はじめに
西洋の騎士道物語において、主人公は森を冒険すれば必ず、湖(泉)で恋人となる女性に出会います。そこで出会う女性は、決まって美しく、キリスト教から見て「異教」的な存在です。言い換えると、水辺で出会う美女は、妖精などの超自然的な存在でした。
水=女性という文化は、ケルト人とゲルマン人の文化にルーツがあります。両民族とも、自然を崇拝する多神教でした。詳細は、イギリスにおける魔法の歴史を参照してください。
今回は、西洋の騎士道物語に登場する「水辺の美女」を紹介します。本記事では、主人公が水辺で出会う美女のことを、便宜上「水辺の美女」と呼びます。
まずケルト神話とゲルマン神話の女神を紹介し、「水辺の美女」のルーツを明らかにします。次に、中世の騎士道物語における「水辺の美女」を3人紹介します。最後に、「異教」的な存在を登場させる騎士道物語が、キリスト教の観点で問題なかったかどうかを説明します。
「水辺の美女」のルーツ
冒頭で説明したように、騎士道物語における「水辺の美女」はキリスト教にとっての異教的存在です。言い換えると、「水辺の美女」はケルト神話とゲルマン神話の産物です。「水辺の美女」のルーツとして、ケルト神話のモリガン、ゲルマン神話のノルンを紹介します。
ケルト神話-モリガン
ケルト神話にはモリガンという女神がいます。モリガンは戦の勝敗を決める戦いの女神で、よくカラスに変身して戦場に現れます。
アイルランド神話で最高神であるとされるダグザは、巨人族との戦いの前に、モリガンがウニウス川で水浴している所に出会いました。モリガンはダグザと交わり、彼に戦の勝利を約束します。そして、ダグザを夫にしたと伝えられます。
男が水辺で美女に出会い、恋人関係になる、というモチーフは騎士道物語で典型的なモチーフです。そのため、ケルト神話は後世における騎士道物語の基礎をつくったと考えられます。また、「水辺の美女」は、しばしば結ばれた者に繁栄をもたらします。モリガンの例から、その法則がすでにケルト神話で存在するということが分かります。
ゲルマン神話-ノルン
ゲルマン神話にはノルンという女神がいます。ノルンは運命をつかさどる女神で、通常は三人の女神を指します。過去をつかさどるウルズ、現在をつかさどるヴェルザンディ、未来をつかさどるスクルドの三女神です。彼女たちは世界樹ユグラドシルのほとりにある泉で暮らし、ユグラドシルに泉の水をあげる仕事をしています。
ケルト神話と同様に、ゲルマン神話でも水辺が女神と関連付けられています。そのため、ゲルマン神話も西洋の人びとが水=美女と連想する思考に影響したと考えられます。
騎士道物語
西洋中世期の花形だった文学に、騎士道物語というジャンルがあります。騎士道物語とは、騎士の武勲や恋について吟遊詩人がうたった物語です。有名な騎士道物語に『アーサー王物語』や『ローランの歌』があります。
騎士道物語では、騎士が森の中の湖(泉)で超自然的な力をもつ美女(=妖精)に出会うというモチーフが典型になっています。
恋人となる妖精と騎士との出会いは、偶然を装いつつもいつも妖精らがあらかじめ画策して実現する。森の中を通る騎士らの目につくところに、彼女らは艶な姿で突然現れて誘惑したり、あるいは牡鹿を案内人として騎士に送り届け、泉で水浴している自分のところに連れて来させるのである。そして来た騎士を保護し虜にするのである。
池上俊一『森と川―歴史を潤す自然の恵み』刀水書房、2010年、110頁。
今回は、騎士道物語から3人の「水辺の美女」を紹介します。
アーサー王物語-モルガン・ル・フェ
『アーサー王物語』はおそらく世界で最も有名な騎士道物語であり、耳にしたことのある方も多いと思います。アーサーの生涯をうたった『アーサー王物語』には、モルガン・ル・フェという魔女(または妖精)が登場します。モルガン・ル・フェは先述したケルト神話のモリガンと同一と考えられています。
『アーサー王物語』はもともと口頭で伝えられた物語ですが、伝承を文字に起こした文献がいくつか存在します。モルガン・ル・フェは文献によってアーサーを助ける良い魔女として登場したり、悪い魔女として登場したりします。
『アーサー王物語』の文献として最も有名なのは、トマス・マロリーが書いた『アーサー王の死』です。『アーサー王の死』に登場するモルガン・ル・フェは邪悪な魔女として描かれます。そのため、彼女は恋人に繁栄をもたらす「水辺の美女」というよりは、むしろ男を誘惑し破滅に追いやる「ファム・ファタル」として認知されることが多いです。
ファム・ファタルについては、男を惑わす「美女」セイレーンを参照してください。ちなみに、セイレーンはギリシア神話に登場する怪物なので、元来ケルトやゲルマンの文化は関係ありません。しかし、後世になり容姿の美しさが加えられた理由として、ケルト文化・ゲルマン文化の影響で、水=美女というイメージが西洋人に根付いたことが考えられます。
アーサー王物語-湖の乙女
湖の乙女(The Lady of the Lake)は、モルガン・ル・フェと同じく、『アーサー王物語』に登場する魔女(妖精)です。トマス・マロリーが書いた『アーサー王の死』では、湖の乙女は、物語中で最強と言われる騎士、ランスロット卿の養育者という設定です。
じつは、妖精が人間の男の子を拾い、立派な騎士に育てるというモチーフも、騎士道物語に典型的なモチーフです。つまり、「水辺の美女」に出会った人間の男は、その恋人になるか、その保護下に置かれるという2パターンのどちらかを辿ります。
メリュジーヌ物語-メリュジーヌ
『メリュジーヌ物語』は、恋人に繁栄をもたらす「水辺の美女」が登場する騎士道物語として知られています。中世史学者のジャック・ル・ゴフによると、『メリュジーヌ物語』の文献は5つあります[1]。
そのうち後世に書かれた2つ、1400年ごろに書かれた文献に基づいて、物語の概要を『メリュジーヌ物語』概要に記載しました。1分ほどで読めるので、ぜひ読んでみてください。ある場面に『鶴の恩返し』と同じ法則(見るなのタブー)があって面白いです。
メリュジーヌは騎士であるレイモンダンが泉のほとりで出会った美女です。メリュジーヌは、夫となったレイモンダンにその超自然的な力で繁栄をもたらしました。繁栄とは、領土と子孫の2つの繁栄を指します。貴族として家系の権威を高めるには、どちらも重要な要素でした。
騎士道物語はキリスト教的に問題なかった?
西洋における森の歴史で説明したように、森はかつて神々や妖精が住まう「異界」であり、キリスト教にとっての「悪魔(=異教的な存在)」が住む世界でした。
中世期はキリスト教の権力が最大だった時代ですが、その一方で、騎士道物語などの文学には、妖精などの「異教」的な存在が登場します。しかも中世期は、ラテン語とはで説明したように、文字を書ける人=聖職者の時代なので、キリスト教徒がその文学を編集しています。キリスト教徒にとって、このような文学の存在は問題なかったのでしょうか。
じつは、キリスト教は神によって引き起こされる「奇跡」とは別の、不思議な存在や出来事を「驚異」と呼び、それらを許容していました。
しかし(驚異は)自然に属し、その限りで自然的原因があり、合理的に説明できるはずのものだった。
ティルベリのゲルウァシウス『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』池上俊一訳、講談社学術文庫、2008年、279頁。
「驚異」の概念は社会状況によって存在した時期も消失した時期もありました。が、ざっくり言うと、中世期にはキリスト教の「奇跡」とも異教の「魔法」とも呼べない、「驚異」という曖昧な領域が存在したのです。
中世期の「驚異」を集めた話として、ティルベリのゲルウァシウスによる奇譚集が、講談社から『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』として出版されています。暇を持て余した皇帝のために、世界の不思議な話をゲルウァシウスが収録したもので、129篇が収録されています。夜に少しずつ読むと楽しいので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
おわりに
今回は、騎士道物語に登場する「水辺の美女」を紹介しました。まずケルト神話とゲルマン神話における女神を紹介し、「水辺の美女」のルーツが彼女たちにあることを説明しました。次に、中世の騎士道物語における「水辺の美女」を3人紹介しました。最後に、「異教」的存在を登場させる騎士道物語が、キリスト教的に問題なかったことを説明しました。なぜならキリスト教には、神による「奇跡」でもなく、異教的存在による「魔法」でもない、「驚異」という概念が存在したからです。
以上、騎士は湖で美女に出会うでした。
参考文献
[1]ジャック・ル・ゴフ「母と開拓者としてのメリュジーヌ」、『もうひとつの中世のために ―西洋における時間、労働、そして文化―』加納修訳、第16章、白水社、2006年。