はじめに
最近おかしなことに気づきました。本屋へ行くと、さまざまな小説があります。そのなかの、外国語から翻訳された小説に注目してみましょう。翻訳本の場合、日本語に訳された題名の横に、ときに原題も添えてあるのではないでしょうか。
例えば角川文庫から出版されている、フランツ・カフカの『変身』には、”Die Verwandlung”というドイツ語の原題が添えられています(Dieは女性名詞につく冠詞)。
あるいは、ハヤカワepi文庫から出版されている、ノーベル文学賞作家オルハン・パムクの『わたしの名は赤』には、”Benim Adım Kırmızı”というトルコ語の原題が添えられています。
このように、翻訳本に原題が表記されていることは全くおかしくありません。意味のある表記です。なぜなら原題を知っていることで、例えばインターネット上で(外国語検索で)その作品についてさらに深く調べたり、外国人とその本について語り合ったりすることができるからです。
奇妙なのは、日本人が書いた小説であるにもかかわらず、題名の横に英語題名が添えられている場合です。うそでしょ?と思わず、見てみてください。特にファンタジージャンルの小説に、その傾向が顕著です。
例えば最近新潮文庫から出版された、沢村凛『王都の落伍者』には、”Failure of the Kingdom”という日本語題名を英語訳した題名が添えられています。
あるいは最近東京創元から出版された、庵野ゆき『水使いの森』には、”The Tattoos of Araneas”という題名が添えられています。Araneasは英語というよりはラテン語(※)であり、「蜘蛛」という意味です。英語っぽく書いているがラテン語も混ざっている、奇妙な題名です。英語にするなら”The Tattoos of Spiders”で、「蜘蛛の入れ墨」という意味になります。
※ラテン語についてはラテン語とはを参照。
この現象は何でしょうか。日本人小説家が書いた日本人に向けた小説なのだから、本来なら日本語の題名だけで十分なはずです。なぜわざわざ外国語、しかも数ある言語のうち英語が選ばれて英語の題名を添えるのでしょうか。(上記に挙げた2つのファンタジー小説は、あくまで英語題名が添えられた小説の例として挙げたのであり、物語内容を批判しているわけではありません)
今回は、日本人作家によるファンタジー小説に、英語題名が添えられる理由を考えます。理由として2つを挙げます。
英文学への憧れ
第一の理由として挙げられるのが、英文学への憧れです。
そもそも庶民にとって小説という娯楽は、イギリスにおいて17世紀ごろに誕生しました。もちろん17世紀以前にも、小説と呼べそうな本は存在します(例えばチョーサーの『カンタベリー物語』)。しかしこれらの本に手が届くのは貴族であって、民衆レベルに小説が読まれるようになるには、この時代まで待たなければなりませんでした。というのも、印刷業者が民衆向けに本を印刷するまでは、本は手書きの写本しか存在せず、写本は庶民に手が届くような対価と取引されることはなかったからです。
つまりイギリスは、小説という娯楽を生んだ国なのです。小説が生まれる土壌があり、かつその歴史が長いということなので、イギリスが輩出している有名な小説家を挙げはじめると、枚挙にいとまがありません。そのため「英文学」は現在でも他国文学と比較して高い権威をもっています。だいたいの総合大学に「英文学」を専門とする専攻があることも、そういう背景があります。
よって日本人小説の題名に英語題名が添えられるのは、一つには英文学への憧れがあるからだと考えられます。
本格的であることの示唆
英語表記の題名を付与する第二の理由として挙げられるのが、本格的ファンタジーであることを示唆したい狙いです。
ファンタジー小説の生みの親と呼ばれている人は2人います。『指輪物語』の作者であるJ.R.R.トールキンと、『ナルニア国物語』の作者であるC.S.ルイスです。(2人について詳細はおとぎ話とファンタジーの違いを参照)
トールキンとルイスはイギリス人なので、権威ある2人の作品の原文は英語です。そして『指輪物語』『ナルニア国物語』と並んで忘れてはならない作品は、アーシュラ・K・ル=グヴィンの『ゲド戦記』でしょう。彼女はアメリカ人なので、『ゲド戦記』の原文も英語です。
そして、これらの作品を日本語訳して出版すると、原作の英語表記が表紙に書かれます。そうなると、表紙に英語表記があるファンタジー=本格的ファンタジーという連想が、読者に定着してもおかしくありません。(「本格的ファンタジー」とは何か、という問題は個人によってとらえ方が異なるため非常に難しいですが、少なくとも上記3作品はそう呼んで差し支えないと考えています)
つまり、英語題名を日本語題名と並べて表記するファンタジー小説は、それによってその作品が、『指輪物語』『ナルニア国物語』『ゲド戦記』のような、本格的なファンタジー物語であることを顧客に示したいのです。よって日本人小説の題名に英語題名が添えられるのは、一つには本格的ファンタジーであることを示唆したいからだと考えられます。
私がここで思い浮かべたのは、中国国内の店先に並ぶと言われる、あやしい日本語の商品です。中国では日本製の化粧品や食品が非常に信頼されているので、顧客の信頼感を得るために、それらしい日本語がラベルに書かれた商品が存在するそうです。日本のファンタジー小説に英語題名を表記することも、それに少し似ています。
なんとなくかっこいい(おまけ)
一番そうであってほしくない理由なのでおまけ程度で書きます。なんとなくかっこいいから……なのか⁉ その場合、アルファベットを羅列していれば、とりあえず西洋ファンタジーっぽいから、ということなのでしょうか。仮にそうだとして、なぜ英語なのか? という問題がでてきます。
なぜなら、物語世界は架空の世界なので、英語という言語を使用しないはずです。トールキンのように、架空の世界における独自の言語を作成して、それを表記するというなら分かりますが、作品世界とは関係ない言語を書くのは、違う気がします。
なぜフランス語ではないのか? なぜラテン語ではないのか? まさか、一般的に最も読み書きが普及している外国語だから、という理由だとしたら……正直、滑稽です。
個人的な見解
今回の件について、個人的にはどう思うか?
たしかに、外国語が表紙に書かれていると、ファンタジー小説として見栄えする面はあると思います。それはやはり、ファンタジー=英語作品、という連想が自身の根底にあるからです。逆にそう思ってしまうということは、日本人による「本格的な」ファンタジーがまだまだ主流ではないという証拠でもあります。
ただ、日本人の作品であるにもかかわらず、英語表記の題名を記載することは、はっきり言って馬鹿らしいと思います。日本人の作品であることの誇りを捨てているような気がするからです。外国作品の真似をしている限り、日本人らしい「本格的な」ファンタジーは生まれないと、個人的には思います。結論としては、英語の題名表記はいらないのではないでしょうか。
おわりに
今回は、日本人作家によるファンタジー小説に、英語題名が添えられる理由を考察しました。理由としては以下2つを挙げました。
- 英文学への憧れ
- 本格的であることの示唆
そして個人的には、英語題名の表記には反対することを記しました。
以上です。お読みいただきありがとうございました。