まことの名を知らなければ魔法を使えない

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はじめに

以前、文明と文化の違いで、civilization(文明)の語源をたどることで、文明とは何を意味するのか考察しました。このような考察をできることが、語源を知る醍醐味です。

さて最近、新しい単語の語源を知り、思うところがありました。すなわち、「名前」はその人の本質をよく表す、ということです。今回は、「名前に人や物の本質が宿る」ということについて考察します。

名前は人を表す

先日、プラトン著の『ラケス』を読みました(講談社学術文庫)。プラトンとはご存知の通り、古代ギリシアの哲学者です。『ラケス』の内容としては、「勇気とは何か」という問題を、アテネの将軍2人が対話形式で考察する内容となっています。

その本の解説に『「勇気があるということ」(to andreion)……』と書かれていました。to andreionは、『ラケス』の原文における「勇気があるということ」、つまりギリシア語です。

そこで初めて、「勇気」をギリシア語で言うと「アンドレイア(ギリシア語表記:ἀνδρεία、ローマ字表記:andreia)」なのだと知りました。気になったのは、アンドレアという女性の名前の語源は、もしかしてandreiaなのかな、ということです。

アンドレアの語源を調べてみると、キリスト教の聖人、聖アンドレにたどり着きました。ちなみに聖人に由来する名を子につけることは、西洋では一般的です。さらに調べてみると、聖アンドレの名前について、英語版のwikipediaにこう書かれてあります。

The name “Andrew” (Greek: manly, brave, from ἀνδρεία, Andreia, “manhood, valour”)…

日本語に訳すとこんな感じでしょうか。

アンドレ(ギリシア語訳:「勇気、武勇」という意味のἀνδρεία、ローマ字表記だとAndreiaに由来する、勇敢な、勇気)という名前は……

予想通り、「アンドレア」という名前はギリシア語の「勇気」が語源でした。語末を変えて女性名にも男性名にもなりますが、女性のアンドレアという名前、素敵じゃないですか。「勇気」という意味を知った以上、アンドレア、と聞いただけで強くかっこいい女性が思い浮かびます。

このことから、「名前は人を表す」ということが、あながち間違いではないと思いました。生まれた瞬間から死ぬときまで、ずっと同じ名前で呼ばれ続けられれば、名前に込められた意味が無意識に刷り込まれ、名前通りの人になってもおかしくありません。名前とは、その人の本質の、すべてとは言わなくとも、少なくとも一部を表しているのだと、思います。

まことの名を知れば相手を思いのままに動かせる

名前に人・物の本質が宿るという考えは、『ゲド戦記』の著者、アーシュラ・K. ル=グウィンが考えた魔法法則に似ています。彼女は5部作にわたる『ゲド戦記』において、「まことの名」が鍵である魔法を描きます。すなわち、魔法をかけたい対象の「まことの名」を知ってはじめて、魔法使いはそれに魔法をかけられるのです。

作中、ローク学園の名づけの長は、主人公のゲドにこう教えます。

魔法は、本当の魔法はな、アースシーのハード語か、ハード語のもとになった太古のことばを話す者だけがあやつることができるのじゃ。

太古のことばとは、今も龍の話しておる言葉でな、この世に陸地をつくったセゴイが語った言葉よ。古くから伝わるさまざまな歌謡も、呪文も、祈祷のことばも、すべてはこの太古のことばで成っておるんじゃ。

(中略)

魔法をかけるには、太古のことばで、その真(まこと)の名を言わねばならん。

ル=グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記 1 影との戦い』岩波書店、2006年、79頁。

自分の「まことの名」を誰かに知られるというのは、アースシーの人々にとっては大変な危険が伴います。なぜなら「人の本名を知るものは、その人間の生命を掌中にすることになるのだから」です。言い換えると、「まことの名」が流出すると、邪な魔法使いに魔法をかけられてしまう危険があります。だから、「たとえどんなに親しい者でも、第三者のいるところでは字(あざな)で呼ぶのが常」なのです。主人公ゲドも、普段は「ハイタカ」という字で呼ばれます。

井辻朱美先生は、乾石智子『夜の写本師』の解説で、ル=グウィンの魔法は古代の言霊学がベースになっているとおっしゃっています。それはそれで正しいのでしょうが、もしかしたら、ル=グウィンは日常のふとした瞬間に、この魔法法則を思いついたのかもしれません。「人の名前って、その人の性質をよく表しているなあ」なんて。

おわりに

今回は、「名前に人や物の本質が宿る」という考えをもとに、その例と、その考えに関連するル=グウィンの魔法法則を紹介しました。

思えば、「花」とか「走る」とか、すべての言葉は人間が「名付ける」ことによってはじめて「言葉」となった一種の「名前」です。このように考えると、すべての言葉にはその本質が宿っているということになります。うーん、ル=グウィンの魔法法則は本当によくできていますね。

以上、名前についてでした。

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