会の態度は矛盾していました。

キリスト教的観点から見て、利潤を追求する商人は社会的権威が低い者でした。また、当時の身分社会では財産を持つことではなく貴族であることに価値がありました。そのため商人は聖職者や貴族から嫌われていました。

一方で、商売という行為が社会に益をもたらすことも事実でした。市民にとっては言うまでもなく、聖職者にとっても商人は重要な存在でした。結局のところ、資金がなければ教会も存続できません。また、商人のなかでも遍歴商人は、ファブリオーの主人公として頻繁に登場しました。このことから、商人が必ずしも嫌われ者ではなかったということが分かります。

西洋中世期の旅人は商人以外にも様々な人がいました。どのような人々がいたか知りたい方は、ちくま学芸文庫から出ている阿部謹也『中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描』がおすすめです。羊飼い、遍歴職人、乞食などの紹介があります。

以上、西洋中世期における旅する商人でした。

参考文献

[1] ジャック・ル・ゴフ『中世の人間―ヨーロッパ人の精神構造と創造力』鎌田博夫訳、法政大学出版、1999年、226頁。

[2] 同上288頁。

[3] 同上309頁。

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