あらゆる芸術は物語から生まれる

9人のムーサと古き3柱のムーサ
目次

はじめに

最近、音楽ユニットのYOASOBIが、小説をもとに楽曲制作を行うユニットだということを知りました。彼らの公開しているどの音楽も、世界観のもととなった小説(物語)があり、デビュー曲の「夜に駆ける」は星野舞夜の『タナトスの誘惑』という小説がもとになっています。

なぜこんなことに気づいたかというと、最近YOASOBIはアニメの主題歌も多く作っており、普通ならアニメの主題歌はアニメそれ自体の世界観をもとにして楽曲できるはずなのに、YOASOBIが楽曲する場合には、わざわざ「もとになる小説」が新しく書き下ろされていたためです。不思議に思って調べてみると、「小説をもとに楽曲する」というコンセプトで活動しているユニットだということが分かったわけです。

それを知ったときにふと思いました。物語をもとにして歌をつくるという行為は、実はまったく新しいものではありません。むしろ、西洋なら吟遊詩人が、日本なら琵琶法師が、古くから行ってきた行為ではありませんか。

というより、神話や伝説も含めた物語は、あらゆる芸術の源になっているのではないでしょうか。そのような仮説を思いついたため、今回の記事で深く考えてみたいと思います。

芸術が生まれたきっかけ

9人のムーサと古き3柱のムーサ
《9人のムーサと古き3柱のムーサ》ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、1884-1889年の間、リヨン美術館。ギリシア神話で芸術を司る女神のことを、ムーサと呼ぶ。

「芸術」という用語を広辞苑(第六版)で調べると、以下の通り出てきます。

一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。

簡単にいうと、現代では「観る価値のあるもの」と定義されているようです。私たちは芸術に触れることで、心が豊かになったり、視野が広がったり、幸せを感じたりします。芸術には教育的な面も多々ありますが、現代の資本主義社会では、娯楽の一種として分類されていることが多い気がします。

しかし、芸術はもともと、娯楽のために生まれたのではありません。魔法から科学への移行で紹介した通り、科学革命が起きる近代以前まで、人びとは困ったことが起きたとき、その助けを神に代表される超自然的な存在に求めていました。人びとは超自然的な存在に助けを求めるお礼に、供物を捧げたり、祈りを捧げたりしてきました。

芸術は第一に、そのようなお礼の一貫として、神に代表される超自然的な存在に感謝したり、賛美したりするために生まれました。それらの例を、様々なジャンルの芸術を通して以下に見ていきましょう。

舞踏

舞踏は、芸術として分類される人間活動のなかでも最もプリミティブ(原始的)な時代から存在する活動だと考えられます。なぜなら、舞踏という芸術は人間の身体ひとつで表現できる芸術だからです。

気持ちが高ぶったときに、普段の生活に必要な動作とは別の動き(調子をつけて手を叩く、回転する、飛び跳ねる等)をしたくなるのは、あるていど知能がある動物にはみな、備わっている本能だと思います。実際、人間のそばで暮らしている家畜や、ペットを観察してみると、動物が興奮を全身で表現することが分かります。舞踏はそうした、感情の高ぶりを全身で表現するという動作から生まれたのでしょう。

天岩戸神話の天照大御神
《岩戸神楽之起顕》枝年昌 、1889年、Museum of Applied Arts, Vienna (Austria)

舞踏の例として、神道では「神楽(かぐら)」と呼ばれる神に奉納するための舞があります。神楽は、アマテラスオオミカミが岩戸に隠れてしまったとき、アメノウズメが神がかりして舞った舞が起原とされています。アメノウズメが踊った結果、周りにいた神々が大笑いしたため、アマテラスが何事かと思って岩戸から顔を出し、世界に光が戻ったとされています。

この例から、舞踏は気持ちが高ぶったとき(神がかりしたとき)の動作であるともいえるし、神に捧げるための動作でもあるといえます。

歌・詩

歌も舞踏と同様に、人間の身体ひとつで表現できる芸術です。その点で舞踏と同じくらい古くから存在しそうです。しかしリズムをつけたり音程をつけたり、内容のある歌詞にしたりするには高度な技術が必要なため、現代人が「歌」と認知できる歌は、舞踏より後に成立したかもしれません。

なお、歌には歌詞がつくため、ここでは詩も歌に含めてよいと思います。例えば叙事詩は詩でもあるし、歌でもありますね。

歌の例として、キリスト教では聖歌と呼ばれる、神を賛美するための歌があります。現代では聖歌と聞くと、教会堂に響きわたるパイプオルガンの音色をイメージする方が多いと思いますが、実はオルガンがキリスト教の楽器として確立されたのは13世紀のことです。音に溢れた現代では忘れがちですが、本来、歌とは楽器がなくても成立するものです。人間の身体自体を楽器として使ったものこそ、歌だからです。

聖歌の古典的な形態に、ローマ・カトリック教会(キリスト教の一派。いわゆるカトリック)が用いてきた「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる、無伴奏歌唱があります。グレゴリオ聖歌は、男性あるいは少年によって、楽器を用いずに合唱されます。9-10世紀ごろに発展しましたが、楽器を用いない聖歌自体の歴史はもっと古く、3世紀ごろには存在したのではないかと言われています。

グレゴリオ聖歌は、現代の華やかな聖歌とは異なり、お経のような静謐さがあり、シンプルですが祈りの気持ちがこもっていて、私はすごく好きです。気になる方は、YouTube等で検索すれば聞けるので、聞いてみてください。

当然のことですが、神を賛美する歌はキリスト教が発展する前の、エジプトやギリシアでも存在しました。例えば、『ホメーロス風讃歌』は、ギリシア神話の神々を賛美する歌であり、そのなかには紀元前7世紀に書かれた歌もあります。

音楽

音楽は楽器が必要な点で、舞踏や歌より後に発展した芸術といえます。また、音楽は最初、それ自体が主役なのではなく、舞踏や歌を補助し、より華やかにするために存在したと考えられます。

リュート奏者
《リュート奏者》カラヴァッジォ、1596年、Wildenstein Collection

楽器での演奏は、そのへんで拾える石や木片を打つことから始まり、笛を吹いたり弦楽器を弾くことへと発展しました。冒頭で触れた西洋の吟遊詩人は、リュートと呼ばれる弦楽器を使用し、各地の神話や伝承、叙事詩や歴史を、音に乗せて伝えて旅しました。

宮廷文化が花開いていた頃は、吟遊詩人は遠方の話を聞かせてくれる人として、また余興をもたらしてくれる人として宮廷に招かれました。そのような宮廷を遍歴する吟遊詩人は、トルバドゥールやミンネゼンガーと呼ばれました。

もしかすると音楽は、現代人の多くにとっても、いまだ「何かを補助し華やかにする」芸術でしかないのかもしれません。音楽とはそれを主役に鑑賞することはまれで、多くの人にとって、ダンサーの踊りを華やかにする音楽、歌手の歌を華やかにする音楽、劇や映画やアニメを華やかにする音楽、などなのかもしれません。

彫刻・絵画

彫刻や絵画は、神話や宗教の発展と深く関わっている芸術です。むしろ神話や宗教があったからこそ、これらの芸術が発展した、といっても過言ではありません。

ヒトの五感のうち、最も優れた感覚機能は「視覚」です。西洋における光の文化史でも、ヒトが視覚に頼りきった生活をしているからこそ、暗闇に恐れを感じ、光に安堵を感じてきたことを説明しました。ということは、視覚にうったえかける芸術というのは、人びとに強烈なインパクトを残します。それが彫刻や絵画です。

彫刻や絵画は、人びとが何かを崇拝しやすいように、あるいは神性をもつ何か自身を賛美するために作成されました。

彫刻

ペイディアスが制作したアテーナー・パルテノス像のローマ時代のコピー。アテネ国立考古学博物館

まず、彫刻についてです。彫刻とは石や木を彫ってなんらかの形をつくる芸術のことです。明日生きるか死ぬか分からない、昔の人は途方もない時間と情熱をかけて何を作ったのでしょうか。

もちろん、神像です。実際に、偶像崇拝を禁止している宗教・宗派以外は、ほとんどの宗教で、神や神性をもつ存在を彫像という形にのこし、聖域にまつってきました。何もない場所で祈るより、何かの対象に向かって祈るほうが、人間の心理として信仰しやすいからです。

絵画

次に、絵画についてです。絵画を戦略的に用いた宗教といえば、ローマ・カトリック教会です。ラテン語とはで説明した通り、中世期の西洋では、聖職者が説法に使う言葉(ラテン語)と、民衆の話す言葉(俗語)に乖離が生まれていました。加えて、民衆は文字も読めませんでした。

民衆に話が通じないことに困った聖職者たちは、聖書の場面を絵画で表し、説明することにしました。この作戦が功を奏し、民衆による聖書の内容理解が進みました。そのあたりの話は、絵画から知る西洋の中世と近世の違いにも記載しています。西洋における絵画の発展には、まずもってキリスト教の存在が必要だったのです。

芸術は物語から生まれる

以上の様々な芸術の例を見ていくと、ほとんどの芸術の起原には、神話や宗教があると言えます。舞踏や歌や音楽や彫刻や絵画といった芸術は、もともとは神を賛美するために生まれたのです。

しかしそれはあくまで誕生した「きっかけ」の話にすぎません。吟遊詩人の例を見てみると、彼らは宮廷人を楽しませるために、宮廷恋愛物語を歌いました。宮廷恋愛物語は、神話や宗教に関係ありません。つまり芸術は神話や宗教がなくても、生まれるのです。それはもはや神を信じなくなった現代の私たちが、芸術を生み出しつづけていることでも証明されています。

では、神話や宗教とも共通する、芸術の源となるものはいったい何なのでしょうか。それは「物語」だと思います。

私たちは芸術を鑑賞するとき、その背景にある「物語」を知りたがります。この歌はいったいどんな気持ちで書かれたのだろう? あのダンサーはなぜあのような激しい動きをしているのだろう? そう考えるとき、私たちは作品の背景にあるもの、「物語」を探しています。インスピレーションの源となった「物語」です。

神話や宗教も、神域に属するものではなく、人間が想像し、創り出した「物語」です。つまり私たちは、何らかの物語を表現しようとして、芸術表現を生み出すのだと思います。

おわりに

今回は、神話や伝説も含めた物語は、あらゆる芸術の源になっているのではないか、という問いから記事を書きました。

歴史的には、芸術は娯楽のためではなく、神に代表される超自然的な存在に感謝したり、賛美したりするために生まれました。それを理解するために、様々な芸術表現の例を紹介しました。

そして、神話や宗教も人間が創り出した「物語」の一部であることから、神を信じなくなった現代人が芸術を生み出す源には、「物語」があるという意見を述べました。私たちは何らかの物語を表現しようとして、芸術表現を生み出すのだと思います。

以上、あらゆる芸術は物語から生まれる、でした。

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