はじめに
2024/6/8(土)に9回目の読書会を開催しました。今回は課題本型で、課題本はカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』でした。当日は著者や本のあらすじをおさらいした後、物語内容について考察しました。その記録を本記事に記載します。
- 読書会はTwitter上で参加者を募り、オンラインで開催しています。
- 今回参加いただいた方は3名でした。
カズオ・イシグロについて
イシグロは1954年、長崎県長崎市で生まれました。漢字名は石黒一雄です。父は海洋学者で、イシグロが生まれた当初、長崎の海洋気象台で研究職に就いていました。母は長崎に原爆が投下されたとき、その爆風で負傷した過去をもちます。
イシグロが5歳のとき、父がイギリス国立海洋所の所長に招かれ、そこで働くことになりました。そのため一家で渡英し、ロンドン南西43kmに位置する、ギルフォードで暮らしはじめます。ギルフォードは、古代ローマ帝国の人びとが帝国の崩壊で島を去ったあと、ブリトン人(土着のケルト系民族)によって建設された都市です。
イングランドの義務教育は、初等教育(5-11歳)と中等教育(11-18歳)をあわせた、13年間です。イシグロは現地の小学校に通い、その後(中等教育課程の)グラマースクールに入りました。グラマースクール(文法学校)とは、その名が表す通り、もともとは中世期に古語(主にラテン語※)の文法教える学校でした。その後、時代が進むにつれて他の分野も教えるようになり、いまは中等教育における国立学校の1分類を指します。入学のために選抜試験があるため、入学希望者はしっかりと勉強しなければなりません。
※ラテン語は、もともとローマ人の公用語だが、ローマ帝国が崩壊したあとも、西洋の人びとに書き言葉として使用されつづけた。詳細はラテン語とはを参照。
イシグロは、グラマースクールを卒業したあと、ギャップイヤーを取って北米を旅行したり、製作したデモテープをレコード会社に送ったりしていました。イシグロは若い頃、ミュージシャンになりたいと思っていました。
20歳のとき、ケント大学英文学科に進学しました。ケント州の名前は、ゲルマン人がブリテン島に入植しはじめた、中世初期に存在した、アングロ・サクソン七王国のうち一つの、ケント王国に由来します。
ケント王国は島でいちばん最初にキリスト教を受容した国でもあり、ゆえに当時よりこの地域には、イギリス国協会総本山である、カンタベリー大聖堂があります。キリスト教の受容について詳しくは、西洋になぜキリスト教が浸透したのかを参照ください。イギリスは西洋の端に位置するため、西洋の他国よりキリスト教の浸透が遅めです。
【余談】
アングロ・サクソン七王国の時代は、各国が島の統一を目指してドロドロな争いを繰り広げていたことが想像される。そのため、漫画や物語の題材にすればきっと面白くなるだろう。
実はこの時代をモデルにした有名なファンタジー作品があるのだがお分かりだろうか。それはドラマで2011-2019年にかけて放送された『ゲーム・オブ・スローンズ(Game of Thrones)』だ。七王国を統一していた王が死去したあと、名家の者たちが(男女問わず)一つの玉座をめぐって、血みどろな争いと陰謀を繰り広げる群像劇である。ドラマの最終シーズンが放送されるとき、世界中のファンの間では、王座を手にするのは誰だ? という話題が盛り上がった。
イシグロは26歳のとき、ケント大学創作学科に進学し、小説を書きはじめました。大学を卒業後、社会福祉関係の仕事をしながら、小説家として活動します。35歳のとき、3作目に出版した『日の名残り』でブッカー賞を受賞しました(1989年)。
ブッカー賞とは、その年に出版された英語の長編小説のうち、最もすぐれている小説に贈られる、イギリスの文学賞のことです。世界的に権威ある文学賞の一つで、とくに英語圏では影響力をもちます。この賞を受賞したことで、イシグロはイギリスを代表する小説家となりました。
51歳のとき、『わたしを離さないで』がブッカー賞の最終候補に残りました(受賞には至らず)。61歳のとき、本日の読書会の課題本である『忘れられた巨人』を出版します。そして63歳のとき、ノーベル文学賞を受賞しました(2017年)。受賞理由は、「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」とされています。
イシグロは1作をつくるために数年間かけるタイプの作家であるため、ノーベル文学賞受賞後に新作を発表したのは、2021年のことでした。それが最近話題となった、『クララとお日さま』です。2022年には、イギリス映画『生きる LIVING』の脚本を、黒澤明監督の映画『生きる』をもとに書いて、注目されました。
ノーベル文学賞を授与したスウェーデン・アカデミーは、イシグロの作品にいつも現れるテーマとして「記憶、歴史、自己欺瞞」をあげています。自己欺瞞とは、文学用語で「信頼できない語り手」のことです。物語の語り手の信頼性を低くし、読者をミスリードさせる手法となります。
『忘れられた巨人』について
※ネタバレを含むので未読の方は注意!
『忘れられた巨人』は、サクソン人(元来、北ドイツにいたゲルマン系の部族)が入植しはじめた時代のブリテン島が舞台となります。そのため具体的な時代をいうなら、紀元後400年頃と思ってよいと思います。なおのちにサクソン人はイングランドを支配しますが、ウェールズやスコットランドには他の民族が暮らしていました。
物語は、ブリトン人(土着のケルト系民族)の老夫婦・アクセルとベアトリスが、遠い地で暮らす息子に会うため、旅にでるところからはじまります。ところで、夫婦を含めた物語の住人たちは、人の記憶をあいまいにしてしまう、奇妙な霧に悩まされています。夫婦は息子を含めた昔のことが、よく思い出せません。そこで彼らは、霧に関する新しい情報を手に入れるなかで、忘れてしまった記憶も取り戻したいと思いはじめます。
最終的に夫婦は、旅の途中で出会った以下2人のサクソン人とともに、魔法の霧を出す竜を退治しにいきます。
- ウィスタン:サクソン王の部下
- エドウィン:ウィスタンが面倒を見る少年
登場人物の関係と、それぞれの思惑は、上図の通りです。アクセルとベアトリスによる「息子に会いたい」「記憶を取り戻したい」という願いとは別に、ブリトン人(土着のケルト系民族)とサクソン人(入植したゲルマン系民族)の対立もテーマになっています。魔法の霧を出す竜の存在には、人びとの記憶を奪うという弊害がある一方で、民族間の平和を保つというメリットがあったのです。
物語の終盤、ウィスタンによって竜が退治されることで、夫婦の記憶は戻りました。しかし同時に、ブリトン人とサクソン人の争いの時代が到来することになったのです。
ところで、記憶を取り戻した夫婦は、過去に互いに不実を働いたことを思い出しました。また、夫婦間がぎくしゃくしたことにより、息子が家を出て行き、そのまま疫病にかかり死んでしまったことも。しかし、それでも年月をかけて愛情を積み重ねてきた夫婦は、強い絆で結ばれていました。
夫婦は旅のはじめの段階から、いつか「島」に渡らなければならないことを予感していました。その島は不思議なところで、多くの人間が暮らしているはずなのに、自分以外の人間の存在が感じられない場所です。ただし、長年つれそった、真に強い絆で結ばれている夫婦だけは、その島でふたり一緒に過ごせると言われています。夫婦は、「島」に息子の墓があることを思い出し、そこに渡ることにしました。
しかし「島」へ彼らを渡してくれる船頭は、船は小さいため一人ずつしか乗せられない、と言います。そこでまずはベアトリスが舟に乗ります。アクセルが仕方なくそれを了承する場面で、物語の幕は閉じます。二人がその後「島」で再会できたかどうかは、物語では明かされておらず、読者の想像にゆだねられています。
フリートーク
ここからは参加者の皆さんとお話したことを紹介します。記事に書く都合上、一程度のまとまりに分けて記載します。
全体的な感想
- カズオ・イシグロの小説のなかで一般的に評価されている、『日の名残り』『わたしを離さないで』も過去に読んだが、個人的には『忘れられた巨人』のほうがよくできていると思う。今回は再読だが、再読するまで内容をほとんど忘れていた。それは物語に出てくる魔法の霧のせいだろうか……。題名に入っている「巨人」の意味をずっと考えている。
- 冒頭から、夫婦の間によくないことが起こりそう、という予感がずっとあった。「島」の話がでてきたとき、二人一緒には渡れないだろうと思った。二人の結末がどうなるか気になったため、続きが知りたくてさくさくと読めた。アクセルは頭のよい人なので、おそらく最初から「島」にはベアトリスと共に渡れないだろう、ということが分かっていた。しかし分かっていても何とか一緒に渡りたいと思って、旅の間行動したのだと思う。アクセルが渡ったあと、ベアトリスと再会できていればいいと思う。読了後は切なかった。
- 全体的に物語が長く感じた。夫婦以外の登場人物が出てきて、章によって語り手が切り替わるため、そこで説明がはしょられているように感じた。ほかにも、同じ人物が何度も同じセリフを言ったり、息子を探すために旅に出た夫婦が目的を見失って愚痴を言いだしたりといった、認知症のような描写がでてくる。記憶を忘れるということを現す、意図的な描写なのだと思う。ユニークな描写だと思った。
- 今回は再読だが、読み終えるのにとても時間がかかった。展開が遅く冗長に感じる場面がある(例えば修道院に滞在する場面)。しかし読み返すたびに新たな発見がありそうな、深い物語だと感じた。おそらく修道院の場面も何か理由があって書かれているのだろう。また、老夫婦が旅にでる点でめずらしい物語だと思った。旅に出るには体力が必要だから、ふつうはよほどのことがない限り、物語のなかの老人は旅に出ない。しかし作者が書きたかった、人生をかけて醸成された愛情を表現するには、老夫婦を旅立たせることがいちばんだったのだろう。
「島」について
なぜ物語の最後において、船頭はベアトリスとアクセルを別々に「島」へ渡そうとするのでしょうか。意地悪をしないで、一緒に渡してくれてもいいではありませんか。ここで「島」=死後の世界と解釈すると、その理由が分かります。
ベアトリスは物語の冒頭から、脇腹に痛みの症状があり、旅をしながら医学の知識がある者に助言を求めています。ベアトリス自身は「たいしたことはない」と言っているものの、アクセルとしては不安な気持ちがぬぐえません。ついに物語の終盤、籠に乗って川を下っている途中に、ベアトリスが妖精にさらわれそうになります。妖精の仲間だと思われる老婆は、ベアトリスを取り戻そうとするアクセルに対し、こう言います。
「あなたは賢明なはずだ、旅の人。女を救える治療法などないことは、もう以前からわかっているのだろう? どう堪える。女にはこのさき何が待つ。いずれ最愛の妻は苦しみにのたうち、あなたはそれを見ながら、やさしい言葉をかける以外に何もできない。女をわれらに任せなさい。苦しみを和らげてあげよう。これまでも大勢にやってあげてきたように」
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』土屋政雄、早川書房、2017年、351-352頁。
このことからベアトリスは、近々、脇腹の病によって死ぬ運命であることが分かります。
「島」は年老いた者が行くところであると同時に、死んだ息子の墓がある(息子がいる)場所です。よって、死後の世界の象徴であると解釈することができます。そう考えると、ベアトリスは病を持っていて死期が近いため、アクセルより先に「島」へ渡らなければならないのです。それを無意識下で分かっているのか、ベアトリスは船頭の話を聞いても驚かずに、アクセルに陸で待っているよう、説得します。アクセルが「島」へ渡るのは、彼の死期が来てからになります。
死後の世界が「島」で表される点について、アーサー王伝説が踏襲されている、という意見がありました。アーサー王はモードレッドとの戦いで瀕死の傷を負ったあと、迎えにきた妖精によってアヴァロン島に連れていかれます。アヴァロン島は妖精が暮らす地なので、この世のものではなく、死後の世界と捉えられます。アーサー王は島で傷を癒すため眠りについていますが、ブリテン島に何かあった際には、人びとを救いに駆けつけるといわれています。アヴァロン島を含めた、妖精が暮らす地については、西の方角にある妖精の国を参照してください。
「巨人」について
『忘れられた巨人』という題名に含まれている「巨人」が何を意味しているのか、皆さんと話し合いました。作中に出てくるウィスタンの言葉から、「巨人」が含意するものは第一に、「民族が忘れた記憶(とくに復讐心)」(447頁)であることが分かります。
なぜ記憶のことを「巨人」という単語で表現したかというと、「巨人の肩の上」というメタファーを意識しているのだと思います。この文脈での巨人は、「先人が積み重ねた発見と知識」を意味しています。私たちは、先人の積み重ねた発見(巨人)に乗ることで、新しく何かを発見することができるのです。
ところが、物語において「巨人」という単語は、ほかの場面にも見られます。「巨人の埋葬塚」(53頁)や「巨人のケルン※」(401頁)です。とくに後半の巨人は、「民族が忘れた記憶」から踏み込み、より具体的なものを意味しています。※ケルンとは、人の手によって組み立てられた石積みのこと。
悪事の被害者のために立派な碑が建てられることがある。生きている人々は、その碑によって、なされた悪事を記憶にとどめつづける。簡単な木の十字架や石に色を塗っただけの碑もあるし、歴史の裏に隠されたままの碑もあるだろう。いずれも太古より連綿と建てられてきた碑の行列の一部だ。巨人のケルンもその一つかもしれない。たとえば、大昔、戦で大勢の無垢の若者が殺され、その悲劇を忘れられないようにと建てられたのかもしれない。それ以外に、この種のものが建てられる理由をあまり思いつかない。平地でなら、何かの勝利や王様を記念して建てられることもあるが、これほど人里離れたこれほど高い場所で、なぜ重い石を人の背丈よりも高く積み上げたのか。そこにはどんな理由があったのだろう。
同上。401頁
物語の語り手は、「巨人のケルン」を、悪事の被害者を追悼する碑かもしれない、と示唆しています。悪事とは具体的には、戦争のことです。忘れられたものを「復讐心」と捉えた場合、多くの人は、「そんなものは新たな復讐を生むだけだから忘れたほうがよい」と思い思考を停止させてしまいます。しかし、忘れられたものを「戦争の犠牲者」と言い換えたとしたら?
実は、物語中で対立しているブリトン人とサクソン人は、現代社会のさまざまな集団に置き換えることができます。例えば、現在のウクライナとロシアや、第二次世界大戦時の日本とアメリカに置き換えることができます。日本は原爆によって犠牲になった人びとを忘れてよいのでしょうか。そのような問いを、この物語は投げかけていると思います。
ノーベル文学書が授与された理由
カズオ・イシグロは2017年にノーベル文学賞を受賞しましたが、それが意外であるという意見がありました。ノーベル文学賞は、新しい境地を開拓しようとしている、斬新な作風の人に授与されがちだからです。
例えば、2023年に同賞を授与されたヨン・フォッセは、言葉がない状態、つまり「沈黙」や「間」を言葉を使って表現しようと試みる人です。(言葉がない状態を言葉を使って表現するとは何事? と思うのだが、彼の作品を読むとなんとなく分かる。すごい試みだと思う)
それに対して、カズオ・イシグロの作風はふつうです。加えて、寡作(作品が少ししかない)です。テーマも記憶とか歴史とか、平凡ですよね。しかし逆に、どんな文化的背景をもつ人にも、普遍的に通じる物語を書いているという点で、評価されたのかもしれません。例えば、先述した民族対立や、戦争の被害をもってどうするかという問いなどです。
おわりに
今回は、カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の読書会記録を書きました。
じつは再読する前は、この物語を気に入っていた理由は、①前近代の暮らしが書かれている、②ファンタジー要素がある、の2点くらいしかありませんでした。雰囲気ですね。6年前に書いた感想記事を読んでも、そんな感じです。→カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』感想
今回は、読み返すことで新たな学びを得て、皆さんと議論することでさらに新たな学びを得ることができました。人間の愛情や対立を書いた点で、考えさせられる、とてもよい物語だと思いました。おそらく、読みこめば読みこむほど、味が出てくると思います。
今回の物語では、ブリトン人やサクソン人など、中世初期のブリテン島にいた民族の名前が出てきました。イギリスはその地理的位置からして、西洋のあらゆる民族の逃げ場になっており、例えばケルト人もローマ人に追いやられて島に逃げています。そのため、さまざまな民族や文化で構成された、面白い国だと思います。七王国もしかりですが、ノルマン朝がはじまる以前のイギリスの歴史を、もっと学びたくなりました。
次回の読書会は、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』が課題本です。本を燃やすディストピアですが、参加者さんいわく、『忘れられた巨人』と同じく深い話だそうです(まだ読んでいない)。お楽しみに!