不老不死との恋愛物語に訪れる3つの結末

世の中に存在するファンタジー物語には、人間と不老不死の存在が恋に落ちる展開が少なからずあります。具体的な作品名を挙げようとすると、筆者一人で10作品以上挙げられると思います。

自分がこれまで触れてきた、不老不死との恋愛物語を振り返ってみたところ、恋の結末は主に3つ用意されていると気づきました。そこで今回は、3つの結末パターンを、具体例をまじえながら紹介します。

目次

不老不死は超自然的存在に宿る

《ヒュラスとニンフたち》ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、1896年、マンチェスター市立美術館。ニンフはギリシア神話において、 山や川、森や谷に宿る下級女神を指す。

不老不死についての個人的見解は、過去記事「物語における不老不死をめぐる考察」にて詳しく記載しました。本章では、そこで記載した内容をかいつまんで紹介します。

恋愛物語でカップルの片方が「不老不死」と聞くと、永遠に老いずに美しい、という面に目がいってしまいがちです。しかし(科学的思考のない)前近代の人が不老不死を希求してきた最も大きな理由は、「若さを保つため」ではなく、やがて自分に訪れる死が恐ろしかったからでした。

なぜなら死後の世界は、生者である限り永遠に未知なものだからです。「死後に自分はどうなるのか?」という疑問は、生まれたときから誰しもが抱いていますが、それを知ることができる(かもしれない)ただ一つの瞬間は、自分が死ぬときだけなのです。自分より先に死んだ人が、現世に帰ってきて教えてくれる、などということはありません。

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、帰ってきて謎をあかしてくれる人はいない

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮作訳、岩波文庫、1979年

つまり前近代の人にとって、「死」あるいは、死に近づくという意味で「老い」は、生活のなかで最も恐しいことの1つでした。それは、約4000年前に成立した『ギルガメシュ叙事詩』において、ウルクの王ギルガメシュが、死を恐れて不老不死を追い求めることからも分かります。

ところが、不老不死の状態とは、心身ともに変化しない点で「死んでいるのと変わらない状態」、もっと言えば「生きている」や「死んでいる」などという時間の概念から超越した状態といえます。つまり、それは人間界にはおよそ縁のないもので、「異界」に属する者の特権なのです。ここでいう異界とは、神性をおびた者のみが暮らす上位世界のことです。つまり、不老不死は神々を代表とする超自然的な存在の特権だと考えられてきました。

前近代の人びとは、不老不死になれない代わりに、死後の世界を想像することで、ひとまず不安をやわらげました。例えば、仏教では死んだものは新たに生を受けて生まれ変わると考えられ(輪廻転生)、キリスト教では死後に人びとが暮らす世界があると考えられています(天国/地獄(/煉獄))。「死の不安をやわらげること」は、間違いなく神話や宗教の大きな機能の1つといえるでしょう(※)。

※神話と宗教の機能については、神話や宗教がもつ4つの機能も参照。

まとめると、不老不死の性質は超自然的な存在に宿ります。それは彼らが、人間より上位の存在で、時間の流れを超越した、上位世界に暮らしているからです。

片方が不老不死のカップルの不幸

海辺にたたずむ老夫婦

物語における不老不死をめぐる考察では、人間界にいながら不老不死の性質をもつ者は不幸である、と結論づけました。なぜなら、自分以外の誰もが成長し、年老い、死ぬ運命のなかで、変化しない自分の異質性を痛感し、永遠の孤独にさいなまれるからです。その面においては、人間界で不老不死として生きることは、祝福というより呪いと言ったほうが適切かもしれません(※)。

※神性とは真逆の悪の性質をもつ者、たとえば吸血鬼などが不老不死なのは、神による罰なのかもしれない。などと現時点で考えている。あるいは、もともと神性をもっているのだが、のちに悪と見なされるようになった存在というケースも多い(堕天使など)。

片方が不老不死、片方が人間のカップルの不幸は、「最愛の人が自分と異なる時間軸を生きている」と日々感じることだと思います。不老不死の恋愛物語でよく注目されるのは、「人間のパートナーが死んだあとに、不老不死は孤独になる」という点です。しかし私は「死んだあと」ではなく、互いが「毎日」相手を異質の存在だと感じ、孤独になると思っています。

不老不死という性質ではなく、もう少し身近な性質で想像してみましょう。新婚夫婦が一緒に暮らしはじめて、喧嘩の種になりやすいことの1つに、清潔観念の違いが挙げられます。例えば、夫は服を居間に脱ぎ散らかしたままで気にならないが、妻は服が散らかっていることが許せない、ということがあります。あるいは、夫は皿洗いをする際に、水切り籠にある乾いた皿をすべて食器棚に片づけたいが、妻は気にせず乾いた皿の上に濡れた皿を重ねてしまう、ということがあります。

育った環境の異なる2人が、一緒に暮らすとなると、こうした些細な違いが無限に出てきて、それに折り合いをつけながら暮らさなければなりません。些細な違いですら毎日気になるのに、「相手と自分の生きる時間軸が異なる」という絶大な違いを、毎日気にせずに過ごすことができるのでしょうか。例えば、老年夫婦のよくある話題は「今日は夜中に一度もトイレに起きずに熟睡できた」「おれは2回も起きちゃったよー」などだと思いますが、そういった話題が一切できないと想像すると、他に何を話すのでしょうか。

よって私は、片方が不老不死、片方が人間のカップルの場合、どちらかが死ぬ前後だけでなく、互いが「毎日」相手を異質の存在だと感じると思います。つまり、そのカップルの不幸は、「最愛の人が自分と異なる時間軸を生きている」と日々感じることなのです。

なお、人間と不老不死の存在の恋愛物語の歴史はたいへん古く、「人間と神」というカップルで、さまざまな神話で語られています。本記事でも例としてギリシア・ローマ神話を取り上げます。

3種類の結末

片方が不老不死、片方が人間の恋愛物語の結末は、主に3つあると考えています。

最もありがちなのは、前章で記載した不幸をなくすために、どちらかがどちらかの寿命に合わせて変化する、という結末です。具体的には、①人間が超自然的存在に変化する、②超自然的存在が人間に変化する、です。これらで2つと数えます。

最後の1つが、③人間は人間のまま、超自然的存在は超自然的存在のままで、それぞれの時間軸を生きる、です。このパターンは、恋愛に重きを置いて結婚が結末になる物語の場合は、あまり採用されません。ハッピーエンドというよりはビターエンドだからです。

以下に具体例をまじえながら順番に紹介します。

1. 人間が超自然的存在に変化

エドワード・バーン=ジョーンズ《プシュケーの結婚》1895年、ベルギー王立美術館

まずは、人間が超自然的存在に変化し、お互い不老不死になってハッピーエンドを迎える恋愛物語を紹介します。ギリシア・ローマ神話のプシュケーとクピードー(英:キューピッド)の物語です。

プシュケー(Ψυχή)は古代ギリシア語で「心」「魂」という意味で、古代ギリシア哲学によく出てくる用語として、聞いたことのある方も多いでしょう。しかし、この単語はギリシア・ローマ神話で登場する、人間の娘の名前でもあります。

プシュケーはとある王国の三王女のなかの、末娘で、その美貌は美の女神ウェヌス(英:ヴィーナス)が嫉妬するほどでした。そこでウェヌスは、自身の息子のクピードーに、愛の弓矢を撃ってプシュケーを卑しい男と結婚させるように命じます。

ところが、クピードーの放った矢は誤って自分を傷つけ、クピードー自身がプシュケーの虜になってしまいました。そこでクピードーは神託を通じてプシュケーを誘導し、人間である彼女と結婚することにしました。「恐ろしい男と結婚することになる」と神託で聞いていたプシュケーは、沈鬱な気持ちで嫁ぎますが(上図の葬式のような花嫁行列)、やがてそれが誤解だと分かり、クピードーを愛するようになります。

《プシュケーと玉座の上のウェヌス》エドワード・マシュー・ヘイル、1883年、ラッセル=コーツ美術館。

ところが、それを聞いた美の女神ウェヌスは黙っていませんでした。人間ごときが(しかも妬ましい娘が)、息子の妻になるなど許せないと思い、プシュケーを折檻します。具体的には、クピードーが火傷の治療(プシュケーが蝋燭の蝋を落とした際にできたもの)に専念している間に、プシュケーを捕らえ、さまざまな仕事を押しつけてこき使います。

火傷が治ったクピードーは、ローマ神話の最高神ユピテルの元へ行き、プシュケーの件での仲裁を頼みました。ユピテルはクピードーからいい女を紹介してもらうという条件で、その頼みを聞き入れました。そして、神酒ネクタールをプシュケーに飲ませ、彼女を神々の一員にしました。

プシュケーが神に昇格したことで、ウェヌスは彼女がクピードーの妻になることを許したのでした。女神となったプシュケーのシンボルは蝶の羽で、イタリアンレストラン「サイゼリ○」の店内にある以下の絵画は、クピードーとプシュケーを幼い子供の姿で描いたものです。

《アムールとプシュケー、子供たち》 ウィリアム・アドルフ・ブグロー、1890年、私蔵。

まとめると、人間の娘プシュケーは神酒ネクタール(※)を飲むことで神になり、不老不死の性質を手に入れて、神であるクピードーと結ばれました。これは、人間が超自然的存在に変化し、お互い不老不死になってハッピーエンドを迎える恋愛物語例です。

※人間が不老不死の性質を得る場合、「妙薬」「神酒」などの何かしらの液体を飲むパターンが多い。

2. 超自然的存在が人間に変化

《ティターニアとオベロンの和解》Joseph Noel Paton, Scottish National Gallery, 1847年。オベロン等のエルフが不老不死であるのは、彼らがもともと神の末席に位置し、神性を持っていたからだ。

次に、超自然的存在が人間に変化して、お互い限りある命になってハッピーエンドを迎える恋愛物語を紹介します。J.R.R.トールキン『指輪物語』より、人間の王アラゴルンと、エルフの王女アルウェンの物語です。

現代のファンタジー漫画や物語で登場する、細身で美しく尖った耳をもつエルフ像は、『指輪物語』のエルフ像が踏襲されています。しかしエルフはトールキンの創作物ではなく、もともとは北欧神話に登場する神族の一種(超自然的な存在)を指します。つまりエルフが不老不死なのは、彼らがもともと神の末席に位置し、神性を持っていたからです。

エルフの王女アルウェンには、恋仲である人間・アラゴルンと一緒になれば、(自分は不老不死なので)近い将来孤独になってしまう、という苦悩があります。また、エルフの仲間は、近いうちにみな海をわたり西の方角へ旅立つ予定なので(※)、アラゴルンと共にいる道を選べば、二度とエルフの仲間には会えなくなってしまいます。

※伝統的に、西の方角には妖精(≒エルフ)の国があると信じられている。西の方角にある妖精の国を参照。

エルフの王女アルウェン。Anna Kuliszさんのファンアート (rysowania.deviantart.com)。Wikipedia Commonsに登録されています。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arwen_by_Anna_Kulisz.jpg

悩んだすえに、アルウェンは自身の「永遠の命」を捨て、アラゴルンと共に生きることにしました。そしてアラゴルンと結ばれゴンドールの王妃になります。これは、超自然的存在が人間に変化して、お互い限りある命になってハッピーエンドを迎える恋愛物語例です。

※エルフの仲間からすると、アルウェンが人間になることに対し大きな悲しみがあったもよう。その面ではハッピーエンドではないかもしれない。

3. それぞれの時間軸を生きる

《人魚》ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、1900年、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ。

最後に、人間は人間のまま、超自然的存在は超自然的存在のままで、それぞれの時間軸を生きる物語例を紹介します。このパターンは珍しいので、あまりよい例が見つからず、「恋愛物語」ではないかもしれませんが、日本における伝説上の人物の「八百比丘尼やおびくに」を紹介します。

八百比丘尼とは、人魚の肉などの特別な食べ物を食べたために、不老長寿の性質を持つことになった女性のことです。八百比丘尼の伝承は、北海道と九州南部以南を除くほぼ全国に分布しています。八百比丘尼の伝承の概要は以下の通りです。

ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。その日は庚申講などの講の夜が多く、場所は竜宮や島などの異界であることが多い。そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は気味悪がって食べず、土産として持ち帰るなどする。

その人魚の肉を、男の娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。その後娘は村で暮らすが、夫に何度も死に別れたり、知り合いもみな死んでしまったので、出家して比丘尼となって村を出て全国を巡り、各地に木(杉・椿・松など)を植えたりする。

やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。その場所は小浜の空印寺と伝えることが多く、齢は八百歳であったといわれる。

小野地健「八百比丘尼伝承の死生観『人文研究』第155号」『人文研究』第155号(2005年)、51-52頁。
デジタルデータ:http://human.kanagawa-u.ac.jp/gakkai/publ/pdf/no155/15512.pdf

意図せず不老長寿となった娘は、しばらくの間は村で暮らしましたが、夫や知り合いに先立たれ、孤独になったので尼さんになって全国を巡りました。800年ほど生きたと伝わることから、「八百」という名前がついています。娘は人魚の肉を食べたときから、老いる人間の身体ではなくなったため、その点で超自然的な存在と解釈できます。

愛知県春日井市白山町にある円福寺には、「八百比丘尼堂」があり、その地は八百比丘尼生誕の地であるといわれています。春日井市教育委員会が制作した伝承の紙芝居?の絵がなんともよいので、気になる方はこちらから閲覧ください→ https://archive.is/WCQ2c

人間は人間のまま、超自然的存在は超自然的存在のままで、それぞれの時間軸を生きる結末の恋愛物語は、ビターエンドなのであまり存在しません(読者ウケもあまりよくない)。しかし存在することには存在し、それを書いた勇気ある作者さんを讃えたい! ということで、私が知っているそのパターンの恋愛物語を紹介します。音久無の少女漫画『花と悪魔』です。

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全10巻で完結する、14歳の人間と、199歳の悪魔の恋愛物語です。最終巻で、作者さんが「読者に嫌われるかもしれないが、最後まで書かなければいけないと思った」という内容を記載していたことが、とても印象に残っています。同作者さんの作品では『黒伯爵は星を愛でる』のほうが人気そうですが、(そちらも全話読みましたが)私は『花と悪魔』がより好きです。

おわりに

今回は、片方が不老不死、片方が人間の恋愛物語の結末パターンを、具体例をまじえながら3つ紹介しました。

前提として、物語において不老不死の性質は、超自然的な存在に宿ります。それは彼らが、人間より上位の存在で、時間の流れを超越した、上位世界に暮らしているからです。

片方が不老不死、片方が人間のカップルの不幸として、よく挙げられるのが「人間のパートナーが死んだあとに、不老不死が孤独になる」という点です。しかし個人的には、互いに「最愛の人が自分と異なる時間軸を生きている」と「毎日」感じることだと思います。

片方が不老不死、片方が人間の恋愛物語の結末は、主に3つあると考えています。それは以下の通りです。

  1. 人間が超自然的存在に変化する
  2. 超自然的存在が人間に変化する
  3. 人間は人間のまま、超自然的存在は超自然的存在のままで、それぞれの時間軸を生きる

具体例として、それぞれ以下3つを紹介しました。

  1. ギリシア・ローマ神話のプシュケーとクピードー
  2. トールキン『指輪物語』のアラゴルンとアルウェン
  3. 日本の伝承、八百比丘尼

以上、不老不死との恋愛物語に訪れる3つの結末でした。

おまけ:今回の記事テーマを思いついたきっかけ

今回の記事テーマを思いついたのは、アニメ『狼と香辛料』を観ていたときです。行商人のロレンスと、豊作の神の化身・ホロ(不老不死に近い超自然的な存在)の関係が、恋愛に発展しそうな兆しが見えたところで、「ほほう、不老不死と人間の恋…」と思いました。そこで、これまで自分が触れてきた、同様テーマをもつ物語の結末パターンを整理したところ、主に3つに分類できたというわけです。

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支倉凍砂『狼と香辛料』は、男性が人間、女性が不老不死の、ファンタジー旅物語です。私は男女逆パターンとして三川みり『シュガーアップル・フェアリーテイル』を思い浮かべ、両者の設定が似ていると思いました。こちらは男性が不老不死の妖精、女性が人間のファンタジー旅物語です。

『シュガーアップル・フェアリーテイル』は、銀砂糖師になることを目指して腕を磨いている少女・アンが主人公です。王家主催の砂糖菓子品評会に参加して、自分の作品を見てもらうために、アンはルイストンという町に行かなければなりません。ところが、品評会まで時間がなく、近道である危険なルートを通らざるをえなくなりました。そこで背に腹は代えられないと思い、妖精市場にて、戦士妖精であるシャルを買い、護衛になってもらいます(作中世界観では、妖精が人間に使役されている設定)。

そこからアンとシャルの旅がはじまり、恋愛に発展していく…という物語です。主軸はアンの職人としての成長物語で、お仕事小説にも分類できます。2023年にはアニメが2クール放送されました。全話観ましたがアニメとしても完成度が高く、とてもよかったです!

いろんな作品を挙げましたが、みんな違ってみんないいですね。それではまた。

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