ロサンゼルス

映画

『ラ・ラ・ランド』でミアとセブが別れた理由

はじめに

『ラ・ラ・ランド』においてなぜミアとセブは別れなければならなかったのか?

先日、遅ればせながら『ラ・ラ・ランド』を観ました。ネットを見ると様々な意見がありますが、ここでは私個人の見解をご紹介できればと思います。

物語のあらすじ

ロサンゼルスで夢を追いかける若者、ミアとセブ。ミアは女優になること、セブはジャズバーを開くことを夢見ている。出会った当初は険悪だった二人だが、会話を重ねるうちに仲良くなる。そして、映画を観に行ったことがきっかけで、付き合うようになる。やがてセブは稼ぎを得るため、友人に誘われたバンドグループの一員となる。バンドは成功し、セブは各地を忙しく飛び回る。しかしこれは本来、セブが描いていた夢とはちがう。ミアがそれを指摘すると口論になり、二人のすれ違いが始まる。夢をあきらめるのか、追い続けるのか。恋人は夢を叶える支えとなるのか、障壁となるのか。若者二人は思い悩み、決断する。

「大人になる」とは「本気で夢を追いかけること」

なぜ二人が別々の道を歩まなければならなかったのか。それを考える前に、作中で「大人になる」ということがどういうことなのか明らかにしましょう。

作中では、「大人になる」というキーワードが二回でてきます。最初にセブが、次にミアが言いますが、この場合の「大人になる」は「夢をあきらめて稼げる職に就く」という意味です。しかし、終盤では二人とも「夢をあきらめて稼げる職に就く」ことが「大人になる」ことではないと悟ります。

「大人になる」というキーワードが出てくる1回目は、キースのバンドで成功したセブが、ミアに「昔の夢はどうなったの」と指摘される場面です。セブは次のようにいいます。

セブ「もう俺たちも大人になろう。文句を言われても手遅れだ」

2回目は、実家に帰ったミアが、セブにオーディションオファーが届いたことを知らされる場面です。ミアはもはや、女優になるつもりはないと言います。

ミア「あなたは夢を変えて大人になった。私もどうせムリなら、大学へ戻ってほかのことを目指すわ」

しかしこの後、二人が「大人になる」という意味をはき違えていたことが明らかになります。日本語で「大人になる」と訳されている部分は、英語では「grow up」です。ですから、「成長する」という意味にも捉えられます。最初に意味をはき違えていたことに気づいたのは、セブでした。夢をあきらめると言うミアに対し、セブは次のように言います。

セブ「なぜもうたくさんなんだ」

ミア「もう十分傷ついたからよ」

セブ「おまえは赤ん坊だ」

ミア「これから成長するの!」

セブ「いいや、赤ん坊のように泣いている」

ミアは、この時点ではまだ、「夢をあきらめて稼げる職に就く」ことが「大人になる・成長する」ことだと思っています。しかし、この時点でセブは考えを変えています。なぜなら、「大人になる」と宣言しているミアに対し、たとえそうだとしても「おまえは赤ん坊だ(=大人ではない)」と言っているからです。

この場面でセブが考えている「大人になる」とは、「本気で夢を追いかけること」です。言い換えると、それまで彼らは「本気で」夢を追いかけていなかったのです。この物語における「本気」とは、〈1〉現実的に考えること、〈2〉挫折を乗り越える気概があることの2つだと考えます。

〈1〉について、彼らは今まで夢に対し現実味が欠けていました。本気で夢を叶えたいのなら、自分という商品を売る戦略を練っていかなければいけません。マーケティングと同じです。ですが彼らは、「夢に夢を見ている」状態だったのです。

たとえば、冒頭のセブが良い例です。セブは、自分が開く予定の店に、センスの悪い名前を付けようとします。ミアは冷静に、その名前では売れないから考え直すべき、と指摘しますが、セブは言うことを聞きません。ですが結局、夢を叶えたときの店の名は、ミアが提案した「セブス」でした。夢に夢を見るのをやめて、現実的に売れる名前に変えた結果、セブは成功を収めたのです。

〈2〉については明確です。彼らは一度、夢をあきらめるという試練に直面します。セブの場合はキースのバンドで成功したとき、ミアの場合は芝居で散々な結果(だと本人が思い込んでいる)だったときです。一度試練を経験し、それを乗り越えたことで、二人は「本気で」夢を追いかけることができるようになったのです。

二人が別れた理由

私が考える二人が別れた理由は二つあります。第一に、「大人になった」彼らの価値観が合わなくなったこと、第二に、修復不可能なすれ違いをしてしまったことです。

まず、「大人になった」彼らの価値観が合わなくなったことについてご説明します。

先ほど述べたように、彼らは夢をあきらめかけたことによって、真に「大人になる・成長する」ことができました。真に「大人になる」とは、「本気で夢を追いかけること」ができる状態です。つまり、彼らは出会った当初から一段階、人として成長したことになります。

ここで想像してみてください。成長すると、人の価値観は変わるものではないでしょうか。たとえば、私たちは、中学・高校生時代に好きでたまらなかった人と、なぜ結婚していないのでしょうか。それは、自分の精神の成長に伴い、彼/彼女らと価値観が合わなくなったからです。あの人は仕事が第一だけど、私は家庭が第一だとか、あの人は思った以上に優秀だけど、私は平凡だとか。これは恋人だけでなく、友人に対しても言えます。幼いころに仲良しだった子と、今はまったく連絡を取り合わないのは、その子と価値観が合わなくなったからです。

同様に、ミアとセブも心の成長に伴い、互いの価値観が合わなくなったのです。

次に、彼らが修復不可能なすれ違いをしてしまったことについてです。

人と信頼関係を築くのには、大変な時間がかかるのに、崩れるのは一瞬だと、よく言われますね。同じことが恋愛にも言えます。ミアとセブも、修復不可能なすれ違いをしてしまいました。すなわち、一方が他方の夢の実現をするための障壁となったのです。

まず、セブのケースです。セブには、ジャズバーを開くという夢があります。だから、軌道に乗り始めているバンドで、ピアノを弾かないかと言うキース(友人)の誘いを一旦は断わります。しかし、ミアがセブに稼ぎがないことを不安に思っていることを知ります。そこで、「ミアのために」キースの誘いを引き受け、バンドマンとして活躍します。セブはミアの影響で、夢をあきらめかけたのです。

次に、ミアのケースです。ミアには、女優になるという夢があります。しかし、ここが見せ場と思っていた芝居の当日、観客席のほとんどが空席でショックを受けます。また観客がミアの演技について、こき下ろしているのを耳にします(「ひどかったな」「女優はムリ」)。挙句の果てに、応援してくれるはずのセブは、バンドの用事で芝居を観に来ませんでした。セブは夢をあきらめて、今この瞬間にも活躍しているのに、自分は何をしているのだろう。ミアはセブの影響で心が折れ、夢をあきらめかけたのです。

最後の空想の意味

二人が別れた第二の理由、すなわち修復不可能なすれ違いをしたことは、終盤の空想シーンでも示唆されています。物語の終盤、ミアは女優として成功し、セブではない男性と結婚しました。セブもジャズバーのオーナーとなり、夢を叶えました。ある日、ミアが夫と訪れたジャズバーには、セブがいました。セブが思い出の曲を弾いた瞬間、二人の頭の中に空想が広がります。

これは、もし各々があの時にこうしていたら、一緒にいたままで互いの夢を叶えられたのに、という空想です。空想で注目すべきシーンは、下記の二つです。

〈1〉キースと再会するジャズバーで、セブは会話もせずにキースをあしらう

〈2〉ミアの芝居の観客席にセブがいる。芝居後、ミアを褒めそやしている

 〈1〉について、セブは現実にはキースの誘いに乗ってしまいました。それは、ミアがセブに不安を打ち明け、きちんと話し合わなかったからです。

〈2〉について、現実にはセブは観客席にいませんでした。セブにバンドの急用が入ったからです。セブがもしあの場にいたなら、ミアは自信を失わずに済んだかもしれません。

最後に笑顔で頷き合ったミアときセブは、互いに別れて正解だと思っています。それは先述したように、互いの価値観がもはや合わないこと、また、修復不可能なすれ違いをしてしまったことを分かっているからです。

ただ、もし……もしあの時、あんなすれ違いをしていなかったら、今隣にいるのは……と考え切なくなっています。たとえるなら、青春時代の恋を思い出すような感じでしょうか。成長した彼らは、「好き」の感情だけでは一緒にいられないことをよく分かっているのです。

おわりに

今回は『ラ・ラ・ランド』でミアとセブが別れた理由について考えました。個人的な見解の一つとして、参考になれば幸いです。

何度観ても泣きそうになるのは、最後の空想場面で、ミアの演技が終わったあと、セブが誰よりも盛大に拍手喝采して、飛びつくミアを抱きしめて誉めそやす場面です。私にとって『ラ・ラ・ランド』の印象は、青春時代のほろ苦い恋……という感じです。

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