サンティアゴ・デ・コンポステラの方向をしめす道しるべ。

歴史

西洋における道の文化史

はじめに

道の歴史的な役割で、道が古来どのような機能を持ってきたかを説明しました。道は人・物・情報を運ぶ機能を持ち、道を整備する国は経済的・軍事的に優位に立てるのでしたね。

今回は、西洋における道の文化史について紹介します。

道は自分たちの共同体(村や町)から延びる異界への案内線で、超自然的な存在がはびこっていました。また、道には盗賊も出現しました。そのため、共同体から外れた道を歩くのは中世の人びとにとっては命がけでした。

道しるべ

現在の道路には然るべき場所に案内標識があり、山間のハイキングコースにだって矢印や案内図くらいあります。いざとなればGoogle Mapを使用すれば良いですしね。

わたしもクロアチアのプリトヴィツェ国立公園で迷子になりかけたとき、Google Mapには大変お世話になりました。3月でしたが雪が残っていて、うっかり道から外れると膝上まで雪に埋もれたりして、死ぬかと思いました……。

プリトヴィツェ国立公園。シーズンは夏ですが、冬も神秘的でおすすめです
プリトヴィツェ国立公園。シーズンは夏ですが、冬も神秘的でおすすめです

しかし現代のような分かりやすい道しるべは、中世期には整備されていませんでした。分岐点に必ず道しるべがあるわけではなく、街道から外れた小道にいたっては、どこへ繋がるのか分かったものではありませんでした。間違った道を行けば、死の危険があったのです。

現代に生きるわたしたちは無意識に標識に頼っていますが、正しい道を示す標識があるということは、誤った道へ行った誰かがいるということです。その犠牲の上で、わたしたちは安全な道を通行することができるのです。

たとえば折れたり曲がったりした枝をトレイル(註:道のこと)の目印にしてメッセージを伝えることはよく知られている。

(中略)

アフリカのゾウのハンターたちは普通、枝分かれしているトレイルの支線に、門を閉じて塞ぐように棒を置くことで目印をつけるという。

パブアニューギニアのラウト族には「ナカラング」という言葉があり、それは正しくない道に置く棒を意味している。

その言葉にはまた、死という意味もある。死者が聖者から別れ、違った道を行くことから来ている。

ロバート・ムーア著、岩崎晋也訳『トレイルズ -「道」と歩くことの哲学ー』エイアンドエフ、2018年268頁。

中世期における道しるべの例に、サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路に沿って埋められたホタテ貝があります。

西洋におけるサンティアゴ・デ・コンポステラへの道
サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路。赤線部分がメイン。

サンチャゴ・デ・コンポステラは現在のスペインにある巡礼地で、聖ヤコブの骨と伝わる聖遺物がまつられています。キリスト教の三大巡礼地(他はバチカン、エルサレム)の1つですね。

巡礼は中世期に最も盛んになり、巡礼者たちはホタテ貝を目印に、約900kmある道を徒歩で進みました。ホタテ貝という道しるべがなければ、900kmにもおよぶ道(徒歩で1カ月以上かかる)を間違わずに進むことは不可能だったことでしょう。

サンティアゴ・デ・コンポステラの方向をしめす道しるべ。
サンティアゴ・デ・コンポステラの方向をしめす道しるべ。

道しるべの例としては他に、十字架石塚がありました。また、遠くから見える教会の鐘楼も、人の居住地があるという目印になりました。

長雨で道路が忽然と消失したとき、道標の機能を果たしたのが教会の鐘楼や道端の十字架、石塚などであった。

中世ヨーロッパの道路は人工的なハード設備だったのではなく、自然と一体化し、天候や季節によっては自然景観の中に融解した、自然の一部に過ぎなかったのである。

関哲行『旅する人びと (ヨーロッパの中世 4)』岩波書店、2009年、14頁。

道の支配者

西洋における森の歴史で、昔は森が神々・精霊・悪霊の世界「異界」ととらえられており、人びとは森へ入ることを恐れていたと説明しました。ここでいう森とは、実際に木が生えている場所に限らず、共同体(村や町)の外全体を指します。村の柵を一歩越えれば、そこは神々・精霊・悪霊の世界でした。

そして、西洋におけるアジール(概要)で、神が場所を支配するという考えを紹介しました。「異界」は基本的に、何らかの超自然的な存在が支配する場所です。森には森の精が、川には川の精が、そして、道には道の支配者がいたのです。

街道は道の霊の支配するところであったから、それぞれの霊に供え物をしなければならなかった。なんらかの飲食物を道に埋めるのである。お供えをしたのに不運な事故に出会ったとき、人びとは道の霊がたまたま酔っぱらっていたのだと言った。旅人は恐怖にかられながらも、道の霊を信頼しなければ旅をつづけられなかったのである。

阿部謹也『中世を旅する人びと』ちくま学芸文庫、2015年、19-20頁。

街道とは王がつくった公道で、そこを通る者は王の保護下におかれました。しかし現実には人びとのなかでは、霊的な存在が支配する場所でした。阿部謹也はつづけて、十字路に最もそのような信仰や慣習が集中したと説明します。

十字路は良き霊と悪しき霊の集まるところとして、いろいろな迷信の対象となっていた。十字路に立つと霊の力で未来がみえるといわれた。そこでは幸運や不運、愛(結婚の相手)や死、病気の治癒、災難からの保護など起こりうる出来事について超自然的な力が働いて、あらかじめ知ることができるといわれた。

同上、20頁。

十字路は四方向から人・物・情報、あるいは超自然的な存在がやってきます。長らく会っていなかった知人に偶然再会できる確率が最も高い場所であると同時に、悪しきものに出会う確率も最も高い場所だったのです。

おわりに

今回は西洋における道の文化史について紹介しました。中世期には現代のような分かりやすい道しるべは整備されていませんでした。代わりに、ホタテ貝、十字架、石塚、鐘楼などが道しるべとなっていました。

「異界」の一部である道にも、道を支配する超自然的な存在がいました。その信仰や慣習は十字路で最も集中しました。十字路は長らく会っていなかった知人と偶然再会できる場所でもあり、悪霊に出会う恐れのあるところでもあったのです。

余談ですが、道は異界への入口的な要素も持っていると考えています。今後、井戸、川など、異界への入口について考察したいです。

以上、道の文化史についてでした。

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