人が小説を読む理由

ファンタジーの本
目次

はじめに

世の中には読書家と呼ばれる本をこよなく愛す人々がいます。わたしは彼らと肩を並べるほど多くの本を読んでいませんが、それでも本の魅力は多少なりとも知っているつもりです。

読書は良いものです。知らなかったことを教えてくれ、経験させてくれます。とくに「経験」という面では、小説は他のジャンル(学術書、技術書など)の追随を許しません。

今回は、人が小説を読む理由について考察します。人は小説を読まなくても生きていけますが、なぜあえて物語を創造し、物語を体験するのでしょうか。

本記事ではまず個人的な理由を紹介してから、人類全体に共通する理由を考察します。

個人的な理由

まず参考までに、わたしが小説を読む理由を紹介します。つまり小説を読むのが好きな理由です。

余談ですが、「なぜ好きなのか」を考えることは、とても難しいように思えます。それは哲学に似ていて、例えば「なぜあの人に勇気があるといえるのか」を考えることに似ています。「あの人には勇気がある」「あの人には勇気がない」と区別して断言できるのなら、その人の思う「勇気のある人像」があるはずです。ですが、何をもって勇気があるといえるのでしょうか。考え始めるととても難しいです(それを考えようと試みるのが、プラトン『ラケス』です)。

最近やっと、小説が好きな理由を人に説明できるようになりました。

冒頭でも触れましたが、わたしが小説を読む理由は、小説が経験をもたらしてくれるからです。言い換えると、小説の主人公の経験を自分の経験として蓄積できるからです。

例えば、わたしは実際には船を漕いだことがありませんが、主人公を通じて船を漕ぎます。また、実際には雪山を歩いたことがありませんが、主人公を通じて雪山を歩きます。船を漕ぐ/雪山を歩く方法や、そのときに抱く感情を知り、実際に経験するのに近い経験をすることができます。すると、わたしという人物の人生は一度しかないのに、小説を1冊読むたびに、異なる人物の人生も経験することができます。

『ゲド戦記』シリーズの作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンも、読書を自分の経験とすると語ります。彼女は数多の島国で構成された「アースシー(earthsea)」という世界を創造し、キャラクターを島から島へ、船で行ったり来たりさせますが、自身は船を漕いだことがないそうです。

そのアイディアはどこからとったのか?もちろん本からです。他の人たちの書いた本からです。だって、何のために本があるんですか?本を読まなかったら、本を書けるはずがないじゃないですか。

アーシュラ・K・ル=グウィン著、青木由紀子訳『ファンタジーと言葉』岩波書店、2006年、300頁。

わたしが言いたいのは、(剽窃ではなく)他の人たちの書いた本はわたしたち自身の経験と同じように、わたしたちのなかにしみ込んでいくということです。そしてそれは現実の経験と同じように、想像力によって堆肥をほどこされ、変化させられ、形を変えられて、まったく違ったものになって、わたしたち自身の心という大地から芽吹いた、わたしたち自身のものとして表れるのです。

同上、306頁。

後述するウンベルト・エーコの小説『バウドリーノ』でも登場人物が、ある場所について知るために、必ずしもそこにいる必要はないと語る場面があります。ただし、真実を曲げたニュースが放送されることがあるように、わたしたちは文字や口頭で得る知識が、必ずしも正しいわけではないということに注意しなければなりません。

以下の場面の舞台はフランスのパリ、時代設定は、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)が第四回十字軍によって蹂躙される(1204年)前です。

「……だけど、ぼくは修道院の地図をもっと詳しく調べてみたいんだ。図書室で地上楽園のことならなんでも知っているひとりの神学生とも知りあったしね」

「きっとその人は、エヴァがアダムにりんごを与えたときにそこにいたんだな」と<詩人>が言った。

「ある場所についてすべてを知るために、必ずしもそこにいる必要はないさ」とアブドゥルは答えた。「さもなければ、船乗りが神学者よりも物知りということになってしまう」

ウンベルト・エーコ著、堤康徳訳『バウドリーノ(上)』岩波文庫、2017年、140頁。

わたしが小説を好きな理由はここにあります。様々な人の人生を経験する利点は、自分の人生では経験したことがない、あるいは今後経験しないであろうことを経験できることです。それは海外旅行をする感覚と似ています。旅先で新たな価値観や文化に触れるのが面白く感じるのと同様に、小説内で新たな価値観や文化に触れるのが面白く感じます。そのため、わたしは日常世界からできるだけ遠い内容をもつ小説を好んで読みます。具体的にはファンタジージャンルの小説を読みます。

共通する理由

小説が好きな理由は人それぞれ、と思いきやそうではなさそうです。この世に多くの小説家と読者が存在するということは、何か人類に共通する理由があるはずです。

ここでは記号学者であり作家でもあるウンベルト・エーコと、英文学者であるジョン・サザーランドの意見を紹介します。

ウンベルト・エーコの場合

『薔薇の名前』で有名なイタリア人作家のウンベルト・エーコは、人々が小説を読む理由は、小説がわたしたちの経験を体系化する力を養ってくれるからだと述べます。

経験を体系化するとは、具体的にどのようなことを指すのでしょうか。エーコは小説には神話と同じ機能が備わっていると述べます。

子どもたちは、人形やおもちゃの木馬や凧を使って遊びながら、物理の法則や、いつかは真剣に取り組まざるを得ない行動といったものに馴染んでいくものです。同様に、物語を読むことも、遊びなのです。この遊びを通じて、過去・現在・未来にまたがる現実世界の無限の事象に意味を与えることを学ぶのです。小説を読むことによって、わたしたちは、現実世界について何か真実を言おうとするときに感じる不安から逃れるのです。

これが物語の治癒能力であり、人類が原始以来、物語をつくりつづけてきた理由なのです。それはまた、神話のもつ最高機能、すなわち混沌とした経験にかたちをあたえる機能でもあるのです。

ウンベルト・エーコ著、和田忠彦訳『ウンベルト・エーコ 小説の森散策』岩波文庫、2016年、162-163頁。

神話の機能は様々ですが、代表的な機能について魔法から科学への移行で触れました。すなわち、自然現象などの事象の理由を説明する機能です。今でいう科学と同じ機能です。例えば「木をこすり合わせると火が生じる理由」について神話は、「○○という英雄が火を盗み、木のなかに隠したから」という説明をします。

火を盗んだプロメテウス。罰として鷲に肝臓(または心臓)を食べられている。Nicolas-Sébastien Adam, 1762年。
火を盗んだプロメテウス。罰として鷲に肝臓(または心臓)を食べられている。Nicolas-Sébastien Adam, 1762年。

エーコの言う「神話のもつ最高機能」はこの機能とほぼ同義であると思われます。「混沌とした経験にかたちをあたえる機能」と「現実世界の無限の事象に意味を与える」機能が神話または小説の機能であると述べているからです。つまりエーコの言う、小説がもつ経験を体系化する機能とは、これから起きる/すでに起きた事象の理由を説明する機能のことです。

エーコの意見を繰り返すと、小説には事象の理由を説明する機能があります。人は理由が分からない不安から逃れるために、または真実から目を背けるために、ときに小説から理由をでっちあげます。

例えば最近彼氏に振られたA子さんがいたとします。別れる前に、彼氏に「自分のどこが気にくわなかったのか」と尋ねても、あいまいな返事をされるばかり。

失恋の傷も癒えたころ、A子は1冊の恋愛小説を読みます。その話の前半で、ヒロインのB美は彼氏に振られてしまいます。B美は彼氏に理由を尋ねますが、あいまいな返事をされるばかり。A子はB美に共感を覚えます。そして、物語の後半で元彼氏がB美を振った理由は「B美のことはとても好きだったけれど、自分の器量がB美と釣り合わない(自分に器量がない)から」だったと判明します。

B美に感情移入していたA子は、「わたしの元彼も、わたしのことが好きだったけれど、わたしと器量が釣り合わないと思ったから別れたのかも」と考えます。つまりA子は、「彼氏が自分を振った理由」を小説から推測したことになります。しかしA子の元彼がA子を振った理由は、本当は「A子の依存体質が嫌だったから」でした。A子はそのようなことは知らないので、自分の都合のいいように、小説を参考に元彼が自分を振った理由をでっちあげたのです。

このように小説は、真実かどうかはさておき、人にこれから起きる/すでに起きた事象の理由を説明する機能を持っています。人が小説を読む理由は、一つにはこの利点を享受するためです。言い換えると、人が小説を読む理由は、一つには何らかの事象について、自分に納得のいく説明を求めるからです。

ジョン・サザーランドの場合

 ジョン・サザーランドは、名作と呼ばれる小説には、ある特徴があると述べます。名作には、それが「名作」と呼ばれるゆえんとして、人が小説に求めるものが存在するはずです。つまり名作には、人が小説を読む理由となるものが、存在するといえます。

私たちは人生で役に立つことを小説から学ぶのだ。とりわけ、名作は、人生で何が一番大切かについてのヒントを与えてくれる。そうした小説を書く人は、ノーベル文学賞を受賞したりする。

ジョン・サザーランド『若い読者のための文学史 (Yale University Press Little Histor)』河合祥一郎訳、すばる舎、2020年、280頁。

 サザーランドによると名作と呼ばれる小説は、「人生で何が一番大切かについてのヒントを与えてくれ」ます。言い換えると、幸せになるための方法を示唆してくれる、といったところでしょうか。すなわち人が小説を読む理由は、一つには、小説が人生を生きる上での良い教師となってくれるからです。

おわりに

今回は人が小説を読む理由について考察しました。まず個人的な理由を紹介し、次に人類全体に共通する理由を考察しました。わたしが小説を読む理由は、自分の人生では経験したことがない、あるいは今後経験しないであろうことを経験したいからだと紹介しました。

エーコによると、人が小説を読む理由は、何らかの事象について、自分に納得のいく説明を求めるからです。またサザーランドによると、人が小説を読む理由は、小説が人生を生きる上での良い教師となってくれるからです。

以上、人が小説を読む理由についてでした。

◎Twitterで記事の更新をお知らせします。よろしければフォローお願いします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次