西洋における竜と東洋における龍の違い

西洋における竜と東洋における龍の違いについて、見た目と性質の観点から説明します。

目次

漢字のすみわけ

純粋に漢字の成り立ちのみ考えると、「龍」を簡単にした字が「竜」です。しかし多くの学術書や小説では、以下のように漢字を使い分けています。

  • 竜=西洋のドラゴン
  • 龍=中国の龍

竜とは、英語のDragonを和訳した言葉、つまりドラゴンのことです。対して龍とは、中国のトーテム(信仰対象の動物)としての龍です。

紛らわしいのはそもそも、「Dragon」に「竜」という訳語を与えてしまったからです。しかし逆に考えると、それだけ竜と龍の見た目が似ていることを意味します。

見た目

竜の見た目は、国民的ゲーム「ドラゴンクエスト」に出てくるドラゴンを想像してください。コウモリのような翼が生えていて、おなか周りがぼてっとしています。その口から発する臭気は毒となり、業火はすべてのものを焼き尽くします。

龍の見た目は、扇子や寺院の天井に墨で描かれたものを想像してください。蛇のように長い胴体を持っていて、翼はありません。

龍は多くの場合、(蛇行する川のような形状から)水と結びつけられて信仰されます。川の神さまとしての龍は、「蛇」という名称で呼ばれることもあります。個人的には、人びとは川の形から蛇を連想し、蛇から龍という伝説上の動物をつくりだしたのではないかと思います。

少し面白いことに気づいたのですが、ジブリ映画は竜も龍も登場させています。『千と千尋の神隠し』は東洋の文化がベース、『ゲド戦記』は西洋の文化がベースなので、『千と千尋の神隠し』に竜がでてきて、『ゲド戦記』に龍がでてくるということはないのです。

龍の見た目について、後漢の学者である王符は次のように言っています。

「頭はラクダに、目は鬼に、角はシカに、首はヘビに、腹はミズチに、ウロコは魚に、爪はタカに、脚はトラに、耳はウシに、龍はそれぞれ似ている」

池上正治『龍の百科』、新潮選書、2000年、41頁。

性質

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》1470年頃、ナショナル・ギャラリー、ロンドン
パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》1470年頃、ナショナル・ギャラリー、ロンドン

見た目こそ似ているものの、竜と龍は、真逆の性質を持っています。すなわち、竜は悪の化身で、龍は神聖な瑞獣(ずいじゅう)です。

ゲームや漫画で、いまでこそ竜は強く、かっこいいものと見なされていますが、西洋には竜が悪さをして、それを英雄が倒す昔話が多々あります(昔話とは、おとぎ話とほぼ同義です。おとぎ話については、おとぎ話とファンタジーの違いを参照)。

キリスト教には、聖ゲオルギオスという竜退治の伝説で有名な聖人がいます。J.R.R.トールキンの『ホビットの冒険』にも、そのような伝統的な竜の姿が描写されています。竜は黄金を寝床にし、人間を食らう悪者と見なされます。

……竜はドワーフたちの財産をぜんぶひとりじめにしてしまった。たぶん竜どものやり方だろうが、あいつは、地下のおく深くにその宝ものをぜんぶつみあげて山にすると、それをベッドにして眠るのじゃ。そののちあいつは、いつも表門からはいだしては、夜のあいだに谷間の町にやってきて、人々をさらって食った。

J.R.R.トールキン、瀬田貞二訳『ホビットの冒険〈上〉 』岩谷少年文庫、2002年、56頁。
東西南北の東方を守護する青龍。沃德利成書畫院。

一方で、龍は中国の瑞獣(ずいじゅう)です。瑞獣とは、天が地上にくだす吉兆の霊獣のことです。つまり、龍の出現は縁起の良いこととされました。

中国における瑞獣には、鳳凰(ほうおう)や麒麟(きりん)も含まれます。しかし王権と結びついていた点で、龍は別格です。「龍顔」は天子の顔、「龍船、龍車」は天子の乗り物を表します。後漢の劉邦など、皇帝のなかには、自らに龍の血が流れていると言うことで、権威を高めた者もいました。

龍は鳳凰と一対になって、中国人が最も愛する瑞祥でもあります[1]。龍と鳳凰は中国における二大トーテムで、龍が「武」「力」「闘争」「男」「皇帝」「陽」を象徴するのに対し、鳳凰は「文」「美」「平和」「女」「皇后」「陰」を象徴します。

雨ごいと龍

日本における龍は、とくに雨ごいと結びついて登場します。干ばつが続いたときに、龍神に雨をもたらしてくれるようお願いすると、龍神の力によって雨が降るという伝説が、全国各地にあります。

例えば、平安時代末期に成立した説話集である、『今昔物語集』には、雨を降らせて死んだ龍の話が収録されています。『今昔物語集』第13巻の「竜、法華ほけ読誦どくじゅを聞き、持者じしゃの語ひにりて雨を降らして死にたること」という題名の説話です。※岩波文庫の表記に従い、「竜」の文字を使用します。

説話の要約は以下の通りです。

いまはむかし、奈良の龍苑寺という寺に、法華経を声に出して読むことを、日々の習慣としている僧がいた。すると龍が、彼のお経読みを気に入り、人の姿で訪れ、毎日聞くようになった。

毎日熱心に耳を傾けていく人(竜)について、気になった僧が、何者かと問うと、竜は自らの正体を明かした。互いに法華経に対し熱心だった僧と竜は、親友になった。僧と竜との関係は、世間にも広く知られるようになった。

あるとき、国が干ばつに見舞われ、穀物がすべて枯れそうになった。そこで天皇は、件の僧を呼び出し、「親友である竜に頼んで、雨を降らせるように」と命じた。「もしそれができないのなら、なんじを日本から追放する」とのたまった。

寺に帰った僧は、そのことを竜に相談した。すると竜は、「法華経を聞くことで善行の楽しみを知ることができた。よろこんであなたに恩を返そう」と言った。しかしながら、「干ばつがいま起きているのは、何らかの因縁により国土が災害を受けなければならない運命で、自分はその運命を変えることになるから、罰として殺されてしまうだろう」と続けた。そのため、「自分が死んだら、なきがらを埋葬して寺を建ててほしい」と僧に頼んだ。

竜が雨を約束した日になると、たちまち雨雲がわいて、雷鳴がとどろき、三日三晩雨が降りつづいた。その結果、地上がうるおい、穀物が豊かに実り、天皇も大臣百官も百姓も、みんな喜んだ。

僧は、竜の遺言に従い、なきがらを集めて寺を建てた。その後は生涯、寺に住んで、法華経を読んで竜の後世成仏を祈りつづけた。

『今昔物語集 本朝部 上』池上洵一編、岩波文庫、2020年、192-195頁の要約。

この説話は、干ばつが続いたときに、龍神に雨をもたらしてくれるようお願いすると、龍神の力によって雨が降るという伝説の一例です。

おわりに

今回は西洋における竜と東洋における龍の違いについて紹介しました。

竜は西洋の伝説上の生き物で、龍は中国の伝説上の生き物です。両者の見た目は似ているところもありますが、その文化的背景は異なります。具体的には、竜は悪の化身で、龍は神聖な瑞獣です。

今後は本を読んでいるときに「竜」という漢字が登場したらドラゴンを、「龍」という漢字が登場したら中国・日本の龍をイメージするとよいかもしれません。

以上、竜と龍の違いでした。

聖ゲオルギウスと竜。Lieven van Lathem(装飾画家)、1471年頃。

参考文献

[1]池上正治『龍の百科』、新潮選書、2000年、32頁。

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