サラミスの海戦のようす。19世紀、Walter Crane。

日常

「中世ヨーロッパの道」100記事目記念

はじめに

2018年9月10日にはじめた本ブログが、ついに100記事に達しました!ブログを始めてから4年が経ったということで、感慨深いです。今回は、100記事記念ということで、ブログを始めた経緯を綴ります。

絵を描くことが好きだった

ブログを執筆している理由を語る前に、私が幼少期から中学生頃まで、絵を描くことが好きだったことからお話したいと思います。

幼稚園に通っていたころ、3種類の遊びから好きな遊びを選んで過ごす時間がありました。3種類の遊びとは、粘土遊び、ピップ遊び(平たく柔らかいプラスティックを連結させて造形する遊び)、お絵かき遊び、の3つです。

その時間になると、私は毎回かならずお絵かきを選んでいました。自分専用の画用紙帳に、8色ほどのマーカーを使って絵を描いていました。よく描いていた絵は、景色のなかに人が立っている絵です。黄色の壁に赤い屋根の家があり、草むらに花々が咲いていて、友達が数人立っている絵が多かったと思います。またドレスを着たお姫様をよく描いていましたが、ハイヒールがうまく描けなくて試行錯誤した記憶があります。

小学生の頃も、自由帳に絵を描くことが好きでした。その頃の先生のなかに、私の絵を褒めてくれる先生がいました。そして私は、自分が友達と比べて絵がうまいことに気づきました。例えば、夏休みの自由工作でケーキ箱のなかに水彩で森の絵を描いた工作を提出したとき、その先生は「樹の色合いがとてもきれいだ」と言ってクラスメイト全員の前で褒めてくれたことがありました。また絵日記を提出したとき、出来がいいからと、絵の部分をカラー印刷してラミネート加工したものをくれたこともありました(いまも家のどこかにあると思います)。

その先生は悪行を働いた生徒を教室の後ろに立たせる、わりと厳格な先生でした(授業を聴けなくなるので廊下には立たせない)。実は私も、職員室前の廊下を走っていたときに捕まり、教室の後ろに立たされたことがあります。厳格な先生だったからこそ、絵を褒めてくれるのはお世辞ではないと思い、よけいに嬉しかったです。

なお、小学生の頃いちばん好きだった授業は図工で、毎回楽しみにしていました。図工の授業を通して、自分が絵を描くだけではなく、モノづくり全般が好きなことを知りました。特に長い期間はまっていたのは、ビーズ工作です。どんなモノでも、つくったモノは自分で保持せず友達などにあげてしまうため(友達が喜ぶ姿を見るのが好きだったため)、手元に全く残っていません。しかし唯一、両親にあげたものが残っていました(下図)。

ビーズ工作

中学生の頃は部活(運動部)や学習塾に通うので忙しく、なかなか絵を描く時間を取れませんでしたが、それでも選択授業で美術を選択していました。選択授業の美術で描いた絵が廊下に貼られたとき、絵に全く関心のない部活の友達が、しばらく黙ってじっと私の絵を見つめていました。その後ぽつりと、「すごい。うまくてびっくりした」と言ってくれたことが印象的でずっと記憶に残っています。その絵は「物語の一場面を描く」というテーマの絵で、私は『赤毛のアン』の一場面を描きました。

そして、中学生活も後半になり、進学先の高校を決めなければならない時期になりました。家から通える範囲で、美術科のある高校があったため、そこを受験しようか迷いました。しかし私はすでに、絵を学んでも画家として生計を立てられる人はほんの一握り、という現実を知っていました。そして絵を学ぶ道の費用対効果があまりにも低いことも理解していました。すなわち、芸術関連の学校は普通の学校よりお金がかかるが、せっかくお金をかけてもほとんどの人が、それ一本では生計を立てられない、ということを。

私は幼少期から、「将来の夢」を尋ねられるたびに「画家」と答えていましたが、そのたびに母から「ゴッホという画家がいてね。画家は生きている間に一枚も絵が売れないこともあるんだよ」などという知識をインプットされてきました。そして家が決して裕福ではなく、どちらかといえば友達よりお金に困っていた私は、一生貧乏のままで、やりたいことをできずに人生を送るのは耐えられないと思いました。少なくとも、そんな覚悟は今できないと思いました。担任の先生から「若いうちからあまり選択肢を絞らないほうがいい」と助言されたこともあり、選択を先延ばしにすることにしました。すなわち、普通科の高校に進学することにしました。

好きなことに世界史が加わった

普通科の高校に進学した私は、とりあえず選択授業で美術を選択し、美術部に入部しましたが、3年間将来の選択が先延ばしになったので、そのことについてはあまり考えていませんでした。そんなときに出会ったのが世界史です。

サラミスの海戦のようす。19世紀、Walter Crane。
サラミスの海戦のようす。19世紀、Walter Crane。

世界史を面白い、と思ったきっかけを今でも覚えています。世界史を習うとき、先史時代→古代オリエントというテーマが2つ続いたあと、ギリシア人の都市国家文明のことを学びます。そのとき学んだ、紀元前480年に起きた「サラミスの海戦」のエピソードに感動したことがきっかけです。サラミスの海戦は、都市国家アテネが中心となったギリシア軍が、機転を利かせた戦略から兵力の差を覆して、ペルシア軍に勝利した戦いです。

そのときの戦略というのが、縦に3人並んで漕ぐことができる、三段櫂船という名の舟を使ったことです(上の図にも描かれています)。通常の舟より馬力が上がるため、ペルシア軍の舟より速く動くことができ、それがギリシア軍を勝利に導きました。そして、このときに舟の漕ぎ手として活躍したのが、無産市民と呼ばれる、貴族ではない人びとです。それまで兵士として活躍するためには、剣や防具などを揃えなければならない=お金が必要なため貴族である必要がありました。しかし船の漕ぎ手であれば、身体一つで戦に参加できるため、無産市民も活躍できました。この戦争で活躍した無産市民は、それまで貴族しか保持していなかった参政権を要求します。そこから都市国家アテネの民主政が始まりました。

私はサラミスの海戦における、ギリシア軍が身分の差を越えて協力した点に感動しました。また紀元前の時代に、すでに民主政の原型ができた点に感動しました。自分とは生まれた時代が全く違う人が、自分たちと同じように考え、行動していることを知り、古代ギリシア人に親近感を持ちました。それから、もっと様々な時代や地域のことを知り、人びとの生活をのぞいてみたいと思うようになりました。

*

そのうち、高校でも進路選択の時期がやってきました。私は芸術に対する愛を捨てきれませんでしたが、美大に進むよりは普通の大学に進学し、もう一つの好きなことである世界史を学んだほうが、食いっぱぐれないだろうと考えました。それに、そのときには世の中には自分より魅力的な絵を描く人がたくさんいる、という現実にも気づいていました。私には、万に一つ程度の希望にすがり、絵を描くために貧しい生活に耐える覚悟がありませんでした。さらには、大学の学費は全額奨学金を借りて払うことが決まっていたため、私立美大に進んだ場合、破産する可能性があるとも考えました。なお、学費の安い国立大学(東京芸大)に受かる才能は当然ないと考えていました。

そして私は絵の道をあきらめました。

西洋中世史を専門にした

世界史を好きになったきっかけが古代ギリシア人の逸話だったため、私は西洋史が学べる大学の学部をいくつか受験しました。結果的に進学したのは、西洋に限らず幅広い歴史が学べる学部でした。大学の講義は、歴史以外の分野だろうとどれも面白く、時間と体力が許す限りたくさんの講義を受けました(高い学費を払っているのだから、利用しなければもったいない、という貧乏思考もありました)。自分の専攻以外で特に興味を持ったのは語学、文学、哲学、神話学でした。学問は便宜上、分野が別れていますが、どれもどこかで繋がっていて、私は人間の文化(語学・文学)や、人間が考えたこと(哲学・神話学)に興味があるようでした。

歴史のなかでも、自分が研究する分野を絞らなければならない時期が来た時、私は西洋の中世史を選択しました。最初はギリシア人に興味があったので、西洋古代史にしようと考えていましたが、時代が古いため史料が少なく、(一応基礎は習ったとはいえ)古代ギリシア語を読めない私では限られたことしか研究できないだろうと考えました。世界三大発明が中国であることから、中国史にも心惹かれましたが、結局西洋中世史にしました。

理由は、昔からファンタジー物語が好きで、そのモデルとして西洋中世史が使われることが多いからです。特にその頃はJ.R.R.トールキンの『指輪物語』を読了したことで感銘をうけて、自分も物語を考えてみたいと思っていました。物語を書くためのインプットとして、西洋中世史を研究するのはよさそうだと思いました。このあたりの背景は過去記事小説投稿サイトを使ってみたよにも記載しています。

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大学生の頃、私はあれだけ好きだった絵を描くのが嫌になっていました。大学で様々なことを学んだことによって、想像力はより豊かになりましたが、イメージした通りの絵を描くだけの画力がなかったからです。頭の中で想像し、「こんな絵を描いてみたい」と思って筆を取っても、結局なにも描けませんでした。イライラして絵を描くことを辞め、どちらかというと物語をつくることのほうに注力するようになりました。当時の私にとっては、文章を書くことのほうが、絵を描くことよりもずっと容易なようでした。

ブログを書きはじめた

絵を仕事にするのを諦めたときもそうでしたが、好きな西洋史を仕事にすることも難しいとよく分かっていました。そのため、就職は大学で研究したことと、全く関係のない業界にしました。将来性があり、かつ自分がある程度興味を持てる業界でした。奨学金の返済もしなければならないため、当時はとにかくお金を稼ぐことに重きを置いていていました。

しかし、歴史の研究は好きだったため、また物語を書くためのインプットとして、学術書は継続的に読んでいました。そこでアウトプットのために書きはじめたのが、本ブログです。ブログの一番の目的は、自身の備忘のためですが、私自身、絵を描くことや物語をつくること等、芸術が好きなため、本ブログが芸術に携わる人のお手伝いにもなれば嬉しいと考えていました。

最初の記事はこちらで、読み返すのも恥ずかしいほどまとまりのない内容なのですが、記念としてあえて手を加えずに残しています。書き方が定まってきたのは、4番目に書いた男を惑わす「美女」セイレーンからです。書きはじめた頃は、当然ですが全く他者からのアクセスがないため、やる気が持続せずに3カ月ほど放置していました。半年後にアクセス数を確認したとき、たくさんのアクセス記録があり、嬉しかったのを覚えています。それが2019年1月のときで、そのときにTwitterアカウントも作成しました。

Twitterのアカウントは、嬉しいことに芸術に携わる人からも多数フォローいただいており、読んでくださる方のためにも、面白い記事を書かなければ、と身の引き締まる思いです。

*

大学生の頃に嫌になった絵ですが、2年ほど前に急に描けるようになりました。当時は仕事でストレスが溜まって(お金は稼げるが実力主義の厳しい会社でした)、気力がわかない期間が続いていました。だから、やりたいと思えたことは何でもやってみようと思って、おもむろに色鉛筆を取って、スケッチブックに描いた絵が以下です。

色鉛筆画

お世話になっている心理カウンセラーによると、絵を描いたり人と話したり、何かを表現することは精神衛生上、大切なようです。食べ物と同じで、取り入れたものは吐き出さないと具合が悪くなるからです。小説家のカート・ヴォネガットも以下の通り言っています。

芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたおう。ラジオに合わせて踊ろう。お話を語ろう。友人に宛てて詩を書こう。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものを心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。

カート・ヴォネガット『国のない男』2017年、中公文庫、41頁。

絵は今でも、描きたいと思ったときに描いています。一度は訣別したかと思われた絵との絆が取り戻せて、とても嬉しいです。上記の絵を描きたいと思ったのは、ファージョンの『リンゴ畑のマーティン・ピピン』という小説を読んだ後でした。中学生の頃に教室の本棚に置かれていたのを読んだことがあり、大好きだったためまた読みたいと思い入手しました。「優れた芸術というのは、鑑賞者に何かを創造したいと思わせる」という言葉は本当なんだなと実感しました。

記事を書くときに工夫していること

ブログ記事は読みやすい・分かりやすい文章をできる限り心がけています。そのときにいちばん約立っているスキルが、大学生の頃に学んだ、英語のWritingスキルです。実は学生の頃、本専攻(歴史)とは別に、実用的な英語スキルを身に着ける、英語の課程を専攻していました。Writingでは、エッセイなどを論理的に書く文章の書き方を学びました。

Writingのテキストでは、意見を書くときには最低3つの根拠をつけること、比較するときには最低3つの例をあげること、など「3」という数字を重視していました。そのため、私も記事を書くときには、最低3つの章をつくることを心がけています。逆にいうと、ある一つのテーマにおいて、3章分のネタが集まったときに、記事に起こしています。

おわりに

今回は、「中世ヨーロッパの道」100記事目記念ということで、ブログを書きはじめた経緯をお話しました。

ほぼ絵を描くこととの付き合い方の話で、個人的なことが多かったと思いますが、読んでくださりありがとうございました。ブログの一番の目的は自身の備忘のためなのですが、読んでくださる方がいて、感想をいただけるのは、やはりとても嬉しいですし、刺激にもなります。ブログ記事を基に、あるテーマについて皆さんと双方向に意見を交換し合えることが理想形だと思っており、いつかそんなことを実現したいです。

これからもどうぞよろしくお願いします。

◎Twitterで更新情報をお知らせします。よろしければフォローお願いします。

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