フランシスコ・デ・ゴヤ《サバト》1970年代、ラサロ・ガルディアーノ美術館所蔵。サバトとは悪魔を中心とした魔女の集会のこと。

歴史

西洋史における「魔女」とは何か

はじめに

突然ですが、「魔女(Witch)」とは何でしょう。「魔法使い(Wizard)」の「女」であると考えるのは少し安直です。 西洋史的に考えると、「魔女」と「魔法使い」が生まれた経緯、時代背景は大きく異なります。

「魔法使い」とは多神教的な考えから生まれた、超自然的な力をもつ人のことです。魔法使いはキリスト教が西洋に浸透するはるか昔から存在しました。

一方で「魔女」とはキリスト教的な考えから生まれた、悪魔の手下のことです。魔女という概念は時代が変化するとき、つまり中世後期から近世にかけて生まれました。裁判によって魔女と判断された女性は処刑の対象となり、魔女狩りの最盛期(16,17世紀)には多くの女性が犠牲になりました。

今回は西洋史における「魔女」とは何かを紹介します。

土着信仰から生まれた魔法使い

西洋になぜキリスト教が浸透したのかで説明した通り、キリスト教は西洋の土着宗教ではありません。現在の中東あたりから入ってきた宗教です。

キリスト教が西洋で初めて日の目を見たのは紀元後313年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によってでした。この勅令によって迫害されていたキリスト教がローマ帝国の公認宗教となりました。

キリスト教が西洋の主流の宗教となるまで、西洋人は様々な神々を信じていました。その時代、神は唯一ではなく、万物に宿りました。例えばケルト人はケルト神話の神々を、ローマ帝国人はギリシア・ローマ神話の神々を、ゲルマン人は北欧神話の神々を信仰していました。

多神教ではそこかしこに神が宿るため、その時代の魔法は身近にありました。魔法使いを「超自然的な力をもつ人間」と定義するなら、最も分かりやすい例はケルト人社会のドルイドです。ドルイドとは、共同体の長であり、超自然的な力をもつ祭司のことです。魔法使いを「人型をした超自然的な存在」と定義した場合、神々、精霊、妖精などの例が挙げられます。これらはどれも多神教の信仰の産物です。

オーブリー・ビアズリー《マーリンとニミュエ(湖の乙女)》
オーブリー・ビアズリー《マーリンとニミュエ(湖の乙女)》

西洋においてイギリスは、現在でも魔法の文化が色濃く残っている国として知られています。イギリス文学では一般的に、「魔法使い」と言えばドルイドがモデルとなっています。

例えば中世期の騎士道物語として知られる『アーサー王物語』で、アーサー王を様々な場面で援助する魔法使いマーリンの原型はドルイドです。20世紀作家J.R.R.トールキンの『指輪物語』のガンダルフのモデルも同様です。

ちなみに『アーサー王物語』で女魔法使いとして登場するモルガン・ル・フェの原型はケルト神話の女神モリガンです。詳細は騎士は湖で美女に出会うを参照してください。また、イギリスに魔法文化が存在する理由はイギリスにおける魔法の歴史を参照してください。

このような歴史を考えると、魔法使いは多神教から生まれた概念であることが分かります。

キリスト教から生まれた魔女

前提として、キリスト教は神以外に超自然的な力を使う者、つまり「奇跡」を起こす者を認めません(聖人は認められている)。「奇跡」以外の超自然的な力は、対極に位置する悪魔の力となります。そのため魔法を使う者は悪魔の仲間であるという解釈になります。

「魔女」が社会に出現したのは、中世の後期から近世にかけてでした。具体的には15世紀以降に、魔女による犯罪、異端審問が増えはじめます。「魔女」とは、裁判官が悪魔の手下と判断した女性のことです(非常に少数だが男性の魔女もいる)。

魔女狩りが大展開されたのは、16世紀以降であった。つまり、中世を暗黒の時代だと呪ったルネサンスや宗教改革の時代にこそ、なんの罪咎もない女性を魔女として、火刑台に送りこんでいたのである。

池上俊一『魔女と聖女 中近世ヨーロッパの光と影』筑摩書房、2015年、19,20頁

魔女にしたてられた女性の多くは、キリスト教浸透以前から存在する農村部のまじない女たちでした。彼女たちは「老女」や「賢い女性」とも呼ばれ、病気になったとき、悩みがあるときの頼みの綱でした。

彼女たちの医学知識やまじないの知識は、共同体内における女性のお産を援助するなかで身につけられたと考えられます。女性に魔法の性質が宿りやすい理由はなぜ魔法を使うのは女性なのかを参照してください。

魔女であると疑われた女性は、火刑台にのぼる運命から逃れられませんでした。なぜなら魔女であるかどうかを判断する魔女裁判において、裁判官は「自白」するまで彼女たちを様々な拷問にかけるからです。結果として女性たちは裁判官が望む通りの「自白」をし、火あぶりの刑に処せられました。

フランシスコ・デ・ゴヤ《サバト》1970年代、ラサロ・ガルディアーノ美術館所蔵。サバトとは悪魔を中心とした魔女の集会のこと。
フランシスコ・デ・ゴヤ《サバト》1970年代、ラサロ・ガルディアーノ美術館所蔵。サバトとは悪魔を中心とした魔女の集会のこと。

魔女が生まれた理由

しかし異教的な魔法を悪と見なす、キリスト教的な考えのみでは魔女狩りが起きた理由を説明できません。なぜなら「魔女」にしたてあげられる前の農村部の女性たちは、1000年ほど続く中世の時代(=キリスト教の権威が最も高まった時代)にも存在したからです。

なぜ近世になって突然、彼女たちが「魔女」として火刑に処せられることになったのでしょうか。ここでは2つの理由を挙げます。

第一に、この時代に大きな社会変動が起きたことが挙げられます。「中世」から「近世」に時代が移るということは、新たな時代が到来したことを意味します。経済発展による貧富の拡大、人口増加、疫病の蔓延……。人々は変化する社会の中で不安に陥っていました。

人間は不安が募ると、スケープゴートを生み出す傾向があります。そして犠牲となるのはアウトサイダー(社会からのはみ出し者)たちです。まじない女はその豊富な魔法の知識で人々から頼られると同時に、恐れられてもいました。つまり、アウトサイダーであった魔女は社会不安の犠牲者になったのです。アウトサイダーについては西洋中世期のアウトサイダーを参照してください。

第二に、活版印刷の誕生が挙げられます。女性たちは「魔女」であることの基準を満たしたとき魔女と判断されますが、その基準を定めたのは当時の悪魔学者たちでした。ドミニコ会修道士によって1486年に書かれた『魔女の槌』という本は、教皇の推薦を経て大ベストセラーとなり、17世紀まで魔女狩りの基本的なマニュアルとなりました [1]。人々が本を以前より手軽に取得できるようになると、魔女という概念は社会に容易に浸透しました。

このように、社会が不安に陥った近世期、キリスト教の悪魔学者が生み出し、印刷技術によって広まった概念が「魔女」でした。「魔女」と聞くと迷信的で中世期に存在しそうですが、その概念は実は社会が変動する近世期にこそ存在する概念だったのです。

おわりに

今回は西洋史における「魔女」とは何かを紹介しました。

「魔法使い」とは西洋の土着信仰から生まれた、超自然的な力をもつ人のことです。その概念はキリスト教が西洋に浸透する以前から存在しました。

一方で「魔女」とはキリスト教から生まれた、悪魔の手下のことです。キリスト教は神と聖者以外の魔法(奇跡)を認めません。神と聖者以外に魔法を使う者がいるとすれば、それは悪魔でした。

魔女はキリスト教の権威が最も高まった中世期ではなく、近世期の産物でした。その理由として以下2つを挙げました。

  1. 社会不安によるスケープゴートの要求
  2. 活版印刷技術による概念の普及

数多くのアウトサイダーのなかでも、なぜ女性が犠牲になったのか、という話を知りたい方は、池上俊一『魔女と聖女 中近世ヨーロッパの光と影』をお読みください。魔女狩り熱が高まった時代に、同時に聖女崇拝熱が高まった点に注目した本です。

以上、西洋史における「魔女」とは何かでした。

参考文献

  • [1] 池上俊一『魔女と聖女 中世ヨーロッパの光と影』筑摩書房、2015年、7頁。
  • ロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』樋口幸子、片柳佐智子、三宅真砂子訳、インターシフト、2015年。

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コメント

  • コメント (1)

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    • ganQ
    • 2019年 11月 16日 8:39am

    ふんわりとですが、ローマ時代だとキリスト教最高、ドルイドが極悪のイメージなんですが、キリスト教時代だとキリスト教が最悪なイメージです。

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