はじめに
E.H. カー『歴史とは何か』。
大学で歴史学を学ぶ人がたいてい読む、歴史学の入門本です。その本に出てくる有名な言葉が「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」です。
今回は、歴史学者がどのように過去の出来事を知るのか、文字史料と口頭伝承に着目して紹介します。そして、E.H. カーの言う「対話」の意味をなんとなく理解していただければと思います。
歴史とは何か
歴史とは何でしょうか。実際に自分が経験していない出来事を、わたしたちはなぜあたかもそれが過去にあったかのように認識しているのでしょうか。歴史とは自分が生まれる前に起きた出来事の集積です。そのため、常に次のような不信がつきまといます。――もしかしたら、歴史として教えられている出来事はすべて嘘かもしれない。国か誰かの策略で、虚構の物語をまるで本当にあった出来事のように教えられているだけなのかもしれない….…。
しかし安心してください。歴史が虚構の物語にならないために、歴史学者が日々多大な努力をしています。たしかに、その時代のことを正確に知っているのはその時代を生きた人しかいません(※)。そのため歴史に虚構がないと言えば嘘になりますが、限りなく「本物」に近づけることはできるはずです。
※さらに言えば、その時代を生きた人も正確に知っているとは言えない。すると「正確」とは何なのか、という議論になるがここでは置いておく。
では、彼らはどのように過去の出来事を知るのでしょうか。その道具の一つとして、今回は文字史料と口頭伝承を紹介します。
文字史料
まず、過去の出来事を知る手がかりとして、直感的に分かりやすいのは文字史料(※)です。
※歴史の研究に使う資料のことを「史料」と呼ぶ。
近世以前は印刷技術がなく、文字を残すために使う材料が貴重でした。たとえば西洋では、中国から伝来した製紙技術を習得する前は、文字を残すのに羊皮紙を使っていました。しかし羊の皮を、文字を書ける状態にするには非常に手間がかかりますし、一冊の本をつくるには羊を何頭も殺さなければなりませんでした。
そのため、文字の記述はしかるべき目的があるときにしかされませんでした。代表的なのが、法律文書や法廷記録です。これらの文字史料から、歴史学者はさまざまなことを読み取ります。
たとえば法律文書について、ある時代のある都市が「A地域で出店することを禁じる」という法令を出したとします。歴史学者はここから、「A地域」で実際に出店をした人がいるということを読み取ります。加えて、都市が「A地域」での出店を嫌がっていたことを読み取ります。
他には、たとえば法廷記録について、「出店が禁じられていたA地域で出店した」という理由で、罰せられた人の法廷記録が30件残っていたとします。その町で働く商人が100人以下だったと分かっていたとすると、30件という数は大きいかもしれません。ここから歴史学者は、当時の人が、法を破ってでもその地域に出店したいと思っていたことを導き出せる可能性があります。
このように、歴史学者は文字史料からさまざまなことを読み取ります。上記の例に関して、それではなぜ、都市はA地域での出店を嫌がっていたのか、またなぜ、商人はA地域に出店したかったのか、という問いの答えを明らかにするためには、さらなる史料の調査が必要になります。
口頭伝承
次に、過去の出来事を知る手がかりとして、口頭伝承を紹介します。
文字史料は文字通り貴重で「有難い」史料ですが、文字史料に頼ってばかりいては、「本物」の歴史に近づけません。なぜなら世界には文字を使用しない民族が多数存在し、それらの民族の声は文字史料を読んだだけでは聞けないからです。さらに言えば、近世以前は文字を書くことができたのは権力者のみなので、文字史料のみに頼ると民衆の声を聞けない可能性もあります。
たとえばラテン語とはで説明したように、西洋中世期に文字を書く人とは、ローマ=カトリック教会の関係者でした。そのため西洋中世期に書かれた文字史料には、キリスト教的な偏見が常にあると考えられます。彼らが文字で「異教徒」について説明するとき、「異教徒」はしばしばひどい言われようをされます。このとき歴史学者は、公正な立場から「異教徒」の声も聞こうとしますが、彼らが文字を扱わないとなると、文字史料からは「異教徒」の実態を把握できません。
そこで着目されるのが口頭伝承です。口頭伝承とは、共同体(村や町)内で世代から世代へと、口頭で語り継がれるお話全般のことです。それは生活に必要な知識であったり、共同体内で守らなければならないルールであったり、昔話や神話であったりします。
たとえば西洋中世史を専門とするジャック・ル・ゴフは、メリュジーヌという妖精に関する口頭伝承を基に、論文を書いています(※)。ル・ゴフは論文にて、その妖精の存在が当時の地方貴族に果たしていた役割を考察しました。「存在」と書きましたが、実際にメリュジーヌが存在した・しないは重要ではなく、当時の地方貴族がその存在を「信じていた」という事実が重要です。なおメリュジーヌについては、騎士は湖で美女に出会うを参照してください。
※ジャック・ル・ゴフ「母と開拓者としてのメリュジーヌ」、『もうひとつの中世のために ―西洋における時間、労働、そして文化―』加納修訳、第16章、白水社、2006年。
このように、口頭伝承は文字史料では語られないことを語るものとして、重要な史料となります。世間一般では、口頭伝承を扱う学者は文化人類学者であると捉えられていますが、「本物」の歴史に近づくためには、歴史学者も口頭伝承を史料として使うことが大切になります。
余談ですが、おとぎ話も口頭伝承に分類されます。詳しくはおとぎ話とファンタジーの違いを参照してください。また阿部謹也の口頭伝承を使った有名な研究として、『ハーメルンの笛吹き男 ――伝説とその世界』があるので参照してください。
おわりに
今回は、歴史学者がどのように過去の出来事を知るのか、という観点で文字史料と口頭伝承という2種類の史料を紹介しました。
文字史料の利点としては、文字として残存しているため証拠として提示しやすい、文献が多いという点が挙げられます。一方で口頭伝承の利点としては、文字を書けなかった・持たなかった人々の声を聞くことができる点が挙げられます。
冒頭で紹介した、E.H. カーの「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」という言葉に戻ってみましょう。歴史は現代の人々がつくる過去の物語です。歴史に「本物」というのは存在せず、わたしたちにできるのは「本物」に限りなく近づけることだけです。そのために、歴史学者は日々さまざまな史料を調査し、検証します。
E.H. カーの言う「現在」とは「現在の人々」、「過去」とは「過去の人々」と置き換えられます。「現在の人々」は仮説をたて、「過去の人々」の声を史料から聞きます。その繰り返しを、E.H. カーは「絶え間ない対話」と呼んでいると考えられます。歴史はずっと変わらないものではなく、常に見直され、時代によって変化していくものなのです。
以上、歴史学者がどのように過去の出来事を知るのか、でした。