国民的RPGであるドラクエ4(導かれし者たち)で登場する、踊子姉妹のテーマ曲の1つに、「ジプシー・ダンス」があります(すぎやまこういち作曲)。というのも、踊り子の姉・マーニャと、占い師の妹・ミネアはジプシーという設定だからです。
しかし、日本人にとって「ジプシー」は馴染みがうすい言葉で、どんな人びとかを理解している人は少ないと思います。そこで今回は、西洋史におけるジプシーについてまとめます。
ジプシーとは
ジプシーとは、西洋の歴史上で少なくとも500年以上前から存在している、定住地を持たない放浪の民のことです。現存する史料の記録から判断して、西洋にジプシーが現れたのは14世紀以前であることがほぼ間違いない、と中世史学者の阿部謹也は述べています1。
ジプシーの祖先がいた場所は長らく謎でしたが、彼らが使う言語を研究することで、元々はインドにいたことが分かりました。彼らは主に褐色の肌に、黒髪を持つ人びとです。なお、現在では多くのジプシーが放浪をやめ、定住生活を送っています。
「ジプシー(Gypsy)」という呼び名は、「エジプト人(Egyptian)」から生じたと言われています。というのも西洋にジプシーが現れた当初、彼らが低地エジプトの出身であると言っていたためです。
ジプシーという呼び名は、西洋人がつけたもので、彼ら自身は、自らの呼称を集団ごとに持っています。その代表格が、「ロマ」という、西洋におけるジプシーの諸集団のなかでもマジョリティの集団です。近年では、「ジプシー」という呼称に差別的なニュアンスがあるということから、代わりに「ロマ」という呼称を使うことが推奨されています。しかし、ロマはジプシーの中の一集団を指す言葉なので、ロマ以外の集団からは批判的な意見があるそうです。
学術的な呼び名としてどうしているのか気になり、最近の日本語論文などを調べてみると、「ジプシー」が使われていました。これは私の想像ですが、その理由として一つには「西洋における例の放浪の民全体」を指したいとき、それ以外の言葉がないからだと思います。加えて、今さら呼称を変えると過去の論文との関連が分からなくなり混乱するからだと思います。
そもそも呼称の成り立ちにおいて差別的な意味はなく(単に「エジプトから来た人」)、差別を付与しているのは人の心なので、呼称を変えたところで根本的な解決にはならないのかもしれません。
この記事でもジプシーという呼称で統一したいと思います。
音楽と舞踏が得意
西洋中世期のアウトサイダーで説明した通り、「共同体に属してない者」「社会からのはみだし者」という意味で、「アウトサイダー(outsider)」という用語があります。土地を持たずに放浪しているジプシーは、西洋の人びとにとって、まぎれもなくアウトサイダーであり、畏怖と同時に賤視の対象でした。
ジプシーは生活のために、定住民の人びとが嫌う仕事をしました(例えば先の記事に記載した、血や死と関わる仕事など)。しかし、最もジプシーにふさわしい職業は音楽と舞踏である、と阿部謹也は言います。彼らの職業として代表的なものは、楽器、とくにヴァイオリンの演奏と舞踏でした。
ジプシーは生まれながらの芸術家といってもいいすぎではないのである。彼らは生まれるとすぐに異国の人びとの好奇な目にさらされ、死ぬまでそのようなまなざしを逃れることはできない。彼らは異国のなかに生き、ときたま十字路などで仲間と出会う以外に、故郷も故国ももたずにすごすのである。彼らは一生のあいだ異国民の目を意識し、それを念頭において演技をつづける。そこから彼らには自然の世界とガッジョ(ジプシー以外の人びと)の世界に対する独特な態度が生まれる。
阿部謹也『中世を旅する人びと』筑摩書房、2015年、210-211頁。
音楽と舞踏は、本来はジプシー自らの楽しみのためにありましたが、のちに職業として転化したと考えられます。異国情緒ゆたかなジプシーの踊りは、西洋の人びとにとって魅力的に映りました。
冒頭で紹介した、ドラクエ4に登場するジプシーの姉妹にも、このような伝統的なジプシーの職業像が反映されています。具体的には、姉のマーニャは踊子として、妹のミネアは占い師として生計を立てています(※)。
※占いもジプシーが得意とする商売である。もっとも、この占いは異邦人向けの商売であり、仲間の間で占いをすることはないとも言われている(ジプシーには秘密主義があるため分からないことが多い)。アウトサイダーであり超自然的な力を持っていそうなジプシーに、西洋人が占い技術を期待するという流れは想像に難くない。
ドラクエ4の「ジプシー・ダンス」を久しぶりに聞いたとき、カスタネットでリズムを取る点で、スペインのフラメンコっぽい音楽だと思いました。しかし、すぎやまこういちは、ジプシー調の音楽をつくるために、ジプシー音楽についてかなり勉強したらしいので、フラメンコのはずがないよな、と思い調べてみると、そもそもフラメンコに影響を与えたのが、ジプシー音楽だということが分かりました。つまり、歴史的にはフラメンコが先ではなく、ジプシー音楽が先なのです。
このことを知ったとき、ジプシー文化が西洋文化に与えた影響は非常に大きいと思い、衝撃を受けました。高校で習う世界史とは、権力者の支配の変遷の歴史なので、ジプシーのようなアウトサイダーには全くといっていいほど触れられません(触れる暇がありません)。このような重要なことを知らずに一生を終えるのは恐ろしいと思い、自ら学ぶことや、ネットで発信することの大切さを改めて感じました。
いちおう、山川出版の世界史用語集に「ジプシー」が載っているか調べてみると、「ロマ」の名称で載っていました。しかしナチスドイツの時代にユダヤ人が迫害されていた~の流れで一緒に迫害された民族として出てくるのが初出で、つまり第一次世界大戦後の時代なので、出てくるのおっっっそ!!!!となります。
すぎやまこういちの「ジプシー・ダンス」は本当に名曲なので、以下から聴いてみてください。マーニャとミネアは、父を殺した宿敵・バルザックに復讐するためにお金を稼ぎ、旅に出ます。そのときのモンスターとの戦闘音楽として毎回流れるのがこの曲です。名曲すぎて、マーニャとミネアのパートだけ、他の登場人物と戦闘音楽が違うという異例の扱いです。
弾圧と迫害の歴史がある
ジプシーを含めたアウトサイダーは、人びとの不安が募ったときに、スケープゴートにされがちです。例えば、西洋史における「魔女」とは何かの記事で紹介した通り、時代が中世から近世に移行していくときに、まじない女は「魔女」として火刑に処されました。同じ頃の14世紀に、ペストが大流行した際には、キリスト教徒の絶滅をくわだてるユダヤ人が、泉にペストの毒を入れたのだと噂されました。この例を聞いて日本人が想起するのは、関東大震災が起きたときに、朝鮮人が井戸に毒を入れたという流言が広まったことです。
流浪の民ジプシーも、不安が募ったときの人びとの攻撃先となり、歴史上で繰り返し迫害されてきました。ジプシーが最も大規模に迫害されたのが、先ほど触れたナチスドイツの時代であり、その際にはヨーロッパ全域で21万9000人のジプシーが殺されたとも、40万人のジプシーが殺されたとも言われています。
西洋の定住民はジプシーに対し謎めいた、神秘的な魅力を感じる一方で、彼らの窃盗行為に対して憎悪を抱いています。土地を持たないジプシーは、私有財産制の社会で生きていないため、平気で物を盗みます。彼らは盗むことを盗むとは言わず、「発見する」と言います。例えば、そこにいる鶏は牧場主のものではなく、神さまが与えてくれた鶏なのです。
このようなジプシーの性質は、ジプシーに対する差別をいっそう助長しました。現在にいたっても西洋の人びとは、差別はよくないことだと思いつつも、ジプシーに対する不信感をぬぐえていない印象です。
『星の旅人たち』(2010年)という映画には、このような窃盗の性質を持ったジプシーが登場します。アメリカ人の主人公トムは、事故死した息子の遺灰をもって、息子が歩むはずだった、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路を歩きはじめます。しかし、途中で立ち寄った町にて、ジプシーの少年に遺灰が入ったリュックを盗まれてしまいました。警察すらジプシーと関わることを嫌うため、遺灰はもう取り返せないだろう、と西洋大陸出身の仲間たちは言います。
ところが、そんなトムの元に、リュックを盗んだ少年とその父親が、謝罪のために現れました。少年の父イズマエルは、息子が窃盗を犯したことを知って、彼を厳しく叱責し、リュックを返しにやってきたのでした。「息子は人間としてやってはいけないことをしたと同時に、仲間の名誉を汚した」とイズマエルは言います。彼は、自分たちジプシーが窃盗者として認知されている今の状況を不名誉だと思っているのでした。
トムと仲間たちは、イズマエルからお詫びの宴会に誘われたため、ジプシーの友人たちに囲まれ、音楽と踊りの楽しい時を過ごしました。その際、トムはイズマエルから、「遺灰をムシーア(※)の海にまきなさい」と助言されます。それをのちに聞いた仲間は、「ジプシーのよく分からないまじないだ」と馬鹿にしました。しかしトムは結局、旅の最後で、イズマエルの言葉どおりに遺灰をムシーアの海にまくのでした。
※ムシーアはサンティアゴ・デ・コンポステラの先にある海岸。
※サンティアゴ・デ・コンポステラについては、西洋における道の文化史も参照。
ジプシーのことはジプシーのみが知る
ジプシーは世界各地に存在しており、彼らの姿を見ない地域は、世界中で日本と中国だけと言われるほどです。土地を持たない彼らにとって、故郷と呼べる一定の場所はありませんが、世界中が故郷とも言えます。彼らは部族内で祖先がたどってきた様々な土地での旅の記憶を伝え聞いており、それらを自分の体験としています。
彼らは定住民に決して本音を明かしません。定住民向けの顔はすべて外面の顔なのです。彼らは秘密主義を持っており、その素顔は仲間とロマーニ語で話すときにしか見られないと言われます2。彼らの内面生活は非常に豊かであり、500年以上にわたる弾圧と迫害のなかにありながら、ジプシーは自尊心や人間に対する優しさを失いませんでした。その点が彼らを神秘的な存在たらしめているともいえます。
私のお気に入りの物語の1つに、エリーナ・ファージョンによる『リンゴ畑のマーティン・ピピン』があります。吟遊詩人のマーティンは、父によって井戸館に閉じこめられた乙女ジリアンに接近しようと、牢番である6人の乙女を懐柔しようとします。ある日、6人の乙女が井戸館の周囲に広がるリンゴ畑で遊んでいると、ジプシーの物売り女がやってきて、乙女たちが喜びそうな、様々な品を売ってくれました。
乙女たちはジプシーの女に、「恋人から引き裂かれ、苦しんでいるジリアンが元気になるような薬はないか」と尋ねます。ジプシーの女は、「そういう娘には、たくさんの恋物語を聞かせて、新しい恋をしようという気にさせるといい」と助言して去っていきました。その後、吟遊詩人のマーティンがやってきて、「たくさんの恋物語を知っている」と言うので、乙女たちはマーティンをリンゴ畑に迎えました。(物語中で明言されていませんが、ジプシー女はマーティンの差し金だと考えられます)
この物語で書かれているジプシーは、定住民には不可解な放浪の民で、だからこそ定住民にはない不思議な力や知識を備えているのです。
おわりに
今回は、西洋史におけるジプシーについて紹介しました。
ジプシーとは、西洋の歴史上で少なくとも500年以上前から存在している、定住地を持たない放浪の民のことです。彼らの祖先は元々インドにいました。ジプシーの特徴として、以下3つを挙げました。
- 音楽と舞踏が得意
- 弾圧と迫害の歴史がある
- ジプシーのことはジプシーのみが知る
ジプシーは西洋の定住民にとって、まぎれもないアウトサイダーであり、畏怖と同時に賤視の対象でした。彼らに神秘性をもたせている要因の1つが、その秘密主義であり、彼らは定住民とは全く異なる文化や価値観の元で暮らしています。
ジプシーについてもっと知りたいので、12歳のころから10年間、ジプシーとともに旅をしたとされる、ヤン・ヨアーズの著書『ジプシー』(ハヤカワ文庫)を手に入れました。ほかに、ハインリヒ フォン・ヴリスロキの『「ジプシー」の伝説とメルヘン』(明石書店)も読みたいと思っています。民族のなかで語り継がれてきた昔話は、その民族のことを知るための道しるべとなると信じています。
以上、西洋史におけるジプシーでした。