創作物語

炎売りの少女

はじめに

創作物語の回です。月に1回を目標に投稿していく予定です。お楽しみください。

炎売りの少女

ぼくがその少女と出会ったのは、自らつくった幾編かの詩が仲間うちで酷評され、やけになって何軒もの酒場を渡り歩いたあとだった。ぼくはふらふらと歩いているうちに、飲み屋街から逸れた、見知らぬ路地裏に迷い込み、石畳の上にうつ伏せになって眠り込んでしまった。目を覚ましたとき、あたりがあまりにも暗かったので、家の寝台に横になっているのだと思った。人間の帰巣本能というものは、なかなか捨てたものではないらしい。そう思った矢先だ。あのう、という声がした。

首を動かし、声がしたほうを見ると、色とりどりのランプが下がった店先に、少女が小さなカウンターを構えていた。カウンターの上では、いくつもの炎が、等間隔に並べられ、浮かんでいるように見えた。それらが少女の豊かな巻き毛と、大きな瞳をぼんやりと照らしだしていた。ぼくは興味を惹かれて起き上がると、カウンターのそばへ寄った。少女が微笑みかけた。

「炎はいかがですか」

浮かんでいるように見えた炎は、よく見ると油が注がれた皿の上で燃えていた。ぼくはそれらをじっくり眺めた。

「炎によって違いはあるの」

「ええ。こちらは、聖ゲオルギオスが退治したドラゴンの炎」

少女が一つの炎を指さした。皿の前に置かれた商品札にはたしかに、彼女が言った通りの名が記載されていた。

「こちらは、ヴェスヴィオス山が噴火した際の炎」

「ポンペイを埋めた?」

「ええ」

少女が愛想よく頷いた。ぼくは身をかがめて、商品札に書かれた文字を、順に読み取っていった。西洋以外の言語と思われる、よく分からない単語を使った商品名も多々あった。その中で一つ、目を引いた名前があった。

「アレクサンドリア図書館を燃やした炎」

「お目が高いですね、お客さま。こちらの炎は、文書をよく燃やしてくれます」

頷いたぼくは、ポケットからくしゃくしゃになった原稿用紙を取り出した。

「詩をつくっているんだけどね。今まで書いたものを全部、燃やしてしまおうと思うんだ。家にあるものも全部。この炎をくれるかな」

「承りました。お持ち帰り用のランプを用意しますね」

店先の吊りランプを一つ手に取った少女が、ぼくが指定した炎を、そのランプに移した。ぼくはお代を払った。どうぞ、と彼女がランプを差し出した。

ぼくは今度こそ、家の寝台の上で目を覚ました。カーテンの隙間から陽射しが差し込んでいた。窓を開けると、陽はすでに天中を過ぎていた。喉がカラカラだったので、水差しを手に取り、注ぎ口にそのまま口をつけて飲んだ。そのとき、見慣れぬオイルランプが、机の上に置かれていることに気づいた。ぼくは昨夜の出来事を思い出そうと、眉根を寄せて、水差しを置いた。

そうだ、今まで書いた詩を、暖炉ですべて燃やしたのだった。その証拠に、詩の原稿を入れていた引き出しは空っぽだし、暖炉の灰をかき分ければ、焦げた紙片のようなものが見つかった。すっかり酔いが醒め、腹の底からひやりとした。本当に全部燃やしてしまったのだろうか。ぼくは家じゅうの引き出しという引き出し、棚という棚、とにかく原稿が入っていそうな場所を隈なく探した。原稿は一枚も見つからなかった。それどころか、外出時には必ず持ち歩いていた、着想を書き留めた手帳もなかった。あれこそはぼくの命の次に大事な持ち物だったのに。

ぼくは気もそぞろに服を着替えると、外套を引っかけて外に出た。あの手帳を自分で燃やすはずがない、と思った。きっとどこかに落としたのだ。繁華街では、夜の喧騒が再び訪れようとしていた。ぼくはぼんやりとした記憶を頼りに、昨夜おとずれたと思われる、酒場を訪ねて回った。歩いているうちに、頭が冴えてきて、詩の会合のあとに、自分が感じた憤りと落胆の気持ちが蘇ってきた。すると、今まで書き溜めていた着想をすべてボツにして、一からやり直そう、と思っている自分に気づくのだった。

急に足を止めたので、後ろを歩いていた男がぼくにぶつかりそうになり、悪態をついて追い越していった。ぼくは通りの中心に立っていたため、その後も何度か人にぶつかられそうになった。そうか。では、着想を書き溜めた手帳は燃やしてしまったらしい。黄昏の通りに面して、暗い空間がぽっかりと口を開けていた。ぼくは吸い込まれるようにして、路地に足を踏み入れた。

詩の原稿と手帳を燃やしてしまったことについては納得できた。しかし、昨夜出会った少女の存在は、どうしても腑に落ちなかった。あんな時間に、あんな暗い路地裏にて、子供がひとりきりで商売をしているなど、あり得なかった。それに、売っている商品が炎ときた。少なくとも、正気の客を相手にした商売でないことは明らかだった。あまりにも酔っぱらっていたから、現実と夢が混同してしまったのだろう、とぼくは思った。しかし、もし夢でなかったとしたらどうだろう。それはそれで心惹かれるものがあった。むしろぼくは、少女の存在が夢でないことを期待して、彼女の店を探しはじめた。

ぼくはそれらしき路地を見つけては入っていき、総じて二時間ほど歩いてみた。しかし少女の店を見つけることができなかった。そこで、道端で客にタロットカードを選ばせていた、年老いた占い師に尋ねてみた。この辺りの路地で、十二歳くらいの女の子が店番をしている店を知らないかと。占い師は言った、「そういう店はあるときにはあるし、ないときにはないよ」。占い師の答えをぼくは気に入った。酒場で一杯ひっかけながら、新しく買った手帳に、頭に浮かんだ詩を書きつけた。まだ荒い箇所はあるが、推敲すればぐんとよくなりそうだった。

それから数日が経ち、新品の手帳は、詩の下書きでいっぱいになっていた。何篇かは、すでに原稿に清書できるほどの仕上がりだった。ぼくは折りたたんだ原稿用紙をポケットに突っ込むと、少女の店を探すため、繁華街へ出かけた。

前と同じ手順で、それらしき路地を見つけては足を向けてみた。表通りからずいぶん離れた道を歩いていたとき、石畳を叩く蹄の音が、背後から近づいてきた。こんな狭い道を馬で通るなんて、と怪訝に思いながら、ぼくは振り返った。そこにいたのは、馬ではなく、華やかな帽子をかぶった貴婦人だった。ぼくと目があった彼女は、口角をあげ、軽く会釈をすると、ぼくの横を通り過ぎていった。失礼だとは思いつつも、ぼくは婦人を凝視していた。なぜなら、彼女の帽子の両端には、渦を巻いた羊の角がついていたからだ。加えて、パカパカという蹄の音は、婦人の足元から聞こえてくるのだった。

ぼくは何気ないふりをして、婦人の後を追った。いくつかの角を曲がったあと、あっと声をあげそうになった。あの夜の記憶通りの、色とりどりのランプが下がった店があったからだ。店先で立ち止まった婦人が、ぼくを振り返った。ぼくはぎくりとした。婦人は何も言わず、先ほどと同じ挑戦的な笑みを浮かべると、豪奢な外套をなびかせ、店内へ入っていった。扉についた、いくつもの鐘が音を鳴らした。

ぼくは店先に立って、考えあぐねていた。今日は小さなカウンターは出ておらず、炎も売られていなかった。窓にはめ込まれた曇りガラスからは、煌々とした明かりが漏れており、談笑する声が聞こえてきた。《ウェルギリウスの館》と書かれた看板のメニュー表を見るに、店では軽い飲食ができるらしかった。

「またお会いしましたね」

ぼくはぎょっとして、声がしたほうへ振り返った。そこには、大きな買い物袋を抱えた、巻き毛の少女が立っていた。

「お客さまが持ち帰った炎は、よく燃えましたか」

ぼくは頷き、何を喋ればよいか分からず、まごついた。それから、彼女を探していた目的を思い出した。

「新しい詩をつくったんだ。出来栄えをきみに見てほしいんだけど」

少女が微笑んだ。ぼくは、店内から漏れる明かりによって、彼女の瞳が左右で違う色をしていることに気づいた。彼女が口を開いた。

「あなたは言葉の魔法使い。魔法使いでなければ、このお店は見つけられませんから。きっとよい出来栄えですよ」

それから重そうに、買い物袋を持ち直した。

「お店でカフェを飲んでいきませんか。扉を開けてくださると、大変助かるのですが」

ぼくはそのとき初めて、彼女の両手が塞がっていることに気づいた。あわてて扉を押すと、鐘が軽やかな音を立てた。店内にいる人びとの視線がいっせいに注がれ、ぼくは思った。この店にはこれから何度も通うことになりそうだと。

おわりに

炎を売る、という場面を最初に思いつきました。そこから、超自然的な存在に関われることができる人として、詩人を登場させることにしました。詩人が魔法使いともみなされたことは、以下の過去記事で紹介しています。

以上です。お読みいただきありがとうございました。前回の物語はこちら→『チーズの上澄みをくれる友達

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