はじめに
2023/12/16(土)に7回目の読書会を開催しました。今回は課題本型で、課題本はチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』でした。当日は著者や本のあらすじをおさらいした後、物語内容について考察しました。その記録を本記事に記載します。
- 読書会はTwitter上で参加者を募り、オンラインで開催しています。
- 今回参加いただいた方は3名でした。
チャールズ・ディケンズについて
ディケンズは1812年、イギリスのポーツマスで生まれました。両親は中産階級でしたが、どちらも金銭感覚が乏しく、1822年に破産しました。そのためディケンズは12歳で独居し、靴墨工場で働くことになります。
工場での仕打ちはひどく、ディケンズの心に深い傷を残します。借金未払いのため収監されていた父が釈放されると、ディケンズはウェリントン・ハウス・アカデミーへ2年通いました。しかし学校生活はあまり楽しいものではありませんでした。通算しても、ディケンズが学校に通ったのはごく短い年数となります。
一般的にこの時代の小説家は親が裕福で、高度な教育を受けた、名のある大学出身の者が多い印象です(現代でも芸術家はその傾向があるかもしれません)。そのなかでディケンズは特異な経歴を持っており、だからこそ庶民に寄りそう作風で民衆の人気を獲得したといえます。小説を書くには人間の感情や心理についてよく観察する必要がありますが、ディケンズが人間について学んだのは学校を通じてではなく、仕事を通じてだったと思われます。
ディケンズは15歳のころから、法律事務所の事務員として働きはじめました。ゆくゆくジャーナリストになることを決意すると、そのために必須だった、速記術を身につけました。その後、法律事務所を辞め、法廷の速記者として働きはじめました。
22歳のころ、『モーニング・クロニクル』紙の報道記者となり、ジャーナリストとしての仕事が本格化しました。このころ、仕事の片手間に書いたエッセイが雑誌に載るようになり、作家としての活動もはじまります。
初期の作品の1つ。『オリヴァー・ツイスト』
初期の作品の1つ。『クリスマス・キャロル』
ディケンズの作品は初期に書かれたものと後期に書かれたもので作風が異なります。初期の小説は、底抜けに明るく活気があり、笑いと風刺で社会の不正や悪、矛盾を暴き立て、胸がスカッとするといった傾向のものでした(翻訳者・石塚裕子の解説より)。
一方で、後期の小説は、暗く憂うつで、社会正義がうまく機能しなくなります。その転換期の作品として、ディケンズの自伝的性質が最も強い『デイヴィッド・コパフィールド』があります。ディケンズ自身の愛着もいちばん強かったこの作品は、ディケンズが幼い頃に靴墨工場で受けた仕打ちや、心の傷に向き合った作品ともいえます。
一般的に、後期の作品のほうが重厚であり、文学作品として完成度が高いといわれています。
転換期の作品。『デイヴィッド・コパフィールド 』
後期の作品の1つ。『二都物語』
後期の作品の1つ。『大いなる遺産』
後期の作品の1つ。『荒涼館』
ディケンズは58歳のころ、脳卒中で死去しました。作家としての人気ぶりから、本人の希望と反して、ウェストミンスター寺院の「詩人の敷地」に埋葬されました。墓碑銘には次の言葉が刻まれています:「故人は貧しき者、苦しめる者、そして虐げられた者への共感者であった。その死により、世界から英国の最も偉大な作家の一人が失われた。“He was a sympathiser to the poor, the suffering, and the oppressed; and by his death, one of England’s greatest writers is lost to the world.” 」
イギリス国協会の総本山はカンタベリー大聖堂(※)ですが、ロンドンのウェストミンスター寺院もカンタベリーに劣らぬ歴史と伝統をもつ寺院です。例えば、1066年のノルマン・コンクエスト(ノルマン人によるイングランド征服)が描かれたバイユーのタペストリーにも、ウェストミンスター寺院の建物が登場します。またウェストミンスター寺院は、王室の結婚や葬儀が行われる寺院でもあります。
※イギリス国協会とカンタベリーについては、西洋文化において、王に聖油をそそぐのはなぜかでも触れています。
ちなみにロンドンには、ディケンズの行きつけだったパブがあります。そのパブは1666年のロンドン大火を逃れた、「ジ・オールド・チェシャー・チーズ(Ye Olde Cheshire Cheese)」という名のパブです。『トム・ソーヤーの冒険』で有名なマーク・トウェインの行きつけでもありました。英単語のつづりが今と異なることからも、店の古さを感じます(例えばTheがYeとなっている)。英語の歴史については、過去の言葉のなごりを参照ください。
『クリスマス・キャロル』について
『クリスマス・キャロル』は、1843年12月19日に出版された「クリスマス・ブックス」の第一作でした。「クリスマス・ブックス」は全5作あり、子供たちに人気の読み物でした。
『クリスマス・キャロル』は、金儲けと金を貯め込むことしか頭にない老人スクルージが、精霊(幽霊)に導かれて過去・現在・未来のクリスマスを旅し、改心する物語です。ディケンズを世界的に有名にした作品でもあります。
物語の構造としてはシンプルで、200頁に満たない長さなので、簡単に読むことができます。しかしディケンズの作品の特徴(人の心の温かさ、ユーモアや社会風刺など)が盛り込まれており、ディケンズの小説をはじめて読む方にはぴったりな入門書といえます。また世界的に知名度が高く、ディケンズの名前は知らなくても『クリスマス・キャロル』という物語の題名を知っている人は多いです。
フリートーク
ここからは参加者の皆さんとお話したことを紹介します。記事に書く都合上、一程度のまとまりに分けて記載します。
ディケンズの他の作品
ディケンズは多作家な小説家としても知られており、日本語に翻訳されている小説がたくさんあります。参加者の方々に、他の作品を読んだことがあるか尋ねてみました。結果2人が、初めて読んだ作品が『クリスマス・キャロル』、1人が上に挙げた作品を全て読んだことがあるとのことでした。おすすめを尋ねると、『荒涼館』がミステリじたてで面白いそうです。
『荒涼館』の題名から連想してエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』という短編に話がうつりました。ポーは幻想小説・ゴシック小説を書くことで知られた人で、名前の通り、江戸川乱歩が敬愛した人です(敬愛のあまり「えどがわらんぽ」のペンネ―ムに採用)。ちょっとホラーな感じなので、苦手な方は注意ですが、リンク先は青空文庫になっているので、無料で読むことができます。
私自身は、『クリスマス・キャロル』の他に『デイヴィット・コパフィールド』を読んだことがあります。大学生の頃に、英文学の講義で取り上げられており、興味を持って読みました。岩波文庫で500頁×5巻分、とかなり長いのですが、読みはじめると面白くてすらすら読めます。
講義ではBBCドラマ版の『デイヴィット・コパフィールド』を一部観ました。そのドラマでは、子供の頃の主人公役がダニエル・ラドクリフで、主人公をサポートする大叔母役がマギー・スミスでした。『ハリー・ポッターの』ハリーとマクゴナガル先生のセットがここにも!という感じでした。
『デイヴィット・コパフィールド』はディケンズの作品のなかで最も自伝的性質が強い、と前述しました。主人公のデイヴィットにはもちろんディケンズが投影されており、お金の管理ができない(がいつも明るく前向きな)ミコーバー氏には、彼の父の姿が投影されています。
ディケンズと同時代の小説家
ウェストミンスター寺院に埋葬されるほど人気だったなら、ディケンズはノーベル文学賞を受賞してもおかしくない、と私は思いました。しかし、ノーベル文学賞は1901年から始まったノーベル賞でした。ディケンズは1870年に亡くなっているので、(死人は受賞できないため)受賞しようがないのでした。
そういえば、『マチルダ』という題名で1996年に映画化されているロアルド・ダール(※)の『マチルダは小さな大天才』(1988年)に登場する主人公・マチルダは、幼い頃からの文学好きで、とくにチャールズ・ディケンズの小説が好き、という設定です。さらには、ディケンズの小説を愛読していた人物には、プルーストやドストエフスキー、トルストイなどがいます。そう考えると、ディケンズは文学史上で、ひと昔前の小説家であることが分かります。
※『チャーリーとチョコレート工場』の原作小説を書いている小説家として有名。
では、ディケンズと同時代にはどんな小説家がいるのでしょうか。『レ・ミゼラブル』で知られるヴィクトル・ユーゴーや、『三銃士』で知られるアレクサンドル・デュマです。……思ったより古い時代ですね!この辺りの時代になると「歴史上の人物」という印象です。そう感じさせないのは、ディケンズの作品が現代社会にも通じる魅力を持っているからでしょう。
ウェストミンスター寺院に埋葬された他の「詩人」
ディケンズはウェストミンスター寺院の「詩人の敷地(Poets’ Corner)」に埋葬されました。この敷地には英国を代表する詩人や劇作家、文筆家が埋葬あるいは追悼されています。おそらく最も有名な人物だと、シェイクスピアが追悼されています(埋葬されているのは、彼の故郷であるストラトフォード=アポン=エイヴォン)。
他に私たちが知っている人はいるだろうか、とWikipediaのPoets’ Cornerを見ていたところ、16世紀の詩人、エドマンド・スペンサーが埋葬されていることが分かりました。彼の代表作は『妖精の女王』という、アーサー王物語を題材にした長編叙事詩です。この叙事詩は当時の女王・エリザベス1世に捧げられており、女王の家系(テューダー家)がアーサー王の子孫であると褒めたたえて、権威付けをする役割があった作品であると考えられます。
実は私は前からスペンサーの『妖精の女王』を読みたいと思っており、ついに数カ月前に、ちくま文庫の4巻分を入手しました。絶版で中古本が高騰しているので、こまめにチェックして安いタイミングを見計らいました。まだ読めていないのですが、いつかじっくり読みたいと思っています。もし古本屋で見つけたら嬉しくなる本なので、古本屋へ行く際には、皆さんも『妖精の女王』がないかチェックしてみてください。
寄付金は人の心にゆとりがあるときに集まるらしい
『クリスマス・キャロル』でスクルージは、お金にケチな守銭奴(しゅせんど)として書かれます。例えば、物語の冒頭で、スクルージの事務所に、寄付金を募る紳士2人組がやってきます。紳士たちは、貧しい人たちにもクリスマスの喜びを与えるために寄付を募っている、と言います。しかしスクルージはびた一文も寄付をせず、彼らを追い出してしまいます。
紳士のセリフのなかに、次のような言葉があります。
我々がこのクリスマスの季節を選びましたのは、今が一番生活費のかさむ時で苦しい最中ですのと、一方では裕福な人々が特に生活を楽しもうとしている時だからです。
ディケンズ『クリスマス・キャロル』新潮文庫、2020年、21頁。
「裕福な人々が生活を楽しもうとしている時」というのがポイントで、参加者の方いわく、寄付金は一般的に、人びとの心にゆとりがあるときに集まりやすいそうです。人は忙しかったり、悩み事で頭がいっぱいなときには、自分のことで精いっぱいなため、他人を気に掛ける余裕がありません。しかし逆にのんびりしていたり、心が平穏なときには、他人を気に掛ける余裕がでてきて、寄付をしようという気になるそうです。
すなわち、クリスマスの季節は、西洋人にとって休暇のシーズンなので、心にゆとりができて、寄付金が集まりやすいというわけです。そのため伝統的に、寄付金を募る時期としてクリスマスが選ばれやすいのです。
ちなみに、読書好きな皆さんにオススメな寄付プログラムに、「ブックサンタ」というものがあります。貧しい家庭の子供たちに、本をプレゼントするプログラムで、読書好き界隈ではけっこう有名になってきている気がします。自分で好きな本を選ぶこともできますし、スタッフの方にお任せすることもできます。興味がある方は公式HPをのぞいてみてください。
私は幼い頃に、学校で流行っている単行本小説が欲しかったけれど、高くて親に「欲しい」とは言えなかかった思い出があるので、私の稼ぎでどこかの子供が喜んでくれるなら……と寄付をしています。結局、母が自分の稼ぎでその小説を買ってくれたのですが(優しすぎて涙でます)。
あの世に金は持って行けないけど……
「あの世に金は持って行けないから、生きているうちに使ったほうがいい」とよく言いますよね。という話を参加者の方にしたところ、「でも三途の川の渡し賃として六文銭が必要だ」という情報が出てきました。たしかに、西洋でも埋葬する人のまぶたに硬貨をのせますし、あの世に行くには、どこの文化圏でも、いくらかお金が必要なようです。そのようなお金は、「冥銭」と呼ばれます。
冥銭の一例として、古代ギリシアの文化を紹介します。古代ギリシアでは、1オボロス硬貨を死者の口に含ませて弔う風習がありました。1オボロス硬貨は、冥府の渡し守カロンに渡す必要があり、もし運賃を払えない場合には、後回しにされ、100年間ほど、あの世とこの世の境である、ステュクス川の岸辺をさまようはめになります(ウェルギリウスの『アエネーイス』より)。
10月読書会記録-サマセット・モーム『月と六ペンス』では、六ペンス硬貨には幸運を招くまじないの意味があったことを紹介しました。死者と一緒に埋葬する硬貨や、幸運を招く硬貨の例を考えると、硬貨には、単なる貨幣以上の、呪術的な要素があったと考えられます。神社でお賽銭を奉納する行為も、呪術的な要素がいっさいないとは言えないと思います。電子マネーではごりやくがない気がするのが、その理由です。
『硬貨の文化史』的な本を出してくれる歴史学者 or 文化人類学者がいたら大喜びするのですが、今のところそのような本はないようです。絶対に面白いテーマだと思うので、どなたか実現してくれれば嬉しいです。
ちなみに、上図を描いているヨアヒム・パティニールは、風景画の誕生の立役者ともいえる画家で、まさにこの絵も神話を題材にしていながら、ほぼ風景画です。詳しくは遠景は空の色を映すを参照ください。
クリスマスはお正月のようなもの
『クリスマス・キャロル』の冒頭では、スクルージの甥がスクルージを説得しようとして、以下のように言います。
(前略)――とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦(ゆる)してやり、情ぶかくなる楽しい季節ですよ。
同上、15頁。
甥自身が、そのような気持ちになるからこそ、彼は毎年、気難しいスクルージを、クリスマスの夕食会に誘いにくるのです。
しかし、非キリスト教徒にはこの気持ちは分かりにくい、という話がありました。多くの日本人にとって、クリスマスの季節に人に親切になる筋合いはないのです。そこで、日本人の感覚として最も近いのは、お正月だろうか、という話になりました。なぜなら、お正月には誰かと喧嘩したいとは思いませんし、近所の人に元気に挨拶したり(あけましておめでとう!)、親切をしたくなったりします。また、ご馳走を囲んで、親戚・家族でのんびりと過ごす点も西洋のクリスマスに似ています。
さらにいうと、西洋人にとってはクリスマス~お正月がホリデーシーズンとして、ひとくくりなのかもしれません。西洋になぜキリスト教が浸透したのかで紹介した通り、クリスマスはもともと、古代信仰の冬至の祭を起原としています。冬至は一年で最も日が短くなる日、ということは、翌日から日照時間が長くなるため、新しい1年のはじまりの日とも捉えることができます。とすると、西洋人にとっては、クリスマスが訪れる=新年のはじまりのような気分である可能性があります。
そう考えると、西洋人にとってのクリスマスの気分が、日本人にとってのお正月のような気分である、というのはあながち間違いではないかもしれません。
おわりに
今回は12月読書会の記録を書きました。
『クリスマス・キャロル』はさまざまな媒体で映画化されており、そのなかにディズニーの映画もあります。最近それを初めて観てみたところ、スクルージの改心の一番の要因が「恐怖」であるように解釈できました。つまり、良い行いをしないと、将来こんな悪い未来が待っているよ!死後こんな大変なことになるよ!という恐怖をちらつかせて、スクルージを改心させるのです。その点でディズニー版は気に食わなかったです。
原作を読むと、そうではないことがよく分かります。妹と過ごした幼い頃のクリスマス、馬の合う同僚や上司と過ごした青年の頃のクリスマスを思い出して、またボブ・クラチットの家庭のあたたかいクリスマス、甥の家庭の友人との楽しいクリスマスの様子を見て、スクルージの心が浄化され、温かくなり、心の底から優しい気持ちが湧いてきた結果、スクルージは改心したのだと思います。
皆さんも温かい気持ちで年末年始をお過ごしください。それではよいお年を!