カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』感想

丘の上の樹
目次

はじめに

今回は2017年度、ノーベル文学章を受章したカズオ・イシグロの著作『忘れられた巨人』の感想を書きます。ネタバレはなしです。

カズオ・イシグロとの出会い

カズオ・イシグロという作家を知ったのは、大学生のころです。たまたま受けてみた英文学の講義で、カズオ・イシグロのNever let me go(『わたしを離さないで』)を知りました。同時期に、英文学専攻の友人が、お昼を一緒に食べるたびにNever let me goの翻訳と解釈に追われていたのが印象に残っています。

『忘れた巨人』を購入

Never let me goを読もうと思って読まないうちに2017年、ノーベル文学賞を取ったカズオ・イシグロは一躍有名になりました。書店に行けば彼の著作がずらりと並んでいます。週末あてもなく本屋へ行ってぶらぶらして、気になった本を買うのは至福の時間です。『忘れられた巨人』も、そうして目に留まった本の一つでした。

まずタイトルです。意味が分からないけど、素敵な響きです。このような、見ただけでは内容が分からないかつ、ネーミングセンスのあるタイトルの本は、思わず手に取りたくなります。

そして表紙です。深緑を背景に、荒涼とした山、棘のある木。なんだか不穏でノスタルジックです。

それら2点に惹かれて手に取って、裏表紙のあらすじを読んでみました。

遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村をあとにした老夫婦。一夜の宿を求めた村で少年を託されたふたりは、若い戦士を加えた四人で旅路を行く。竜退治を唱える老騎士、高徳の修道僧……

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』早川書房、2017年

竜、騎士、修道僧。なんだかわたしの好きなファンタジーと歴史の気配がします。そして、舞台はアーサー王亡きあとのブリテン島ということ。これは楽しそうです。イギリスが舞台ということは、妖精もでてくるに違いありません。いそいそと購入しました。

全体的な感想

物語の流れはゆったりとしていて、日の光や木々などの描写が美しいです。老夫婦によみがえる断片的な記憶、漠然とした不安、役割が不明瞭なまま通り過ぎていく登場人物。物語のはじまりは霧がかった村です。ですが、霧がかっているのは実際の風景だけでなく、老夫婦の「心」もであると感じました。「いるの、アクセル」「いるよ、お姫様」と何度も繰り返されるふたりの応答にも、霧は表れているようです。

最も印象に残った文章

前半で、わたし自身が既視感を覚えたベアトリスとアクセルの会話です。

「いま思い出してみたの、アクセル。わたしのこの痛みって、蝋燭がなかったせいじゃないかしら」

「それはどういうことかな、お姫様。どうしてそうなる」

「暗さのせいで痛みが始まったんじゃないかと思うの」

(中略)

「この前の冬、村の近くに妖精が出るって噂が流れたのを覚えている、アクセル?自分では見ていないけれど、闇を好む妖精だっていう話だったわよね。わたしたちって、長い間、ずっと闇の中で過ごしていたわけだし、その妖精が知らないうちにときどき来ていたずらをしたんじゃないかと思うの」

(中略)

「いま思うとね、アクセル、この前の冬は、夜中に目が覚めたことが何度かあったのよ。あなたは横でぐっすり眠っていた。でも、わたしは何かの物音で目が覚めた、と確かに思ったの」

「鼠か何かの生き物じゃないのかな、お姫様」

「そういう音じゃなかったし、聞こえたと思ったのは一度きりじゃないのよ。それでね、痛みが始まったのも同じころだったの」

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』早川書房、2017年 、p.157

ベアトリスは物語を通して脇腹の痛みを感じています。そしてその理由を、闇の妖精がいたずらしたためだと思っています。しかし、その妖精が本当に家のなかにいたか、またいたずらをしたかは定かではありません。ベアトリスは夜中に聞こえた不審な音を、恐怖のために、噂で聞いていた闇の妖精に違いないと解釈します。その後、なにか悪いことが起きはしまいかと考えているうちに、痛みの原因を妖精に結びつけてしまうのです。

このような、恐怖体験と自分に起きた悪い事象を結びつけてしまう根拠のない行為ですが、幼いころにわたしもよくやっていました。たとえば、おなかが痛いのは、昨日雷が鳴っていたときにおへそを出していたからだとか。今ではもうそんなことは考えません。なぜならわたしは科学的な根拠に基づいた思考をする現代人になったからです。

この文章から、『忘れられた巨人』は、近代化される以前の人びとが物事をどのように考えていたかを、現代人に教えてくれる小説だと思いました(※)。また、わたしたちは幼少の頃だけ近代化以前の人びとと同じ思考法をしています。その意味で、幼少期の恐怖を思い出させてくれる小説でもあるのです。

※近代化以前の人びとと、現代人の思考の違いについては、魔法から科学への移行を参照してください。

おわりに

今回はカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の感想を綴りました。お読みいただきありがとうございました。

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2020年10月追記:

『忘れられた巨人』の「巨人」が何を暗喩しているか、気づいてしまったかもしれません。これはニュートンがフックに宛てた手紙に書いたことで有名な、「先人が積み重ねた発見と知識」という意味である可能性があります。わたしたちは巨人の肩の上に乗ることで、遠くを見渡すことができるが、それが「忘れられた」場合、どうなるのか?、そういう内容が本物語で書かれているのかもしれません。推測が正しいか、時間ができたときに読みなおしてみます。

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