はじめに
前回はローマ帝国皇帝・ディオクレティアヌス帝が隠居生活を送った宮殿都市、スプリットでの旅1日目についてつづった。今回はスプリットでの旅2日目についてつづる。
旅の概要はこちら:海外一人旅ってどんな感じ?-クロアチア導入
2日目
宮殿地下を探検
宿を出て旧市街へ向かう。今日は少し天気が悪いみたいだ。
さっそく、昨日は営業時間外で入れなかった、宮殿の地下に下りてみる。正方形の旧市街の地下のほとんどが公開されていると思われ、かなり広い。たくさん部屋があって、迷子になってしまいそうだ。
宮殿の地下。テンション上がる!
立派な柱だ。これが今も地上階を支えているのだからすごい。
ブレてしまったけれど、謎空間もたくさんある。狭いから廊下かな?
ここは広間っぽい。倉庫にも見える。
キリスト教の教会によくあるアルコーブ(壁面を窪ませてつくった空間)みたい。教会では聖像などが立っている。もともとはローマ建築に由来しているのかな。
インディージョーンズ感がある。彫られているのは大文字アルファベットだから、ローマ帝国の公用語であるラテン語だと思われる。詳しくはラテン語とはを参照。
天井。円錐状になっている。天井が美しい名建築といえば、スペインのグラナダにある、アルハンブラ宮殿である。形も似ているのでそれを想起した。
グラナダのアルハンブラ宮殿の天井。イスラーム建築。イベリア半島(スペインとポルトガルがある半島)は中世期、キリスト教の支配下になったりイスラームの支配下になったりしたため、文化が融合している。
奥へと延びる廊下。
存在感のある柱。
たまに地上階へ続くと思われる階段がある。しかし地上階には人が住んでいるため、通行止めになっている。ゲームのダンジョンみたいだ。
天井が崩れた箇所。上には空が広がっている。
天井が崩れた地下。聖堂の鐘楼が見える。
宮殿地下は雨風が防げるため、鳩の住処になっているもよう。鳩のシルエット。
鳩だけでなく猫の住処にもなっているようだ。(通路の奥に猫がいるよ)
贅沢な住処だ。
瓦礫が積まれている。
写真を見て分かる通り、宮殿地下にはほぼ誰もいなかった(2人くらい見かけたかも)。一人で探検気分を味わえて最高だった。それにしても、この空間の上に今も人が住んでいると思うと感服する。ローマ帝国時代の建築が今も利用されているということだ。
なお、地下階と地上階はほぼ同じ構造になっているらしい。
地上2階を歩いてみる
鐘楼に登ってみようと、階段を登ると、地上2階に広い空間があった。観光客はほぼおらず、閑静な住宅街という感じである。
雰囲気がある。
壁のむこうには海が広がっている。ということは、この壁は元城塞である。窓がやたら多い。
様々な形の建物が並んでおり、絵になる。絵の背景によさそう。
天井が抜け落ちて地下が見えている。
先ほど歩いてきた地下道だ。瓦礫が積み重なっているところ。
おお!この古びた感じ、とてもいい。住むには不便がありそうだけど、廃墟美だ。エアコンの室外機がついているし、誰か住んでいるらしい。
住宅地にぽっかりと現れる地下空間、よい。
聖堂の鐘楼にのぼる
さて、地上2階の住宅地を堪能したところで、鐘楼へと向かう。鐘楼の横には、ちょっとした博物館があり、この鐘楼の歴史が学べる。設計図が複数あるのを見るに、鐘楼は何度か建て替えられているようだ。
中心にある設計図が、ローマ帝国時代の鐘楼の設計図。
聖堂の内部をちょこっと。
大聖堂はもともと、ディオクレティアヌス帝の霊廟だった。しかし前の記事で説明した通り、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害した皇帝なので、キリスト教徒たちが、皇帝の霊廟を聖堂に造り替えてしまった。哀しきかな。
聖堂では、スプリットの守護聖人である、聖ドムニウスが祀られている。聖ドムニウスは、ディオクレティアヌス帝に迫害され殉教した聖人である。皇帝の霊廟を、皇帝が迫害した聖人を祀る場所にするなんて、ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒からとても嫌われていることが分かる。
聖人とはなんぞや? と気になる方は、西洋中世期に存続した異教文化の「聖人崇拝」の章を参照してほしい。キリスト教は一神教だが、聖人というグレーな崇拝対象もいるのだ。それは西洋のキリスト教化を推し進めた、ローマ・カトリック教会の戦略の1つでもある。
さあ、鐘楼(しょうろう)にのぼろう。鐘楼とは、時を知らせる鐘が設置されている塔である。高い位置から鐘の音を響かせるのは、町じゅうに音がいきわたるようにするためだ。鐘楼は教会がある場所に必ず存在する。よって西洋の文化に鐘の音はかかせないものである。
塔に入ってすぐに、鐘が設置されていた。もっと上のほうにあると思ったからびっくり。あとで分かるが、上のほうはかなり風が強いため、鐘を設置するには危ないのだと思う。
塔の内部から上を見上げる。鉄の階段がらせん状に組まれている。
階段を歩きながら、アーチ越しに景色を見る。もちろん、アーチにガラス窓ははまっておらず、吹きさらしである。そのため強風で階段がうなっている。ふつうに怖い。
町の北側。オレンジの瓦屋根がずっとつづく。
かなり高くにやってきた。
塔の最上部に到着。見晴らしがよい。
町の南側。
休憩所から撮った写真。同じ海岸線なのだが、領土的には、ボスニア・ヘルツェゴビナの風景。
塔の最上部には、たくさんの観光客がいた。風がびゅーびゅー吹き抜けていくため、みんな怖がっている。構えたカメラを落としてしまいそうな強さだ。
塔を降りると、パラパラと雨が降ってきた。お腹がすいたので、軽食を買って食べる。ジェラートも食べたのだが、この天気では少し寒かった。午後はアパートメントに戻り、写真を整理したり、日記をつけたりしてのんびり過ごす。
軽食。名称が分からないけど、小麦粉の薄い生地で肉や野菜をぐるぐる巻いたやつ。
3日目
一瞬だけボスニア・ヘルツェゴビナにいる
さあ、今日はスプリットを発ち、ドゥブロブニクに移動する日だ。昨日とはうって変わってよい天気で、青い空と青い海が広がっている。早朝の空気はさわやかだ。海辺にある停留所でバスを待っている間、船が行き来するようすを眺める。
さよならスプリット。昨日は曇っていて見えなかった山もくっきり。
おなじみの高速バスがやってきたので、バス旅をはじめる。スプリットからドゥブロブニクまでは、海岸線の道を一直線である。
前々から気になっていたのだが、クロアチアの海岸線の一部は、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの領土になっている。ということは、ドゥブロブニクに行くまでに、一瞬ボスニア・ヘルツェゴビナの領土を通るのだろうか?
そう思いながらバスに乗っていると、予想通りにボスニア・ヘルツェゴビナの領土を通った(下図のネウムという町)。しかもご丁寧に、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土で休憩を取ってくれる。
おお、ここがサラエボ事件(第一次世界大戦のきっかけとなった事件)で有名なボスニア・ヘルツェゴビナである。
休憩所(日本的にいうとサービスエリア)にはカフェの売店があった。アップルパイがおいしそうだったため、一つ注文してみる。ところが、使用している油が古いと思われ、とてもまずかった。これほどまずいアップルパイを食べたのは人生ではじめてだ。
そうこうしてバスに乗っていると、昼過ぎにドゥブロブニクに着いた。クロアチアで滞在する最後の都市である。
ドゥブロブニクの猫ちゃん。警戒している。
と思ったらごろごろ。
おわりに
今回はクロアチアのスプリットでの旅2日目についてつづった。次回はドゥブロブニクでの旅1日目についてつづる。