はじめに
ファンタジーに分類される物語の多くには、超自然的な力(=魔法)がでてきます。その定義はおとぎ話とファンタジーの違いでも紹介しました。
超自然的な力が出てくる物語のなかでも、工業化以前の時代を舞台にしたものをファンタジー、工業化以降(科学革命以降)の時代を舞台にしたものをサイエンス・フィクションと呼ぶことが多いです。工業化以降の超自然的な力は、魔法ではなく科学が相当します。魔法と科学が、世界を理解するために存在する似通った概念であることは、魔法から科学への移行で紹介しました。
ファンタジージャンルの物語の醍醐味の一つに、作者オリジナルの魔法法則があります。例えば『ハリー・ポッター』シリーズの魔法は、①杖を使い、②決まった呪文を唱えることで、魔法が発動します。この法則は認知度が高く、ゲーム・漫画などで魔法使用の典型のようになっているため、巷のファンタジー物語のほとんどが「ハリー・ポッター型」の魔法法則を採用していると言ってもよいでしょう。
ファンタジー界隈で少し変わった(また魅力的な)魔法法則といえば、アーシュラ・K・ル=グウィンが『ゲド戦記』で採用した、対象物のまことの名を知ることで使用できる魔法です。今回は、この魔法法則の起原について探ります。
『ゲド戦記』の魔法法則
アメリカ出身の作家、アーシュラ・K・ル=グウィンは5部作にわたる『ゲド戦記』において、「まことの名」が鍵である魔法を描きました。その法則とは、魔法をかけたい対象の「まことの名」を知ることによって、魔法使いがそれに魔法をかけられるというものでした。
作中、ローク学園の名づけの長は、主人公のゲドにこう教えます。
魔法は、本当の魔法はな、アースシーのハード語か、ハード語のもとになった太古のことばを話す者だけがあやつることができるのじゃ。
太古のことばとは、今も龍の話しておる言葉でな、この世に陸地をつくったセゴイが語った言葉よ。古くから伝わるさまざまな歌謡も、呪文も、祈祷のことばも、すべてはこの太古のことばで成っておるんじゃ。
(中略)
魔法をかけるには、太古のことばで、その真(まこと)の名を言わねばならん。
ル=グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記 1 影との戦い』岩波書店、2006年、79頁。
『ゲド戦記』の世界では、石にも花にも、世界のあらゆるものには太古のことばで「まことの名」があると考えられます。そして、石に魔法をかけようと思えば石の、花に魔法をかけようと思えば花のまことの名を知る必要がります。人間にもおのおの、普段使われる字(あざな)の他に、まことの名があります。例えば『ゲド戦記』の主人公は普段「ハイタカ」という名で呼ばれていますが、まことの名は「ゲド」です。
『ゲド戦記』の世界の人々にとっては、自分の「まことの名」を誰かに知られるというのは、大変な危険が伴います。なぜなら「人の本名を知るものは、その人間の生命を掌中にすることになるのだから」です。言い換えると、「まことの名」が流出すると、邪な魔法使いに魔法をかけられてしまう危険があります。だから、「たとえどんなに親しい者でも、第三者のいるところでは字(あざな)で呼ぶのが常」なのです。
なお生死にかかわる魔法使いと魔法使いの戦いは、どちらが先に相手の「まことの名」を探り当てるかどうかにかかっています。
エジプト神話における名前の重要性
ル=グウィンの魔法法則は、ファンタジーの典型になっている杖と呪文の魔法とは一線を画しています。そして「まことの名」をつかった魔法は、そのユニーク性で『ゲド戦記』の大きな魅力の1つになっています。私は長らく、この魔法法則はル=グウィンの完全オリジナルだと思っていました。しかし最近になって、その魔法法則が生まれた基となったのはエジプト神話である、と思い至りました。
カート・セリグマンは著書『魔法―その歴史と正体』のなかで、エジプトの魔術師は、対象者の名前を利用することで、その者に魔法をかけることができると考えていた、と語ります。なぜなら「人が自分自身のものだというものはどんなものでも、魔術的にいえばその人の一部」[1] であり、対象者の(髪や肖像画などの)「所有物が何一つ利用できない場合、魔術師が使える唯一のものは名前」[2] だからです。
無数の人びとが名前の魔術力を信じたし、いまもなお信じている。この信仰は、ことにエジプト人のあいだでつよかった。エジプト人はだれでも、生まれると二つの名前をもらった。真実の名前とよい名前、あるいは大きな名前と小さな名前である。小さな名前だけが公にされた。大きな名前はカー(※)に属し、個人のあらゆる魔術力を具現化した。悪霊や神々は、小さな名前の上に怒りを注ぎ、本人自身は無害だった。
カート・セリグマン『魔法―その歴史と正体』平凡社、2021年、90頁。
※カーとは、魂の片割れのこと。
上記の引用の「真実の名前」「大きな名前」のほうが、ル=グウィンの魔法法則における「まことの名」に相当します。そして、「よい名前」「小さな名前」のほうが、ル=グウィンの魔法法則における字(あざな)に相当すると考えられます。
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エジプト神話における名前の重要性は、死者の書からも分かります。
エジプト神話では、死者はオシリスの裁判によって、来世での生命を与えられるか、罪のため罰せられるか判決されると考えられていました。死者の書とは、死者があの世での旅路で直面する数々の試練を乗り越えるために、ミイラと一緒に埋葬された案内書(ガイドブック)のことです。その巻物には、死者が遭遇するであろう魔ものたちや尋問する神々の秘密の名前が記載されていました。なぜなら、精霊の本当の名前を知ることは、死者にその精霊を支配する力を与えたからです。
また死者はその旅路の途中で、数々の物からも名前を言うように求められます。例えば小舟から「わが名をいえ」と言われたら、「なんじの名は、闇なり」、帆柱から「わが名をいえ」と言われたら、「なんじの名は、偉大なる女神をその行き先に導くものなり」と答えなければいけません。
死者の書の記載からも、エジプト神話では「秘密の名前」や「本当の名前」がその者を支配する上で重要だったことが分かります。こららの類似点から、ル=グウィンの魔法法則はエジプト神話が基になっていると、私は考えています。
自らの名を知ることで本来の力を取り戻す
死者の書には、悪霊から名前を奪われたときに対処する決まり文句やまじないも載っています。というのも、自らの名前を相手に「知られる」どころか「奪われる」事態になると、自分で自分の正体が分からなくなってしまうからです。この考え方に沿うと、自分の本当の名前を知る(取り戻す)ことは、自分の正体を知ることや、本来の自分に戻ることを意味します。
この考え方も『ゲド戦記』において踏襲されています。例えば、以下3つの例を挙げられます。
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ハヤブサに姿を変えた後、危うく人間を忘れハヤブサになりかけていたゲドは、師のオジオンに「まことの名」を呼ばれることによって人間に戻る
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アチュアンの墓所の巫女アルハは、ゲドに「まことの名(=テナー)」を告げられることで、本来の自分を取り戻す
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顔半分に火傷を負った少女、テルーが自分の「まことの名(=テハヌー)」を知ることは、その後彼女が本来の自分(=竜)に戻る伏線になっている
余談ですが、自分の本当の名前を取り戻すことで自分の正体を思い出す、という考え方が表れているファンタジー物語には、ジブリの『千と千尋の神隠し』も挙げられます。千尋もハクも、湯婆婆に取られた本当の名前を知ることで、自分が何者かを思い出す(そして帰る場所を思い出す)のです。
おわりに
今回は、アーシュラ・K・ル=グウィンが『ゲド戦記』で使用している魔法法則の起原について探りました。
『ゲド戦記』の魔法法則とは、魔法をかけたい対象の「まことの名」を知ることによって、魔法使いがそれに魔法をかけられるというものでした。私はこの法則について、エジプト神話に起原があると考えました。なぜならエジプト人の魔法の考え方では、対象者の名前を利用することで魔法をかけると信じられていた上に、それを防ぐために公にする名と、隠しておく本当の名前が存在したためです。また死者の書の記載からも、エジプト神話で名前が相手を支配する上で重要だったことが分かります。
エジプト神話ではまた、自分の本当の名前を思い出すこと(取り戻すこと)は自分の正体を知り、本来の自分に戻ることにつながりました。その考え方も『ゲド戦記』で踏襲されていると考えます。
以上、ル=グウィン『ゲド戦記』の魔法法則の起原でした。
参考文献
[1] カート・セリグマン『魔法―その歴史と正体』平凡社、2021年、89頁
[2] 同上、90頁