ロツバの祈祷

目次

はじめに

創作物語の回です。月に1回を目標に投稿していく予定です。お楽しみください。

ロツバの祈祷

 薬師のロツバは、人の手ではどうしようもない怪我や病気があることを知っている。だから朝と晩の祈祷は毎日、かかさなかった。

 朝の祈祷は、井戸で水を汲む前に行い、夜の祈祷は、寝床に入る前に行う。夜通し患者を診ることもあるため、祈祷の時間が昼になることもしばしばだったが、そこはたいして気にしなかった。これは神頼みというよりは、自分のためであり、「しないよりはまし」程度の気やすめなのだ。それを聞いた父は呆れたように首を振り、「そんな考えは村の誰にも言わないように」と釘を刺した。「わたしたち薬師は、かつては祈祷師と呼ばれていた。祈りと治療は切り離せない行為で、祈祷も立派な薬師のしごとなんだよ」

 分かっている、とロツバは答えた。自分の力でどうにもならないことが起きたとき、人は誰かに助けを求める。村人にとってそれは薬師であり、薬師にとってそれは神々である。頼る者がいない状態は誰にとってもつらい。だからロツバにとって、神々への祈りは自分のためなのだ。その結果、願いが叶うかどうかは、また別の話である。ロツバは毎日、家族と村人の加護を願っている。それから、幼馴染であるカリの加護も。

 カリは行商人の息子で、家族と共に年に数回、山あいに広がるロツバたちの村を訪れた。カリ一家にとって、村は町から町へ移動する際の、数ある中継地点の一つだったが、村長が一家を気に入っていたため、冬越えはたいていこの村で済ませていた。雪によって外界と隔絶される三カ月間、ロツバにとって、最も気の合う遊び相手はカリだった。

 ふたりは羊の毛皮を暖炉のそばに敷くと、その上にあぐらを組んで座り、炎を前にして何時間も一緒に過ごした。カリは、砂漠を越えるときの苦労や、山賊を返り討ちにしたこと、西方や東方の大都市のきらびやかな様子、初めて食べた果物の味、仕入れ値の十倍で絨毯が売れたこと、他の商人から聞いた冒険譚など、ロツバがいないときに起きたことなら、何でも話した。ロツバは父の手伝いで薬草をすりつぶしたり、まじないのための木製人形を彫ったりしながら、カリの話に耳を傾け、一緒になって笑ったり怒ったりした。話の内容に夢中になって、作業の手が止まることもしばしばだったが、その件で父から怒られた記憶はない。父は、旅人の話を聞いて息子が見識を広めることは、薬の知識を身につけることと同様に、良いことだと考えていたのかもしれない。

 ロツバが十六歳になる年、冬越えのために村にやってきたカリ一家は、今回が最後の滞在になるだろう、と言った。ロツバが生まれる前から、東の大国は貿易に力を入れており、行商人が楽に通ることができる道を整備していた。その道の一部が開通したため、春以降は、村がある山間部を通る必要がなくなる。カリ一家は、これまで世話になった礼として、村にさまざまな土産物を持ってきていた。驢馬の荷をほどく一家の周りに、村人たちがわっと群がる。その様子を遠巻きに眺めていたロツバは、同じく人だかりから離れた場所にいる、カリと目が合った。

 ふたりは村はずれの、道祖神が立っている場所までそぞろ歩いた。

「おれたち一家は、年から年じゅう旅をしている。だから、故郷と呼べる場所がないんだ」

 倒木に腰かけながら、カリが言った。

「でも、この村に着くといつも、『帰ってきた』と思ってほっとする。もし故郷があるとしたら、こんな感じなんだろうな」

 相づちを打って、ロツバも隣に腰かけた。カリはしばらく黙っていたが、照れくさそうに笑った。

「家族以外で気を許せるのはロツバだけだ。もう会えなくなると思うと、寂しいよ」

 いつもと変わらない冬だった。ロツバはカリに手伝ってもらいながら、冬仕事をこなし、その間にカリの冒険譚を聞いた。ロツバはカリが他の仕事をしているときを見計らって、こっそりと小さな木製人形を彫りすすめた。彼に餞別としてあげる旅のお守りだった。

 冬は《動》というよりは《静》の季節で、弱った人や家畜が永眠する季節だ。薬師として生き物を看取ることが多いため、あまり心地よい季節ではない。しかしその年だけは、冬がずっと続けばいいのにと思った。なぜなら冬が終われば、カリは旅立ってしまうのだから。

 やがてカリ一家が出立する日がやってきた。ロツバは完成した旅のお守りをカリに渡した。「元気でな」とカリは言った。ロツバは泣かなかった。だが、驢馬を引く彼らの姿が見えなくなったあと、見送りに出ていた村人たちがいつもの仕事に戻っていったあと、村はずれの道祖神の脇に力なく座りこんで、すすり泣いた。それから、カリ一家の旅の安全と加護を祈った。

 あれから二十年近くが経った。ロツバは一人前の薬師となり、嫁を迎えて二人の子供に恵まれた。人生の節目を迎えるたびに、今でもカリのことを思い出す。カリは今頃、何をしているだろうか。もう結婚しただろうか、子供はいるだろうか。今でも親族と共に旅を続けているだろうか、それとも独立して、新しい貿易路を開拓しているだろうか。彼のことを考えるたびに、一緒に過ごした幼い日々がよみがえり、心が温かくなる。どうか幸せに過ごしていてほしい。願わくば、ロツバがあげた木彫りの人形をまだ持っていてほしい。それを見るたびに、ロツバのことを思い出してほしい。

 ロツバは薬師だから、人の命が儚いことをよく分かっている。また、旅には危険がつきものであることも、よく分かっている。二十年も経ったのだから、もしかすると、不慮の事故や病気にみまわれて、カリはすでにこの世にいないかもしれない。それでもロツバは、彼の幸せを朝に晩に祈っている。いつか、この世でまた会えたら嬉しい。それが叶わなかったら、あの世で再会しよう。カリがどこにいようと、彼と過ごした思い出は胸のうちにある。

おわりに

前近代の人にとって、人が旅に出ることと、人が死ぬことは、今生の別れという点でおなじようなものだったかも、という想像をして書きました。

作中の舞台は西洋と東洋の間の山間部をイメージしており、西の大国はアッバース朝のイスラーム帝国を、東の大国は唐をイメージしています(8世紀の世界)。それぞれの首都は、バグダードと長安なので、カリが語った西方や東方の大都市とは、おそらくこの2つの都市を指しているのでしょう。もう少し西に行くと、コンスタンティノープルが首都の、ビザンツ帝国があります。

道祖神は、神道における旅の守り神を指しますが、どこの信仰においても旅の守り神はいるはずなので、架空の世界における「道祖神」に相当する神……ということで、道祖神という単語を使いました。道祖神は、辻や村の境界に立つ石像で、今でも古い道(車が発明される前から存在するので、たいてい車が通りづらい狭い道)を歩くと、普通に見ることができます。

以上です。お読みいただきありがとうございました。前回の物語はこちら→『エルネスタと水たまり

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