はじめに
前回はクロアチア一人旅をするに至った経緯や、クロアチアの歴史を紹介した。今回は1つ目の滞在地、首都のザグレブでの旅をつづる。
ザグレブ1日目
移動に疲れ果て到着
ヨーロッパ旅行をするにあたり、一番高い出費は何かというと、間違いなく航空券代である。なるべく安くすませるには、時間はかかるけれど中東(カタール)かロシア(モスクワ)を経由する便を予約するのがよい。というか検索した航空券を安い順に並べると絶対にそうなる。
費用面だけでなく、そもそも日本からクロアチアまでの直行便など、マイナーすぎて存在しない。だから、今回のクロアチア旅行は、カタール経由の航空券を予約した。帰りはなぜか、一度オランダのアムステルダムに行ってから、カタールに向かう便になった。なぜ、わざわざ日本から遠ざかるアムステルダムに行かなきゃならないんだ、と思ったがこの便しかなかったため仕方ない。このことで帰りに一難が生じるのだが、それはそのときにまた記載しよう。
まず、東京からカタールまで11時間かかった。カタールからクロアチアの首都ザグレブまでは、6時間ほどである。当時は今より若かったとはいえ、やっとザグレブの空港に着いたときには疲労困憊だった。
ザグレブでの宿は旧市街の近くに予約していた。空港から市街地までは4kmほど離れているため、バスか何かを使って、市街地まで移動する必要がある。とりあえず空港から出てみると、ちょうど大きなキャリーケースを携えた観光客が、次々と乗り込んでいるバスがあった。観光客が乗るということは、このバスが市街地行きに違いない。そう思った私は、バスに乗り込んだ。Google Mapで進路を確認しながら、市街地のバス停で下車した。
宿を探せ
おお!「外国に来た」という感じの景色だ。旅行中の天気予報は雨や曇りだったのだが、晴れてよかった。とりあえずキャリーケースを宿に置きたいので、Google Mapを見ながら、本日予約しているアパートメントを探す。すると、19世紀くらいに建てられたのかな、と思しき古めかしいアパートの扉を見つけた。番地的にもここで間違いなさそうだ。扉を引いてみる。
あれ!? 開かないな。鍵がかかっている。そういえば、アパートに入る方法について、宿のオーナーより連絡が来ていなかった気がする。こういうとき、電話が使えればよいのだが、海外旅行者の常として、私が使えるのはネットワークだけである。オーナーにメッセージは送れるけれど、きっとすぐには見てくれないだろう。困っていると、扉の横にインターフォンがあったため、それを押してみる。
応じてくれ~! と念じていると、応答があった。「今日、こちらに泊まる予定の○○ですが、チェックインできますか?」と尋ねてみる。「OK、少し待っていて」と回答があった。しばらくすると、扉が開き、お姉さんが出てきた。「部屋に案内するからついてきて」と言われ、薄暗いアパートの階段を下り、半地下のような部屋に来た。
「本来のチェックイン時間より早いから、まだ掃除中よ。でも、荷物は置いていいし、洗面所も使っていいよ」と言われる。半地下だから薄暗いのかな、と思っていたが、上のほうの窓から採光しているため、思ったより明るく、何よりオシャレだった。
荷物を置いて軽くなり、身支度を整えた私は、さっそく旧市街へ散策へ行くことにした。お姉さんから部屋の鍵をもらい、部屋を後にする。
旧市街の散策
西洋の都市には「旧市街」と呼ばれる場所がありがちである。「旧市街」とはその名の通り、ひと昔前に町の中心地だった場所で、その多くは歴史文化保存地区になっている。現在の市街地は、以前の市街地から少し離れた場所に作り直しているため、「新」と「旧」という呼び名で分けているのだ。
ザグレブの旧市街は(防衛観点上、多くの歴史ある都市がそうであるように)丘の上に広がっている。また西洋の都市に特徴的な「広場」もある。西洋における広場の歴史は、古代ギリシアにおける都市国家の時代にまでさかのぼる。
古代ギリシアにおいては、広場のことを「アゴラ」と呼び、都市国家(ポリス)の政治・経済の中心地としていた(アゴラでは交易・集会・裁判などが行われていた)。西洋の都市は古代ギリシアにおけるアゴラの文化を引き継ぎ、広場に市役所や教会などの重要施設を集約し、人びとが集まり、議論する場としての広場を存続させてきた。
西洋中世期における都市については、河原温の『中世ヨーロッパの都市世界』がお勧めだ。
というわけで、ザグレブの旧市街にも広場がある。さっそく広場へ行ってみると、市場が開かれていた。広場における市場の機能は伝統的であり、この市場もおそらく中世期から続いてきた文化だと思われる。
一枚目の市場の写真に、教会の尖塔が2本映っている。典型的なゴシック建築の教会だ(正確にいうとネオゴシック建築らしい)。こちらは聖母被天大聖堂と呼ばれ、1094年に建設が始まった、ザグレブで最初の教会である。1880年の火災の際に、現在の様式で再建された。
聖母被天大聖堂の近くにいたとき、ちょうど教会の鐘が鳴り、その様子を以下の動画に収めています。教会の鐘の音シリーズ、集めています。
旧市街には、もう一つ教会がある。聖マルコ広場に面した、聖マルコ教会だ。こちらの広場には、現役の国会議事堂、首相官邸、最高裁判所があり、政治機能を集約した広場であることが分かる。クロアチアの国葬などの重要行事は、こちらの教会で行われるそうだ。ミサ以外の時間には入場不可だったため、外から写真のみ撮った。屋根のモザイク画がオシャレである。
聖マルコ広場は、国の重要施設が集まっているだけあって、旧市街で最も標高の高い位置にある(歴史上、どの都市においても、貴族などの権力者は比較的安全な高台に住むものだ)。そのため、高台から旧市街を見渡せた。
ザグレブ旧市街にはたくさんの銅像があり、個人的に馴染み深い人の像を見つけた。竜退治をしたことで有名な聖人、聖ゲオルギオス(クロアチアでは聖ユラユと呼ばれているらしい)の像だ。ゲオルギオスについては、西洋における竜と東洋における龍の違いの記事でも紹介している。日本神話でいうと、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトのポジションだ。
スーパーで買い出しをして帰る
クロアチアには「K」というマークが目印の「コンズム」というスーパーがいたるところにある。アパートメントで泊まる場合、簡単な調理器具も揃っているため、今日の夜ごはんと明日の朝ごはんのために、スーパーで買い出しをする。とりあえずパンと、パンにはさむサニーレタスと、ハムと、チーズがあればなんとか栄養がとれて生き延びることができるだろう。また、疲労のせいかなんだか風邪っぽいので、身体が温まるようなお茶がほしくて、カモミールティーの茶葉を買う。
アパートメントに帰って、サンドウィッチをつくり、もぐもぐと食べて眠りにつく。
ザグレブ2日目
新市街の散策
2日目になって、風邪が悪化しているように思え、なんだか熱っぽい。日本にいるときから、なんとなく喉に違和感を感じていたため、風邪薬をもってきて正解だった。ザグレブの観光名所はあらかた回ったから、今日は無理せずゆっくり過ごそう。
カモミールティーを飲んで温まる。疲労がたまっていることや、体調が悪いこともあって、ホームシックになる。次の町へ行くためのバスの時間を調べたり、宿の予約もしたりしなければならない。こんなときに、不安を紛らわす話し相手がいてくれればいいのに……と思いはじめる。一人旅は寂しく厳しいものなのだ。
少し横になって休んだあと、旧市街ではなく、新しい市街へ行ってみる。トラムが走っている通りだ。
実は、クロアチアはネクタイ発祥の地と言われている。「太陽王」のあざ名をもつ、フランスのルイ14世(1643-1715年)に雇われていたクロアチアの兵士は、首にクラバット(Cravat)と呼ばれる布を巻いていた。そのクラバットがファッションとして大流行し、現在のネクタイになったと言われている。なお、フランス語ではネクタイのことを今でもクラバット(Cravate)と呼ぶ。
というわけで、クロアチアを代表するネクタイブランドの、「クロアタ」というお店に行ってみた。ここではスラヴ語派の表音文字で、クロアチアも古くは使っていたという、キリル文字の柄のネクタイが売っているそうだ。完全に自分の趣味で、父へのお土産にそのネクタイを買うことにした。
「キリル文字のネクタイで人気なのはどれですか」と尋ねると、店のお兄さんが「年代にもよるけど、誰へのプレゼント?」と言う。for my father, と言うと、いくつかオススメを持ってきてくれた。えんじ色のネクタイを買うことにして、お会計を済ませると、「お父さん喜んでくれるといいね!」と言ってくれて、心が温かくなった。
明日のバスの時間や乗り場を調べ、残りの日程の宿を予約する。ふー、これでひと安心だ。昨日と同じ食事をして、早めに寝ることにする。さいわい、風邪のピークはこの日だったので、あとは徐々に回復していった。
おわりに
今回はクロアチアのザグレブでの旅についてつづった。次回は、プリトゥヴィツェ湖群国立公園での旅についてつづる。