はじめに
世界には偉大な文学作品がたくさんあります。『ロビンソン・クルーソー』、『レ=ミゼラブル』、『タタール人の砂漠』、『魔の山』……例として挙げた4作品はそれぞれイギリス、フランス、イタリア、ロシアの文学作品です。
多くの日本人はこれらの本を、日本語で読みます。つまり翻訳版の作品を読みます。しかし大好きな文学作品であれば、一度は原文で読んでみたいものです。なぜなら、翻訳された作品は、元の作品とはニュアンスが異るからです。
しかし原文にも翻訳文にも、どちらも良い所があります。
今回は、小説における翻訳のメリットとデメリットを考察します。
翻訳のデメリット
翻訳のデメリットは、原文を忠実に再現できないことです。前提として、言語が異なれば、原文とまったく同じニュアンスで翻訳することは不可能です。なぜなら言語の異なる単語の意味は一対一で対応しないからです。
たとえば英語のbe動詞は日本語の「である」より広い意味を持ち、「いる、ある」という意味も持ちます(もちろん、それ以上多くの意味を持ちます)。英語のbaby pinkは日本語に訳すと何色になるでしょうか。薄い桃色?薄い紅色?そもそも、pinkと桃色すら、完全に意味が対応しているとは言えません。そのためデザイナーは名前ではなく、カラーコードという番号で色を区別するのです。
以下に、外国語から日本語への翻訳が難しい表現の例を3つ挙げます。
1.すべて大文字のセリフ
英語の小説にはしばしば、すべて大文字のセリフが出てきます。具体的には”SHUT UP!”などです。すべて大文字のセリフを、日本語に訳すとよく太字で「黙れ!」などと表現されますが、ニュアンスとしてはやや違います。”SHUT UP!”は太字ではないので、あくまでも他の文章と同列の感覚ですが、「黙れ!」は他の文章とフォントが違うほどの大きな違いがあります。
ちなみに元から日本語で書かれた小説の場合は、太字は基本的に使われません。2種類のフォントが混ざったようで、紙面が汚く見えるからです。
2.あえて書かれた誤字脱字
『アルジャーノンに花束を』や『バウドリーノ』の原文はそれぞれ英語とイタリア語です。2作品には、あえて誤字脱字だらけの文章が冒頭で書かれています。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』は、知的障害者である主人公が、手術を通して天才に豹変し、その心の変化を日記形式で綴っていく物語です。最初の日記を誤字脱字だらけにすることで、主人公がかつて、どれほど努力しても読み書きがうまくできなかったこと、手術を経て徐々に文章力がつき、逆に難しすぎる用語や表現を使うようになることを、読者に印象づけています。
ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』は、主人公バウドリーノが歴史家のニケタスに、自分がはじめて書いた文章(文字の練習として書いた文章)を見せる場面から始まります。この作品の時代設定は西洋中世期なので、文字を書ける人=王侯貴族、聖職者(キリスト教関係者)の時代です。バウドリーノは農民でしたが、神聖ローマ帝国皇帝に気に入られて従者となり、それからはじめて文字を学びました。冒頭で主人公の誤字脱字だらけの文章を見せることで、主人公がかつて中世の典型的な一般人だったこと、それから皇帝に養護され貴族と変わらない知識を身に着けたことを読者に印象づけています。
これら2作品を日本語に訳した翻訳家は、日本語で誤字脱字を表現するために様々な工夫を凝らしています。漢字で書くところをひらがなにしたり、わざと間違えた漢字にしたり、「っ」を書かなかったり、「だろう」と書くべきところを「だろー」にしたり。
しかし、その国の言語で書かれた誤字脱字のままに、日本語で誤字脱字が表現できるわけではありません。限りなく近づけることはできても、まったく同じニュアンスを読者に抱かせるのは、言語が異なる限り不可能です。
たとえば『指輪物語』の登場人物、Gollum(ゴラム、ゴクリ)は指輪のことを指して”my precioussss”と言います。このセリフはGollumが何百年もの時を、指輪の魔力に浸食されながら一人で過ごしていたために、言葉がおかしくなったことを表現しています。翻訳家の瀬田貞二はこれを「いとしいしと」と訳しました。しかし、sを連続で発音するのと、「ひと」と言うべきところを「しと」と言うのは、感覚的には異なります。
3.言葉遊び
言葉遊びはおそらく、翻訳が最も難しく、翻訳家の手腕が問われるところです。言葉遊びとは、音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想させて楽しんだりする遊びです。
たとえばシェイクスピア作品には多くの言葉あそびが出てきます。有名なハムレットの独白に、” To be, or not to be: that is the question”があります。2つ翻訳例を紹介すると、福田恒存は「生か、死か、それが疑問だ」と訳し、松岡和子は「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」と訳しました。
先述した通り、英語のbeには広い意味があります。福田恒存はリズムを重視し、松岡和子は「存在する」「存在しない」というニュアンスを重視しています。
以上、外国語から日本語への翻訳が難しい表現例を3つ紹介しました。翻訳のデメリットは、原文を忠実に再現できないことです。だからといって、翻訳をしないほうがいいということにはなりません。次に、翻訳のメリットを紹介します。
翻訳のメリット
翻訳のメリットは2つあります。
1つ目は何といっても、原文の言語に通じていなくても、その作品を読めることです。
たとえば、冒頭で世界的文学作品の例として、『ロビンソン・クルーソー』、『レ=ミゼラブル』、『タタール人の砂漠』、『魔の山』を挙げました。それぞれの原文は英語、フランス語、イタリア語、ロシア語です。
世界のほとんどの人にとって、4作品を読むためには翻訳されることが必要です。人生には他にやるべきこと(他の勉強や仕事)がたくさんあるのに、4カ国語すべてをネイティブレベルに学んでいる暇など、どこにあるのでしょうか。その道のプロ(翻訳家)にしても、4カ国語を完璧に読める人は多くないでしょう。
もちろん原文の言語が読める人は、原文を読めばそれで足ります。しかし、そうでない人にその作品を読んでもらいたいから、翻訳家は翻訳をするのです。「原文を読む」「原文を読まない」の2択ではなく、「翻訳文を読む」という選択を与えてくれるのが翻訳文のメリットです。全く読まないよりは、翻訳でもいいから読んでほしい、という翻訳家たちの想いが詰まっているのです。
2つ目のメリットは、翻訳そのものを楽しめることです。
たとえばシェイクスピアを翻訳した日本人はたくさんいます。先ほどは福田恒存と松岡和子の2者のみ例として挙げましたが、翻訳家によるシェイクスピアの翻訳の違いをテーマに、論文を書けてしまうほどです。このように翻訳そのものを楽しむとは、翻訳文と翻訳文を比べたり、原文と翻訳文を比べたりして楽しむことを指します。
おわりに
今回は小説における翻訳のメリットとデメリットを考察しました。翻訳のデメリットとして、原文を忠実に再現できないことを挙げました。そして、外国語から日本語への翻訳が難しい表現の例を3つ挙げました。翻訳のメリットとして、①原文の言語に通じていなくてもその作品を読めること、②翻訳そのものを楽しめることを挙げました。
余談ですが、原文を短縮した短縮版の作品も、翻訳版の作品と同様のメリットがあると考えています。原文が長すぎて最後まで読む時間や気力がない人のために、有名な場面だけをコンパクトにまとめたのが短縮版の作品です。たとえば、『レ=ミゼラブル』の短縮版が角川文庫から出版されています。
原文にも翻訳文にもそれぞれの良さがあるので、それを理解してどちらも楽しみたいですね。そして世界の文学作品をわたしたちに届けてくれる翻訳家の方々には感謝です。
以上、小説における翻訳のメリットとデメリットでした。