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マンダロリアンが中世の「騎士」にしか見えない

映画『マンダロリアン・アンド・グローグー』が公開されたことに伴い、改めて『マンダロリアン』の物語を振り返っていると、前々から感じていたある考えが、頭のなかを占めるようになりました。それは、マンダロリアンが中世の「騎士」として、ジェダイが中世の「聖職者」として見えてくるということです。

そこで今回は、「愛」をもって仲間とつながる、マンダロリアンの騎士性を考察します。

※著者は『スター・ウォーズ』epi.1-6、ドラマ『マンダロリアン』シーズン1-3(3の5話くらいまで)を観たことがあり、その内容を前提に解説します。映画『マンダロリアン・アンド・グローグー』のネタバレはしません。

目次

マンダロリアンが大切にする「騎士道」精神

ドラマ『マンダロリアン』を初めて観たときに思ったのは、主人公の「マンドー」(本名:ディン・ジャリン)が、中世ヨーロッパの騎士らしい、ということです。

最初は全身に甲冑を装備している見た目から、そう感じました。しかし話を追うごとに、見た目というより精神面から、それを強く感じるようになりました。とりわけ重要になってくるのが、ジェダイと比較した際の、マンダロリアンの精神性です。

「フォース」という超自然的な力に通じるジェダイは、その力を世のため・人のために使うために、「無私無欲」であることが求められます。その力は強大なため、扱い方を間違えると、世を滅ぼしかねないのです。つまり、ジェダイはその力を身につけたとき、代償として、自らの「個」を殺さなければなりません。

とりわけジェダイの掟では、「特定個人に対する愛」は推奨されません。そなぜならその感情は、一定の者への執着を生み、ジェダイが誤った方向に力を使う可能性を高くするからです。ゆえにエピソード2~3にかけて、ジェダイとしての修行を積んでいたアナキンは、パドメとの結婚を秘密にしたのでした。つまりジェダイは基本的に、「特定個人に対する愛」を持たない生き方を信条とします。

ところがマンダロリアンは、その逆ともいえる生き方を信条としています。マンダロリアンにとって、一族の仲間に加わった孤児の保護と育成は大切なことです。それは彼らの教義に関わることらしく、祭司の特性も持つアーマラーは、「孤児を仲間の元に戻すか、成人するまで自らが親となり面倒をみるのがマンダロリアンの道」とのことを述べています。

この言葉からは、一族間の相互扶助を「血のつながり」ではなく「愛のつながり」によって成り立たせている、マンダロリアンの共同体像が見えてきます。つまり、マンダロリアンは「特定個人に対する愛」によって成り立っている共同体なのです。したがってマンダロリアンは、「特定個人に対する愛」を大切にする生き方をしていると言えます。

「愛」にも色々と種類がありますが、ここでいう「愛」とは、対象者を所有するのではなく、対象者に奉仕することを指します。そのような「愛」では、対象者が愛に応じてくれるかどうかは重要ではなく、見返りがなくても、自分の心からの優しい気持ちを、対象者に与えつづけることが重視されます(子育てに際しての親心とは、そういうものですよね)。

つまりマンダロリアン間の「愛」とは、その者の人格をより高次に引き上げる、人間としての総仕上げに必要な精神性として現れてくるのです。ジャリンの例でいうと、彼はグローグーを愛し、グローグーに尽くすことで、ジャリン自身の人格がより優れたものになっていく、と解釈できます。

そしてこのタイプの「愛」は、中世ヨーロッパの騎士が重視した「愛」と同質のものです。それゆえに、マンダロリアン、とくに主人公のジャリンが、中世騎士としての精神を体現していると解釈できるのです。騎士が重視した「愛」については、のちほど詳しく解説します。

「父」を選んだグローグーの選択は、何を意味するのか

前章では、マンダロリアンが「愛」を大切にする生き方を信条にしていることを、明らかにしました。その前提に基づき、ここで、グローグーがマンダロリアンの道を選んだことが、何を意味するのかを考えます。

物語の内容をおさらいすると、シーズン2の最後で、グローグーはジェダイ(ルーク・スカイウォーカー)に引き取られました。フォースをコントロールする修行のためです。

この時点でジャリンは、「孤児を仲間の元に届ける」という、マンダロリアンとしての任務を遂行したことになります。つまり子供を無償の愛で持って世話し、人間として成長したジャリンは、グローグーのいない元の生活に戻りました。言いかえるとシーズン2でもって、「ジャリンの成長」としての物語は完結したと解釈できます(※)。

※もちろん、生きている限り人間の精神は成長しつづけるので、ジャリンは今後も成長していくでしょう。しかし「物語に切り取って楽しめるだけの劇的な人間変化」としての成長は、とりあえず終着を見せたと言えます。

ところが、ドラマのシーズン3が始まり、その一話目で、なぜかグローグーはジャリンの元に戻ってきています。その間には、どうやら①ルークの元で修行を積みジェダイになる②ジャリンの元で修行を積みマンダロリアンになる、のどちらかを選ぶ進路選択があったようで、グローグーは後者を選び、ジャリンの元に戻ってきたのでした。この場面は、『ボバ・フェット』のドラマ内で描かれているようです。

今回の映画『マンダロリアン・アンド・グローグー』を観ても分かる通り、シーズン3からの物語の視点は、ジャリンの成長ではなく、「グローグーの成長」に移行していっています。また三番目の主人公として、ボ=カターンの成長に着目する姿勢もみえます。

つまり、シーズン3からのドラマは「グローグーの成長」としての物語に変質しているのです。言い換えると、シーズン3以降は、実質的な主人公が、ジャリンからグローグーに変わっています。それを踏まえると、グローグーがマンダロリアンの道を選んだことは、グローグー自身の精神的な成長の、プロローグ(はじまり)であり要となる出来事だったことが分かります。

グローグーにとって、どちらを目指すかの選択は、単なる職業選択ではありませんでした。それは彼がこれから、ジェダイとマンダロリアン、どちらの精神性を大切にして生きたいかの「生き方」の選択だったと言えます。したがってこの選択が意味するところは、今後も「ジャリンに対する愛」、言い換えると「特定個人に対する愛」を大切にして生きていきたいとの、グローグーによる意思表明なのです。

まとめると、この選択によって、グローグーの成長物語は「特定個人に対する愛」の結びつきを重視する精神性へと、舵を切られたのです。

賛否両論の「選択」

『マンダロリアン』のファンの間では、グローグーの選択には賛否両論あるようです。批判的な意見としては、この選択は「人気キャラ」であるグローグーを、シーズン3以降もレギュラーメンバーとするための、若干のこじつけでは…?というものです。

個人的には、たしかにちょっと商売主義を感じるところはあるけれど、物語としての論理は通っているので許容範囲、という感じです。あとはこの展開にしたことで、グローグーがジェダイ進路を選択したケースよりも、さらに物語展開が面白くなるのなら大満足です。「グローグーの成長物語」を、ここからどこまで面白くできるかが、制作陣の腕の見せ所、正念場な感じがします。

実際、SWシリーズの存続的な面で考えると、今回の映画で新たなSWファン(しかも、若年や女性などの新規層)を獲得できたことは、大きな収穫といえると思います。そして映画がヒットした主要因には、グローグーの存在があるので、グローグーをレギュラーメンバーにしつづけたことは大成功、ということになります。それは巡り巡って、SWシリーズを今後も楽しみたい、ファンのためにもなると感じます。

「騎士」としてのマンダロリアン考察

ここからは、実際の騎士の姿にも触れながら、マンダロリアン(とくにジャリン)がどのような点で騎士らしいかを見て行きます。最初に、分かりやすい見た目上での共通点を紹介し、つづいて、精神面での共通点を紹介します。

とくに「愛」により人格が向上する点は、上記の考察の根底となる内容なので、要チェックです。リンクをクリックすると、該当の箇所に飛びます。

外面の共通点

マンダロリアンと騎士の外面的な共通点として、以下3点を紹介します。

  1. 甲冑に身をつつんでいる
  2. 自身の「紋章」をもつ
  3. 世間から武勇を讃えられている

甲冑に身をつつんでいる

兜をかぶり、視野が狭くなっているのをいいことに、恋人の騎士をからかう女性
《目隠し鬼》Adolph von Menzel、1867年。

マンダロリアンと騎士間の、外面的な共通点の1つ目は、甲冑に身をつつんでいることです。

中世騎士の基本的な防具は4つあります。それは、手に持つ、頭にかぶる、身体の大部分を覆う鎖のかたびら、関節以外の箇所に、さらなる強化のために装着する板金ばんきん です。これらの防具は、戦闘で用いられる武器が強化されるに伴い、強化されていきました。具体的には、中世の期間内に、以下のような進化がありました。

  • 盾:より頑丈な素材が用いられる(木製→金属製)
  • 兜や鎖のかたびら:身体を覆う面積が増える
  • 板金:身体を覆う面積が増える

最終的には15世紀前半に、全身を板金で覆う、「プレートアーマー」が登場し、これによって、古くから最も基本的な防具だった、盾が不要になりました1

これらの防具のうち、マンダロリアンが身につけているのは、兜と板金の2点です。どちらも「ベスカー」と呼ばれる合金でできており、これは(おそらく)宇宙いち防御力が高い上に、マンダロリアンの故郷でしか精錬することのできない、希少な金属として存在します。

とくに兜=ヘルメットは、民族としてのマンダロリアンを特徴づける、重要な装備です。マンダロリアンは、成人後は常時ヘルメットを着用し、自分以外の何者にも素顔を見せないことを教義(ルール)としているためです。

マンダロリアンが着用しているような、顔全体をすっぽりと覆う兜は、14世紀前半にはすでに存在し、以降、騎士の兜の形状として主流になっていきました。

自身の「紋章」をもつ

盾を身につけ、馬にまたがる騎士。Morgan M.969Bible with prologues, Folio 346v-2、13世紀。

マンダロリアンと騎士間の、外面的な共通点の2つ目は、自身の「紋章」を持っていることです。

中世騎士はおのおの、個人の識別子となる「紋章」という記号を持っていました。紋章が活発に用いられるようになった背景には、防具の重厚化に伴い、顔も含めた全身が甲冑で覆われるようになったため、とっさに敵味方を判断することが難しくなったことがあります。

そのようなときに、騎士が必ず携帯する盾に、大きく紋章が描かれていれば、盾を見ただけでその者が誰なのか識別できました。仮に、その紋章を初めて見るとしても、ある程度の戦闘経験がある騎士ならば、描かれたモチーフや色合いから、その者がどこの血族の者なのか、誰の臣下の者なのかぐらいは、予測がつくものでした。

ちなみに、騎士が紋章に入れる色として人気だったのは「赤」で、ついで「青」が人気でした。中世ヨーロッパにおける赤と青の愛好文化は、現在の世界国旗の大半に、赤か青が入っていることにもつながってきます。さらに詳しく知りたい方は以下の記事を参照ください。

紋章は盾だけでなくに、旗やキャパリソン(馬のカバー)にも描かれた。
大ハイデルベルク歌謡写本(13世紀)より、1305-1315年の間。

繰り返すと、紋章が盛んに用いられるようになった理由は、まずもって個人識別のためでした。しかし徐々にその「しるし」は、家系や身分、自らの武勇を示すための存在になっていきます。その証拠として、戦場に大砲が導入され、防具としての甲冑が意味をなさなり、重い兜と鎧を脱いだ戦士たちによっても、紋章は使われつづけました。

マンダロリアンがアーマー(鎧)に刻んでもらう「しるし」は、この紋章にかなり近い概念です。なぜなら「しるし」は、マンダロリアンの観念上で「氏族」と呼ばれる、一種の家系識別子になるからです。

さらに、「しるし」のデザインが決まる経緯も、非常に中世の騎士らしいです。中世騎士の紋章デザインは、しばしばその者の手柄や武勇から考案されました。そして主人公のマンドーは、マッド・ホーンをモチーフにした「しるし」をもらいました。マッド・ホーンは、マンドーとグローグーが協力して退治した怪物なので、そのデザインは中世騎士と同じく、彼らの「武勇」から採用されたということになります。

世間から武勇を讃えられている

貴婦人たちの前で歌う吟遊詩人。フィドルという楽器を使っている。
the Cantigas de Santa María, Códice rico, page 255V、1300年頃。

マンダロリアンと騎士間の、外面的な共通点の3つ目は、世間から武勇を讃えられている点です。

中世ヨーロッパにおいては、実在した英雄の武勲や実績を歌いあげる「武勲詩」と呼ばれるジャンルの文学がありました。こうした歌は、ジョングルール(※)と呼ばれる歌い手によって、宮廷や宿屋、民衆のあつまる広場にて、楽器の伴奏とともに歌われました。

※いわゆる「吟遊詩人」はトゥルバドゥール(仏)あるいはミンネジンガー(独)と呼ばれる。その仕事は作詞作曲、かつ自分で吟じることも含んだため、現代でいうシンガーソングライターに似ている。一方でジョングルールは、トゥルバドゥールが作詞作曲した詩を歌う仕事人。現代でいうシンガーに似ている。

武勲詩の具体例としては、カール大帝の功績を扱う『ロランの歌』があります。現代に至るまで親しまれているアーサー王関連の物語、すなわち「アーサー王もの」も、この武勲詩の系譜上にある物語です。

ジャリンは、アーマーとヘルメットをまとっている特徴的な外見から、どの星へ行っても「マンダロリアン」であることを即座に認知されます。そしてどうやら、マンダロリアンの「武勇伝」が宇宙じゅうに知られているらしく、「子供の頃に夢中になって読んだよ!」などと言われることから、銀河の英雄的存在としてマンダロリアンが認知されていることが分かります。

それは中世の騎士が、人の集まるさまざまな場所で活躍を歌われることで、世間からの憧れの対象となっていったことに非常に似ています。つまりマンダロリアンと騎士は、世間から武勇を讃えられている点で共通しているのです。

内面の共通点

次に、マンダロリアンと騎士の内面的な共通点として、以下3点を紹介します。

  1. 「愛」により人格が向上する
  2. 「道」に準じた行動をとる
  3. 単独で冒険に挑む

「愛」により人格が向上する

幸運にも、貴婦人から愛の見返りがあった騎士。マネッセ写本、14世紀。

マンダロリアンと騎士間の、内面的な共通点の1つ目は、「愛」により人格が向上することです。これは1章~2章でもふれた通り、マンダロリアンの精神性を表す、最も重要な要素です。

中世ヨーロッパの騎士に称えられた「愛」とは、じつのところ、それまでの時代に認知されていた「愛」とは、大きく性質の異なるものでした。それまでの時代の男性から女性への愛とは、主に肉体的な欲望のことでした。ところが、中世期に登場した「宮廷風恋愛」とは、肉体的欲望もありつつも、女性に尽くすことによって、自らの精神性を高めようとする動きでした。

宮廷風恋愛における、貴婦人と騎士との関係は、主君と家臣との関係に、非常に近いものでした。愛の対象となる貴婦人は既婚の身であり、基本的には、男性より身分の高い身でもあります。そのためこの愛は、簡単には成就しえないことを本質としており2、だからこそ騎士は、貴婦人からの愛を得るために、非常に大変な思いをしなければなりませんでした。そして女性のために、こうした大変な思いをすることが、騎士を人間として成長させ、騎士らしい美徳を備えさせると考えられていました。

すなわち、宮廷風恋愛にいそしむ中世の騎士たちは、高貴な奥方との駆け引きを楽しむだけでなく、その過程において、自らの人格を向上させることも念頭に置いていたのでした。

すでに紹介した通り、『マンダロリアン』で描かれる愛は、子供たちに対する無償の愛でした。それは、ジャリンがグローグーの親となることで成長するように、愛を与える者の人格を、より高次に引き上げる、人間としての総仕上げに必要な精神性として描かれています。つまり「人格を向上させる」という点で、マンダロリアンの「愛」と騎士の「愛」は、共通しているのです。

「道」に準じた行動をとる

マンダロリアンと騎士間の、内面的な共通点の2つ目は、「道」に準じた行動をとることです。

中世ヨーロッパの騎士は、「騎士道」と呼ばれる礼儀作法を身につけることがよしとされていました。これは「理想の騎士像」とも解釈でき、例えば、忠誠、礼節、慈愛、寛容、またすでに紹介した、婦人への思いやりや奉仕の心を持っていることが、騎士の美徳とされました。この騎士道精神は、社会人が備えているべき精神モデルとして、騎士なき後もブルジョワ層に受け継がれてゆきました。

マンダロリアンはよく、仲間うちの合図として「我らの道(This is the way)」という言葉を使います。ニュアンスとしては「こうすることがマンダロリアンとしてふさわしい」といった意味です。つまりマンダロリアンたちは、「理想のマンダロリアン像」とも呼ぶべき、彼ら独自の美徳を持っていることになります。

それは、中世の騎士が「理想の騎士像」として騎士道を持っていたことと共通します。

単独で冒険に挑む

聖ゲオルギオスによるドラゴン退治。Paolo Uccello 、1458-1460年の間。
聖ゲオルギオスが騎士のような姿で描かれることが多いのは、ドラゴン退治が騎士らしい冒険とも読み取れるからだろう。

マンダロリアンと騎士間の、内面的な共通点の3つ目は、単独で冒険に挑む点です。

『アーサー王物語』に描かれているように、文学上の騎士は、騎士にふさわしい武勲を立てるために、ひとりで各地を放浪する傾向にあります。それは例えば、悪者退治だったり、高貴な婦人の救出だったり、秘宝の探索だったりします。森のなかを進んでいると、水辺に至り、そこで沐浴している美女に出会うのも典型的なパターンで、それについては以下記事で紹介しました。

じつは、騎士による冒険は文学上のものだけではありませんでした。騎士の仕事は、馬に乗って戦うことでしたが、戦争がない平和な時代や、主君の戦争に従軍しない、お休みの期間もありました。その間、若い騎士のなかには、富と女性と冒険を求めて、諸国を渡り歩いている者も多かった3とされています。

『マンダロリアン』の主人公ジャリンは、賞金稼ぎとして生計を立てています。しかしその実情は、悪者をこらしめる冒険に出かけていることと変わりありません。ゆえにジャリンの生活は、単独で冒険に挑む点で、騎士と共通していると言えます。

ちなみに、上にあげた3つと比べると重要度は下がりますが、ジャリンが「馬」に愛着を持っている点も、騎士と共通しています。ジャリンの「馬」とは、大事に乗っているアンティーク船「レイザー・クレスト」のことです。

おわりに

今回は、マンダロリアンがいかに中世の騎士らしいかを解説しました。

その精神性を整理すると、マンダロリアンは「愛」によって結びついた共同体だということが分かりました。物語も、父から子への、あるいは子から父への無償の「愛」を主テーマとしています。

私は情熱的な人間ではないので、「真実の愛」や「愛と平和」などの「愛」の大切さを説いた物語に触れても、ふーん…?と冷めた目で見がちです。しかし、マンダロリアンや騎士がそうであるように、より優れた人格の持ち主になるために、より人間として成長するために、人間には「愛」が必要なのだ、と考えてみると、それは然りな感じがします。

なぜなら、見返りを求めない心からの優しさを、誰かに与えられる人は、間違いなく「徳の高い人間」だからです。

ジャリンが愛を与えつづけることで成長するように、親にとって一筋縄ではいかない子育てでは、そのような精神性が、とりわけ大きく育まれるのかもしれません。そう考えると、昔の人が「人は子供をもってこそ一人前」と考えていたことにも、一理あるかもしれません。そのような視点で「愛」に着目してみると、また違った世界が見えてきそうです。

今回の記事では、文字数の関係から「聖職者」としてのジェダイは解説できませんでした。本記事が好評であれば、ジェダイ編も書こうと思いますので、面白ければぜひ拡散をお願いします。

★今回の記事で取り上げた騎士の恋愛観について、より詳しく知りたいという方には、以下の本がおすすめです。

★騎士文化について気軽に学びたい、という方には以下の本がおすすめです。著者も監修協力させていただいた本で、騎士入門にぴったりな一冊です。

参考文献

  1. 『西洋の騎士のすべて』メイツ出版、2026年、86頁。 ↩︎
  2. 池上俊一『図説 騎士の世界』河出書房新社、2023年、55頁。 ↩︎
  3. 同書、35頁。 ↩︎

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