歴史

西洋の蹄鉄にまつわる小話

はじめに

アクセサリー、特にネックレストのモチーフとして「ホースシュー(蹄鉄)」があるのをご存知でしょうか。蹄鉄は幸運を呼び込むシンボルとして知られ、その起源は西洋の民間信仰にあります。「ホースシューhourseshoe」は英語で「馬の靴」という意味です。

極めて個人的な感想ですが、ネックレスのモチーフとして十字架と蹄鉄が並んでいると、キリスト教と「異教」が並んでいるなあなどと思ってしまいます。宗教が社会に深く根差していた時代には考えられない光景なので、時の流れを感じさせられます。

今回は西洋の蹄鉄にまつわる小話を紹介します。

鉄の魔法的特性

ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある占星術時計。
ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある占星術時計。

西洋中世期に存続した異教文化など、今まで他の記事でも紹介してきた通り、西洋の人びとはキリスト教が浸透したあとも、異教的なまじないを行っていました。まじないの道具には枝や骨など、さまざまなものが使われましたが、西洋人は鉄という素材にとりわけ魔法的特性があると考えていました。

(前略)鉄で作られた護符はどこでも珍重された。鉄は青銅器や石よりも魔法的特性において勝ると考えられていたからである。

ロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』樋口幸子、片柳佐智子、三宅真砂子訳、インターシフト、2015年、155頁。

古代ギリシア・ローマでは鉄が悪霊が恐れる金属とされ、人びとはしばしば鉄製の指輪や護符を身につけた。こうした迷信は7世紀に入っても依然衰えず、人びとが鉄製の指輪や腕輪を身につけるのを、教会が禁じなければならなかったほどである。

ハンス・ビーダーマン『図説 世界シンボル事典』藤代幸一監修、八坂書房、2019年、「鉄」の項目より
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それでは、なぜ鉄は他の物質よりも魔法的特性について優れていたのでしょうか。残念ながら上記2つの参考書内には回答が見つかりません。

しかし他の本を読んでいた際に、バビロニア地方ではシュメール時代から、鉄を「天から来た金属」であると呼ばれていたという記述を見つけました [1]。理由は天から落ちてくる隕石のなかに鉄が含まれているためです(その鉄のことを「隕鉄」と呼ぶ)。

仮に西洋に暮らす人びとも、シュメール人と同様に鉄を「天から来た金属」であると認知していたとしたら、それを理由に彼らは、鉄の魔法的特性が他の物質より優れていると捉えるかもしれません。

実際に古代バビロニアから古代ギリシア・ローマへ受け継がれた文化の1つに、占星術が挙げられます。個人的にはその際に「天から来た金属」の話も伝わったのではないかと考えています。あくまで仮説なので、引き続き調査が必要です。

あるいは、鉄がローマ神話の軍神アレスに属する金属であると考えられていたことが、関係しているのかもしれません。「軍神」という部分にポイントがある可能性があります。

護符としての蹄鉄

ドアに魔除けとして打たれた蹄鉄
ドアに魔除けとして打たれた蹄鉄

鉄の魔法的特性の優性から発展したのか、蹄鉄に関しては西洋人の間で、古くから魔除けの道具として用いられてきました。彼らは蹄鉄をドアに打つことによって、悪魔が家へ侵入することを防げると考えていました。

イギリスに伝わる話に、イングランド出身の聖人、ドゥスタンが蹄鉄によって悪魔を追い出した話があります。その話は次の通りです。

聖職者になる前、鍛冶師であったドゥスタンの元に悪魔がやってきた。悪魔はドゥスタンに、自身の蹄から外れてしまった蹄鉄を打ってほしいと頼んだ。ドゥスタンは客が悪魔であることに気づいたが、気づかないふりをして、蹄鉄を打った。

すると打たれた蹄鉄によって、悪魔は激痛を感じた。悪魔はドゥスタンに、蹄鉄を取ってほしいと頼んだ。そこでドゥスタンは、今後扉に蹄鉄が打たれた家へ入らないことを条件に、蹄鉄を外すと提案した。こうして悪魔は蹄鉄を外してもらい、扉に蹄鉄が打たれた家へ入らなくなった。

一説ではドゥスタンの逸話が、蹄鉄と魔除けが結びついて考えられるようになった起原であると言われています。しかし民間伝承と聖人逸話の、どちらが先行するかを明らかにするすべは、他の多くの伝承や逸話と同じく、存在しないでしょう。

鍛冶師のヴェルンド

「ヴェルンドの鍛冶場」と呼ばれる墳丘
「ヴェルンドの鍛冶場」と呼ばれる墳丘

ヴェルンド(古ノルド語。英語読みではウィーランド)とは、ゲルマン人の伝承に登場する鍛冶師です。イギリスの民間伝承には、このヴェルンドと蹄鉄に関する話があります。

それは、蹄鉄をなくしてしまった旅人が、馬を小銭と共にしばらく置き去りにすると、小銭がなくなり、馬が新しい蹄鉄を履いているという話です。これは小銭を対価に、ヴェルンドが蹄鉄を打ってくれたためであると信じられています。

この伝承は、イングランドのオックスフォードシャー州に存在する「ヴェルンドの鍛冶場」と呼ばれる墳丘から生じたと言われています。1738年にFrancis Wiseという人物が、墳丘に伝わるヴェルンドの伝承について以下の通り記述しています。

かつてこの場所には目に見えない鍛冶師が暮らしていた。もし馬が道中、蹄鉄をなくしてしまったなら、旅人はこの場所に馬と硬貨一枚を持ってきて、少しの間そこに置き去りにするだけでよい。旅人が再びそこを訪れたならば、硬貨がなくなり、馬が新しい蹄鉄を履いていることに気づくだろう。

ヴェルンドの伝承は、イギリスにおけるいくつかの文学作品にも取り上げられています。例えば映画『ターザン』の原作として知られる『ジャングル・ブック』の著者であるキプリングは、『プークが丘の妖精パック』という小説でヴェルンドを登場させています。

1906年に出版された、キプリング『プークが丘の妖精パック』の挿絵より、《ヴェルンドの剣》
1906年に出版された、キプリング『プークが丘の妖精パック』の挿絵より、《ヴェルンドの剣》

キプリングの小説においては、ヴェルンドは人びとに信仰されなくなった(イギリスの人びとがキリスト教に改宗したため)、いにしえの神として登場します。ヴェルンドは、「昔は人びとから立派な供物を捧げられていたのに、今となってはわずか1ペニーの食いぶちを稼ぐために馬に蹄鉄を打つ神に成り下がった」と嘆きます。つまり小説内では1ペニーを馬と置き去りにすると、ヴェルンドが蹄鉄を打ってくれるのです。

キプリングの小説におけるヴェルンドは、一人の農夫に蹄鉄を打った件で感謝されたため、ヴァルハラ(※)に帰れることになりました。そのお礼として、ヴェルンドは今まで鍛えたなかで最高の剣をこさえました。その場面が上に掲載した挿絵の場面です。

※ヴァルハラとは、北欧神話における主神オーディンの神殿

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もう一つ、ヴェルンドが登場する文学作品の例を挙げましょう。ファージョンの『リンゴ畑のマーティン・ピピン』です。これは旅の楽師が6人の娘に6つの恋物語を聞かせる物語で、ヴェルンドの話は第5話『誇り高きロザリンドと牡鹿王』に出てきます。

(前略)かの女(ロザリンド)は、小銭のつまった財布を堤におき、闇にむかって低く叫んだ。

「刀鍛冶ウェイランド、わたしに剣をあたえよ!」

それから、しばらくその場をはなれ、東の空が白みかけるまで草原を歩きまわった。……ロザリンドは渡し場にもどった。すると、あかつきのうす明かりのなかに、かの女のまぶたの父の心を満悦させたであろう剣が輝いているのを発見した。そのすばらしい形、すぐれた金質のすべてに神の技であることが示されていた。そして、かたわらの草の上には、かの女の財布がおいてあり、なかからは1ペニーが減っていた。

ファージョン『リンゴ畑のマーティン・ピピン(下)』岩波少年文庫、2001年、165頁。

ファージョンの小説では、ヴェルンドは蹄鉄だけでなく、金物全般を1ペニーでこさえてくれる神として登場します。ずいぶん気前の良い神様だなあ、と思っていると、実はロザリンドに金物を与えた人物は、ヴェルンドではなく彼女を愛する男だったことが、物語の後半で明らかになります。

おわりに

今回は西洋の蹄鉄にまつわる小話を紹介しました。具体的には以下3つについてお話しました。

  • 鉄に魔法的特性があったこと

  • 蹄鉄に魔除けの効果があると信じられていたこと

  • 鍛冶師ヴェルンドが小銭と引き換えに馬に蹄鉄を打ってくれると信じられていたこと

以上、西洋の蹄鉄にまつわる小話でした。

参考文献

[1] 中山茂『西洋占星術史 科学と魔術のあいだ』講談社学術文庫、2019年、93頁。

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"German Bible"より、アントン・コーベルガーによるノアの洪水の木版画、1483年、エジンバラ大学所蔵神話と宗教の機能を考える前のページ

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