はじめに
西洋における森の歴史で、むかし人は自分の暮らす共同体(村・町)の外を「異界」ととらえていたとお話しました。村を囲う柵を一歩越えれば、そこは神々・精霊・悪霊の住まう世界だったのです。
現代では「異界」は消えてしまいました。超自然的な力(魔法)ではなく、科学によって世界を理解しようと試みるからです(詳しくは魔法から科学への移行を参照)。
あるいは人々が「異界」を飼いならしたともいえます。人々はもはや「異界」を恐れず、娯楽のために使うようになりました。すなわち、「異界」を旅する物語を空想するようになりました。それが小説や漫画における「ファンタジー」ジャンルです。恐ろしい森が現在では癒しの存在となったように、「異界」を旅する物語は、日常生活を忘れさせてくれる癒しの物語なのです。
今回はファンタジー冒険物語における主人公の超自然的な力が、最後に失われる理由を考察します。
たとえば『ハリー・ポッター』におけるハリーはなぜ最後に「ニワトコの杖」を手放すのか?あるいは『鋼の錬金術師』におけるエドワードはなぜ最後に「真理の扉(錬金術)」を手放すのか?本記事が参考になれば幸いです。
ファンタジー冒険物語のプロット
ファンタジー物語とは、超自然的な力(現実にはあり得ない魔法など)や存在がでてくる物語のことです。詳しくはおとぎ話とファンタジーの違いを参照してください。そのジャンル中でも、とくに娯楽として人気なのが冒険物語です。
ここで意識していただきたいのが、ファンタジー物語であって冒険物語でないもの、冒険物語であってファンタジー物語でないものがあることです。今回の記事では、下記のベン図の水色部分、すなわちファンタジー物語であり、かつ、冒険物語であるものを扱います。便宜上、ファンタジー冒険物語とでも呼びましょう。
漫画でも小説でも映画でも、ファンタジー冒険物語のプロットはある程度決まっています。すなわち、主人公が「超自然的な力」を得て「日常世界」から「異界」へ旅立ち、「超自然的な力」によって何らかの目的を達成して「日常世界」に戻ってくるというプロットです。J.R.R.トールキン『ホビットの冒険』の主人公ビルボの言葉を借りれば、「行きて帰りし物語」です。
たとえば『ハリー・ポッター』でいうなら、ハリーは「魔法」という超自然的な力を得て、「ホグワーツ城」という異界へ旅立ちます。そして「魔法」によって異界で起こる事件を解決し、「叔母たちの家(マグルの世界)」という日常世界に戻ってきます。
『鋼の錬金術師』でいうなら、エドワードは「錬金術」という超自然的な力を得て、そのために喪失した右腕と左足、弟の身体を取り戻しに「リゼンブールの外」という異界へ旅立ちます。そして「錬金術(真理の扉)」によって喪失したものを取り戻し、「リゼンブール」という日常世界に戻ってきます。
余談ですが、ファンタジー冒険物語における旅立ちの理由として「超自然的な力の獲得」と同様に「喪失」という理由もよくあります。『鋼の錬金術師』の場合は「獲得」と「喪失」の両方が旅立ちの理由となっています。
超自然的な力を持つ者=異界人
冒頭で述べた森の話で言えば、日常世界(村・町)には超自然的な力が存在せず、異界(森)に超自然的な力が存在します。ここで重要なのは、日常世界の住人だった主人公が、物語の序盤で異界人になる、ということです。なぜなら主人公は旅立ちの際に「超自然的な力」を獲得するからです。
異界へ旅立ち、生きて冒険の目的を達成するには、異界のルールである「超自然的な力」を保持してなければなりません。そのため主人公は旅立ちの前に「超自然的な力」を獲得します。するとそれを得た時点で、彼/彼女らは日常世界のルールではなく、異界のルールに従って生きる異界人になるのです。
では、冒険の目的を達成し、日常世界に戻るために、主人公は何をしなければならないのでしょうか。
勘の良い方はもう気づいていらっしゃるかもしれません。異界人のままでは、日常世界に戻れません。つまり、日常世界に戻るためには、異界人の特徴である「超自然的な力」を手放さなければならないのです。
先ほどの『ハリー・ポッター』の例で考えてみましょう。『ハリー・ポッター』には作中、いくつもの冒険物語があります。なかでも最大の冒険といえば、「ヴォルデモートを倒す」という目的の冒険です。この冒険における何よりの要は、世界最強の杖である「ニワトコの杖」です。言い換えると、この冒険における「超自然的な力」とは「ニワトコの杖」です。ハリーは「ニワトコの杖」という「超自然的な力」の持ち主になることによって、「ヴォルデモートを倒す」という冒険の目的を達成したのです。
主人公は目的を達成した後、用なしになった異界人の持ち物を手放さなければなりません。そうしなければ日常世界に戻れず、異界人として生きるしかありません。ロンやハーマイオニーやジーニーと共に生きるためには、ハリーはニワトコの杖を捨てなければならならないのです。よってハリーは映画版ではニワトコの杖を折って川へ投げ捨て、原作ではダンブルドアの墓に埋めに行きました。『鋼の錬金術師』の例では、エドワードは錬金術(真理の扉)を手放したのです。
おわりに
ファンタジー冒険物語の定型プロットは、主人公が「超自然的な力」を得て「日常世界」から「異界」へ旅立ち、「超自然的な力」によって何らかの目的を達成して「日常世界」に戻ってくるというものだとお話しました。主人公が物語の最後で「超自然的な力」を手放さなければならないのは、それが異界人の持ち物だからです。元の世界に戻るには、主人公は異界人としての特性を失わなければならないのです。
以上、ファンタジー冒険物語における主人公の超自然的な力が、最後に失われる理由を考察しました。