名前だけはよく耳にするラテン語ですが、どこの国で話されているのか?と考えてみると、国名が浮かばないかもしれません。ラテン…ラテンアメリカ?ラテン共和国?(存在しません)
結論から言うと、ラテン語とは、古代ローマ人の公用語だった言語です。現在ではローマ=カトリック教会の総本山である、バチカン市国でしか使われていません。
それでは、ラテン語の歴史上の変遷を、古代・中世・近世にわけて見ていきましょう。ラテン語は西洋にて1000年以上の間、使用されつづけた言語でした。
ラテン語の誕生ー古代
冒頭で説明したように、ラテン語は古代ローマ人の公用語として使われていました。
「ラテン」という名前は、都市国家ローマを構成していた民族・ラテン人に由来します(※)。ローマの版図拡大とともに、ラテン人の使用していた言語が広まると、ラテン語はローマ人全体の公用語となりました。
※ローマはかつて、ラティウムと呼ばれていた。
ローマ人という呼び名は、「ローマに属する人びと」という意味で使われます。ローマ人の国はみるみる拡大していき、117年には、現エジプトから現イギリスまでを支配する、巨大帝国になりました。
ローマ人はその後の西洋の発展にかかせない、さまざまな技術および文化遺産を残しました。
一例を挙げると、彼らがヨーロッパ大陸じゅうに張り巡らせた街道は、その後に国を建てた諸王たちに、貿易や軍事上で大きな恩恵をもたらしました。舗装された道をつくるには、多大な時間と労力と資金がかかるため、すでに整備された街道があるのなら、それに利用するに越したことはありません。ローマ帝国の街道の一部は、現在でも使用されています。詳しくは道の歴史的な役割を参照してください。
そして、その後の西洋の発展に貢献した、ローマ人の遺産の1つとして欠かせないのが、ラテン語でした。
ラテン語はローマ人が力を失ったあとも、生き続けるどころか、その権威を高めました。なぜなら、ローマ帝国時代にはすでに存在していたキリスト教徒たちが、聖書などの神の教えに関する書物に、ラテン語を使用していたからです。
文字を発明する行為には、大変な苦労が伴います。よって、すでに使い勝手のよい文字が存在するなら、それを使わない理由はありません。こうしてキリスト教の権力が高まるにつれて、ラテン語の権威も高まっていきました。
ちなみに、キリスト教が日の目をあびるのはローマ帝国時代からです。313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令で、それまで迫害されていたキリスト教がはじめて公認されたのでした。ローマ帝国によるキリスト教受容の歴史は、西洋文化において、王に聖油をそそぐのはなぜかに記載しています。
ラテン語の繁栄ー中世
「中世」という時代がいつから始まるのか、様々な見解がありますが、本記事では西ローマ帝国崩壊後からを中世期とします。西洋の中世期については、中世ヨーロッパはいつからいつまで? 特徴も解説を参照してください。
前提として、中世期はキリスト教の全盛期でした。ゆえに、ローマ=カトリック教会(キリスト教の一派、いわゆるカトリック)のトップである教皇は、西洋全土に影響力をもち、ときに各国の王よりも権力を持っていました(※)。ラテン語は中世期に、聖職者によって正式な言語と定められ、言語のなかで絶大な権威をもっていました。
※中世期にローマ=カトリック教会の権威が高まった理由は、西洋になぜキリスト教が浸透したのかを参照。
言語は時代と共に変化していく、生き物のようなものです。よって、ラテン語の「口語」は中世期に多様に変化しました。ラテン語からは、イタリア語、フランス語、スペイン語などの「ラテン系言語※」と呼ばれる言語が生まれました。
※ラテン系に対応するのはゲルマン系で、英語やドイツ語がゲルマン系にあたる。
しかしローマ=カトリック教会の聖職者は、民衆が使用していたラテン語の口語を「俗語」と呼び、昔ながらの「正式な」ラテン語と区別しました。聖職者は俗語の使用を認めず、「正式な」ラテン語を使いつづけました。
このころ、識字能力がある人=ローマ・カトリック教会の関係者と思っていただいてかまいません。一般人は文字を書くことも読むこともできませんでした。よって、紙に記す「文語」には、引き続きラテン語が使用されました。
聖職者は、民衆への説教もラテン語でつづけました。それが「正式」の言葉とされていたからです。ところが、約1000年つづく中世期のなかで、民の話す言葉と、司祭の話す言葉には大きな乖離が生じました。中世期の後半には、民にとってラテン語の説教は、わけの分からない呪文のようにしか聞こえなくなっていました。
説教が呪文なら、ラテン語の「文字」も、理解できる人が減るにつれて、しだいに霊性をおびるようになりました。それについて西洋中世期における言葉と文字に宿る霊性はを参照ください。
12世紀ごろには、大学が出現しはじめ、文字を書く者が聖職者に限定されなくなります。しかし学生たちは、口語はすでに各々の国の言語になっているのにもかかわらず、文語は変わらずラテン語を使いつづけました。それも、ラテン語が「正式」な言葉だからです。
中世期のラテン語は絶大な権威を持っていました。当時は、文字といえばラテン語で、文法教師といえばラテン語文法の先生だったのです。
ラテン語の没落ー近世
ラテン語以外の言語の表記が一般化するのは、12世紀以降のことです[1]。そのころになると、口語を文字に起こした、俗語で書かれた文書が出現しはじめます。※俗語=のちのイタリア語、フランス語、スペイン語など
14-15世紀ごろになると、文字はもはや聖職者の独占ではなくなりました。そのことは、イタリア都市に暮らしていた無名の市民が、俗語によって大量の私文書を残していることから裏付けられています[2]。そうして徐々に、ラテン語の持つ文語としての優位性がなくなり、それぞれの国の言葉で文書が書かれるようになりました。
ラテン語の権威は、宗教改革によって完全に崩れました(16世紀)。宗教改革でなされた重大事項の一つに、新約聖書が各国語へ翻訳されたことが挙げられます。それまで教会にとっての「正式」な言語はラテン語だったため、ラテン語以外で聖書を記述することはNGでした。しかしそれに反抗して、マルティン・ルターがドイツ語で聖書を出版したため、世間は度肝をぬかしたのでした。
宗教改革が起きたことで、西洋の文語をラテン語に縛るために十分な権力を、ローマ=カトリック教会は完全に失いました。 そうして現在、ラテン語を使用する国は、教皇の住まいであるバチカン市国のみとなっているのです。
おわりに
言語は生き物と同じで、生まれた瞬間から常に変化していくものです。しかしラテン語とは、人為的な操作により、1000年間以上も西洋人に使われつづけた不思議な言語なのです。
ラテン語を語源とする単語は、西洋系の言語のなかに数多くあり、大学で使われていた関係からか、とくに学術分野で多いです。例えば文明(civilization)の語源がラテン語であることは、文明と文化の違いで紹介しました。
単語の意味はともかく、発音するだけなら現代人、とくに日本人なら簡単にできます。というのもラテン語はアルファベットでつづられており、基本的にはローマ字読みで発音すればいいからです。西欧圏の人よりも、ローマ字読みが得意な日本人のほうがよっぽど本物に近く発音できますよ。
以上、ラテン語についてでした。
参考文献
[1]大黒俊二『声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)』岩波書店、2010年、10頁。
[2]同上、11頁。