西洋の信仰と聞いてイメージするのは、キリスト教かもしれません。しかしキリスト教が中東から伝播する以前の、土着信仰のなごりは、西洋人の生活の諸所に存在します。
今回は、西洋における樹木信仰のなごりを紹介します。
樹木信仰の概要
イギリスにおける魔法の歴史で、ケルト人とゲルマン人が樹木を神聖視していたことを説明しました。とくにゲルマン神話では、世界樹ユグラドシルというトネリコの巨木が神話の根幹となっています。
木を神聖視する慣習は、ケルト人やゲルマン人に限られたことではありません。ギリシア人の間には、男神アポロンに求愛されたダフネが月桂樹に姿を変える神話があり、月桂樹はアポロンの聖樹とされました。その文化はラテン人(ローマ帝国人)に受け継がれ、月桂樹は勝利と栄光のシンボルとされました。これらのことから西洋には民族の違いに関わらず、広く樹木信仰が存在したことが分かります。
しかし現在の西洋では、ほとんどの樹木信仰は失われています。
西洋における森の歴史で、第一に「異教徒」から土地を取り戻すために、第二に自然を支配する使命のために、キリスト教が自然(=森)と対立したことを説明しました。そのため、キリスト教が西洋に浸透していく過程で、多くの樹木信仰が失われました。
ただし、わたしたちは今でも樹木信仰のなごりを、さまざまな場面で見ることができます。次章から、西洋の生活の諸所に存在する、樹木信仰のなごりを紹介します。
五月祭
5月1日、メイデイ。ケルト人の間では、5月1日は夏の訪れを意味しました。11月1日から半年間つづいた冬が終わると、新しい半年、夏のはじまりです。
西洋では古くから、五月祭という祭典があります。春の訪れを祝うとも、夏の訪れを祝うとも言われますが、新たな生命が芽吹く季節は、なんにせよ喜ばしいものです。長く寒い冬がやっと終わり、畑仕事に精を出す時期です。祭りは現在でも西洋の各地で行われ、人びとは秋の収穫に向けて豊穣を願います。
五月祭の中心となるのが、メイポールと呼ばれる樹木の柱です。立派な木を森から一本切り落とし、枝を払って、飾りつけをし、開けた場所にまっすぐ立てます。その周りに村や町の人びとが集まり、輪になりながら歌って踊ります。
メイポールには、さんざしの柱という意味もありますが、使われる樹は白樺だったり樅だったり、また場所によっても違います。(中略)飾りつけも、場所により様々で、樅の葉で作った輪を下げたり、鈴にリボンを巻きつけたり、頂上に近い部分や、または頂点に緑の輪をつけ、そこから赤、白、ブルー、黄色などのリボンを流したり、枝代りの横木を何本も出して木製の人形をつけたり、パンや花などを飾ります。
マドレーヌ・P・コズマン『ヨーロッパの祝祭と年中行事』加藤恭子、山田敏子訳、原書房、2015年、115頁。
5月という季節は、新芽が芽吹く季節であることから、西洋では若さや美しさと結び付けられて考えられてきました。
例として、西洋中世期の代表的な文学作品、チョーサーの『カンタベリー物語』から一文を引用します。『カンタベリー物語』は、カンタベリー大聖堂(イギリスにある大聖堂)を目指して旅するさまざまな職業・身分の巡礼者たちが、長い道すがら、それぞれの知っているお話を披露する物語です。そのなかの「貿易商人」は、5月(May)を形容した「メイ」という美しい乙女が登場する話で、このように語ります。
すなわち、彼女(メイ)はありとあらゆる美しさや楽しさで満ちあふれた五月の光輝く朝にも比すべき乙女であったということです。
チョーサー『カンタベリー物語〈中〉』桝井迪夫訳、1995年、192頁。
また西洋において5月は、恋の季節として知られています。15世紀にトマス・マロリーが書いた『アーサー王物語』には、次のような文章がでてきます。
五月という月は、若々しい心という心が、みな花を咲かせ、実を結ぶ時期だ。ちょうど草や木が五月になると、花開いたり、実を結ぶように、いやしくも恋人たるものは若々しい心に芽が萌え出し、大胆な行動となって花開く。
『アーサー王の死』厨川文夫、厨川圭子編、ちくま文庫、1994年、294頁。
五月祭にメイクイーンと呼ばれる5月の女王が登場するように、西洋では5月はなにかと女性と結びつけられて考えられます。ケルト神話で女神や妖精がよく緑の服をまとっているのも、偶然ではないでしょう。緑は生命力にあふれる色であると同時に、超自然的・神秘的で、女性の美しさを引き立てる色と考えられていたのかもしれません。
クリスマス
西洋になぜキリスト教が浸透したのかで、クリスマスはローマ帝国における冬至の祭りを踏襲した祭典であることを説明しました。冬至は日照時間が最も短くなる日、言い換えると次の日から日照時間が伸びはじめる日です。そのため世に光をもたらすキリストの誕生日としては、最適であると考えられました。
さて、クリスマスといえばクリスマスツリーです。クリスマスツリーとして使用する樹木は、常緑樹でなければなりません。冬の間に緑の葉を持ちつづける常緑樹は、生命力を持つ木としてゲルマン人の間で神聖視されていました。英語でいうEvergreen Treeです。
クリスマスツリーは、樹木信仰がキリスト教化されて残った文化です。
このクリスマスの木が示すのは、どのように森の魔法が弱められてはいても、しばしばキリスト教がそれらを取り込んだおかげで、今でも民間伝承の中に生き残っているか、ということである。
ロベール・ドロール、フランソワ・ワルテール『環境の歴史―ヨーロッパ、原初から現代まで』桃木暁子、門脇仁訳、みすず書房、2007年、51頁。
実はクリスマスツリーを飾る習慣ができたのは最近のことで、19世紀以降にドイツで発祥しました。イギリスにおいてはヴィクトリア女王の時代に、夫のアルバート公がドイツの習慣を持ちこんだのが始まりです。
冬の長い夜にちかちかと光を放つクリスマスツリーは、古くから人びとに希望をもたらし、寒く貧しい厳しい季節を乗り越える力を与えてきました。人びとは今でも、暗闇のなかの光、クリスマスという祭典を楽しみに、冬を乗り切るのです。
バースデーツリー
西洋ではしばしば、子供の誕生と同時に木を植えるという慣習が見られます。このような、子供と一緒に育つ木のことを、バースデーツリーと呼びます。バースデーツリーはいわば子供の分身で、木の育ち方によって、子供の性格が分かると言われます。この慣習には、ダフネの神話に現れているように、木は人間であり、人間は木であるという考え方が根底にあると考えられます。
数年前に、若いドイツ人女性と仲良くなる機会がありました。彼女には幼い息子がいて、「この子のバースデーツリーはプラム(プルーン)にしたの」と言いました。「人気があるのは林檎なんだけど、ありきたりな木じゃつまらないし、それにわたしがプラムを好きだったから」。
彼女はまた、木になる実の味によって、子供の性格が決まると説明してくれました。「たとえば酸っぱい林檎がなれば、野生的な子になると言われていて、甘い林檎がなれば、優しい子になると言われているのよ」。
余談ですが、彼女は大好きなプラムを使って、ドイツの伝統的な家庭ケーキ、プラムケーキをつくってくれました。再現しようと何度か試しているのですが、日本のプラムだとどこか味が違います。ドイツでは「おばあちゃんのケーキ」なんだそうです。いつか本場のプラムケーキを再現できる日が来ればいいなと思っています。
おわりに
今回は西洋における樹木信仰のなごりを紹介しました。例として、①五月祭、②クリスマスツリー、③バースデーツリーを挙げました。
樹木を神聖視する慣習は、世界各地で見られます。たとえば日本には榊(サカキ)という代表的な神木があります。今後、他の地域の樹木信仰文化も調べてみるのも面白そうです。
以上、西洋における樹木信仰のなごりでした。