はじめに
7月上旬のフィリピン旅行記その3です。前回は、マニラ観光前半をつづりました。マニラにある「きれいな街」や、アジア外国人に対する個人的な思い出についても書きました。
今回は、マニラ観光後半です。観光案内をしながら、関連話題も記載したいと思います。
サン・アグスティン教会
サン・アグスティン教会(San Agustin Church)は、スペイン統治時代に建てられた、カトリックの教会です。1993年に、「バロック様式教会群」の一つとして世界遺産に登録されました。バロック様式とは、16世紀末から18世紀にかけて流行った芸術様式のことです。中世期に流行ったロマネスク様式やゴシック様式と比べると、非常に派手な様式です。
西洋人が「オシャレは引き算」を学んだのはその後で(おそらくバロック、ロココで趣向の限りを尽くして満足したのだと思う)、個人的には、バロック様式は西洋史上で一番コテコテした様式だと思っています。ロマネスク様式とゴシック様式については、以下記事で解説しているため、気になる方は参照ください。
- ロマネスク:西洋中世期の服飾-ロマネスク時代女性
- ゴシック:西洋中世期の服飾-ゴシック時代女性
現存するサン・アグスティン教会は、1607年に建てられたものです。オリジナルは1571年に竹とニッパヤシで作られましたが、中国人の海賊により焼失し、次に建てられた木材の教会も、1583年に蝋燭が原因の火事で焼失しました。そこで3度目に建てる際には、手間や時間はかかりますが、火災に強い石を使うことになりました。そのとき建てられた教会が、現在まで残っている教会です。
現存する教会も、1880年の地震や第二次世界大戦の戦火によって、一部は失われています。例えば古い写真を見ると、教会入口の左右にはそれぞれ鐘楼があります。しかし1880年に地震が起きた際、左の鐘楼にひびが入ったため、安全のため取り壊されました。
フィリピン旅その1の記事で記載した通り、フィリピンでは人口の9割がキリスト教徒です。そのため、歴史と伝統があるサン・アグスティン教会は、若者にとってそこで結婚式を挙げたい、憧れの教会です。
そういえば、モンゴルに行ったときにも、中国から寄付された遊具(ぜんぜんかわいくない顔をした動物の乗り物)がありました。東南アジアを旅していると、中国が発展途上の国にモノやカネを寄付して、恩を売ろうと試みている形跡がうかがえます。
彫刻風のだまし絵について、母は「なーんだ、本物じゃないの。がっかり」みたいな反応でした。なので、「遠い異国の地で内装にお金がかけられないなか、見栄えよく見せようとスペイン人が工夫した結果なんだよ……これはこれで価値があるんだよ……」とフォローしておきました。実際、本物の彫刻のように見える絵画技術はすごいと思います。
ここまでが無料で見学できるエリアで、その後、お金を払って博物館等も見学できるエリアに行きました。博物館には宗教絵画や像がたくさんあり、スペイン人が絵や像などの視覚的イメージを活用して、布教した様子がうかがえました。
実は、イスラムだけでなくキリスト教も、神や聖人の偶像を崇拝することは、よくないこととされており、過去にはその論争が活発になった時期もありました。なぜなら、偶像は神の写しであって、「神そのもの」ではありません。にもかかわらず、金属か石の塊にすぎない偶像を神のように崇拝するのは、神に対する無礼にあたる、という理論です。本当に信心しているのなら、偶像などなくても神を敬うことができるはずなのです。
過去にそのような論争があったにもかかわらず、カトリック(キリスト教の最も主流な宗派)で偶像が認められている(黙認されている?)のは、視覚的イメージがあったほうが信仰しやすいからです。とくに、幼い子供にキリスト教を終えたり、異教徒を改宗させるときに、視覚的イメージは有効です。なぜなら、人間の五感のなかで最も優れた器官は視覚であり、言葉や文字で伝えるよりも、色とりどりの物体を見せたほうが、印象に残るからです。これは例えば、イラストのない本よりも、イラストのある本のほうが内容が頭に入ってきやすいことと同じです。
そのため、フィリピンに入植したスペイン人も、視覚的イメージを活用して布教していったのでしょう。「そのようなパターンが多い」という知識としては知っていたものの、実際に見ると、ここまで偶像だらけなのか……とびっくりしてしまいました。
ちなみに、イスラムでは偶像崇拝の禁止が徹底されています。だから絵に描かれる預言者ムハンマドは、常に顔が布で覆われているのです。
ガイドさんによると、サン・アグスティン教会で結婚式を挙げる際には、この中庭でガーデンパーティーをすることが好まれました。しかし、近年は異常気象のためフィリピンの気温がとんでもなく高くなっています(乾季の最高気温は45度だったとか)。このような気温ではガーデンパーティーなどやっていられないため、近年ではエアコンの効いたホテルで披露宴をすることが主流になっているそうです。
今回フィリピンを訪れて改めて思いましたが、ここ10年くらいで本当に異常気象が増えました。私が小学生の頃は、地球温暖化について学んだり発表したりすることはあっても、実感としてどのような影響があるのかは分かりませんでした。それが最近では答え合わせをさせられているような気分です。
いまや世界中のどこに暮らしている人も、異常気象の影響を受けていない人はおらず、学校で習わなくても、このままでは遠からず、地球の環境に人間が適さなくなることを実感していることでしょう。
フィリピンの政治
フィリピンは大統領制で、国民の票が直接、国家元首の選出に反映されます。そのため、会う人どの人も、大統領の政策などに強い関心を持っていました。これは主観ですが、自分の票が直接、国家元首の選出に反映される国の人々は、そうでない国の人々よりも、政治への関心が高いと感じます。
フィリピンでは2016年から2020年まで、ドゥテルテが大統領を務めていました。彼は麻薬密輸などの取り締まりを厳しくしたことで知られています。具体的には、容疑者に対し裁判をせずにその場で銃殺するという、過激な対処を実行し、就任から半年で6182人を銃殺したとされています。この行為は国際社会とくにアメリカから、人権を無視した行為として非難されました。
しかし一般市民の感覚としては、ドゥテルテ大統領の就任後から、国内の治安が急激によくなったために、おおむね好意的に受け取られています。フィリピン滞在中に、現地で暮らすいろんな人と会話する機会がありましたが、現在のマルコス大統領より、ドゥテルテのほうが評価されていました。
フィリピンはコロナ禍中に、厳しいロックダウン政策がとられていました。ドゥテルテはそうして人々が家にこもっている間に、アウトバーン(自動車専用道路)を整備したそうで、その点も評価されていました。なぜなら、そのような機会でもないと、交通渋滞が日常茶飯事なフィリピンでは、道路を工事するなど不可能だからです。及び腰ではなく、実効性があるリーダーということで評価されているのでしょう。
そんなフィリピンの人たちは、日本の政治にも大きな関心があるようでした。なぜなら、アジアのなかでいちばん力を持っている国といえば、日本か中国であり、両国の動きがフィリピンの経済や国防に影響するからです。
しかも、フィリピンは第二次世界大戦中に日本に支配された過去があるため、フィリピン-日本の関係は、日本-アメリカの関係に、似ていると思いました。つまり、歴史的文脈でみるとかつての敵だが、技術面などで支援してもらっているという関係です(日本がアメリカに一番恩恵をうけていることは、間違いなく国防だろう)。
そのため、日本人が次のアメリカ大統領に誰が就任するか関心があるように、フィリピン人は日本の首相に誰が就任するか関心があります。フィリピン人は、安倍晋三氏を好意的に見ているようでした。なぜなら彼は、ドゥテルテが大統領に就任後、はじめてフィリピンを訪問した外国首脳であり、南シナ海の防衛(対中国)で協力したり、先の記事で記載したODA(政府開発援助)や民間支援を進めたりと、友好的な関係を築いたからです。「安倍さん(の最期)は残念でしたね」と二人くらいに言われた私は、そんなに人気だったのかと、驚いてしまいました。
そもそも、こちらから話題を振っているわけでもないのに、自然に政治の話になって、日本の元首相の名前がでてくるという流れが、私にとってはカルチャーショックでした。たぶんこの人たちは、日本人の私よりもずっと日本の政治に関心があるし、政治について議論することが日常的なのでしょう。見本とされている国の人間として、私たちの政治に対する態度を思うと、恥ずかしく思いました。
先日の『華氏451度』の読書会でも「いっそ日本も、直接投票の大統領制にすれば、国民が政治に関心を持つのに」という話になりました(真面目な話をしていてびっくりだよね!)。しかし、先例の踏襲が大好きな日本人が、そのような大改革をするにはあと1000年くらいかかりそうなので、別の方法が必要そうです。
一つ思ったのは、国際政治について調べたり、人と議論したりしていると、自然と自国の政治にも目が向くようになるということです。例えば私は、フィリピンのドゥテルテ元大統領の麻薬取締政策のことを聞いて、日本はどうしているのかな、と想像をめぐらしました。
またODAの話を聞いて、他に日本が支援している国はどこだろう? と調べる気になりました。いきなり日本の政治について議論するのは、文化的なハードルが高いため、外国の政治について議論することから始めて、徐々に自国にも目を向けてくスタイルが日本人には合っているかもしれません。
カサ・マニラ
サン・アグスティン教会を後にした私たちは、スペイン統治時代の上流階級の邸宅を再現した、カサ・マニラにやってきました。邸宅は再現ですが、家具は実際に使われていたものらしいです。
スペイン統治時代の町並みといえば、世界遺産に登録されているビガン歴史地区が有名です。しかしマニラから4000kmほど北にあるため、普通の観光では、まず訪れる時間はありません。そのため、マニラにいながら手軽にスペイン統治時代のことを学べる博物館として、カサ・マニラという施設ができたのだと思います。
大家族主義
フィリピン文化の特徴の1つとして、大家族主義が挙げられます。彼らは、血縁の家族でなくても、困っている人がいれば助けずにはいられません。父いわく、「働かなくても誰かが食べさせてくれる」そうで、それに怠けてか、フィリピンの男性はぜんぜん働かないそうです(代わりに女性がたくさん働く)。
男性よりも女性が働き者なのは、南国の特徴かと思います。母が企業務めしていた頃、同僚にベトナム人の女の子がいました。その子が言うには、ベトナムにおいても男性より女性がよく働くそうです。事実、母が勤めていた部署にいたベトナム人は、2人とも男性ではなく女性でした。日本語を習得してオフィスワーカーになっているような彼女たちは、たくさん勉強して優秀な大学を卒業しており、国のなかでは超エリートなのです。
温かい国ほど、食料が簡単に獲れ、家も服も(寒くないため)適当で問題ありません。だから男性が働く必要のある場面が、少ないのかもしれませんね。
フィリピン人は、血縁の家族も大家族です。結婚している夫婦の間には、だいたい4-5人の子供がいます。その要因の一つが、国民の9割がキリスト教徒で、中絶することをよしとしないからです。だから日本より国土面積がずっと狭いにもかかわらず、人口が1.156億人(2022年時点)と、日本とほぼ変わらない多さなのです。街の通りを見ているとどこもかしこも人だらけです。
ちなみに、街の通りには、人以外にも犬や猫がたくさんいます(犬のほうが多い)。人間と同じく、動物にも避妊手術は施さないのでしょう。リサール公園では鳩が世話されていましたが、フィリピン人は動物も家族の一員と捉え、動物がいるとつい世話したくなってしまうのでしょうね。
日本の甘やかされた犬や猫と比べると、フィリピンの犬や猫は、栄養失調ではないかと疑うくらいに細いです。学生時代にフィリピンを訪れたとき、語学学校の敷地を歩いていた猫を見て「あの動物はなんだ?」と思ったことをよく覚えています。日本の猫とは形相があまりにも違いすぎて、同じ種類の動物とは思えなかったのです。
フィリピンで見かけた唯一太った犬は、マニラで泊まったホテルの入口で待機していた、麻薬探知犬でした。あいつはたくさん餌をもらっているにちがいないです。
ホテルでのんびり
ホテルに戻る前に、母がぜひ見たいとのことで、高山右近の像を見に行きました。徳川家康によるキリシタン国外追放令によって、1614年にマニラに移住した大名です。旅の疲れや環境の変化もあって、マニラに到着して40日で亡くなりました。さすがキリスト教の国だけあって、信仰をつらぬいた高山右近の記念碑は立派です。上に高速道路ができてしまったのが残念です。
観光を終えてホテルに戻る14時くらいに、雨が降ってきました(雨季なので毎日午後に雨が降る)。ホテルに戻ってからは、ホテル内部を散策しました。
この日の夜は、両親と、父のビジネスパートナーの方と食事をしました。日本人向けフィリピン観光業の世界は狭いようで、話を聞いていると、その仕事をしている人は全員知り合いレベルな印象を受けました。長年の信頼関係があって、初めて成り立つ仕事なんだなあ、と思い、そのような信頼関係を築いてきた父について、ちょっとすごいなと思いました。
おわりに
今回はフィリピン旅行その3でした。次回は、前から行ってみたかった、とある島に泊まりで行きます。