前近代の西洋人と、私たち現代人とでは、世界(宇宙)に対する認識の仕方が大きく異なります。両者の違いは、ある事象の原因を、超自然的な存在に求めるか、科学に求めるかです。
おおまかに言うと、前近代の西洋人は、事象の背景には魔法(神)があると考えていました。それに対して、近代以降の私たちは、事象の背景には科学(数学)があると考えています。
今回は魔法と科学の違いについて説明します。まずは、人びとの世界(宇宙)に対する認識の変遷を紹介し、それに基づいて違いを説明します。
前提-超自然的とは
本記事における「超」は「すごく」「とても」という意味ではありません。文字通り「超す」という意味です。「自然」を「超す」、つまり一般的な自然現象ではありえないことを意味します。要するに、「超自然的な力」といえば魔法や霊的な力のことであり、「超自然的存在」といえば神々や精霊、妖精のことを指します。
近代以前の世界認識
近代以前、つまり科学革命が起きる前の人びとは、超自然的な存在が宇宙を支配していると考え、物事の原因を超自然的な存在・力に求めていました。例えば、彼らに「なぜ雨は降るのか」と尋ねれば、「雨の妖精が降らしているから」とか「天上の神々が泣いているから」などと答えます。
例えば、1345年に西洋で流行した黒死病(ペスト)について、一部の人は神が下した罰によるものと考えました。人びとは黒死病の発生原因の解明に、占星術を使いました。そして、黒死病が流行したのは、その年の3月20日に水瓶座に土星、火星、木星が集まったからだ、と解釈しました[1]。
つまり神話や超自然的な力は、彼らが一生懸命、世界を理解しようとした結果の産物でした。雷が落ちるのは神が怒っているから、人が病気になるのは悪い妖精に目をつけられてしまったからなのです。神話や宗教の機能の1つとして、「原因の追究」があることは、神話や宗教がもつ4つの機能で説明しました。
原因の分からないことは気持ち悪いし、対処もできず、やるせないです。そのため、人びとは自分たちではコントロールできない事象に超自然的な存在や力が関わっていると考えました。そして祈ったり、供物を備えたりしてコントロールできない事象に対処しようとしました。
近代以降の世界認識
近代以降になると人びとは、数字が宇宙を支配していると考え、物事の原因を数字に求めるようになります。例えば、当時キリスト教で伝統的だった天動説に異を唱えた、コペルニクス(1473-1543年)という人がいます。
コペルニクスは太陽中心説(地動説)を唱え、天空が動いているのではなく、地球が回っているのだと説きました。その考えを支持したケプラー(1571-1630年)は、「数が宇宙の秩序の中心である」と唱えます。
地動説はキリスト教の考えにとって、神の神性を否定する、都合の悪い説でした。そのため、コペルニクスの後に同じく地動説を唱えたガリレオ=ガリレイ(1564-1642年)は、異端刑で投獄されました。しかしそのようなキリスト教権力の抵抗もむなしく、徐々に人びとは彼らの説を受け入れはじめ、科学者たちは世の中のすべての事象を方程式で表わしはじめます。
これは近代以前の超自然的な存在が、数字(科学)に置き換わったことを意味します。ニーチェの有名な言葉、「神は死んだ」はこの時代の流れから発せられました。人びとはもはや超自然的な存在を信じず、物事の原因を科学に求めはじめました。それは同時に、中世期に幅をきかせたローマ・カトリック教会(=カトリック。キリスト教の最もメジャーな一派)の権力の失墜も意味していました。
魔法と科学の違い
これまで人びとの世界(宇宙)に対する認識の仕方を、歴史的に振り返りました。以上から分かることは、魔法と科学の共通点は、「人びとが世界を理解する際のベースとなる力=宇宙を支配している力」であることです。
一方で、魔法と科学の相違点は、以下の通りです。
- 魔法:近代以前の人びとが信じていた力
- 科学:近代以降の人びとが信じている力
科学について、「信じている」と書いたのは、科学で解明できない事象が宇宙にはたくさんあるからです。しかも、ある事象を方程式(数学)で解明することはできても、「なぜそのような方程式で宇宙が動いているのか」という根本原因は分からないわけです。
やはり宇宙創世の背後には、方程式をつくった神がいるのだろうか? というユニークな問いかけをしている本が、マリオ・リヴィオ『神は数学者か?』です。題名だけ読むと怪しそうですが、天体物理学者が書いた、きちんとした数学史の本です。面白くてオススメです。
しかし現時点では、科学はわれわれの問に対し、最も明快な答えを導きだしてくれます。よって世界中の人びとの共通認識として、宇宙の仕組みを解明するベースとして使われているのです。
おわりに
今回は、魔法と科学の違いについて紹介しました。
魔法(神)は古くから、人びとが世界を認識する際のベースでした。現代では、その役割が科学(数字)に置き換わっています。
魔法と科学の共通点は、「人びとが世界を認識する際のベースとなる力=宇宙を支配している力」であることです。一方で、魔法と科学の相違点は、以下の通りです。
- 魔法:近代以前の人びとが信じていた力
- 科学:近代以降の人びとが信じている力
今のところ、科学はわれわれの問に対し最も明快な答えを導きだしてくれますが、もちろん科学で証明できない事象も無数にあります。もしかしたら、科学に置き換わる何かが未来に出てくるかも……と考えてみるのも面白いですね。
参考:魔法と科学を扱った物語
ここからはオマケです。創作のヒントを得るために、ブログを読んでくださる方も多いので、参考になる物語を例として挙げます。本記事の内容を踏まえた上で読むと、さらに学びが深まると思います。
『とある魔術の禁書目録』
本記事を書きながらずっと、魔法と科学の対立をテーマにしたライトノベル、『とある魔術の禁書目録』が頭にありました(兄が持っていたので、読んだことがあります。面白いです)。むしろこの物語の設定を解明するために、記事を書いたといっても過言ではありません。
物語内には「魔法と科学は相いれない」という設定があります。なぜ相いれないのか?ということは、本記事で書いた相違点を振り返れば分かりますね。いま振り返っても、魔法と科学を同じ時代に共存させるのは、ユニークな設定だと思います。
もし自分のつくる物語に、魔法と科学を入れてみたい、と思う方は参考に読んでみるとよいでしょう。
『チ。-地球の運動について-』
魔法から科学への移行を扱っている物語として、漫画『チ。-地球の運動について-』もよいと思います。
15世紀西洋をモデルとしつつ、オーウェルの『1984年』並みに思想統制されたフィクション世界観を舞台にしています。具体的には、天動説と対立する、地動説を研究していることが教会にバレると即アウトです(実際にはここまでの統制力は教会になかった)。その恐怖が物語にスリルをもたらし面白くしています。
登場人物による、「神を信じていないのではなく、信じているからこそ、天体の運行は無駄なく美しいはず(=規則性があるはず)」という思考がルネサンス期の科学者らしくてカッコよいです。この場合の「神」は「数学」とも置き換え可能で、より美しい宇宙の方程式を見つけることが、科学者の使命なのでしょう。
参考文献
[1] 中山茂『西洋占星術史 科学と魔術のあいだ』講談社学術文庫、2019年、134頁。
【関連書籍】
科学史について、こちらも読みやすくて面白いです。