歴史

西洋になぜキリスト教が浸透したのか

はじめに

西洋における森の歴史で、森深い地域で最初に生まれる宗教は多神教であると述べました。たとえば、まだ西洋が森深かったころの民族、ケルト人は木々に宿る精霊や妖精を信じていましたし、日本人も古くから、あらゆる自然に神が宿ると信じてきました。

それに対し、過酷な自然環境のもとで生まれる宗教が一神教です。ユダヤ教もキリスト教もイスラーム教も、現在の中東あたり、砂漠地帯で生まれました。

現在、西洋の宗教といえばキリスト教です。しかし先述したように、キリスト教の故郷は中東です。つまり、キリスト教は西洋が輸入した宗教なのです。

中世以前に大陸の主権を握っていたローマ帝国人の宗教は多神教でした。またローマ帝国衰退後、つまり時代が中世に移り変わってから台頭したゲルマン人の宗教も多神教でした(ゲルマン人についてはイギリスにおける魔法の歴史を参照)。

それでは、なぜ西洋人はキリスト教に改宗したのでしょうか。今回は、西洋にキリスト教が浸透した理由をご紹介します。

サンドロ・ボッティチェリ《書物の聖母》1482-1483年頃、ポルディ・ペッツォーリ美術館美術館、ミラノ
サンドロ・ボッティチェリ《書物の聖母》1482-1483年頃、ポルディ・ペッツォーリ美術館美術館、ミラノ

ローマ・カトリック教会の戦略

キリスト教が西洋に浸透した理由は様々ですが、今回は次の2点をあげます。第一に、布教側の戦略が優れていたこと、第二に、受け入れ側に受容のメリットがあったことです。

まず、布教側、つまりローマ・カトリック教会(キリスト教の一派、いわゆるカトリック)の戦略がどのように優れていたのかをご紹介します。

布教のターゲットを支配層とした

第一に、布教のターゲットを支配層としたことです。宗教に限らず、何かを売りたい、広めたい、という場合には、権力者に近づくのが一番です。ローマ帝国時代の313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令で、それまで迫害されていたキリスト教が公認されました。それ以降、ローマ・カトリック教会の宣教師たちの活動が活発になります。

彼らが目指したのは何よりもまず、その土地の支配者の改宗でした。なぜなら、限られた数の宣教師で、世界中の人々を改宗させるという究極の目的を達成するには、社会階級の頂点に立つ支配層を改宗させることが最も効率的だったからです。そのためローマ帝国衰退後、ローマ・カトリック教会の宣教師たちは、ゲルマン人諸国家の王や、領主に近づきました。

土着の信仰をキリスト教にすり替えた

第二に、土着の信仰をうまくキリスト教にすり替えたことです。支配層がキリスト教に改宗したからといって、民衆もそれに倣うわけではありません。強要されれば形の上ではキリスト教徒になりますが、心のなかでは古くからの神々を信じているかもしれません。

そこでローマ・カトリック教会の宣教師たちは、民衆が信仰している「異教」の慣習に、キリスト教の慣習を組み込んでいきました。たとえば、民衆が信仰していた泉や森に教会を建てたり、「異教」の神々の特質を聖人にあてはめたりしました。聖人とは、聖書に登場する崇拝対象となる人々のことです。「聖ヨハネ」「聖ペトロ」など、名前の頭に「聖」をつけて呼ぶ人物のことですね。

ちなみに、12月25日といえばクリスマスですが、もともと何の日だったかご存知ですか?じつは、12月25日は、ローマ帝国で採用されていた古い暦で、冬至のお祭りにあたります。12月25日にキリストの誕生を祝うことに決まったのは、テオドシウス帝統治下の381年、コンスタンティノープルの第二回公会議においてです [1]。クリスマスについては西洋における樹木信仰のなごりも参照してください。

なお、冬至の逆の季節に位置するお祭りに、夏至祭がありますが、こちらは洗礼者ヨハネのお祭りに置き換えられました。古くからの夏至祭のなごりは今でも西洋各地に残っており、夜に大きなかがり火を焚くのはキリスト教浸透以前の慣習となります。

このように、「異教」の慣習にキリスト教の慣習を組み込むことで、民衆がキリスト教を受け入れやすくなりました。民衆はいつもと変わらない場所へ行ってお祈りを捧げ、いつもと変わらない神々(聖人)に助けを求めればいいのです。

受容側のメリット

いくらローマ・カトリック教会の宣教師が布教に力を入れようと、受け入れ側が興味を持ってくれなければ布教はうまくいきません。宣教師たちが近づいた支配層はなぜ、キリスト教を認め、国教としたのでしょう。

それは、国教とするだけのメリットがキリスト教にあったからです。すなわち、キリスト教の組織制度が国の統治に有用だったのです。

ローマ帝国衰退後に、社会組織としての都市(civitas:キヴィタス)の機能を引き継いだのはローマ・カトリック教会でした。ローマ・カトリック教会は各都市に司教座(司教の住居)を置き、地域の宗教的・経済的・行政的中心でありつづけます。キヴィタスについて詳しくは、文明と文化の違いを参照してください。中世都市のほとんどが、ローマ帝国時代の都市、キヴィタスを元につくられています。

新たに国を建国しようとするゲルマン人は、この組織制度に注目しました。各都市に司教座があるなら、それを国の管轄に入れれば、司教一人一人を国の監視人にできます。たとえば、以下の図のように、司教に都市の監視をさせ、いくつかの都市をまとめた単位を大司教に監視させたとします。すると、国王は大司教と連絡を取り合うだけで、簡単に国が統治できますね。

このように、キリスト教の組織制度が国の統治に便利だったため、支配層はキリスト教を受け入れ、国教としました。

おわりに

今回は、キリスト教が西洋に浸透した理由として、第一に宣教師の布教活動が優れていたこと、第二に受容側にメリットがあったことをあげました。具体的には、宣教師の布教活動が成功した理由として、支配層にターゲットを絞ったこと、土着の信仰をキリスト教にすり替えたことの2点をあげました。また、受け入れ側である支配層が、キリスト教を国教とした理由として、キリスト教の発展した組織制度が国の統治に有用だったことをあげました。

西洋の宗教についてもっと知りたいという方は、西洋中世期に存続した異教文化もお読みください。本記事がキリスト教が浸透した理由を考察する記事であるのに対し、こちらは異教文化が存続した理由を考察する記事です。

以上、西洋にキリスト教が浸透した理由についてでした。

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参考文献

[1] 植田重雄『ヨーロッパの祭と伝承』講談社学術文庫、1999年

レオナルド・ダ・ヴィンチ《受胎告知》1472年 – 1475年頃、ウフィツィ美術館、フィレンツェ青が西洋で人気の色になるまで前のページ

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