ジブリ映画『君たちはどう生きるか』の考察

アオサギ
目次

はじめに

2023年7月14日に公開された、宮崎駿監督のジブリ映画『君たちはどう生きるか』を観てきた。本作品は公開前にポスター以外の宣伝をいっさいせず、情報の秘匿性が売りだった。そのため、絶対にネタバレを踏む前に見たい・・・と思い、公開から一週間ほど経った今日、映画観へ向かった。

本記事では映画を観ての考察をつづりたい。ネタバレするため、まだ観ていない人は、観てから読んでほしい。

物語の概要

主人公の少年・眞人は、戦火を避けるため、父親とともに東京を離れて田舎に移住する。移住先は、眞人の亡くなった母親の実家(大豪邸)である。父は母の妹のナツコとよい関係で、彼女はすでに父の子を身ごもっている。どうやら父はナツコと再婚し、ナツコが眞人の新しい母になるらしい。

暮らしはじめた古い館で、眞人は不気味な塔を見つける。その塔は眞人の母家系の血を引く「頭のいい大叔父さん」が建てたもので、大叔父さんはその塔で失踪している。のちにこの塔は、外側は叔父が建てたものだが、核となる部分は天から落ちてきた、人知を超えるものであることが使用人の話によって明らかになる。この物語において「塔」は異界への入口であり、塔に入ることで異界へ行くことができる。

※異界については、異界への入口を参照。

眞人は大叔父の使いである、喋るアオサギから、亡くなったはずの母が生きているから、こちら側の世界にこい、と誘われる。のちに明かになるのだが、このとき大叔父は、自分が創りあげた世界を引き継いでくれる後継者を探しており、その役を眞人に頼みたかったのだ。

何度かアオサギの誘いを断った眞人だったが、ナツコがあちら側の世界へ失踪したことをきっかけに、①母が生きているかどうかを確かめるため、②ナツコをこちら側の世界に連れ戻すため、の2点を目的として塔のなか=異世界へ旅立つ。

そして、2つの目的を果たした眞人は、異世界から帰還する。目的の①について、母はたしかに異世界では生きていたが、それは過去の時の流れを生きる母だった。彼女は、眞人の時の流れとは別の場所へ戻っていった。なお眞人が帰還したとき、大叔父が創造した世界が壊したため、その世界への入口だった塔も崩壊した。

まとめるとこの物語は、典型的な「行きて帰りし物語」である。眞人は実母とナツコの「喪失」を契機に、日常世界から異界へと旅立つ。そして異界で目的を果たしたあと、日常世界へ帰還するというプロットだ。

※行きて帰りし物語のプロットは、過去記事『ハリー・ポッター』でハリーがニワトコの杖を捨てる理由を参照。

考察

評価が低い理由

観おわったとき、この物語の評価が低いか高いかに二極化する理由が分かった。まず評価が低い理由についてだ。今回の物語は、天下のジブリにしてはあまりにも手抜きすぎる。理由は以下。

  1. 物語のプロットがしごく単純で、容易に結末が予測できる。『もののけ姫』と比較してみてほしい。それぞれの登場人物の正義・想いがぶつかり合う――!みたいな複雑展開では全くなく、主人公個人の成長物語である。その「成長」も後述する通り、弱々しい。
  2. 主人公が成長する過程の描写(苦難→努力→壁を乗り越える)がないし、冒険から帰還して得た「成長」も弱々しいものである。いちおう主人公には、自らつけた頭の傷は悪い事だと認めるのと、創造の世界ではなく現実の世界で生きる覚悟を決めるという成長がみられる。

物語が単純なのは悪いことではないが、124分の長編映画で上映するなら、聴衆はもっと複雑な物語を期待するだろう。加えて、ジブリは過去に聴衆の期待を上回る物語をバンバンだしていたため、多くの聴衆はそのレベルを期待する。そうして足を運ぶと「がっかり」になりかねない。

評価が高い理由

次に評価が高い理由についてだ。先ほど「手抜き」と記載したが、それは悪い事ではない。ある部分で力を抜くと、他の部分に力を入れられる。「オシャレは引き算」と同じで、なんでもコテコテであればよいというものではない。

私が思うに、駿さんはプロットの複雑さを犠牲にして、想像力の限界まで「異世界ルール・カオス詰め込みオンパレード」をしたかったのではないかと思う。そしてこの「異世界ルール・カオス詰め込みオンパレード」は、何かしら創作をした経験のある人にとっては(あるいは空想好きな人にとっては)、大好物のものだと思う。それが評価が高い理由の1つだ。

ここでいう「異世界ルール」とは、現実世界のルールとは異なる異世界のルールのことだ。例えば、「後ろを見てはいけない」「寝床のまわりに並べえられた人形を動かしてはいけない」「ワラワラ(白くて丸いやつ)は臓物をエネルギーにして飛ぶ」「アオサギを再び飛べるようにするためには、嘴に穴を開けた者が塞がなければならない」などのルールだ。

今回の映画では、これでもか、これでもか、というくらい、異世界ルール(規範)が詰め込まれていた。創作をする人は、何かを創造することが大好きで、異世界ルールの設定を考えるのも大好きだ。そのため、駿さんが考えた突飛な設定を知るたびに、「なるほど、そうきたか」と思いわくわくするのだ。

おそらく、今回の映画を高く評価している人は、創り手目線で物語を見た人だ。すでに引退宣言をしている駿さんは、従来の作品のような「万人受け」を目指さずに、リラックスした状態で、自分の想像力のままに面白いものを詰め込んで、遊んだのだと思う。

核心

この物語のテーマは、ずばり「創造すること」だと思う。登場人物の一人である大叔父は、世界を「創造」している。そして、眞人に対し、創造する仕事を引き継いでくれないか、と頼むのである。私は、大叔父には宮崎駿が投影されているのではないかと考えた。理由は、駿さん自身、これまで様々な世界(=物語)を創造してきた人だからだ。大叔父がもう年老いて、世界を創造する仕事から引退するという状況も、宮崎駿に一致する。

「異世界を創る大叔父」が「物語を創る宮崎駿」だと仮定すると、評価の高い理由で記載した、創造主(=宮崎駿)による遊びがたくさん詰め込まれている理由が分かる。詰め込まれた異世界ルールや各場面には、これまでのジブリ映画のオマージュとなるものが多々あった。これは、大叔父が自分の世界をよりよいものにしようと試行錯誤しているように、宮崎駿も物語をよりよいものにしようと試行錯誤してきたことを意味しているのではないか。そして、これまで創造してきた世界を振り返って、「まだまだ悪いところもたくさんある」などと大叔父の言葉を借りて評価しているのだ。

眞人が大叔父の「世界を創造する」仕事を引き継がないことは何を意味しているのだろう? 私は、「いくら創造で素晴らしい世界(=物語)を構築しても、私たちはいつかは現実へ戻り、現実で生きていかなければならない」ということを示唆しているのだと考えている。物語は私たちに、明日を生きる勇気や希望を与えてくれる。しかし私たちは物語のなかでは生きられない。物語はあくまでも、人生をよりよく生きるための糧であり、人生そのものではないのだ。そう考えると、『君たちはどう生きるか』という題名の意味も回収できて、大団円だ。

類似物語

今回の物語展開は本当に王道で、悪く言えば使い古されたファンタジー物語だった。20世紀に流行ったファンタジー物語に、「タイムスリップファンタジー」というジャンルがある。主人公は「歴史ある古い館」を入口として過去の世界にタイムスリップし、過去の人と交流を通じて成長して日常世界に帰還する。眞人が行った異世界は、過去の世界ではないが、過去の時を生きる母が存在したという意味で、タイムスリップファンタジーを踏襲している。

タイムスリップファンタジーの代表的な作品に、アリソン・アトリー の『時の旅人』や、フィリパ・ピアス の『トムは真夜中の庭で』がある。また、ジブリで映画化されているジョーン・ロビンソン『思い出のマーニー』もそうだ。興味がある方は読んでみるとよいだろう。全て岩波少年文庫で購入できる。

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『時の旅人』は歴史背景を知らないと難しいので、個人的に『トムは真夜中の庭で』のほうが読みやすいと思う。

モデルとされた小説の感想

※後日追記。

今回の映画は「北欧のとある児童文学をモデルにしたらしい」と噂されていた。自身が積読していた本のなかに、帯に宮崎駿の「ぼくをほんとうにしあわせにしてくれた本です。出会えて本当に良かったと思っています」とのコメントが書かれている本があった。おそらくこの本だろう、と思って作者の出身国を調べたところ北欧だった。それはジョン・コナリー『失われたものたちの本』だ。

今回の映画が公開されてから、この本が飛ぶように売れていたので、このタイミングで読むのは商業戦略に乗せられているようで嫌だった。とはいえ、いつかは読もうと思って前から買ってあった本なので、「べつに映画が公開される前から買ってあったし、お前らに言われて買ったわけじゃないし」と心の中で言い訳しながら読んでみた。

感想としては、考察のしがいがあるという点で、かなりよいファンタジー物語だった。宮崎駿の映画はよい意味で子供をターゲットとしており、子供が観て生きる勇気をもらえる内容になっている。しかし『失われたものたちの本』の適齢期は大人になりかけの子供、高校生くらいの年齢だと感じた。

物語の内容としては、少年が大人になるまでのイニシエーション物語である。異世界に迷い込んだ主人公の前には、彼が恐れるもの(死だったり性だったり)が、世界的によく知られたお伽話(白雪姫、美女と野獣、眠り姫など)を捻じ曲げたかたちで現れる。捻じ曲げられたお伽話は、綺麗事では済まされない現実をうまく反映しており「こういう結末も十分ありえる」と大人になりかけの少年を納得させるに足る。

最初、少年がイメージしている大人には汚い面が全面に出ていた。しかし、そうでない大人になることが、本当に大人になることである、と理解することが少年にとっての成長である。大人を嫌って子供のままでいることは、生物として不健全な状態であり(例えばピーターパン症候群)、成人式などのイニシエーション(通過儀礼)は、子供が大人になる手助けをするために存在する儀式だ。

『失われたものたちの本』は、「次はどんな不思議なことが起こるのだろう?」とわくわくする物語でもあるし、イニシエーションに関するかなり深い考察ができる物語でもある。大人が読んでこそ、その真意を理解できる物語といえよう。

おわりに

今回は、ジブリ映画『君たちはどう生きるか』の考察を行った。

まとめると今回の映画は、物語の形を借りて、宮崎駿のこれまでの生き方を振り返ったような、自叙伝のような映画だと思った。多くの人びとが従来のジブリ映画のような、複雑なプロットの、主人公の成長が明確に分かる、真新しい物語を求めているのは分かるが、駿さんはもう82歳なのだ。新作を出してくれるだけでありがたいと思わなければならないし、残りの人生くらい、ジブリブランドやファンの期待に囚われずに、自分のお好きなことをやってほしい。

以上、『君たちはどう生きるか』の考察だった。

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