ラテン語の写本『ケルズの書』8世紀

歴史

ラテン語とは

はじめに

今回は、ラテン語について紹介します。

名前だけはよく耳にしますが、どこの国で話されているのか?と考えてみると、国名が浮かばないかもしれません。ラテン…ラテンアメリカ?ラテン共和国?(存在しません)

結論から言うと、ラテン語とは、古代ローマ帝国で公用語だった言語です。現在ではローマ=カトリック教会の総本山である、バチカン市国でしか使われていません。単語の意味はともかく、発音するだけなら現代人、とくに日本人なら簡単にできます。というのもラテン語はアルファベットで綴られており、基本的にはローマ字読みで発音すればいいからです。西欧圏の人よりも、ローマ字読みの得意な日本人のほうがよっぽど本物に近く発音できますよ。

ラテン語の誕生ー古代

冒頭で説明したように、ラテン語は古代ローマ帝国の公用語です。なぜ「ラテン」語かというと、ローマ帝国はラテン人という民族で構成されているからです。ローマ帝国は、ローマ共和国が帝政になってから、紀元後395年に東西分裂するまで、約400年間栄えた一大帝国でした。当時の水道橋や円形競技場、神殿や街道などが現代まで残っており、優れた建築技術を保持していたことで知られています。

ローマ帝国の建築物や街道は、帝国が滅びたあとも使用されつづけました。それだけ、ローマの遺産が優れていたという証拠です。とくに、ヨーロッパ大陸じゅうに張り巡らされた街道は、ローマ帝国ののちに建国された諸王国にとって、ありがたかったに違いありません。舗装された道をつくるのは、大変な労力と資金と時間がかかりますから。ローマ帝国のアッピア街道については、道の歴史的な役割を参照してください。

そして、ローマの優れた遺産といえば、建築物や街道だけではありません。文字です。

ラテン語は、キリスト教徒によって、ローマ帝国が衰退したあとも広まり続けます。なぜなら、キリスト教徒は聖書を記述するのにラテン語を使ったからです。文字を発明するというのは、大変な苦労が伴いますから、すでに使い勝手のよい文字が存在するなら、それを使わない理由はありません。キリスト教の権力が高まるにつれて、ラテン語の権威も高まっていきました。

ちなみに、キリスト教が日の目をあびるのはローマ帝国時代からです。313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令で、それまで迫害されていたキリスト教がはじめて公認されたのでした。

ラテン語の繁栄ー中世

「中世」という時代がいつから始まるのか、様々な見解がありますが、本記事では西ローマ帝国崩壊後からを中世期とします。ローマ帝国がゲルマン人の王国に置き換わる過程は、イギリスにおける魔法の歴史を参照してください。

西洋の中世期はキリスト教の全盛期であり、ローマ=カトリック教会(キリスト教の一派、いわゆるカトリック)のトップである教皇は、今でいうイタリアにいながら西洋全土に影響力をもち、各国の国王よりも権力がありました。中世期にローマ=カトリック教会の権威が高まった理由は、西洋になぜキリスト教が浸透したのかを参照してください。

言語とは時代を経るに従い変化していくため、ラテン語の「口語」は中世期に多様に変化します。ラテン語からは、イタリア語、フランス語、スペイン語などのラテン系言語と呼ばれる言語が生まれました。なお、ラテン系に対応するのはゲルマン系で、英語やドイツ語がゲルマン系にあたります。

しかし紙に記す「文語」は変わらず、昔のままのラテン語が使用されつづけました。なぜなら、文字を使う機関である教会が、ラテン語の俗語(のちにイタリア語やフランス語やスペイン語になる)を認めなかったからです。このころ、識字能力のある人=ローマ・カトリック教会の関係者と思っていただいてかまいません。一般人は文字を書くことも読むこともできませんでした。

さらに、教会は民衆への説教もラテン語でしつづけました。それが「正式」の言葉とされていたからです。中世という時代は1000年ほどつづきますが、後期のころには、民の話す言葉と、司祭の話す言葉の乖離が進み、民にとってラテン語の説教は、わけの分からない呪文のようにしか聞こえなくなっていました。

なお、ラテン語の「文字」も、理解できる人が減るにつれて、しだいに霊性をおびるようになりました。それについて西洋中世期における言葉と文字に宿る霊性はを参照ください。

12世紀ごろには、大学が出現しはじめます。学生たちは、口語はすでに各々の国の言語になっているのにもかかわらず、文語は変わらずラテン語を使いつづけます。それも、ラテン語が「正式」な言葉だからです。ラテン語という言語は絶大な権威を持っていました。中世期、文字といえばラテン語で、文法教師といえばラテン語文法の先生でした。

ラテン語の没落ー近代

ラテン語以外の言葉の表記が一般化するのは、12世紀以降のことです[1]。そのころになると、口語を文字化した俗語(のちのイタリア語、フランス語、スペイン語など)で書かれた文書が出現しはじめます。

14-15世紀ごろになると、文字はもはや聖職者の独占ではなくなりました。14-15世紀のイタリアの都市には、無名の市民が残した大量の私文書が残されており、これらの私文書は俗語で書かれていました[2]。

口語に対応する文語が存在すれば、それまで西洋でただ一つの文語だったラテン語は存在意義を失います。ラテン語の持つ文語としての優位性が、それぞれの国の言葉へ、徐々に移行していきます。

ラテン語の権威は、宗教改革によって完全に崩れました(16世紀)。宗教改革でなされたことの一つに、新約聖書の各国語への翻訳があります。マルティン・ルターがドイツ語訳をしたのは有名な話です。宗教改革は、文語をラテン語に縛るのに十分な権力をローマ=カトリック教会が失ったことを意味します。  そうして現在、ラテン語を使用する国は、教皇の住まいであるバチカン市国のみとなっているのです。

おわりに

言語は生き物と同じで、生まれた瞬間から常に変化していくものです。しかしラテン語とは、人為的な操作により、約1000年間も西洋人に使われつづけた不思議な言語なのです。 ラテン語を語源とする単語は、西洋系の言語のなかに数多くあり、大学で使われていた関係からか、とくに学術分野で多いです。例えば文明(civilization)の語源がラテン語であることは、文明と文化の違いで紹介しました。それ以外の単語についても、おいおい紹介していきますね。

以上、ラテン語についてでした。

ラテン語の写本『ケルズの書』8世紀
ラテン語の写本『ケルズの書』8世紀

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参考文献

[1]大黒俊二『声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)』岩波書店、2010年、10頁。

[2]同上、11頁。

レオン・ベリー《オデュッセウスとセイレーン》1867年、サントメール市立美術館、フランス男を惑わす「美女」セイレーン前のページ

語源からたどる文明と文化の違い次のページエジプトのギザ。

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