ファンタジー

ファンタジーランドはなぜ中世なのか

はじめに

以前、失われた荒野を求めて – ル=グウィン『いまファンタジーにできること』の記事にて、『ゲド戦記』作者のル=グウィンが、昨今出回っているファンタジー小説の舞台は(西洋の)中世期に設定されがちだ、と感じていることを紹介しました。

ファンタジー小説の舞台は、作者のオリジナルの世界観とはいえ、モデルとなった文化が必ずどこかにあります。例えばJ.R.R.トールキンの『指輪物語』は英国を中心とした西洋文化をモデルに、田中芳樹の『アルスラーン戦記』は中東文化をモデルに、上橋菜穂子の『精霊の守り人』はアジア文化をモデルにしています。

仮に誰かが、どこの文化もモデルにしていない、完全オリジナルの文化をつくれたとしたら、その人は神と同等になってしまいます。文化とはたかが人間ひとりが生きる時間程度で成立するものではないし、たった一人きりで成立させるものでもないからです。

そのようなわけで、巷にあふれているファンタジー小説は「西洋系ファンタジー」「中華系ファンタジー」などと、モデルとされた文化によって分類されています。西洋系ファンタジーについては、私もル=グウィンの意見に同意で、中世期(あるいは近世期)が舞台とされることがほとんどだと感じます。(だからこそ私は西洋中世史の勉強をして創作の足しにしようとしている)

そのため今回は、西洋系ファンタジー小説の舞台である「ファンタジーランド」が中世期に設定されがちな理由を探っていきます。

※本記事では今後、特に断りがない限り、ファンタジー小説=西洋文化をモデルとしたファンタジー小説を指す。

※中世期と近世期の違いは、絵画から知る西洋の中世と近世の違いを参照。今回の記事では、ほぼイコールの時代と考えてよいと思っている。

前提としてラノベ・ランドは近代である

前提として、本記事でいうファンタジー小説はライトノベル(と漫画)を考慮していません。ライトノベルで版を押したようにモデルとされている「中世ヨーロッパ」、別名「ナーロッパ※」は、技術水準や文化水準からするに、近代がモデルであると考えています。

※ナーロッパ:ファンタジー創作、特に『小説家になろう』界隈で用いられる中世欧州風ではあるが似て非なる世界のこと。

例えば、ナーロッパで描写される、複雑なパターンを組み合わせて縫製されたボリュームたっぷりドレスとか、身体の線にぴったりフィットしたシャツとか、透明ガラス窓が使用された清潔感のある屋敷とか、侯爵・伯爵などの明確な名称の身分わけとか、どの例をとっても、どう考えても中世期の技術・文化水準ではないです。

ライトノベルの世界設定が「中世ヨーロッパ」と称しながら実際のところ近代ヨーロッパであるのは構いません。というのも、歴史小説と違って、自由に想像して文化を設定できるのがファンタジー小説の魅力だからです。結局のところ、ライトノベルで重要なのはエンタメとして面白いかどうかなので、世界観は二の次であり、より乱暴な言い方をするとどうでもいいのです。しかしながら、歴史を知らない若い読者が、あの世界観を本当の歴史としての中世ヨーロッパと誤認してしまう可能性があるのは憂慮しています。

なお、私が今いちばん推しているファンタジー漫画の『葬送のフリーレン』は、エンタメ性を重視しながら、かなり頑張って本物の中世に寄せていると思います。キャラクターデザイン上、服装が「これは近代だな、いや現代だな」などと思うこともありますが、基本的な技術水準・文化水準は西洋中世期をベースにしていると思います。

とくに女性キャラクター(フリーレン、フェルン)の靴が実用的な(ヒールなしの)長靴であるところと、肌をなるべく露出しない方針で、ワンピースのパターンが素朴で足元まであるところに好感を持てます。また、あるキャラクターがウェディングドレスを着る場面で(ウェディングドレスが「白」になったのは近代からだよと心中でツッコミつつ)、ドレスが長袖であるところも非常に好感を持ちました。もし現代で流行っている肩が露出するタイプのドレスであった場合には興ざめでした。

少し話が逸れてしまいましたが、ライトノベル(漫画)のファンタジー物語は、たいていの場合、西洋中世期がモデルではないため、本記事におけるファンタジー小説は、ライトノベル(漫画)を対象外とします。次の章から、ファンタジー小説の舞台である「ファンタジーランド」が中世期に設定される理由を考えていきます。

科学的思考がないこと

モルガン・ル・フェ
モルガン・ル・フェ、William Henry Margetson, 1914年

ファンタジーランドが中世期に設定される理由の1つ目として、その時代に科学的思考がないことが挙げられます。

魔法から科学への移行の記事で説明した通り、近代以前の人びと、言い換えると科学革命が起こる前の人びとは、科学(数字)ではなく、超自然的な力が宇宙を支配し、動かしていると考えていました。具体的には、天災や病気などの悪いことから、収穫が豊作なことなどの良いことまで、あらゆる物事の原因には神や精霊などの超自然的な力があると考えていました。

すなわち、近代以前の世界観では、超自然的な、不思議なことが日常として起こりうる余地があります。その世界観の人びとは、容易に魔法や奇跡を信じ、ちょっとした物音や、日照りが続くことの原因に、超自然的な存在や力を感じ取ります。

私は、おとぎ話とファンタジーの違いの記事で、ファンタジーを、「魔法」がでてくる空想の物語と定義しました。つまり、ファンタジー物語の世界下では、人びとが魔法や、魔法使いの存在を信じていることが必要です。そのため、ファンタジーランドの時代設定は近代以前である必要があるのです。

法的なゆとりがあること

ファンタジーランドが中世期に設定される理由の2つ目として、その時代に法的なゆとりがあることが挙げられます。法的なゆとり(抜け道)があることで、ファンタジー世界の醍醐味である、自由な空想が繰り広げられるからです。

例えば、物語の類型の1つに、貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)というジャンルがあります。高貴な生まれの者が、赤子のときに川に捨てられるなどして、卑しい身分の親の元で育ち、試練を経験しながら頭角を現し、大人になって英雄や神として名をはせるような物語のことです。具体的な作品名を挙げると、『アーサー王物語』は、主人公であるアーサーの貴種流離譚といえます。

貴種流離譚のような、正体不明の出自の者が活躍する物語は、現代のような法律が整備された社会では生まれる余地がありません。なぜなら、我々は生まれた瞬間に戸籍登録することが義務づけられているからです。

現代社会の人間は、国家の福祉を享受する代わりに、不自由で縛りがある生活を強いられています。開墾した土地を自分の土地とすることはできないし、免許なしに狩りをすることもできないし、自分の土地以外で果物やキノコを集めたり、家の柱にするのによさそうな樹が生えているからといって、勝手に伐ることもできません。私たちの行動は街中のカメラで常に監視されているため、罰せられることなく法的に禁止されている何かをする(例えば定められたスピードを上回って車を走らせる)ことはできないのです。

法律の歴史は意外と古く、歴史上の有名な法律には、ハンムラビ法典があります。ハンムラビ法典とは、紀元前18世紀頃にメソポタミアを統一した、古バビロニア王国のハンムラビ王が制定した、全282条からなる法律です。そこには同害復讐法の原則として「目には目を、歯には歯を」が定められています。具体的には、誰かに目をつぶされた場合には、その行為をした相手の目も同様につぶすことが容認されています。そのような法律を定めることで、(相手に仕返しされる恐れから)目をつぶす行為を抑止しようとしたのです。

「ルール」がない場合、共同体は(たがいに殺しあうなどして)全滅の危機に瀕します。よって、人類は長い時間をかけて、法律を整備させてきました。その結果が現代社会であり、法律はこの後時代にあわせて変化しつづけます(例えば同性婚を認める法律が、ゆくゆくは日本にもできるかもしれない)。しかしながら、網目のように社会の細部まで行き渡った法律は、ファンタジー世界の魅力の1つである、自由な空想と相性が悪いです。

魅力的なファンタジーは、法的にゆとり(抜け道)がある世界観の下で生まれます。そのため、ファンタジーランドの時代設定は、法律が未成熟な時代、つまり近代以前である必要があるのです。

旅が一般的であること

《安全祈願》エドモンド・レイトン、1904年、私蔵
《安全祈願》エドモンド・レイトン、1904年、私蔵

さて、上二つの例から、ファンタジーランドが近代以前である必要性が分かりました。そこで新たな疑問が生まれました。なぜ、ファンタジーランドは「古代」ではなく「中世」の時代でなければならないのか? ①科学的思考がないこと、②法的なゆとりがあること、の2点だけが理由ならば、ファンタジーランドは古代でもよいはずです。なぜ中世なのでしょうか。

この疑問に対する答えの1つとして私は、③中世期に旅が一般的になったこと、という理由を挙げたいです。

昔話とファンタジー小説の共通点の記事で記載した通り、昔話やファンタジー小説では、主人公の内面世界における成長過程(精神的な旅)が、現実世界における物理的な旅というかたちで語られます。言い換えると、ファンタジー小説においては、物理的な旅の描写が不可欠であることが分かります。そして、人びとによる「旅」という行為が一般的になり、活発になった時代が、中世期なのです。

中世期に旅をしていた人の例として、以下の人びとがいました。順番に詳しく説明していきます。

  1. 騎士
  2. 吟遊詩人
  3. 遍歴商人
  4. 放浪学生

①騎士と②吟遊詩人は、中世期の宮廷文化において生まれた階級(職業)の人びとであり、両者はセットで発展しました。騎士とは、封建社会における主従関係から生まれた戦士階級のことです。騎士は戦のために旅をしたり、自身の名誉を高めるために、まだ見ぬ強い相手との勝負を求めて、冒険にでかけたりします。

吟遊詩人とは、恋愛物語や英雄伝などを弾き語りして、騎士たちが暮らす宮廷の人びとを楽しませる職業の人です。先ほど紹介した『アーサー王物語』も騎士たちが主人公の、宮廷恋愛物語かつ英雄伝です。そのため、この物語は、口頭で物語を伝える吟遊詩人がいたからこそ発達したといっても過言ではありません。

なお、騎士は近世期になると、忠誠心ではなくお金で雇われる傭兵に立場を取って代わられ、衰退していきました。それと同時に、吟遊詩人の文化も衰退していきました。

③遍歴商人とは、移動しながら物を売る職業の人です。なぜ定住せずに遍歴していたかというと、当時の彼らにとっては、物を移動させるより、人を移動させるほうがはるかに簡単だったからです。それについては、西洋中世期における旅する商人の記事で紹介しています。

④放浪学生とは、各地の大学を転々としながら、学問にはげんだ学生のことです(定職を得られずに、おじさんになってもずっと放浪しつづける者もいる)。西洋で最も古い大学は、11世紀にイタリアで設立されたボローニャ大学であり、12世紀にはパリ大学、オクスフォード大学、ケンブリッジ大学なども設立されています。つまり中世期は大学が多数生まれた時代であり、若者たちが勉強する場が各地にある時代でした。放浪学生はたいてい7~8人のグループをつくって行動していました1

以上に挙げただけでも、中世期には4種類の人間が旅をしていたことが分かります。阿部謹也は『中世を旅する人びと』において、ここで挙げた以外の多種多様な旅人について挙げており、例えばジプシーや、遍歴職人も存在しました。

このようなことから、西洋中世期は、西洋大陸全体が、旅人が歩く道のネットワークによって、ゆるく文化的につながっていた時代であることが分かります。そのような状況下では、現実世界で物理的な旅をすることのハードルが低く、中世期には、古代期と異なり、旅が一般的になったと言えます。だからこそ、ファンタジーランドは「古代」でもなく「近代」でもなく、その中間の「中世(あるいは近世)」である必要があるのです。

おわりに

今回は、西洋系ファンタジー小説の舞台である「ファンタジーランド」が中世期に設定されがちな理由を考えました。

まず、ファンタジーランドが近代以前でなければならない理由として、以下2点を挙げました。

  1. 科学的思考がないこと
  2. 法的ゆとりがあること

次に、ファンタジーランドが中世期以降(近世期も含む)でなければならない理由として、以下を挙げました。

  • 旅が一般的であること

ファンタジーランドにおいては、主人公の内面世界における成長過程(精神的な旅)が、現実世界における物理的な旅というかたちで語られます。言い換えると、ファンタジー小説にはには旅の描写が不可欠であり、ゆえに舞台が、旅が一般的である中世期に設定されがちなのです。

以上、ファンタジーランドはなぜ中世なのか、でした。

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  1. 放浪学生プラッターの手記』阿部謹也訳、平凡社、1985年 ↩︎

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