フロドの家

ファンタジー

『指輪物語』でフロドが灰色港から旅立つ理由

はじめに

ハリーがニワトコの杖を捨てる理由で、ファンタジー冒険物語の定型プロットは、「行きて帰りし物語」であると説明しました。それは以下の4段階を踏むプロットです。

1. 主人公が超自然的な力を得る

2. 1の力をきっかけに、日常世界から異界へと旅立つ

3. 超自然的な力によって目的を達成する

4. 日常世界に帰還する

今回は、このプロットに従って『指輪物語(Lord of the Rings)』の主人公フロドが、物語の最後で灰色港から西の国へ旅立つ理由を考察します。

ファンタジー冒険物語のプロット

おさらいとして、ファンタジー冒険物語におけるプロットの詳細を説明します。

1. 主人公が超自然的な力を得る

ファンタジー物語の主人公は、日常世界から異界へ旅立つ際に、超自然的な力(※)を獲得します。それは本来、神々、精霊、悪霊などの異界人の持ち物です。そのため、超自然的な力の獲得は、異界人に対抗する能力を得たことを意味します。

※自然を超える、つまり魔法など、現実ではあり得ない力のこと。詳細は魔法から科学への移行を参照

2. 1の力をきっかけに、日常世界から異界へと旅立つ

超自然的な力を獲得した主人公は、必然的に旅立たなければなりません。なぜならその力を得た時点で、主人公は日常世界ではなく、異界のルールに従って生きる異界人になるからです。

3. 超自然的な力によって目的を達成する

主人公は超自然的な力によって、冒険の目的を達成します。物語の山場となる場面です。

4. 日常世界に帰還する

冒険の目的を達成した主人公は、日常世界へ帰還します。このとき、主人公は冒険のきっかけとなった超自然的な力を捨てなければなりません。なぜならその力を持つ限り主人公は異界人であり、日常世界に戻ることができないからです。

フロドのもつ「力」

それでは、フロドの保持する超自然的な力とは何でしょうか。一見すると、指輪に思えます。はるか昔、冥府の魔王サウロンの作った指輪は、ミドルアースに存在する他のどの指輪よりも強力で悪しき力を持っています。指輪について、魔法使いのガンダルフは次のように語ります。

One Ring to rule them all, One Ring to find them,

One Ring to bring them all and in the darkness bind them

一つの指輪はすべてを統べ、一つの指輪はすべてを見つけ、

一つの指輪はすべてを捕らえて、暗闇のなかにつなぎとめる

この強力な魔力をもつ指輪を手にしたことで、フロドの過酷な旅が始まります。

しかし、指輪はフロドのもつ「超自然的な力」ではありません。それはフロドが他人と違ってどこが特別なのか、ということを考えれば見えてきます。力の指輪は、持とうと思えば誰でも持つことができます。それにもかかわらず、フロドが所持者として選ばれた理由は何でしょうか。

フロドのもつ超自然的な力とは、「指輪の魔力に負けない力」です。通常ならば指輪の魔力に支配されてしまうところを、フロドだけはそうではありません。魔法使いのガンダルフでさえ、指輪の魔力を恐れ、直接触れないように扱います。この「指輪の魔力に負けない力」によって、フロドの冒険は成功します。

ちなみにフロドの前に指輪所持者だったビルボも、フロドと同様に「指輪の魔力に負けない力」を持っています。のちほど詳しく述べますが、彼もその力を持っているために、異界人になりました。

冒険が終わったのに浮かないフロド

フロドは冒険でみごと勝利を納めます。すなわち、指輪を滅びの山の火口に入れ、溶かすことに成功しました。指輪の末路を見届けたあと、フロドは従者であり親友でもあるサムに、こう言います。

「やれやれ、これでおしまいだ、サム・ギャムジーよ」

J.R.R.トールキン著、瀬田貞二、田中明子訳『指輪物語9 王の帰還〈下〉』2002年、128頁。

こうしてミドルアースに平和が訪れました。フロド、サム、メリー、ピピンの四人は旅の仲間と別れ、故郷への帰路につきます。その道中の会話で、フロドが意味深なことを言います。

「さあ、これでぼくたちだけになった、一緒に出発した四人だけだ」と、メリーは言いました。「ほかの人たちはみんな、次々とあとに残して来たんだね。まるでゆっくりと醒めていく夢みたいだな」

「わたしにとってはそうじゃないね」とフロドがいいました。「わたしはもう一度眠りに落ちていくような感じだよ」

 J.R.R.トールキン著、瀬田貞二、田中明子訳『指輪物語9 王の帰還〈下〉』2002年、249頁。

他の3人は故郷に帰ることを喜んでいるのに、フロドだけが浮かない気持ちのようです。『指輪物語』を初めて読んだときから、ずっと気になっていた個所でした。最近になって、解釈にピンときました。

神話学者のジョーゼフ・キャンベルは深層心理学の影響を強く受けており、神話における英雄の冒険をパターン化しています。彼の考えでは、英雄は「意識の世界」から「無意識の世界」に旅立ち、勝利を納めて「意識の世界」に戻ってくるという円環の旅をします。深層心理学的に、「意識」とは「目覚めている状態」で「無意識」とは「夢を見ている状態」とも言い換えられます。

英雄の旅
英雄の旅

このパターンにあてはめるなら、ホビット四人は、無意識の世界(異界)から意識の世界(日常世界)へ戻ってくるはずです。しかしフロドだけは「もう一度眠りに落ちていくような感じ」、つまり無意識の世界に行く感じがすると言っているのです。

自分の故郷へと帰るのに、なぜフロドは無意識の世界、つまり異界へ行く感じがするのでしょうか。

フロドが西の国へ旅立つ理由

フロドが故郷へ帰るのに「異界」へ行くと感じる理由は、フロドが異界側の住人になったからです。人間にとって精霊の住む世界は「異界」ですが、逆に精霊から見れば人間の住む世界は「異界」です。フロドはこのとき、精霊と同様の気持ちなのです。

ここで疑問が浮かぶかもしれません。例えばハリーは、一度は異界人になりましたが、最後には異界人の特徴である「超自然的な力(ニワトコの杖)」を手放し、普通の人に戻りました。それと同じことをすれば、フロドも普通の人に戻り、サムたちと一緒に喜びにあふれて故郷に帰れるはずです。

実はフロドは、指輪を破壊した時点で「普通の人」には戻れなくなりました。フロドのもつ「超自然的な力」とは、何でしょうか。

「指輪の魔力に負けない力」ですよね。

この力を手放すとは、ほかの旅の仲間(ボロミアが好例)と同様に、指輪の魔力に負ける性質になるということです。しかし肝心の指輪は破壊されました。指輪が存在しないのであれば、今後、指輪の魔力に負けることはありません。指輪が消えた時点で、フロドの性質は「指輪の魔力に負けない」性質で永遠に止まったままなのです。

これで、フロドが灰色港から西の国へ旅立つ理由が明らかになります。西の国とは、『アーサー王物語』でいうアヴァロン、ブリテン島の西にあると言われている伝説の島です(※)。アヴァロンは精霊の国、『指輪物語』でいうとエルフの国、つまり異界人の国です。

※作者のトールキンはイギリス人であるため、当然アヴァロンを意識している

フロドは異界人になったきり、普通の人には戻れなくなりました。「異界」であるアヴァロンへ旅立つ理由は、「日常世界」であるホビット庄ではもはや暮らしていけないからです。

このとき、フロドの前に指輪所持者だったビルボも一緒に旅立ちます。なぜなら、自分の意志で指輪を手放したビルボもまた、指輪の魔力に打ち勝った=異界人になったからです。そして指輪が存在しないため、ビルボも普通の人には戻れないのです。

おわりに

今回は『指輪物語(Lord of the Rings)』の主人公フロドが、灰色港から西の国へ旅立つ理由を考察しました。フロドのもつ超自然的な力は「指輪の魔力に負けない力」であり、魔力に打ち勝ち、指輪を破壊した時点で、フロドは永遠にその力を手放せなくなりました。そのため、フロドは「異界人」として生きていくしかなくなり、「異界」へ旅立ちました。その「異界」が西の国なのです。

以上、フロドが灰色港から旅立つ理由でした。

参考文献

ジョーゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2015年

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