世界各地にある「見るなのタブー」4つの例

世界各地の神話や昔話には、「決して見てはならない」と禁止が課せられたことを、登場人物が破ってしまい、悲劇的な結果がもたらされるという、共通する展開が見られます。このモチーフは「見るなの禁止」や「見るなのタブー」と呼ばれ、昔話の研究対象にもなっています。

今回は、世界各地に存在する「見るなのタブー」について、概要や事例を紹介します。

目次

タブーとは

《楽園》の一部、アダムとイブが禁断の果実を食べる場面、Lucas Cranach the Elder、1530年、Kunsthistorisches Museum。

「タブー (taboo)」とは、何かをしてはならない、何かをすべきである、といった決まり事のことです。文化人類学者が、いまだ古代文化がのこる未開社会の文化・風習を調査するなかで、この概念を発見しました(※)。そして、「タブー」という名前をつけて、世界に広く通用する、学術用語として使うようになりました。

※元はといえば世界のすべての地域は未開社会だったので、どの地域にもタブーの概念はある/あったはずだ。文明化が進んだために、その概念が薄れ、忘れてしまっていただけだ。

タブーについて、日本語では「禁忌きんき」とも訳されます。日本におけるタブーには例えば、お通夜においては、遺体を見守りながら、朝になるまで蝋燭の火を絶やしてはならない、というものがあります(仏教の風習)。その風習が生まれた理由はさまざまありますが、私は、何らかの穢れを「火」あるいは「光」によって、浄化する、追い出すためという理由が一つあると考えています。

例えば世界には、夜の闇を忌避する文化(キリスト教)や、死体を穢れたものとして忌避する文化(ゾロアスター教)があります。よって、闇を恐れたり、死体そのものを畏れたり、あるいは異界(彼岸)とつながりやすい状況下で悪しきものの侵入を恐れたり、といった古代人の心理状態はいかにもありそうです。

※夜の恐怖については、西洋における光の文化史を参照。

ゾロアスター教では、死体は穢れを持っているとされるから、神聖視される火や土使った葬送はできない。よって鳥葬のための沈黙の塔が存在する。ボンベイ(ムンバイ)における沈黙の塔、1886年以前の銅版画。

個人的にタブーは、畏怖の感情と深く関わっているように思います。「聖なるもの」と「悪しきもの」の両極端に関することでタブーが多いためです。

例えば「月経」に対するタブーで、月経中の女性は一人小屋に籠り、その期間が終わるまで誰とも接触してはならない、といった風習が地域によってあります。月経は一方では血が流れるため「穢れ」とも解釈できますが、一方では子を成す準備として「神聖」とも解釈できます。これはタブーが「聖なるもの」と「悪しきもの」の両端に関わっていることを示す好例です。

それでは次章から、「見るなのタブー」に絞ってみていきましょう。

なぜ「見るな」?

日光東照宮の三猿。「見ざる、聞かざる、言わざる」

何らかの行為を禁止する命令として、神話や昔話に出てくるのは、なぜ「見るな」なのでしょうか。人の感覚器官は視覚以外にも、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の4つがあります。そのため「聞くな」や「触れるな」という命令でもいいような気がします。なぜ物語において禁止されるのは、視覚ばかりなのでしょうか。

それはヒトにとって、五感のうちで最も多くの情報を得ることのできる感覚器官が、視覚だからだと思います。得体の知れないものに遭遇したとき、イヌがまず匂いをかぐように(嗅覚)、コウモリがまず超音波をだすように(聴覚)、ヒトが何かを知ろうとするときにまず行うのは、見ることなのです(視覚)。

ゆえに、神話や昔話では、最も多くの情報を得ることができる「見る」を禁じるのだと思います。

次章からは、「見るな」のタブーがでてくる物語として、以下4つを紹介します。

  1. 日本昔話:鶴の恩返し
  2. 日本神話:黄泉の国のイザナミ
  3. 旧約聖書:ロトの妻
  4. 西洋伝承:妖精メリュジーヌ

例1. 日本昔話:鶴の恩返し

まずは、「見るなのタブー」の物語例として、日本人にとって最も親しみがある昔話の1つ、『鶴の恩返し』を紹介します。この物語は学術的には『鶴女房』という名前で知られ、日本固有の昔話に分類されています。物語の概要は以下の通りです。

男が罠にかかった鶴を助けてしばらく経ったころだ。激しく雪の降る晩、美しい娘が訪ねてきて、一晩の宿を乞うたので、男は了承した。

雪は何日も降りやまず、その間、男は家の手伝いをする娘と過ごした。打ち解けてきたころに娘が、自分を嫁にしてほしいと言うので、男は了承する。

やがて嫁が、布を織りたいというので、男は機織りに必要な道具を用意した。嫁が次々に素晴らしい反物を仕上げたので、それを売ったお金で、貧しかった二人は裕福になる。男は、「機織りしている姿を決して見ないでください」という嫁の言いつけにしたがっていたが、気になったある日、機織り部屋をのぞいてしまう。

そこには、自身の羽根をつかって布を織る鶴の姿があった。正体を知られた嫁は、鶴の姿に戻って、飛び去ってしまった。

この話に登場するタブーは、「機織りしている姿を見るな」というものです。なぜ見てはいけないかというと、その行為が「聖なるもの」だからです。女性が機織りすることは、巫女の神事に由来するため神聖なのです。

鶴が人間の女に変身して機を織るというモチーフは、かつて巫女が部屋に籠って神に供える衣を織ったことに由来しているとされる。そのため、機を織る姿を人間に見られることを禁忌とするのである(柳田国男『桃太郎の誕生』)。

『日本昔話ハンドブック 新版』稲田浩二、稲田和子編、三省堂、2018年、145頁。

私は出典の文章を読むまで、「人間ではなく鶴だったということがバレたら恥ずかしい」という理由で、娘が「見るな」を課しているのだと思っていました。つまり「聖」か「俗」かでいうと「俗」の理由、「動物であることが汚らわしい」のほうかと思っていました。ところが、柳田国男によると「聖」のほうの理由でした。

巫女の機織りという神事は、日本固有のものです。よって、『鶴の恩返し』は伝来の昔話ではなく、日本独自の昔話ということになります。雪、鶴、きらきら光る美しい反物、という物語にでてくるモチーフが、ぼんやりと光の当たる、あわい「白」を連想させて、色の面でも非常に日本らしいと思いました。日本における白の美学については、原研哉の『白』がオススメです。

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例2. 日本神話:黄泉の国のイザナミ

《天瓊を以て滄海を探るの図》小林永濯、1885年頃。二柱が天浮橋に立ち、天沼矛でおのころ島をつくっているところ。
《天瓊を以て滄海を探るの図》小林永濯、1885年頃。イザナミ、イザナキの二柱が天浮橋に立ち、天沼矛でおのころ島をつくっているところ。

次の「見るなのタブー」の物語例として、日本神話における、黄泉よみの国のイザナミのエピソードを紹介します。イザナミ(女神)はイザナキ(男神)と夫婦で、二柱で日本国土をつくったことや、三貴子(※)を含めた、さまざまな神々を生みだしたことで知られています。

※三貴子:アマテラス(太陽神)、ツクヨミ(月神)、スサノオ(海神)の三柱。

イザナミの黄泉の国のエピソード概要は以下の通りです。

イザナミは、火の神カグツチを産んだ際の、火傷がきっかけとなり亡くなった。妻が恋しい、夫のイザナキは、イザナミを連れ戻すために、死者の住まう黄泉の国へ向かった。

黄泉の国を訪れると、イザナミがいたが、彼女はすでに黄泉の国の神々と共食きょうしょくし、仲間となったので、地上に戻ることができなくなっていた。とはいえ、イザナミも夫が恋しいので、夫とともに地上に戻ることを、黄泉の神々に相談してみることにした。

イザナミは「神々に相談している間、決して私の姿を見ないでください」と夫に言いつけて、扉の向こうに消える。しかし、待てど暮らせどイザナミが戻ってこないので、しびれを切らしたイザナキは、扉の奥に入っていき、イザナミの姿を見てしまう。死者となったイザナミの姿は、腐り果てて醜かった。

その姿に耐えられなくなったイザナキは、黄泉の国から逃げ出した。姿を見られたイザナミは「私に恥をかかせた」と激怒し、あらゆる手段を駆使て夫を捕まえようとするが、ついに夫に逃げ切られてしまった。この件がきっかけとなり、イザナミとイザナキは仲たがいした。

この話に登場するタブーは、「変わり果てた私の姿を見るな」というものです。なぜ見てはいけないかというと、見られることを恥だとイザナミが考えているからです。イザナミは神という「聖なるもの」なので、その言いつけを守ることは「聖なるもの」に従うことだと考えられます。

なお、日本文化には「死」に対し「ケガレ」の概念もあります。しかし、その初出は「黄泉の国へ行ったイザナキが、タブーを犯したことで穢れた」(古事記)というもので、イザナミ自身が穢れているとの記述はないようです。イザナキは黄泉の国から戻ったあと、自身のケガレを落とすためにみそぎをしました。

例3. 旧約聖書:ロトの妻

ソドムから去るロト一家。一番左の女性が妻で、塩の柱になりはじめている。『ニュルンベルク年代記』1493年。

次の「見るなのタブー」の物語例として、『旧約聖書』におけるロトの妻のエピソードを紹介します。『旧約聖書』はユダヤ教とキリスト教の教典と見なされている書物です。イエス・キリスト以後の記録が書かれた聖典が『新約聖書』で、こちらはキリスト教のみの教典です。神との「旧い契約」「新しい契約」という意味になります。

ロトの妻のエピソード概要は以下の通りです。『旧約聖書』の「創世記」19章に書かれています。

ある所に、ソドムという名の町と、ゴモラという名の町があった。それらの町では、風俗の乱れが著しかったため、その罪のために神に滅ぼされることになった。

ソドムにいた預言者ロトの元には、天使が遣わされ、その決定事項が知らされた。そこでロトは、夜が明ける前に妻と2人の娘を伴い、ソドムを脱出し、近隣の都市を目指した。

「逃げる際に後ろを振り返ってはならない」と指示されていたのにもかかわらず、ロトの妻はソドムを振り返り、崩壊する町を見てしまう。言いつけを破った妻は、塩の柱となってしまった。

この話に登場するタブーは、「神に滅ぼされている最中の町を見るな」というものです。なぜ見てはいけないかというと、神の力が行使されているため神聖な行為で、人間ごときが見るものではない、という理由だと思います。つまりこの行為が「聖なるもの」だからです。

なお、ジブリ映画『天空の城のラピュタ』では、ムスカ大佐が「見せてあげよう、ラピュタの雷を! 旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だ」と言って、城から破壊波(?)を出す場面があります。この台詞の背景には、上記のお話があるのです。

以下の写真は、「ロトの妻の塩柱」と言われている石柱です。

死海のほとりのソドム山には、「ロトの妻の塩柱」と言われる石柱がある。

例4. 西洋伝承:妖精メリュジーヌ

メリュジーヌの秘密が明かになった場面、Le Roman de Mélusine、1450-1500年の間、フランス国立図書館。

最後に、「見るなのタブー」の物語例として、妖精メリュジーヌの伝承を紹介します。これは現フランスに本拠地があった中世期の貴族、リュジニャン家にまつわる伝承です。リュジニャン家は、妖精メリュジーヌの血を引くために、一族が繁栄したといわれています。

メリュジーヌ伝承の概要は以下の通りです。

レイモンダンは、水辺で出会った美女と結婚することになった。その美女の名はメリュジーヌといい、結婚に際して「土曜日に私が何をしているか、決して詮索しないこと」という条件をつけた。メリュジーヌを妻に迎えてから、レイモンダンの家は繁栄した。

しかし、兄弟にメリュジーヌの不貞を疑われたレイモンダンは、気になったある土曜日、メリュジーヌのいる浴室をのぞいてしまった。するとそこには、下半身が蛇の姿になっているメリュジーヌがいた。じつはメリュジーヌは妖精で、土曜日ごとに下半身が蛇になる性質を持っているのだった。

一度は互いに対する愛から、見なかったこと・見られなかったことにした2人だったが、喧嘩をした際、レイモンダンが「蛇女」とののしってしまう。ショックを受けたメリュジーヌは窓から飛び立ち、二度と彼の前に姿を現さなかった。

この話に登場するタブーは、「土曜日の私の姿を見るな」というものです。その理由は、キリスト教的に考えると、妖精の姿が「悪しきもの」であるからで、土着信仰的に考えると、妖精の姿が「聖なるもの」だからです。キリスト教が妖精を異端とする理由は、西洋中世期に存続した異教文化を参照してください。

メリュジーヌの伝承については、以下の記事でさらに詳しく記載しています。彼女は騎士道物語に登場する、典型的な「水辺の美女」でもあります。

おわりに

今回は、世界各地にある「見るなのタブー」について紹介しました。

タブーとは、何かをしてはならない、何かをすべきである、といった決まり事のことです。日本語では「禁忌きんき」とも訳されます。世界各地の神話や昔話には、何らかの対象を見ることを禁じた、「見るなのタブー」がたくさんあります。

なぜ見ることを禁じるのかというと、ヒトにとって視覚が、五感のうちで、最も多くの情報を得ることができる器官だからだと思います。

今回の記事では、「見るなのタブー」が登場する話として、以下4つを紹介しました。

  1. 日本昔話:鶴の恩返し
  2. 日本神話:黄泉の国のイザナミ
  3. 旧約聖書:ロトの妻
  4. 西洋伝承:妖精メリュジーヌ

これらのタブーにはどれも、「聖なるもの」か「悪しきもの」が関わっていました。よって「見るなのタブー」は、畏怖の感情と深く関わっていると考えています。

*

『鶴の恩返し』や『妖精メリュジーヌ』について読んで、「なぜ女性ばかりが超自然的な力と結びつけられるのか」と疑問に思った方は、なぜ魔法を使うのは女性なのかを参照してください。女性の霊力についての有名な著作は、柳田国男の『いもの力』です。気になる方は読んでみましょう…と言いたいところですが、昔の文体でめちゃめちゃ読みづらいので、解説本や関連書籍などあれば、そちらがよいでしょう。

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1966年の映画『天地創造』がおすすめです。さすがに旧約聖書の文章を読んでいくのは(日本語訳されているとはいえ)骨が折れますが、こちらの映画は、「楽園追放」「ノアの箱舟」などの有名エピソードを、美麗な映像とともにお届けしてくれます。ソドムとゴモラの話も含まれています。子供向けの教育映画としてもおすすめです。(続きつくってくれないかな…と少し期待しています)

旧約聖書の内容について、概要だけでも知っておくと、世界におけるさまざまな物語の解像度が上がります。なぜなら、旧約聖書の内容に基づき書かれている物語が多いからです(例えば『新世紀エヴァンゲリオン』。タイトルからして「福音」という意味で、キリスト教的です)。そのため創作する方は、どんな媒体でもよいので、旧約聖書について学んでみるとよいでしょう。

以上、世界各地にある「見るなのタブー」についてでした。

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