はじめに
『星の王子さま』は200以上の国と地域に翻訳されている、世界的に知られた名文学である。しかし、その作者サン=テグジュペリ(1900-1944年)による他の作品を知る人は、意外と少ないのではないだろうか。
今回私は、彼の作品である『夜間飛行』と『人間の土地』を読んでみた。『星の王子さま』を読んだことのある人ならご存知のことと思うが、サン=テグジュペリの職業はパイロット(操縦士)である。ただし、現代のような飛行機を想像してはいけない。彼がパイロットとして活躍していた頃の飛行機は、ジブリの『紅の豚』に出てくるような、小型の飛行機だ(※)。彼は戦時中は戦闘機のパイロットとして、戦争がない時代は郵便機のパイロットとして活躍した。その経験に基づいて書かれた小説が、『夜間飛行』と『人間の土地』である。
※宮崎駿はサン=テグジュペリのファンであり、新潮文庫から出版されている『人間の土地』にエッセイを寄稿している。『紅の豚』や『ナウシカ』に出てくる飛行機は1900年代前半の飛行機をモデルにしていると思われる。
一言でいうと、どちらの作品も最高だった。『星の王子さま』ばかりがもてはやされている理由が分からない、と思うほどだ。そこで今回は、『夜間飛行』と『人間の土地』について個人的に良いと思った部分を紹介したい。
※ネタバレありだが、どちらの作品もサン=テグジュペリの経験に基づいた伝記風物語なので、ネタバレしようとあまり関係ない気がする。物語というよりはエッセイに近い。
美しすぎる比喩表現
小説の技法的な部分に注目すると、サン=テグジュペリの書く文章は比喩表現が大変美しい。加えてその比喩表現が、飛行機乗りにしか書けない表現なのだ。
例えば彼は、上空から眺めて点在する町々や村々を「庭園」と表現する。なぜ庭園なのか? それは、彼が地球の大部分は人の住処ではなく、自然に覆われていることを知っているからだ。
飛行機は三次元的な移動を可能にする乗り物だ。飛行機が発明されるまで、人類は二次元的な移動しかできなかった。言い換えると、徒歩にせよ馬車にせよ、旅する者はみな、大地という平面から離れられなかった。二次元的な移動をする人々は、歩きにくい場所――つまりあまりにも深い森や、険しい山々や、広大な湖や、オアシスが点在しない砂漠を、避けて通っていた。だから彼らは、地球の大部分が人間の住処ではないことを、意識しなかった。
しかし、三次元的な移動をする飛行士はそうではない。彼らは出発地点から目的地点まで、基本的には直線に飛ぶ。そのとき彼らは、二次元的移動の時代に人間が裂けていた、過酷な自然の上を通ることになる。すると彼らは、地球上に人の暮らせる場所がいかに少ないかを、否応なしに意識させられる。だからサン=テグジュペリは、人が暮らす場所を箱庭、すなわち「庭園」と表現する。
するとはじめて、ぼくらの直線的な弾道のはるかな高さからぼくらは発見する、地表の大部分が、岩山の、砂漠の、塩の集積であって、そこにときおり生命が、廃墟の中に生え残るわずかな苔程度に、ぽつりぽつりと、花を咲かせているにすぎない事実を。
サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、平成31年、74頁
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私が作中で最も感嘆した比喩表現は、『人間の土地』に出てくる「月が死んだ」だ。その一文を含めて下記に少し引用してみよう。1935年のある夜、サン=テグジュペリはプレヴォーという名の機関士と共に(※)、一機の郵便機でチュニスからベンガジに向けて出発した。
※本文から読み取る限り、当時の飛行機では、操縦士と機関士が一人ずつ同乗する決まりになっている。操縦士が飛行機を操縦する一方、機関士は各基地から電報を受け取って、その情報を操縦士に伝える。小説内で機関士は指示を、声ではなく紙に書いて伝える。おそらくこのようにする理由は、エンジンの爆音で相手の声が聞こえないからだろう。機関士なくして、操縦士は安全な運転ができない。
一応これで夜はできあがった。でもまだ完全な夜ではない。なぜなら三日月が残っていた。プレヴォーが、機の後部へもぐりこんで、サンドウィッチを取ってくる。ぼくは、葡萄のひと房をつまむ。ぼくは空腹ではない。ぼくは飢えも渇きも感じない。ぼくは何の疲労も感じない。ぼくは、このまま、十年でも操縦が続けられそうな気がする。
月が死んだ。
サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、平成31年、161頁
「月が死んだ」という比喩表現は、空に浮かんでいた三日月が沈んだ、ということを意味する。私はここで、月が「沈んだ」をあえて「死んだ」と表現する所が素晴らしいと思った。
この比喩表現は第一に、あたりが完全に闇に覆われたことによる、サン=テグジュペリの不安を読者に伝える効果をもつ。直前まで元気いっぱい、気分も上々である心情が描写されており、そこから急に「死んだ」というマイナスな単語を使っているからだ。このとき彼は地上に明かりが一つもない、真っ暗闇のなかを、高度計と頭に叩き込んだ地図だけを頼りに進んでいる。「死んだ」という比喩は、暗闇により湧き上がってくる、彼の言いようもない不安をよく表している
この比喩表現は第二に、この後サン=テグジュペリとプレヴォーに起こる不幸を暗示する効果をもつ。実は紙面上では「月が死んだ」の一文のあとには空行が一行入っており、次の段落からは新しい場面がはじまる。それがいっそう、「月が死んだ」の余韻を読者に与える。この後、彼らは目的地の明かりを発見することができず、闇にまどわされて、時速270キロのスピードでエジプトの砂漠に衝突する。そして人っ子一人いない砂漠のど真ん中で、喉の渇きにさいなまされながら、壮絶なサバイバルをすることになる。その不幸が、「月が死んだ」の一文にすでに表れているのだ。
以上の二つの効果があるがゆえに、「月が死んだ」の比喩表現は素晴らしいと思う。
他にもサン=テグジュペリは、嵐を乗り越えて目的地にたどり着いた飛行士のことを、「竜を征服してきた天使」と表現したり、竜巻が円柱のように何本も立っているさまを「竜巻の寺院」と表現したりと、比喩表現のセンスが大変良い。ぜひ『夜間飛行』と『人間の土地』を読んで、本文中にちりばめられた素敵な表現にうっとりしていただきたい。
道に対する考え方
上記ではサン=テグジュペリの比喩表現の素晴らしさについて紹介した。しかし、『夜間飛行』と『人間の土地』でうならされた部分は他にもある。それは、彼の「道」に対する捉え方だ。
過去に私は、道の歴史的な役割や、西洋における道の文化史といった記事を書いてきた。つまり私は、道と人との関係を考察するのが大好きだ。そして道に対する見方について強いこだわりを持っている。
サン=テグジュペリによる道の捉え方は、私としては、的を得たり! という感じだ。彼は道というものを、大変よく分かっている。なぜなら彼は、道を使って手紙を届ける人(郵便屋)であり、さらには航空路という道を開拓する人だったから。
サン=テグジュペリによる道の捉え方がよく分かる部分を、まず『夜間飛行』から抜き出してみよう。この場面は『夜間飛行』に収録された2作品のうち『南方郵便機』というタイトルの物語に出てくる。この場面では、ベルニスという郵便機の操縦士が、想い人が住む館に侵入する。誰もいない館のホールにて、窓から見た風景をベルニスは次のように描写する。
彼は窓から田園をのぞいて見た。田園は太陽の下に数マイルの白い道、祈りに行くための、狩りに行くための、手紙を届けに行くための、白い道を広げていた。
サン=テグジュペリ『夜間飛行』堀口大學訳、新潮文庫、令和2年、285頁。
「祈りにいくための」「狩りに行くための」という着眼点も最高だ。しかし私がとくに震えたのは「手紙を届けに行くための」という着眼点だ。道の歴史的な役割で紹介した通り、道の重要な機能の一つとして、情報の伝達という機能がある。噂話や手紙は、いつも道からやってくるのであって、井戸から湧いてくるなどということはあり得ない。その点を、手紙を届ける仕事をしていたサン=テグジュペリはよく分かっていたのだ。
次に『人間の土地』から、サン=テグジュペリによる道の捉え方がよく分かる部分を抜き出してみよう。
道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものなのだ。道路というものは、人間の欲望のままに泉から泉へと行くものなのだ。道路というものは、農夫たちを彼らの穀倉から麦畑へ導き、家畜小屋の戸口で、まだ眠っている畜類を受け取り、これを夜明けの光の中のクローバーの原にぶちまけるものなのだ。道路というものは、この村とあの村を連絡するものなのだ。なぜかというに、その二つの村のあいだで、人が結婚するからだ。
サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、平成31年、73頁
この部分で私が震えたのは、次の文章だ。「道路というものは、この村とあの村を連絡するものなのだ。なぜかというに、その二つの村のあいだで、人が結婚するからだ」。そう、村と村が道で結ばれているということは、その道を通じて人が行き交うことを意味している。二つの村の人びとは、ときには物々交換をしあうだろうし、ときには人を交換する。つまり結婚をする。ここで示されているのは、道の歴史的な役割にて紹介した、人を別の場所に移動させる道の機能である。
以上、サン=テグジュペリによる道の捉え方がよく分かる部分を2つ紹介した。彼は手紙を届ける人として、航空路を開拓する人として、道に対して深い洞察力を持っていたことが分かる。
おわりに
今回は『夜間飛行』と『人間の土地』について個人的に良いと思った部分を紹介した。それは以下の2点である。
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比喩表現が美しいこと
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道に対する深い洞察が読み取れること
もちろん、この2点以外にもたくさんの魅力がある。そして私は実際、もっと語りたい。なので、次回の記事では『人間の土地』に視点をしぼって、その魅力をさらに伝えていこうと思う。次の記事はこちら。
以上、『星の王子さま』だけではないサン=テグジュペリであった。