はじめに
7月上旬のフィリピン旅行記その2です。前回は、旅の経緯やフィリピンの歴史についてつづりました。
今回は首都のマニラ観光をメインに、フィリピンを紹介します。
マニラについて
朝食を食べたあと、我々はガイドさんつきの車に乗りました。ガイドさんは日本人が経営している会社に属しており、日本語を上手に話すことができます。父は途中下車して仕事(取引先訪問)に向かい、母と私はそのままマニラ観光へ出かけました。
マニラで一番きれいな地区は、BGC(Bonifacio Global City)と呼ばれる、ビジネス街です。高層ビルが何本も立ち並んでおり、フィリピンで働いている日本人(たとえばIT関連企業に勤めている人)のほとんどがこの地区に暮らしています。このエリアだけ見れば、ほぼ東京のオフィス街と変わらない景色です。
ガイドさんによると、洗練された景観を保つために、地区ではホームレスや物売りの立ち入りを禁止しています。また、フィリピンの主要な交通手段の1つである、乗り合いタクシー「ジープニー」の走行も禁止しています。そうした綺麗な街をつくることで、世界にフィリピンが「進んでいる」ことを示したいのかもしれません。
そもそもホームレスや路上の物売りを減らすためにしなければならないことは、国民にきちんと教育を行き渡らせ、定職に就けるようにすることです。しかしそのためには時間がかかるため、手っ取り早い方法として、BGCでは外国人に見せたくないものを排除する、という方法を取っているのでしょう。
排除するということは、無視するということでもあります。都合の悪いものを見ないですむ街が存在する状況に、個人的には嫌な感じがしました。しかし、それも「進んでいる」国で安穏と暮らしている私が考える、綺麗ごとにすぎないのかも。フィリピン人からすると、私が思い至らないような言い分や、切実な状況があるのかもしれません。
なお、私がフィリピンに語学留学した際には、「危ないからジープニーには乗るな」と言われていたため、移動の際にはタクシーを使っていました。でも一度くらい乗ったような……? 地元の人が主な乗客なので、スリに気を付けろという意味です。
リサール公園
リサール公園は、スペイン植民地時代にフィリピンの独立運動をした革命家、ホセ・リサールが処刑された場所です。
ホセ・リサールはスペイン軍から危険分子と判断され、35歳の若さで銃殺刑になりました。その後も、アメリカからの支配、日本からの支配と、他国からの支配がつづきますが、ホセ・リサールの行動はフィリピンの人びとに勇気を与えました。彼は現在も国民から英雄視されています。
フィリピンの通貨ペソの最小単位である、1ペソ硬貨には、ホセ・リサールの肖像が彫られています。なぜ1ペソかというと、1ペソ硬貨は貧しい人も含めてすべての人が持つことのできる金額であり、「すべてのフィリピン人の味方」という彼の精神を反映しているためです。
なお、首都マニラの最低賃金は1日あたり645ペソ(約1770円)です。前の記事で、訪日フィリピン観光客が年間62万人で、日本人よりよほど観光する余裕があると言いましたが、日額給与を考えると、非常に頑張ってお金を貯めて、憧れの日本に来ている状況があります。「憧れの」と言いましたが、主に日本製品に対して憧れがあるようです。
たとえば、フィリピンで走っている車のほとんどがトヨタ製です。長持ちする品質のよい車がほしいなら、絶対に日本製という認識だそうです。バイクの場合も、ヤマハやカワサキが人気なようです。大きな声ではいえませんが、フィリピンは環境保護観点の規制をしていないため、EV車の需要はまったくなく、EV車に弱い日本としては、ねらい目の市場なのです。
アジア人について
観光をしていると、日本人以外のアジア人をたくさん見かけました。見分け方は、ある人がいうには、「日本人はフォーマルな恰好、中国人は服が汚れている、韓国人は派手な恰好(でうるさい)」だとか。見分け方はいろいろありますが、何人も見ているとやはり共通しているものが分かるようになってきます。
おそらく、フィリピンで最もよく見かける他国のアジア人は、韓国人だと思います。韓国は、日本よりもはるかに受験戦争や就職戦争が厳しく、いくらかでも他者より優位に立つためには、「英語ができること」が必須になります。そのため、韓国のだいたいの大学生は、在学中に語学留学をします。いきなりオーストラリア、カナダあたりへ行くのは高額なので、まずはフィリピンで3カ月、その後西洋英語圏に留学するというパターンが多いようです(父いわく)。
父はよく、韓国人について「生き方が激しい」と言っており、私も同意です。たとえば韓国の歴代大統領は、退任すると……えー、まあいろいろありますよね。命をかけて生きているというか。
私がフィリピンに語学留学したときは、寮の4人部屋に入っていました。2人部屋や1人部屋も選べましたが、手配してくれた父が「ルームメイトがいたほうが(異文化などの)勉強になるんじゃない?」と言うので、それもそうだなと思い、4人部屋にしてもらいました(費用も安いし←ココ大事)。結果、私以外の3人は韓国人でした。
部屋で寝泊まりしているうちに、ルームメイトの同年代の子と仲良くなり、一緒にボホールという島に一泊することになりました。ツアーは申し込まずに、自分たちで宿を予約して、トライシクル(バイクの横にサイドカーがついたもの)の運賃を(韓国人のルームメイトが)値切りながら移動した……と後になって父に伝えると、とてもびっくりされました。女の子が2人だけで、そのような旅をすることは危険だと思ったようです。こんな感じで、韓国人は平気で危ないことをする印象があります。
もちろん、韓国人が一概にそうであるわけではなく、おだやかな人もいます。しかし、フィリピンに語学留学する予定の日本人(女)は、気性が激しいタイプの韓国人(男)に気を付けてくださいね……! 日本の女の子は、韓国の女の子より、総じて大人しいため、性的なはけ口としてターゲットにされやすいです。私が留学していたころも、犯罪級の事件は聞きませんでしたが、危ない所だった、みたいな話はいくつかありました。
私が仲良くなった韓国人の男の子は、理系男子みたいな見た目のおだやかな子で、とても良い子でした。冷静なツッコミを淡々と入れてくる子で、毎日2人でわーわーと言い争っていると、別のクラスメイトから「おまえたちははやくデートにでも行け!」と言われました。行かなかったけど(笑)。
社会人になってからは、中国人と一緒に仕事をする機会がたくさんありました。日本で働くような中国人は、国のなかでもエリートなので、そういう層しか知りませんが、そのなかで特に仲良くなった、4歳くらい年上の女性がいました。彼女はオフィスの近くにあった、広島風・汁なし担々麺のお店が大好きで、ランチのときに、週に1回は「タンタンメン行きましょう」と誘ってきました。あまりにも通い詰めているため、彼女はお店の人に顔を覚えられており、注文する前から「辛め、大盛りですね?」と確認される始末でした。
昼ごはん後に散歩をするのが私の日課で、他のメンバーが「寒い……」と言ってオフィスに戻ってしまう冬の日も、彼女は「さんぽ行きます!」と言って私に付き合ってくれました。両親が高齢になってきて心配だからと、今は中国に帰ってしまいましたが、元気で過ごしているといいなと思います。
サンチャゴ要塞
サンチャゴ要塞は、スペインのフィリピン支配の拠点となった要塞です。その後、アメリカ、日本にも使われました。
要塞につながる橋の上で、写真を撮り合っている三人のガールズグループがいました。私と母が「かわいいねえ」と言っていると、ガイドさんがその子たちに現地語で話しかけて、「高校生だって」と言います。高校生!? にしてはずいぶん大人びた格好(肌の露出が大きい)だけれど、たしかに笑顔に、弾けるようなフレッシュさがあります。ポーズを決める女の子たちに、「かわいい~」と言っていると、女の子たちも “Kawai-“と繰り返します。なるほど、「かわいい」はもはやグローバル言語なのか。
白い花をつけた樹があり、ガイドさんに尋ねると、花の名前は「カラツチ(タガログ語)」とのことでした。あとで調べると、プルメリアの一種ということが分かりました。フィリピンでは墓地に植える、お葬式の花だそうです。色は白以外にも、ピンクなどいろいろあります。鼻を近づけると、芳香りがします。
「あの赤い花はなんですか?」と訊くと、炎が燃えているように見えるから、Fire Treeと呼ばれているそうです。こちらは英語名だから外来種なのかな、と思い調べると、なんとマダガスカルが原産の樹でした。スペイン人かアメリカ人が運んじゃったのかな。
おわりに
今回はフィリピン旅行その2でした。マニラ観光の後半は、次回の記事で書きます。