おとぎ話

日常

「中世ヨーロッパの道」ブログ開設5周年

はじめに

本ブログ「中世ヨーロッパの道」は2018/9/10に開設した。ということは、2023/9/10を迎える今、ブログの開設から5年経ったことになる。5年の節目として、何か心境でも綴ろう、と思ったため、本記事を書いている。

私は移り気である

私は自分のことを好奇心旺盛な性格だと思っている。つまり、幅広い範囲の分野に興味をもつことができる。例えば、同僚が「最近、○○というオンラインゲームを始めたんだ」と言ったとしよう。私は中学生の頃以来、ゲームをしていないし、ゲームに興味があるとは言い難い。しかし、同僚の話を聞いて、「それってどんなゲーム?」「どんなところが面白い?」などと次々と気になることが出てくる。そして、もちろん会話の流れにあわせてだが、色々と訊いてしまう。

好奇心旺盛といえば聞こえはよいが、一方では興味が分散しているともいえる。一つの物事や一人の人物に長い間、熱中するほどの情熱がない(だから「推しを推す」という気持ちも完全には理解できない)。

このブログは解説当初、西洋中世史を中心とした歴史考察について書くつもりだった。それが、ここ数年では物語考察がメインになっていたし、最近では読書会記録や創作物語を投稿するようになっている。もちろん、西洋中世史に対する興味は失っていないし、関連する書籍も読んでいる。しかし、「今は」これのほうが楽しい、これにハマっている、という形で、興味が変遷してしまうのだ。

2年ほど前、転職活動をしていたときのことだ。長兄に転職経験があったため、たまに電話で相談することがあった。そんなとき、「社内資格の取得が必要な会社はやめたほうがいい。社内資格なんて転職のときに役立たないから。移り気なsousouには向いていない(つまりまた転職するだろ?ってこと)」と言われて、長兄、私のことそんな風に見ていたのか……とちょっと衝撃だった。

というわけで、私は移り気である。大学生の頃、「学者や研究者は、自分の好きなことを研究できて楽しいだろうなあ」と思ったが、とんでもない。研究者というのは、ある特定の分野について他者より詳しくなることで、新たな発見などして研究者としての成果を出す職業だ。例えば、「西洋中世期の木材の活用について研究しよう」と決めたら、生涯をかけてその研究だけをしなければ、研究者としての成果を出せないシビアな世界なのだ(恐ろしいことに、生涯をかけても成果が出ない場合もある)。特定の分野に興味を絞れず、興味があちこちに行ってしまう私にとっては拷問に近いと思う。

今やってみたいこと

そんな興味散漫な私が今やってみたいのは、寝る前に聞きたい、おとぎ話集をつくることだ。今年の6月から毎月、月に1作品の投稿を目標に、一話4000字ほどの短編をつくっている。それをしばらく続けて、ある程度の作品数が集まったら、短編集としてまとめてみたい。イメージとしては、『きょうのお話なあに』だ。

『きょうのお話なあに』は子供の読み聞かせ用の物語集で、寝る前に毎日1話ずつ読み聞かせができるよう、365日分の短編が収録されている。それらの物語は、世界各地の神話・民話・創作物語から構成されている。寝る前に聞いて心地よく、人間の想像力を豊かにしてくれ、明日からまた頑張ろうと思える希望や勇気を与えてくれる、そんな物語が集まっているのだ。寝る前に聞くお話という意味では、千夜一夜物語にも近いかもしれない。

短編をたくさん書くのはよい練習

月次で短編を創作しはじめたきっかけは些細なことだ。ある日、書きたい物語のアイディアがなんとなく浮かんだ。しかし長編にするほどの複雑な話になりそうはないから、ル=グウィン『文体の舵をとれ』の練習問題を書いていたときのように、すごく短くてもよいから、アウトプットしてみようと思った。それで書きあげたのが、『砂漠に消えたガラス玉』だ。その物語が、思いがけず好評だったので、しばらく短編を定期的に書いてみることにした。

後づけで考えたのだが、短編を定期的に書くと、私にとって以下のメリットがありそうだ。

  • 物語のアイディアをたくさん出す練習になる
  • オチのあるプロットを書く練習が短スパンでたくさんできる
  • 様々な文体の書き方を試すことができる
  • 自分がどんな物語を好んで書くか、傾向を知ることができる(傾向を知ることができると、強みを伸ばしたり、弱みを改善したりする工夫ができる)
  • 達成感を簡単に味わえる

なにより、短編を書くのは長編を書くより圧倒的に楽なので、物語をつくることが習慣化しやすい。そして習慣化に勝る上達方法はない。よい絵を描きたいのなら、粗削りでもいいから絵を描き続けるのが上達の近道である。それと同じで、よい物語をつくりたいのなら、粗削りでもいいから物語を日々書き続けることが大切だ、たぶん。

また、これも後づけで考えたのだが、読み手にとっても、短編は読むのに時間がかからないという点でよい。現代人は忙しいため、うまいかへたか分からない人がつくった物語を読む時間などない。しかし短編であえれば、ちょっとした空き時間に読み終えることができるため、最後まで読んでもらえる確率が高くなる。最後まで読んでもらえると、フィードバックをもらえる確率もあがる。フィードバックをもらえると、私は次の作品に反省を活かすことができ、それが上達の一助になる。

いつも読んでくださる方、本当にありがとうございます。

おとぎ話こそ人間の心を豊かにしてくれる物語

人は夜にかがり火を囲み、村の語り部の話に耳を傾けてきた。
人は古くから夜にかがり火を囲み、村の語り部の話に耳を傾けてきた。

人は昔から、かがり火を囲みながら、村の長老が語る物語(民話だったり神話だったりもする)に耳を傾けてきた。つまり寝る前に聞くおとぎ話は、物語の基礎中の基礎であると思う。おとぎ話のなかには、時代や地域を越えて人類に共通する、喜びや悲しみが宿っている。

もともと私が歴史を学ぶのが好きなのは、そのような人類に共通する何かを知り、人間がどのような生物なのか考えるのが好きだからだ。つまり、私はおとぎ話の素朴さと深さを愛している。そのため、自分がおとぎ話になりそうな物語を創作することで、自分の語り口にそのような深さがもたらされればよいなと思っている。

おわりに

今回は、「中世ヨーロッパの道」ブログ開設から5年たつ心境をつづった。

西洋中世史の考察をブログとしてアウトプットしはじめたのは、第一に自分の備忘のためであり、なぜ忘れたくないかというと、それを学びとして物語創作の参考にしたいからだ。それについては、以前「中世ヨーロッパの道」100記事目記念でも書いている。だから興味が移りかわっているとはいえ、やりたいことはある程度一貫している。

今後も歴史考察や物語考察、創作物語のアウトプットの場として、本ブログを続けていきたい。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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