2024/10/12(土)に13回目の読書会を開催しました。今回の課題本は安部公房の『けものたちは故郷をめざす』でした。当日は著者や本のあらすじをおさらいした後、物語内容について考察しました。その記録を記載します。
私が日本文学に疎いため、日本人作家の本を課題本にしたのは、今回が初めてです。物語についてネタバレなしなので、未読の方も安心してお読みください。
- 読書会はTwitter上で参加者を募り、オンラインで開催しています。
- 今回参加いただいた方は2名でした。
安部公房について
安部公房は、1924年の東京で、北海道開拓民の両親のもとに生まれました。父が満州大学の医師だったため、生後すぐに家族とともに満州に渡り、奉天の日本人地区で暮らしました。安部は四人兄弟の長男でした。
【満州国とは】
関東軍(日本陸軍部隊)が成立させ、支配した日本の傀儡国家。 清朝最後の皇帝である溥儀(ふぎ)を皇帝に据え、1932-1945年の間に存在した。
第二次世界大戦で日本が敗戦するとともに滅亡。大陸に取り残された日本人は約170万人いた。
残留日本人が日本へ送還されたのは、戦争の終結から約1年半経った、1946年3月のことだった。その間や引き揚げ中に、約24万人が亡くなったといわれる。日本政府は戦後の食糧難などから、残留日本人を受け入ることに消極的で、引き揚げ作業を主導したのはアメリカだった。
もっとも、アメリカも人道的観点から……というよりは、ソ連との緊張が高まるなかで、政治的な思惑が多々あり日本人を帰国させたかったようだ。
安部は少年期に、奉天の実家にて、世界文学全集や近代劇全集などを読んで過ごしました。特にエドガー・アラン・ポーの作品に感銘を受けたようです。
中学を卒業後は、日本に帰国し、旧制成城高等学校の理科乙類に進学しました。ドイツ語教師(日本人)の影響で、戯曲や実存主義文学を読みはじめます。
1943年、19歳の頃、戦時下のため高等学校を繰り上げ卒業し、東京帝国大学医学部へ進学しました。
やがて文科学生が次々と学徒出陣していきます。安部は理科学生でしたが、やがて自分も徴兵されるという想いと、敗戦が近いという噂から、両親の安否を気遣い、満州に帰りました。1944年のことです。奉天にて、開業医をしていた父の仕事を手伝いながら生活しました。
1945年、安部のもとに召集令状が届きますが、入営前に終戦を迎えました(1945年8月15日)。同年冬に発疹チフスが大流行し、診察の対応をしていた父が亡くなりました。
安部と家族は、敗戦のために家を追われ、市内でサイダー製造などをして生活費を得ました。敗戦から引き揚げまでの1年半以上の間、無政府状態の大陸に取り残された日本人は、苦しい生活を余儀なくされ、多くの人が命を落としました。
1946年の暮れに、安部たちは、引き揚げ船にて帰国しました。安部は、北海道の祖父母の家に家族を送りとどけたのち、東京に戻ります。
1948年、東大医学部を卒業し、同年10月に作家としてデビューしました(24歳)。
1951年、「壁 – S・カルマ氏の犯罪」が芥川賞を受賞、『壁』という短編集として刊行されました。その後安部は、劇作にも力を入れながら、小説を複数発表していきます。1956年、今回の課題本である、『けものたちは故郷をめざす』を発表します。
1968年、『砂の女』でフランス最優秀外国文学賞を受賞します。晩年は国際的に評価され、ノーベル文学賞の有力候補とされていましたが、1993年、脳内出血により68歳で死去しました。
当時のノーベル文学賞委員会のペール・ベストベリー委員長は、安部について「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう」と述べています。また、1994年に日本人としてノーベル文学賞を受賞した大江健三郎も、「安部公房、大岡昇平、井伏鱒二が生きていれば、その人たちがもらって当然でした」と述べています。
安部公房の作風は日本らしくなく、世界の読者を視野にいれた、解釈の幅が広い普遍的な作風です。以下のエピソードからも、彼が国際的な作風を好んでいたことが分かります。
- 安部は文壇とは距離を置き、交友関係が極端に狭かった。多くの日本人作家を作家として認めず、海外文学を愛読していた。
- フランツ・カフカを評価し、二度にわたる東欧旅行の途中で、彼の生まれ故郷であるプラハを訪れている。
個人的には、両親が北海道開拓民だったことや、少年期を満州国という多民族が共存する環境で過ごしたことも、彼の国際性に影響していると考えています。
『けものたちは故郷をめざす』について
※ネタバレなしです! 未読の方も安心してお読みください。
『けものたちは故郷をめざす』は、満州国で生まれ育った久三 (推定18歳)が、敗戦後に故郷(日本)をめざす物語です。彼は通常の引き揚げタイミングを逃し、ソ連兵の下男として働いていました。敗戦から2年以上経ったとき、故郷へ帰ることを決意し、道中で出会った謎の男・高石塔とともに、徒歩で荒野を進んでいきます。
題名の「けもの」は、精神の極限状態におかれた人間が、理性をなくし獣のようになることを示しています。というのは一つの代表的な暗喩にすぎず、安部は他にも意味を込めたと思われます。無政府状態で誰も信用できない状況で、気温がマイナス40度にもなる苛酷な環境下で、久三は大陸を南へと進んでいきます。
旧満州国を舞台としていますが、舞台がどこであろうと物語が成り立つ点で、安部公房らしい国際的な作風です。
フリートーク
ここからは参加者の皆さんとお話したことを紹介します。記事に書く都合上、一程度のまとまりに分けて記載します。
全体的な感想
- 安部公房の『砂の女』『箱男』を読んだことがあるが、それらとは違う作風だと思った。芸術というよりは、自身の過去の体験について表現したかったのかもしれない。物語で登場する野犬について、『砂の女』でも出てきたことを思い出した。当時を生きていた年配の方が、やはり野犬について怖いと言っていたのを聞いた。当時の人の感情や、満州について知れて勉強になる。
- 安部の物語はSFや幻想文学寄りで、物語の題材や切り口が特殊な点で、ファンから愛されている。代表的なのは、『壁』『第四間氷期』『砂の女』『箱男』など。『けものたちは故郷をめざす』は、それらと比べるとリアル(現実)よりで、特殊な設定でないからこそ、安部の新たな一面を知れる物語。安部の作品としては、かなり普通で、他の作品と比較した際に埋もれがちなのも納得。
- 安部の物語は『砂の女』だけ読んだことがある。それと同じく、日本色が薄く、西欧人が好みそうな作風だと思った。快い内容ではないが、文学としての芸術性は間違いなく高い。過去の読書会で、「ノーベル文学賞を受賞するような人は、普遍性を極めた者か、著しく尖っている者かのどちらか」といった話をしたが、安部は間違いなく後者で、個性がとんでもなく強い。
動物を観察するように、淡々と人間を描写する
安部は、修飾語を極力使わず、淡々と目の前の事実を積み上げていく文体だ、という意見がありました。「まずモノが存在している」という点から思考がスタートする、実存主義らしい作風です。まるで動物を観察しているように、登場人物を描写しており、目の前にあるものを重視するため、満州国を舞台としながら、政治や国際情勢のことをあまり記載していません。
『けものたちは故郷をめざす』は、残酷な場面が多々ありますが、そういった場面でも過度に残酷には書いていない、という意見で、個人的にも同意でした。作者の主義主張がにじみ出ている感情的な文章はなかったですし、心理描写もさっぱりしています。なお、三島由紀夫は修飾語(レトリック)を多用するため、彼とは全く異なる作風だそうです。
満州国はグローバルだった
満州国には「五族協和」という標語がありました。その理念は、「和(日)・朝・満・蒙・漢(中)」の五民族が協調して暮らせる国を目指していました。安部公房もこの理念を教えられて育ち、それは彼の作品や思想に大きな影響をもたらしました。
満州国は日本が支配していた国でしたが、当時の人の手記によると、日本人が偉いというわけではなく、他民族と協調するグローバルな環境だったようです。というより、国際社会で孤立していた日本人が、そこまで威張れるような状況ではなかったのかもしれません。
日本は世界的にみると、構成民族の数が少ない国です。そのため、満州国のような多民族国家にて、多感な時期を過ごした安部が、同年代の他の作家と異なる国際的な作風であるのも、道理かもしれません。
満州国を扱った他の作品
満州国を扱った物語は『けものたちは故郷をめざす』の他にもいくつかあります。参加者の方からは、五味川純平の『人間の条件』という物語が挙がりました。これはエンタメ寄りだそうです。
個人的には、藤原ていの『流れる星は生きている』が気になっています。この小説は藤原ていの、満州から引き揚げる際の実体験に基づき書かれています。私の親戚にも何人か、子供の頃に満州から引き揚げてきた人がいるので、勉強のためにも、近いうちに読みたいと思いました。過去には映画やドラマ化もされ、いまだに版を重ねている小説です。
今年のノーベル文学賞について
2024年のノーベル文学賞が発表されたばかりだったので、その話題で盛り上がりました。今年のノーベル文学賞は、韓国国籍をもつハン・ガン(韓江)さんでした。
前回の読書会にて、ノーベル文学賞の国籍一覧を見ていたとき、韓国国籍が一人もいなかったことに驚きました。そして、「近年は韓国文学熱が高まっているし、そろそろ受賞者が出るかも」と言っていたところでした。アジア国籍からノーベル文学賞者がでたのは、2012年の莫言さん(中国籍)ぶりで、しかも韓国で初めてのノーベル文学賞ということで、本当にめでたいです。
ノーベル文学賞は1900年代から始まった賞で、最初は西欧諸国のみしか対象にしていなかったので、歴代で見ると西欧諸国の受賞者割合が高いです。多い順に、フランス(18)、アメリカ(13)、イギリス(11)、ドイツ(10)です。見て分かる通り、西欧の中でも力ある国が多い傾向にあります。
しかしここ数十年は、世界で最も権威ある文学賞として認知されているため、西欧諸国のみならず、他の地域にも目を向ける姿勢が求められています。選考委員会も、なるべく様々な国・地域の作家を候補としていると思われます。ただし前提として、小説が英語に翻訳されていることは必須です(そのハードルを越えられない国はたくさんある)。
私はまだ韓国文学を読んだことがありませんが、参加者のお二人は、ハン・ガンさんの作品を含めて、韓国文学に親しんでいました。韓国文学は、時代背景からフェミニズム文学が多いようです。それは男尊女卑の儒教文化や、多国籍企業が韓国人女性を安い労働力として搾取していたことが背景にあるそうです。(ハン・ガンさんの場合は、フェミニズム文学ではない)
ハン・ガンさんの本でおすすめは、『ギリシア語の時間』『菜食主義者』『別れを告げない』だそうです。
文学の流行りについて
歴代のノーベル文学賞受賞者を見ていると、文学の潮流には流行りがある、という話になりました。例えば、2000年代はグローバル化が進んだ影響で、自国の文化を重視するローカルな文学が流行っていました。それは、トルコ国籍のオルハン・パムクや、ペルー・スペイン国籍のマリオ・バルガス・リョサが、ノーベル文学賞を受賞したことに現れているかもしれません。
近年では、カズオ・イシグロに代表されるように、歴史的な記憶をテーマにした物語が注目されている、という意見がありました。歴史的な記憶とは例えば、ホロコーストや植民地支配などです。前に読書会の課題本にした、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』は、まさに戦争犠牲者の記憶をテーマにしています(そのときの読書会記録はこちら)。
作家からすると、「流行っているからそのテーマで書く」というよりは、「自分が関心を持っているテーマについて、世界の人も関心を持っている」という状況なのかと思います。これだけグローバル化が進んだ社会では、世界中で起きている主な出来事を、世界の人が知っている状況です。よって書き手も読み手も、関心のあるテーマが似てくるのかもしれません。
おわりに
今回は、安部公房『けものたちは故郷をめざす』の読書会記録を書きました。
個人的に今回の読書会を通して学んだ、一番面白かったことは、「安部公房の作風が国際的なのはなぜか」という疑問に対する答えです。その背景には、彼が海外文学を好んだこと、多数の民族に囲まれる環境で育ったこと、などがありました。
ノーベル文学賞の受賞を目指している作家の中には、意識して世界に通じる、普遍的な作風で物語を書く人がいるそうです。そのような作風だと、他文化の人の共感も呼び、大勢に評価されやすいからです。安部公房の場合は、受賞を目指して書いたわけではないと思いますが、結果的に世界から評価されたのは、彼の物語が日本以外でも通用する、国際的な作風だったからだと言えます。
11月の読書会はお休みです。そういえば先日、Chat GPTをアイディア出しに使うとよい、と聞いて、秋の読書会の課題本によさそうな本を聞いてみました。すると、まっとうなセレクトが出てきたので、今後活用してみようと思います。挙げられた本は以下でした。
- カミュ『異邦人』
- ヘッセ『シッダールタ』
- フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』
- ドストエフスキー『地下室の手記』
- スタニスワフ・レム『ソラリス』
ロシア文学をまだ課題本にしたことがないので、ドストエフスキー『地下室の手記』がよいかもしれません。個人的にはカミュの『異邦人』も気になります。それではまた!