フィリピン2024-①

はじめに

7月上旬に、6日間ほどフィリピンへ行ってきました。その旅行記をつづります。フィリピンには大学2年生のときに1カ月ほど、語学留学で滞在したことがあります。そのときぶりの渡航でした。

渡航の経緯

マニラへ向かう飛行機からの眺め。

私の父は、自営で旅行業の仕事をしています。昔は別の国とも取引がありましたが、今はフィリピンとの取引が主で、コロナ流行前は頻繁にフィリピンへ出張していました。今回父は、コロナ禍ぶりにフィリピンへ行くことになり、年齢的にも最後の海外出張になるかもしれないので、一緒にいかないかと誘われました。

最近わたしは、昔のような体力と元気がなく(いまはすり減った精神を回復させるための休養期間なのである)、海外へ行くことに対し「喜んで!」というよりは「うーん……」という感じでした。しかし、せっかく誘ってくれたのなら、と思い一緒に行くことにしました。また、前に滞在したときに、行きたかったけれど行かなかった島があり、そこに訪問予定とのことで、今回がよい機会だと思いました。

最初、父の出張についていくのは私だけかと思っていましたが、母も一緒とのことで少しびっくりしました。母は清潔で快適な日本が大好きなので、(けっこう不潔だし、でかいGも出現する)フィリピンには一生行かないだろうと思っていました。父としては、自分がどんな仕事をしているか、母に見せたかったようですね。

そのような経緯で、父、母、私の三人でフィリピンへ行くことになりました。(本当は兄たちも誘いたかったようですが、7月に休暇を取ってもらうのはなかなか難しいので)

私は、当分海外に行くつもりがなかったので、パスポートの有効期限が切れているかも、と思いました。が、確認すると2018年に更新していたようで大丈夫でした。どこに行くために更新したんだろう? と思い確認するとモンゴルでした! モンゴルは大草原で乗馬さんぽできてよいですよ。

飛行機でマニラへ向かう

フィリピンの地図。今回訪れる主な場所はマニラとセブ。

誘ってくれた父に対し失礼ですが、私はけっこう憂うつな気持ちで荷物のパッキングをはじめました。というのも、長時間の飛行機に乗るのがこわいのです。2019年にドイツへ行ったときの帰りの飛行機で、仕事の疲れや旅の疲れもあって過呼吸になって以来、乗り物が恐怖なのです……(俗にいうパニック発作というやつだと思います)。

しかし数年かけて徐々に慣らして、普通の電車やバス→ 新幹線→ 国内線の飛行機(1-2時間)には乗れるようになりました。成田からマニラまでは4時間程度なので、リハビリのためにもよいと思い、頑張って乗り切りました。

マニラに着いたのは現地時間で23時過ぎで、そこからホテルに移動して休みました。フィリピン時間は日本時間からマイナス一時間だけなので、時差の負担がなくとても楽です。また、今回の宿や移動手段の手配はすべて父がやってくれたので、とても楽……! ドイツ旅行の際は自分でアレンジしたので大変でした。

なお、フィリピンのトイレでは基本的に、使用済みトイレットペーパーは水に流せず、備え付けのごみ箱に捨てるルールとなっています。水に流すと、紙の質が悪いためにつまってしまうのです。それを母に伝えると少し驚いていましたが、母が子供の頃は水洗トイレがなかったはずなので、それを思えばぜんぜん大丈夫でしょう(ちょっと嫌そうな顔してたけど)!

マニラは首都でホテル代が高いので、三人で一室を使いました。しかし、通常のベッド2台+簡易ベッド1台がある形なので、部屋には足の踏み場がなく、とても狭かったです。父は布団に入って3秒で眠ましたが、私と母は父のいびきがうるさくて、なかなか眠れませんでした……。

朝ごはん

朝食会場。バイキングになっていて、どれもおいしそう。

朝になって起きてみると、父母のベッドが空になっており、部屋には誰もいませんでした。一瞬ひやりとして、時間を確認すると、まだ午前7時でした。なので、二人は朝食をとりに食堂へ行ったのでしょう。「こいつは放っておいても自分でなんとかするだろう」と思われ、置いていかれたにちがいありません。それにしても、一声かけてくれてもいいのに!

ボタンを押して、エレベーターが来るのを待っていると、到着音が日本のオフィスエレベーターと同じで、びっくりしました。あとで父に訊くと、このホテルは元々、JALが建てたホテルで、設備に日本企業のものが使われているようです(エレベーターは三菱製)。いまはタイ企業に買収されて、Dusit Thaniという名前になっています。

英語で受け答えするのが久しぶりすぎて、ドキドキしながら食堂へ行きました。ルームナンバーを言うと、空いている席に案内されます。その途中で父母を見かけたため、推測が正しかったことにほっとしました。席についてすぐ、ポットを持ったお姉さんが「コーヒーはいかが」と尋ねてきます。お願いすると、机に置いてあったとても大きなマグカップに、なみなみとコーヒーをそそがれました。スタバでたとえるとグランデ(470ml)サイズ……? 飲めるわけないだろ。

以前フィリピンに滞在したときには、語学学校の寮の食事を取っていました。なので当然、味はさほどおいしくなく、腹を満たすことが目的な食事でした(経営者が韓国人だから、韓国風の味付けだし)。しかしさすがここはホテルだったので、おいしかったです。

クロワッサンが特においしかった。

クロアチアで食べたジャムパンを思い出して、思わず取ってしまったジャムパン。おいしかった。

以前おとずれたときの感覚では、フィリピンには日本人がたくさんいるイメージでしたが(ショッピングモールなど、人の集まる場所にいくと必ず何組か見かける)、食堂を見渡しても日本人らしき人はいませんでした。いまは雨季(6月-11月)で観光のオフシーズンなのと、日本の夏休みでもないのが要因でしょう。父に訊くと、語学留学をする日本人数はコロナ以前なみに回復しているようですが、観光はまだぜんぜん回復していないようです。もちろん、円安の影響もあります。

今のオフシーズンの時期には、ホテル代が安くなるため、地方から首都に遊びにきている、地元の人が多いみたいです。見渡した感じ、8割くらいがフィリピン人で、のこりが日本以外のアジア人でした。

フィリピンを観光する日本人が少ないのに対し、日本を観光するフィリピン人は年々増えており、2023年には史上最多の年間62万人でした。日本人より、フィリピン人のほうがよっぽど観光する経済的余裕があるということですね……。ちなみにフィリピンの人口は1.156億人(2022年時点)であり、日本と変わらない人口どころか、まだまだ増えるようです。

もう全日本人に周知の事実ですが、人口が減るということは、働き手が減ることを意味し、人手不足により経済は衰退していく一方なので、このままだと日本はどんどん貧しくなっていきますね……。就職氷河期世代への支援や、少子化対策をきちんとしてこなかったツケが今まわってきたんだぞ、分かっているか、国と企業よ。

フィリピンの概要

ここでフィリピンの歴史や文化について、簡単に紹介したいと思います。といっても、西洋中心的な歴史しか知らないため、西洋視点の紹介になってしまうことをご了承ください。

フィリピンでは、人口の9割がキリスト教徒であり、のこりがイスラム等です。アジアのなかで、これほどキリスト教の人口が多い国は、珍しいと思います。先に伝わったのがイスラムで(14世紀ごろ)、その後、マゼランの到来によりキリスト教が伝わり、西洋諸国の植民地となるなかで、徐々にキリスト教が浸透した流れです。

マゼラン一行の世界周航の航路。マゼランはフィリピンにて命を落とす。

西洋視点の世界史のなかで、フィリピンが最初に言及されるのは、1521年に、マゼラン一行がフィリピンに上陸したときです。マゼラン一行は、スペイン国王の支援により、世界で最初に、世界一周の航海を成し遂げました。「フィリピン」という名前は、スペイン皇太子のフェリペにちなんで命名されました。

マゼランを討ち取るラプ=ラプ(左)。

マゼランたちは、フィリピンの部族長たちを次々とキリスト教に改宗させました。しかし、セブ近郊のマクタン島の族長・ラプ=ラプはこれを拒絶し、リーダーのマゼランを討ち取りました(かたや半裸、かたや甲冑に身をつつんでいたにもかかわらず!)。そうしてリーダーを失ったマゼラン艦隊は、マゼランなしで世界一周を成し遂げました。

西洋人を倒したラプ=ラプは、当然フィリピンで英雄視されており、高級魚「ラプラプ」の名前は彼に由来しています。武器や防具の文明的差があるにもかかわらず、マゼランを倒したことは本当にすごいので、誰かラプ=ラプを主人公に映画や小説をつくったら面白いと思うよ!!(そのうちフィリピン人がつくるかも)

マゼラン一行の到来により、フィリピンはスペインの植民地となりました。ところが、1898年にスペイン-アメリカ間で戦争が起きると、勝利したアメリカが、スペインに代わってフィリピン統治をはじめました。このときに英語が普及し、フィリピンでは東南アジアで唯一、英語が公用語の国になりました。タガログ語など、それぞれの地方に特有の国語はありますが、小学校からの教育は基本的に、すべて英語で行われます。

歴史上でフィリピンを支配した国のうち、忘れてはいけないのが日本です。第二次世界大戦中に数年間、日本軍が占領していた時期があります。自分たちに都合の悪い歴史には、自国の教育であまり触れないのが各国の基本的なセオリーなので、皆さんも日本による東南アジアの支配について、あまり詳しく習わなかったと思います。しかし支配された側は当然、ずっと憶えていますし日本の支配について詳しく習います。

とはいえ、東南アジアのなかでは、今の日本はフィリピンにとって友好関係にある、よい味方のようです。フィリピンは日本から、ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)という、発展途上国に対する支援を現在進行形で受けています。例えばセブ島とマクタン島を結ぶ橋の一つは、日本からのODAで建設されました(詳細はJICAのサイト)。また、先日7/8には、海洋進出を進める中国に対して、安全保障面での連携を強化し、フィリピンと日本が準同盟を結ぶ方針で決まりました(詳細はYahooニュース)。

ちなみに、いまやGDPで世界2位の中国も、ほんの6年前の、2018年まで日本からのODAを受けていました。北京首都空港の第二ターミナルは、日本からのODAを受けて建設されたましたが、日本が支援したことを示す日本の国旗は、ほとんど誰の目にもつかない地下に……(笑)。利用できるものはとことん利用してやろうという狡猾さと、プライドの高さがうかがえる、すごく中国らしいエピソードですよね。島国の日本とちがって、大陸では歴史的にも領土争いが絶えないし、そうやって生き残ってきた国なのだから仕方ない。

おわりに

長くなってしまったため、今回はここまでです。

英語が公用語であることは、フィリピン人にとって非常に大きなアドバンテージとなっており、大金を稼ぎたい人はアメリカに出稼ぎに行きます。また韓国人や日本人、台湾人などのアジア人を対象にした英語学習支援も盛んです。しかもフィリピン人はインド人とちがって、ほとんど訛りがない、きれいなアメリカ英語を話します。

次回はマニラでの観光についてつづります。

以上、フィリピン旅行その1でした。

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