Hubert Robert, Landscape with the Ruins of the Round Temple, with a Statue of Venus and a Monument to Marcus ,1789, Hermitage Museum, Saint Petersburg

歴史

廃墟はなぜ美しいのか

はじめに

「美学」という言葉を初めて聞いたのは学生のころでした。どうやら哲学の一領域らしい。その時は、「美しくなるための方法を研究するのかな…でもなぜ哲学科のジャンル?」などと思ったものです。哲学科の女の子たちがやたらオシャレで可愛かったのも、その考えを助長しました。いわゆる不思議ちゃん的な可愛い子が多かったのです。

実際には、ぜんぜん違いました(笑)。

美学とは、美とは何か(美の本質)、どのようなものが美しいのか(美の基準)、美は何のためにあるのか(美の価値)ということについて、考える学問です。

私の主観的なイメージでは、哲学は「○○とは何か」という問いと結びついています。正義とは何か、友情とは何か。そういった数々の問いの中で、学問の一ジャンルとして切り分けられるほど、体系的な研究がされているということは、人はよっぽど美しいものが気になるのでしょう。人が美に悩まされる様子は、男を惑わす「美女」セイレーンを参照してください。

そんな美学の一概念に、「廃墟美」という概念があります。廃墟美とは、人間のつくった建物などの人工物が、一部欠けるなどして、荒れ果てたまま放置されている姿の美しさを指します。

今回は、廃墟がなぜ美しいのかを考察します。

廃墟美が生まれた経緯

「廃墟美」という概念は、17世紀末から18世紀にかけての西洋で生まれました。冒頭で説明したように、廃墟美とは廃墟の美しさのことです。当時における廃墟とは、古代ギリシア・ローマ時代に建てられた建造物の廃墟を差しました。

パラティーノ、ローマ
パラティーノ、ローマ

約1000年続いた中世期が終焉を迎え、14~16世紀に、ギリシア・ローマの文化を復興しようとする文化運動(ルネサンス)が高まると、画家たちはギリシア・ローマの神々を絵の題材として描きはじめます(中世から近世への絵画表現の変遷については、絵画から知る西洋の中世と近世の違いを参照)。

例えばルネサンス期を代表する有名な絵画として、ボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』があります。愛の女神アフロディーテや、春の女神フローラなど、古代ギリシアと古代ローマの神々が描かれています。

ボッティチェリ《プリマヴェーラ》1482年、ウフィツィ美術館所蔵
ボッティチェリ《プリマヴェーラ》1482年、ウフィツィ美術館所蔵

ルネサンスが起こり、やがて風景画というジャンルが確立すると(風景画については、遠景は空の色を映すを参照)、画家たちはギリシア・ローマ時代の神々だけでなく、遺跡も描くようになりました。たとえばそれはコロッセオだったり、半壊した神殿だったりしました。

Hubert Robert, Landscape with the Ruins of the Round Temple, with a Statue of Venus and a Monument to Marcus ,1789, Hermitage Museum, Saint Petersburg
Hubert Robert, Landscape with the Ruins of the Round Temple, with a Statue of Venus and a Monument to Marcus ,1789, Hermitage Museum, Saint Petersburg ユベール・ロベールは廃墟を描く画家として有名。

その流れのなかで、人々は廃墟が美しいことに気づきました。貴族のなかには、自分の庭にギリシア・ローマ風の廃墟を人工的につくる者まで出てきました。そうして、「廃墟美」という概念が生まれたのです。

廃墟が美しい理由

伝統的な美とは、完全性を持つものでした。左右対称だったり、ゆがみのない円だったり、そういったものを、人々は美しいと考えていました。廃墟美は、伝統的な美からすると「不完全」な、近代に発見された美です。

では、なぜ人は廃墟を美しいと思うのでしょうか。理由として、私は次の3点を考えています。第一に、角度によって様々な印象をもたらすから、第二に、欠けた部分の想像を促すから、第三に、生物の運命を表しているからです。

美女の顔

まず、廃墟は角度によって様々な印象をもたらします。

これはシンメトリー(対称)とアシンメトリー(非対称)、どちらがより美しいかという問題にも関係します。シンメトリーは伝統的な、完全な美のカテゴリーに入ります。一方で、アシンメトリーや廃墟は、完全な美と対立するカテゴリーに入ります。シンメトリーと比較して、アシンメトリーや廃墟のどこが美しいかというと、角度によって様々な印象をもたらすところです。

その良さは、美女の顔を考えると分かりやすいです。例えば、マリリン・モンローは斜視であるからより美しく見えますし、ミランダ・カーはかき上げヘアスタイルにすることでより美しく見えます。

同様のことが、廃墟にも言えます。様々な顔を見せるために、人は廃墟を美しく感じます。

ミロのヴィーナス

《ミロのヴィーナス》ルーヴル美術館所蔵
《ミロのヴィーナス》ルーヴル美術館所蔵

次に、廃墟は欠けた部分の想像を促します。

廃墟がなぜ美しいのかと考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが、静岡卓行のミロのヴィーナスに関する考察でした。ミロのヴィーナスとは、古代ギリシアの時代につくられた彫刻像で、愛の女神アフロディーテの像と考えられています。現在はパリのルーヴル美術館に展示されています。

静岡卓行は、ミロのヴィーナスが魅力的なのは、その両腕がないからであると述べます。両腕がないために、私たちはその腕の姿を想像します。林檎を持っていたのか、はたまた何かに寄りかかっていたのか……。もし腕が欠けていなかったら、このような想像ができません。私たちに何通りもの想像を促すために、ミロのヴィーナスは魅力的なのです。

同様のことが、廃墟にも言えます。建物の欠けた部分は、昔どうなっていたのだろう?そのような想像を促すために、私たちは廃墟に引きつけられるのです。

悲劇

最後に、廃墟は生物の運命を表しています。

これは人が悲劇を観る・読む理由と通じる所があります。ハッピーエンドの物語だけ創作し、読んでいれば心穏やかなのに、なぜ人はわざわざ悲劇の物語を生み出し、読んで心打たれ、思い悩むのでしょうか。その理由の一つとして、「生まれたものはいつか死ぬ」という自然の法則を、悲劇が表していることが挙げられます。

生と死の観点で見れば、「ハッピーエンド」は嘘です。人間は必ず死にます。そのため、人は悲劇を読み、いつか来る死に立ち向かう心の準備をするのです。ウンベルト・エーコは、「偉大な悲劇が人を引きつけるのは、その英雄たちが、残酷な運命から逃れず、むしろその淵のなかに飛び込んでいくから」であると述べます。

理屈の上で言えば、わたしたちはこれらすべてのこと(悲劇の結末をハッピーエンドにすること)を実現させることができます。ただ単に、これらの作品を書き直せばよいのです(『オイディプス王』『ハムレット』『嵐が丘』『戦争と平和』『罪と罰』『変身』『誰がために鐘は鳴る』など)。しかし、わたしたちは本当にそんなことをしたいと望んでいるのでしょうか。

ウンベルト・エーコ著、和田忠彦、小久保真理江訳『ウンベルト・エーコの小説講座: 若き小説家の告白』筑摩書房、2017年、136頁。

悲劇と同様のことが、廃墟にも言えます。「生まれたものはいつか死ぬ」の法則において、廃墟はすでに死んだものです。人はそれを見て自分の運命を改めて意識します。ゆえに廃墟に引きつけられるのです。

おわりに

今回はまず、人が近代になって廃墟の魅力に気づいたことを述べました。その発見はルネサンスからつづく、ギリシア・ローマ文化を理想とする文芸上の傾向のなかで成されました。

次に、人が廃墟を美しいと思う理由を考察しました。理由として挙げたのは下記の3点です。

1.廃墟は角度によって様々な印象をもたらすから

2.廃墟は欠けた部分の想像を促すから

3.廃墟は生物の運命を表しているから

以上、廃墟美に関する考察でした。

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