人口が増え、多くの人が森を利用するようになった中世期には、森の利用に関する様々なルールが生まれました。さらには森を持続的に利用するための、森の保護への動きがでてきました。それらについて紹介します。
古代 – 共用空間としての森
かつてヨーロッパ大陸には、ローマ帝国というラテン民族が建てた大帝国がありました。しかし476年、北欧から勢力を拡大してきたゲルマン民族によって、西ローマ帝国が滅ぼされます(東ローマ帝国は存続する)。
この時点で、ヨーロッパ大陸の覇権はゲルマン民族に移りました。一般的な時代区分としては、この時から中世という時代が始まります(※)。
※詳しくは中世ヨーロッパはいつからいつまでを参照。
中世期にヨーロッパ大陸の覇権を握ったゲルマン民族の慣習では、森は人々の共有空間でした。たとえ森が誰かの所有物であろうと、誰でもそこにいる動物を狩り、木の実や枝を持ち帰ることができました。
しかし森の利用価値が高まり、より多くの人々がより大きな規模で森を利用しはじめると、どうしても利害衝突が起きます。そのため中世期には、森の利用に関する様々な規則が生まれました。さらには現代につながるような、森の保護の動きもでてきます。
次章から、具体的な森の利用と保護への動きについて紹介します。
「御料林」を意味する単語の出現
中世期に森の帰属先と利権が重要になったことは、フォレスティス(forestis)という新しいラテン語が生まれたことから分かります。ラテン語とはで説明した通り、ローマ帝国が滅亡した後も、ラテン民族の言語であるラテン語は、中世を通して使用されました。初めてフォレスティス(forestis)という単語が文書に出てくるのは、6-7世紀のことです [1]。
フォレスティス(forestis)、のちのフォレスタ(foresta)は「御料林」を意味します。つまり王が所有する森のことです。それまで単に「森林」を意味していた単語は、シルウァ(silva)でした。ローマ帝国において、森の守護神はシルウァヌス(Silvanus)と呼ばれましたが、その名前はシルウァ(silva)に由来します。
王が森を所有した理由は、主に木材の利用と狩猟のためでした。そして御料林に対する他の者の利用を制限、もしくは完全に禁止しました。そのため御料林が生まれたことは、この時期に森の帰属先、さらには利権の明確な規定が重要になってきたことを意味しています。本記事の後半で、支配層による森の利用例として狩猟について取り上げます。
ちなみに、もうお分かりかもしれませんが、英語で現在「森林」を意味するforestはラテン語のフォレスティス(forestis)に由来します(※)。「御料林」という元の意味から、長い時間をかけて意味が広がったことが分かります。ドイツ語で「森林」を意味する単語はヴァルト(wald)であり、こちらはラテン語ではなくゲルマン語由来です。
※ただし、フォレスティス(forestis)の由来となった単語については、ラテン語のフォリス説、ゲルマン語のフィルスト説など様々な説があります [2]。
木材の枯渇と保護への動き
御料林に代表される、何者かの所有林が増えていくことによって、森の利用は制限されていきました。特に人々が木材の枯渇に直面した13世紀以降、その制限はより厳しくなっていきます。木材枯渇の理由は、12-13世紀に活発になった開墾運動でした。開墾運動については、西洋における森の歴史でも触れています。
森林の減少要因について、中世史学者の池上俊一は諸都市による大量の木材消費にも着目しています。都市の木材利用について詳細を知りたい方は、引用元の本を読んでみてください。
森の浸食は、11世紀、とくにその後半から13世紀にかけて一気に進んだが、これは、農村における開墾運動、耕地の拡大という理由だけではなくて、都市の木材消費が異常に増加したという要因も無視できない。
池上俊一『森と川―歴史を潤す自然の恵み』刀水書房、2010年、88頁。
開墾運動が成熟した13世紀には、支配層から開墾を制限し、森林資源の保護を求める動きが多発しました [3]。この時期から人々は森の保護を意識せざるを得なくなります。森の利用に関する規則はより厳しくなり、時代が下るにつれて、伐採可能な木の量、伐採可能な期間、のちに挙げる豚の放牧頭数などが、より厳格に決められていきます。
森の管理や利用に関する規則は、支配層からのみ決められたわけではありません。現在のドイツ語圏には、マルク共同体という、森を共同で管理する農民たち(被支配層)の自治的団体がありました。そして現在のドイツに相当する森では、その利用は多くの場合、マルク共同体による「木の裁判」によって規制されていました。
木の裁判の多くの決定は、残酷な刑罰で有名であり、しかも悪名高いものでした [4]。よってその刑罰は規則違反の抑止力となりました。ただし、木の裁判を主宰する「木材伯」(ホルツグラーフ)は王侯や領主に任命されることがよくあり、その意味ではマルク共同体(つまり被支配層)が森を完全に自由に管理できたわけではありません。
マルク共同体の存在から、農民たちがいたずらに森を開墾していたのではなく、森の持続を考慮していたことが分かります。森に最も身近な層は農民であるため、次の年も同じように暮らすことを考えれば、森の管理と保護は彼らにとって当然のことだったのかもしれません。
森の利用例
前章では13世紀以降に木材の枯渇が顕著になったことを説明しました。しかし森は単に「木が生えた場所」ではありません。つまり人間にとって単なる木材確保の場所ではありません。森はそこに生息する生物や土壌など、空間全体をもって価値のあるものです。そのため中世期の人々は木材の枯渇のみを危惧したのではなく、空間全体としての森の機能が失われることを危惧しました。
では、具体的にどのような機能が失われ得たのでしょうか。それを知るために、本章では空間としての森の利用例を2つ取り上げます。1つ目は支配層の利用例、2つ目は被支配層の利用例です。
1. 狩場としての森
王侯貴族による森の利用例として、狩猟が挙げられます。狩猟とは本来、食料を確保したり、耕作地を荒らす動物を駆除したりするために行われるものです。しかし中世の盛期(11世紀~)ごろから、貴族による狩猟は実用的な目的から離れ、遊びの要素が強くなっていきます。つまり、狩猟は貴族のたしなみと娯楽のために行われました。
狩猟が娯楽のために行われたことは、ロビン・フッド伝説の時代背景を考えると分かります。西洋におけるアジール(例)で紹介した通り、ロビン・フッドは中世期イングランドの代表的なアウトロー(outlaw, 法の外にいる人)で、弓の名手として知られています。彼はまた、弱者にやさしく、権力者に意地悪な民衆のヒーローとしても知られています。
ロビン・フッドが暮らしているシャーウッドの森は、イングランド国王の御料林でした。彼としばしば敵対するノッティンガムの代官(シャーウッドの森はノッティンガムにある)の仕事は、森に生息する鹿を一般人が獲らないように見張ることでした。なぜなら鹿は狩猟の対象として華であり、国王が獲るために取っておくべき動物だからです。
ロビン・フッドの伝説の通り、大型の動物は基本的に王侯貴族のものであり、農民が狩ることは、多くの森で禁じられていました。ただし兎や狐などの小型動物を農民が狩ることは許可されていました [5]。
2. 放牧地としての森
農民による森の利用例として、豚の放牧が挙げられます。中世期の終わりごろまで、食肉の供給源はほとんど豚のみであったため [6]、中世人にとって秋のうちに豚を肥えさせることは重要な仕事でした。肥えさせるためには、餌をたくさん食べさせなければなりません。そして中世期における豚の餌は、主にミズナラやブナの実、つまりドングリでした。
そのため、豚の餌を供給する木を農民たちはとりわけ大事にしていました。その木を傷つけたり、伐採したりした場合の処罰は他の処罰に比べてより重たいものでした。
ちなみに、羊やヤギ、牛の放牧は広葉樹の森にとって有害ですが、豚の放牧は頭数や時期さえ守れば、むしろ森にとって良いことが分かっています。
上記で挙げた例の通り、人々は木材の供給地としてのみ森を利用していたのではありません。森の機能は多様であり、その恩恵を受けられなくなることを危惧した中世人は、13世紀以降、より厳格な規則の制定へと動きはじめたのです。
おわりに
今回は、西洋中世期における森の利用と保護への動きについて紹介しました。
ゲルマン民族の慣習では、森の恩恵は誰でも享受できるものでした。しかしより多くの人々がより大きな規模で森を利用しはじめると、利害衝突が起き、明確な利用規則が必要になりました。森の帰属先、さらには利権の明確な規定が重要になってきたことは、中世期に「御料林」を意味する新しい単語がでてきたことから分かります。
13世紀になると、森の利用規則はより厳しいものへと変わっていきました。その主な理由は開墾運動によって、大量の木が伐採されたことによるものでした。ただし森の管理や利用規則は支配層が常に決めていたわけではありません。その例として、マルク共同体の存在を挙げました。
人々は森を、単に木材供給の場としてのみ利用していたのではありません。森の多機能性の例として、狩場としての機能、放牧地としての機能を挙げました。人々は例に挙げたような森の総合的な機能が失われることを危惧して、保護の動きへと乗り出していきました。
以上、西洋中世期における森の利用と保護への動きでした。
参考文献
[1] 池上俊一『森と川―歴史を潤す自然の恵み』刀水書房、2010年、14頁。
[2] カール・ハーゼル『森が語るドイツの歴史』山縣光晶訳、築地書館、1996年、145頁。
[3] 堀越宏一『ヨーロッパの中世 5 ものと技術の弁証法』岩波書店、2009年、84頁。
[4] ヨアヒム・ラートカウ『木材と文明』山縣光晶訳、築地書館、2014年、58頁。こちらの本には刑罰の例についても記載されています。
[5] 池上俊一『森と川―歴史を潤す自然の恵み』刀水書房、2010年、19頁
[6] カール・ハーゼル『森が語るドイツの歴史』山縣光晶訳、築地書館、1996年、68頁。