スプリット1日目【クロアチア一人旅③】

はじめに

前回はクロアチアの自然遺産、プリトゥヴィツェ湖群国立公園での滞在についてつづった。今回は、ローマ帝国皇帝・ディオクレティアヌス帝が隠居生活を送った宮殿都市、スプリットでの旅1日目についてつづる。(文字数が多くなってしまったので、記事を2日間で分けることにした)

旅の概要はこちら:海外一人旅ってどんな感じ?-クロアチア導入

スプリットの位置。

スプリットの成り立ち

スプリットは、ローマ帝国のディオクレティアヌス帝(在位:284-305年)が、退位後に暮らす宮殿を建てた地だ。健康を害して305年に退位した皇帝は、315年まで生き、その間にスプリットの宮殿に暮らしていた。当時の町の呼び名は「スパラト」で、宮殿の周囲も含めると、8,000人から10,000人の住民が暮らしていたという。

ローマ帝国の西側(西ローマ帝国)は、476年にゲルマン人によって滅ぼされた(※)。その後、ディオクレティアヌス帝の宮殿の跡地は、そこに住む人びとによって好きに利用されてきた。具体的には、城塞が立派だったことから、防衛上の観点から、人びとは城塞のなかに町をつくりはじめた。それが現在のスプリットであり、ローマ帝国時代の宮殿のおもかげを残しながら、家々が立ち並んでいる。そのような珍しい成り立ちの町なので、宮殿を含めた歴史的建造物は、まるごと世界遺産に登録されている。

※西ローマ帝国が滅亡した476年は、西洋の時代分類上の重要な節目であり、これ以降に「中世」期がはじまる。時代区分について詳細は絵画から知る西洋の中世と近世の違いを参照。

スプリットの立派な城壁。防衛観点上、これを利用しない手はない。アーチがザ・ローマ建築である。

ディオクレティアヌス帝について

「ディオクレティアヌス帝」は世界史の授業で絶対に習う、まあまあ有名なローマ皇帝だ。旅行前にスプリットの情報を調べていたとき、「え!? ”あの”ディオクレティアヌス帝が暮らしていた宮殿に入れるの?」とめちゃくちゃ心躍った。

ローマ帝国の歴史を簡単におさらいしよう。ローマ帝国は、その名の通りローマ(現イタリアの首都)を首都とした、ラテン人による巨大帝国である。彼らはそれ以前に文明が栄えた、ギリシア人による文化や信仰を踏襲しており、ほぼギリシア神話のパクリである、ローマ神話をつくった。ローマ神話は多神教であり、人びとは複数の神々を信仰していた。

ローマ帝国の最盛期は、5人の偉大な皇帝が政治をした「五賢帝時代」(96-180年)である。もちろん、世界史を習う高校生たちは、「五賢帝」という中二病的ひびきに惹かれて、五人の皇帝の名前を順番に覚える。試験に出やすいのはそのうち3人くらいなのだが。

なお、ギリシア人の真似をしていたラテン人なので、ローマ帝国は当初「帝国」ではなく「共和国」だった。皇帝がいる政治ではなく、共和制による政治をしていたのだ。しかしアウグストゥスという者が最初の皇帝になって以降、ローマは帝国になった。アウグストゥスの統治時代から、五賢帝末期までの約200年間は、パックス=ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる、ローマ国内が安定した黄金時代である。

最盛期のローマ帝国の版図
最盛期のローマ帝国の版図(117年)。五賢帝の一人、トラヤヌス帝の統治期。

さて、件のディオクレティアヌス帝は、平和な「五賢帝時代」の後の、「専制君主政(ドミナトゥス)」時代の皇帝である。この時代には、皇帝崇拝が強化され、オリエント風の独裁政治が行われた。

皇帝崇拝とは、皇帝を神として崇拝することだ。日本にも同様の文化があり、古来、日本人は天皇を神と同一視して崇拝してきた。日本に限らず、多神教文化においては、神が何柱いても問題ないため、国の統治者が神格化されやすいのだ。

しかしながら、ローマ帝国も末期になってくると、中東からじわじわと広がってきた「あの宗教」が台頭してくる。勘のいい方ならもうお分かりだろう。それはキリスト教だ。

ローマ帝国とキリスト教徒の戦いは長い。ローマ帝国の皇帝崇拝は、一神教であるキリスト教と相性が悪い。皇帝はキリスト教徒にも自身を敬ってほしいが、キリスト教徒にとっては、ローマ皇帝より唯一神のほうが格上である。そのため、歴代のローマ皇帝たちは、たびたびキリスト教徒を迫害してきた。そして、ローマ帝国史上で、最後の大迫害をしたのが、ディオクレティアヌス帝である。

どうして「最後」と言い切れるのか? それは、ディオクレティアヌス帝の次に皇帝になったコンスタンティヌス帝が、キリスト教を国として公認したからだ! これは313年の「ミラノ勅令」という出来事で、現代まで続く世界宗教のターニングポイントとなった。このあたりのキリスト教の迫害と受容の歴史については、西洋文化において、王に聖油をそそぐのはなぜかで詳しく説明しているため、参照してほしい。

※太字は世界史試験でも頻出だよ!

コンスタンティヌス帝なくして西洋のキリスト教化なし。しかも、コンスタンティヌス帝はキリスト教とイスラームの攻防史上で最も重要な都市の一つ、コンスタンティノープル(現トルコ:イスタンブール)の都市名の親である。

そういうわけで、コンスタンティヌス帝よりは影が薄いが、ディオクレティアヌス帝は、「専制君主政(ドミナトゥス)」を始めた皇帝として、またキリスト教徒を最後に迫害した皇帝として、有名である。

ディオクレティアヌス帝の胸像。16世紀、フィレンツェ。

予約した宿が見つからない

スプリットに着いた!アドリア海が広がっている。緑がかった水色で、とてもきれい。
アドリア海は、イタリア半島とバルカン半島にはさまれた海の呼び名。地中海の一部である。

16:00に高速バスにてスプリットに着いた私は、目の前に広がるアドリア海を見てテンション爆上げだった。これが、リゾート地として美しいことで有名な「アドリア海」である。実はディオクレティアヌス帝は、スプリット近郊のサロナの出身で、故郷の近くに宮殿をつくったのだ。故郷の海を眺めながら死にたいと思ったのかもしれない。

さて、まずはスプリットで2日間泊まる予定の、アパートメントにチェックインしなければならない。バス停があった海辺から離れて、高台のほうへキャリーケースをゴロゴロと引いていく。Google Mapを頼りに、アパートが立ち並ぶ、閑静な住宅街にやってきた。ん……? なにかおかしいと思ったら、Google Mapが差している目的地は、アパートに取り囲まれた中庭である。

Google Mapはたまにこういうことがあるが、経験上、目的地周辺を指していることには違いない。この近辺のアパートをしらみつぶしに確認して、アパート名が一致する建物を探すしかなさそうだ。さいわい、日が沈むまでにはまだ1時間ほど時間がある。明るいうちに今夜の宿を見つけ出そう(内心かなりドキドキ)。

さあ、落ち着くんだ、自分。この緑地の周辺には、アパートはせいぜい4棟だ。順番に見て行けば、かならずどれかがヒットする。ヒットしなければ、その辺に歩いている人を捕まえて尋ねるしかない。日が落ちれば人通りも少なくなるから、猫かわい~なんて思っている場合じゃないぞ。

猫ちゃん。威嚇されている。

アパート名は、もちろんクロアチア語なので、発音できないが、とにかく予約画面のアパート名の文字列と、建物名を見比べるしかない。まず、建物名がどこに書かれているか分からず、入口周辺をうろうろする。表札とかもあるし、紛らわしい。あ! これっぽいぞ。どれどれ……。同じ文字列だ! このアパートに違いない。よかった~。

キャリーケースを持ちあげて、つるつるした石の階段をのぼっていく。目的の部屋の前までたどり着き、インターフォンを押す。すると、白髪の可愛らしいおばあちゃんが出てきた。英語がほとんど喋れないらしく、にこにこしながら”Passport?”と尋ねられる。え!? 自分のパスポート出せってこと? 何に使うんだ……と一瞬警戒するが、これまでの海外旅でも、宿泊施設のチェックイン時に、身分証明書(つまりパスポート)の提示を求められることがあった。そりゃそうだよな。オーナーからすれば、名前や出身国が予約と一致するか確認したいよな。

いまだ警戒しながら、おそるおそるパスポートを差し出す。おばあちゃんの部屋は、入ってすぐに、扉が右側と左側にあった。おばあちゃんは私のパスポートを受け取ると、ちょっと待っていて、という雰囲気で左側の部屋に消えた。ドキドキ……パスポート奪われたらどうしよう……。しばらくするとおばあちゃんが戻ってきた。パスポートを返してくれる。よかった。(おばあちゃんがいなくなった後、一応中身が欠落していないかなど確認した)

部屋はこっちですよ、という雰囲気で、おばあちゃんが右側の扉を開けた。なるほど。おばあちゃんは左側の部屋で暮らしていて、右側の部屋を民泊として提供しているらしい。それぞれの扉に鍵がかけられるようになっているため、最初の扉には、鍵をかけなくても問題ないというわけだ。

おばあちゃんが、部屋の中を簡単に案内してくれる。ここはキッチン。トイレ。シャワールーム……え!? このシャワールーム、絶対もともとシャワールームじゃなかったよね? 部屋から少し高まった所に、シャワーが取り付けられた、タイル張りの小さな空間があるのだが、扉も何もなく、カーテンを閉めて使うようだ。油断したたら部屋のなかがびしょ濡れになってしまう。もともとは物置だったのかな。まあ、シャワーがないよりは、こんな謎空間でもあったほうがぜんぜんよいぞ。

部屋のベッド。どことなくアドリア海カラーが意識されているもよう。

キッチンと食卓。赤の差し色がかわいい。カーテンが紙のように薄いけど(冬は寒そう)。

地中海料理が食べたい

宿にチェックインできたことだし、宮殿がある旧市街に行ってみよう。クロアチアに来てから、まだ一度も外食をしていないため、きちんとしたレストランで食事がしたい。それに、今日はバスで移動していて昼ごはんを食べるタイミングがなかったため、腹ペコである。

ディオクレティアヌス帝の宮殿跡地は、正方形の城壁に囲まれており、金の門(北)、銀の門(東)、鉄の門(西)、青銅の門(南:海側)の4つの出入口がある。アパートから一番近かったのが銀の門だったため、そこから城壁内に入ってみる。

銀の門から入るよ。

門をくぐり、振り返ってみると、こんな景色。城壁内にも建物がたくさんある。

城壁内から見た銀の門。

「ぺリスティル」という名の広場。旧市街の中心地。

アーチを見上げると鐘楼がある。ディオクレティアヌス帝の霊廟としてつくられた聖堂の鐘楼で、町の外からも見える旧市街のシンボル。

聖堂の鐘楼は町の外からも見える。
聖堂の鐘楼は町の外からも見える。

旧市街には猫がたくさん。贅沢な住処だ。

広場から東の門の方向に撮った写真。

私は大学2年生のときに、Canonの一眼カメラを買った。初めて海外旅行をしたときに、海外の風景をきれいに残したいと思ったからだ。以降の海外旅行では必ず一眼カメラを持っていくことにしている。大学生のアルバイト代で買うには高い買い物だったが(カメラ本体とレンズが2つで7万円くらい)、美しい写真を撮るだけでそれが自分へのお土産になるし、何度も海外に行っているし、十二分に元を取ったと感じている。

ところが、スプリットの旧市街を訪れたとき、今までの一眼カメラでは不十分だったことに気づいた。私はその頃、通常距離のレンズと、望遠レンズの2種類を持っていた。スプリットにおいては、通常距離のレンズで最大限に引き、自分の身体を最大限に引いても、対象物が近すぎて画角に収まらなかった。そう、旧市街では道が狭くて対象物から十分な距離をとれないため、広角レンズという、近い距離でも広範囲を収められるレンズが必要だったのだ。

このことを学んだため、旅から帰ったあとに、広角レンズを手に入れた。しかしクロアチアにいる間は仕方ないので、部分部分でスマホで撮影した(スマホのカメラのほうが画角が広いため)。例えば、鐘楼の写真はスマホの写真だ。今どきのスマホは画質がよいから、晴れた日の普通の写真であれば、スマホでも十分にきれいだ。むしろ自動調整してきれいに仕上げてくれる。

*

さて、外食がしたかった私は、ガイドブックに載っていた、旧市街にあるレストランに行ってみることにした。「ウィエ・オイルバー」という、オーガニック・オイルの専門店が経営するレストランだ。オーガニックだろうと、そうでなかろうとどうでもいいのだが、せっかくアドリア海の沿岸にいるので、魚とかオリーブオイルとか、地中海料理が食べたかった。

レストランに向かう。雰囲気のある路地だ。
レストランに向かう。雰囲気のある路地だ。ここも昔は宮殿だったのか。

雰囲気のある階段。宮殿のおもかげがあるような。

目的のレストランに着いた。シュッとしたかっこいいお兄さんwith営業スマイルに出迎えられた。入店したのが17:40くらいだったため、店内にはまだ誰もいなかった。

ウィエ・オイルバーの店内。各テーブルには蝋燭が置かれていて素敵な雰囲気。

西洋は蝋燭で光源を確保してきた歴史があるため、レストランやカフェで本物の蝋燭が使われがちである。火事が心配だからといって蝋燭を使わないのは、蝋燭に対する侮辱だ(という意気込みで使っていると思う)。蝋燭については、西洋における光源としての火の利用を参照してほしい。

さて、お魚料理、お魚料理、と……。さすがに観光地なので、クロアチア語のメニュー表のほかに、英語のメニュー表もあった。それを見て、魚の料理を注文する。また、旅の楽しみといえば地酒なので、お兄さんに声をかけ、このあたりが原産のワインが飲みたい、と相談する。持ってきてくれたのは、赤ワインだった。

ワインとパン。キリスト教における「血」と「肉」である。

出た、西洋のレストランで食事を注文すると、付け合わせで出てくる謎のパン。謎のパンは日本人にとっての白米と同じ感覚で、料理をおかずにちょこちょこ食べる、素朴な味のパンだ。

白身魚のソテー。オリーブオイルをたっぷりかけたカリフラワーが付け合わせ。

お魚料理が出てきた。おいしそう!! カリフラワーは甘味があり、オリーブのほかにハーブの風味も効いている。謎のパンをオリーブオイルにつけて食べると、最高においしい。さすがオーガニックオイルの店だ……。お魚は淡泊だが、酸味もありおいしかった。何より「温かい料理」というだけで偉大だ。ずっと手作りの冷たいサンドウィッチ生活をしていたから、火を使って調理するという発想をした人間に感動した。火は人間にとって恵みなのだ(文明の象徴としての火を参照)。

夜の散歩

いい感じの路地。アーチから宮殿のおもかげを感じる。

満足してレストランを後にすると、あたりはもう暗くなっていた。建物がライトアップされており、幻想的である。せっかくなので、先ほど通ってきた広場に戻り、改めて写真を撮る。

銀の門。鐘楼も見えている。

石畳が光を反射している。

広場。夜になってもけっこう観光客がいる。

別の角度から広場。

鐘楼。

広場を南へ抜けると、皇帝の私邸の玄関だった前庭がある。円形になっており音がよく反響する。

前庭の天井はドーム型で、丸穴が開いている。ローマのパンテオンのようだ。

宮殿の地下。無料で通行可能なエリアには露店が並んでいる。

円形の前庭を抜けて宮殿の南側にいくと、地下に下りられるようになっていた。地上は今も人が暮らしているので見学できないが、地下はお金を払って見学できるらしい。今日はもう営業時間外なので、明日いってみよう。

海辺。

旧市街を南側へ抜けて、海辺を歩いてみる。夜の海辺といえばロマンチックなので、世界中どこへいってもカップルが出没する。その証拠に、所々に設えられたベンチにはどれも、カップルが座っている。町の明かりが海に反射して美しい。風が心地よく、おだやかである。

しばらく海辺でたたずんだ後、アパートメントへ戻った。ワインを飲んで酔いが回っていたので、身体が温かかった。謎空間のシャワーは問題なく使えた。よかった。

おわりに

今回はクロアチアのスプリットでの旅1日目についてつづった。次回はスプリットでの旅2日目についてつづる。

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