『クララとお日さま』にみる、現代に失われた信仰

読了後、ロボットであるはずのクララに、人間以上に人間らしい心を感じました。この違和感を出発点に、『クララとお日さま』を「信仰」という観点から読み解きます。

「クララによる太陽信仰」は、本作のメインテーマの一つとして機能しています。なぜそこに至るのかが分かると、私たちの信仰や希望の構造も見えてきます。

※以下、ネタバレを含みます。

目次

クララは生まれたばかりの「人間」である

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(2021年)の主人公クララは、富裕層の子供向けに、「人工親友 Artificial Friend」として製造されたAIロボットです。

クララたち「AF」はロボットですが、感情を抱く存在です。しかも、人間との関わりを通じて学習を重ねるにつれて、感情も豊かになっていくことが、作中で示唆されています。

(ジョジ―の)母親がまた口を開いたとき、今度は、わたしに話しかけているとすぐわかりました。

「感情がないって、ときにはすばらしいことだと思う。あなたがうらやましいわ」

わたしはしばらく考え、「わたしにも感情があると思います」と言いました。「多くを観察するほど、感情も多くなります」

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』土屋政雄訳、早川書房、2023年、159頁。

実際、物語の語り手であるクララは、関わる人間が増えていくたびに、その人たちを通して、人間の複雑な感情を学んでいきます。そして、各個人の気持ちを尊重した、より「人間らしい」行動を取れるようになっていきます。

クララにとって「お日さま」は何なのか?

AFショップの店頭に並び、自分の買い手が現れるのを待っていたクララは、ジョジ―という女の子の家に迎えられました。

しかしクララがやってきてまもなく、病弱だったジョジ―の健康状態が悪化し、余談を許さない日々が始まりました。じつはジョジ―には姉がいましたが、姉もジョジ―と同じ原因(※)によって衰弱し、命を落としました。その過去から、一家には暗い影が落ち、ジョジ―が死ぬかもしれない…ということを想定して、物事が進んでいきます。

ところがクララだけは、ジョジ―を助ける最後の手段があると、強く信じています

※作中世界では、将来エリートコースを歩むためには、”向上処置”なるものが必須で、ジョジ―も姉もそれを受けた。しかし姉妹の身体に対しては負担が大きく、それが原因で健康を害すことになった。

『ニュルンベルク年代記』の挿絵より、1493年。

クララが信じる最後の手段は、お日さまによる「特別な栄養」です。彼女が「お日さまには瀕死の人を再び元気にする、特別な力が備わっている」と信じるようになった経緯は、次の通りです。

きっかけは、命尽きたと思われる、地面に横たわって動かない物乞いの人と犬が、翌朝に生き返っている様子を見たことです。その朝は、素晴らしい日和で、クララたちAFの動力源となる、お日さまの光がたっぷり注いでいました。ゆえにクララは、物乞いの人と犬は、お日さまから特別な栄養が注がれたから、生き返ったに違いない、と信じるようになりました。

そこでクララは、ジョジ―を救うために、彼女に特別な栄養をもたらしてくれるよう、お日さまに「お願い」しにいきます。このときクララが向かったのは、彼女たちの家から見て西の方角にある、マクベインさんの納屋でした。なぜならお日さまはいつも、その納屋に向かって沈んでいくため、クララはそこがお日さまの「休憩所」であるにちがいない、と信じていたのです。そこでならきっと、お日さまが耳を傾けてくれるにちがいないと、クララは思ったのでした。

生まれたばかりのAIロボット・クララは、神や信仰といった、宗教的な概念を持ちません。しかし、ある存在に超自然的な恩寵を期待し、その恩寵をもたらしてくれるよう「お願い」する行為は、それに適した人類の概念を当てはめるなら、「祈り」に他なりません

そこで、クララのお日さまに対する考えや行動を「信仰」という前提で、作品全体を読み解いてみました。それぞれの用語や出来事を、信仰にまつわる概念に言い換えて整理したのが、以下の表です。

作中の用語・出来事クララの考え信仰にまつわる概念
お日さまどうしようもならない問題を、打開してくれかもしれない特別な存在信仰対象(神)
特別な栄養物乞いの人と犬を生き返らせた、普段とは異なるお日さまの光神からもたらされる、超自然的な力(恩寵)
マクベインさんの納屋お日さまが休憩する場所/
自分の願いを聞き入れてくれる場所
神殿
お願い「ジョジ―を治してください」祈り
クーティングズ・マシンお日さまの嫌う汚染をもたらす機械神にとっての悪徳
クーティングズ・マシンの破壊ジョジ―に特別な栄養を注いでもらうために、お日さまに提示できる交渉材料捧げ物①
クーティングズ・マシンの破壊に、自分の頭部に入っている<P-E-G-9溶液>を使用したこと自分のAFとしての機能が落ちるかもしれないが、「それでジョジ―がお日さまの特別な助けを得られるものなら、喜んでもっと、いえ全部でも、捧げます」自己犠牲
愛し合う二人の再会お日さまが喜ぶ事象神にとっての美徳
リックとジョジ―の互いに対する愛の永続ジョジ―に特別な栄養を注いでもらうために、お日さまに提示できる交渉材料捧げ物②

作中にてクララは、お日さまに対して二つの交渉材料(≒捧げ物)を提示しています。一つ目は、「クーティングズ・マシンの破壊」、二つ目は「リックとジョジ―の互いに対する愛の永続」です。一つ目の交渉材料にて、お日さまが願いを聞き入れてくれればよかったのですが、そうではなかったので、クララは二つ目の交渉材料を用意しました。そして二つ目の約束でようやく、クララの願いは聞き入れられました。

興味深いのは、前者と後者の交渉材料が、対の概念になっていることです。すなわち、前者はお日さまにとっての「悪徳」を世から減らす行為、後者はお日さまにとっての「美徳」を世に増やす行為、と解釈できます。生まれたばかりのAIロボット・クララが、深く内省して自己学習し、ジョジ―のために短期間でお日さまにとっての「悪徳」と「美徳」に思い至る様子は感動的で、作中屈指の見どころと言えます。

そして、この物語の面白いところは、クララの成功要因が、以下のいずれとも取れる点です。

  1. クララに搭載されているAFとしての処理能力で、もともとこの程度の速度の学習は可能だった→ 成功要因は「AI技術」
  2. ジョジ―を救いたいとの、クララの強い想いが、通常ではあり得ない速度の学習を可能にした→ 成功要因は「クララのジョジ―に対する愛」

もし1と解釈するならば、この物語の主張は「AI技術には大きな可能性がある」になるでしょうし、2の場合には、「愛は不可能をも可能にする」になるでしょう。この全く相いれなさそうな、対局に位置する主張が共存している点が、『クララとお日さま』の一番の魅力かもしれません。

ちなみに、物語の鍵となるモチーフも「AI」と「信仰」の二つで、こちらもギャップがあってしびれるよね!

クララは信じ、希望を持ちつづける

ジョジ―を治すという、クララの試みが成功した要因は、「AI技術」あるいは「クララのジョジ―に対する愛」であると分析しました。しかしそれらがあっても、ある点がクララに欠けていた場合には、ジョジ―を回復させることができなかったはずです。それは、ジョジ―が治るという「希望」を最後まで持ちつづけたことです。

物語の終盤では、ジョジ―の容態がいよいよ悪化し、医者や母親さえも、もはや助かる見込みはないと覚悟しました。ところがクララは、あるはずもない希望を抱いていたことを、リックに責められたとき、それでも希望はあると答えます。

「ジョジ―がこんなに悪くなったことはない」と、(リックは)地面を見ながら言いました。「君は、希望をもっていい理由があると言っていた。何か特別な理由があるように言いつづけていた。だから、ぼくも希望をもちつづけた」

「すみません。きっと腹が立っているでしょう。わたしもがっかりしています。それでも、まだ希望をもちつづけていい理由があると信じます」

「本気かい、クララ。悪くなる一方なんだぞ。医者も母親も——見てわかるだろう?——もう匙を投げかけている」

「それでも、です。希望があると信じます。大人たちが考えてもいないところから助けがくると信じます。ただ、すぐにでも、あることをしなければなりません」

同上、423頁。

この後、クララが二度目のお願いに行ったあとも、お日さまからの恩寵はありませんでした。しかし希望を持ちつづけた結果、クララはジョジ―を救う、最後のチャンスを逃さずにすみます

ジョジ―の寝室に、いつもと異なる強さの光が差したときのことです。家政婦のメラニアさんは、ジョジ―の身体に毒だと考え、ブラインドとカーテンを閉めはじめました。しかしクララは、ついにお日さまによる特別な栄養がもたらされる、前触れであることに気づき、いつもの従順な姿勢を捨て、メラニアさんに反抗しました。

「だめです、だめ」と、わたしはメラニアさんを止めにいきました。「開けてください。全部開けて。お日さまから全部いただかないと」

わたしはメラニアさんからカーテンを奪いとろうとしました。メラニアさんは、最初、抵抗しましたが、やがて驚いたような顔で手を放してくれました。

同上、444頁。

この行動のあと、最初にリックが、クララがずっと頼りにしていた「希望」の正体に気づきます。やがて、母親とメラニアさんも、ことの本質が分かりはじめ、お日さまの強烈な光が、ジョジ―を包み込むままにしました。

この描写からは、クララが最後まで希望を持ちつづけたことで、チャンスを逃さずに済んだだけではなく、他の者にも希望を伝播させたことが分かります。とりわけ、リックが自発的に、ブラインドとカーテンを開けはじめたことは、クララがお日さまに提示した、第二の捧げ物の基盤を強化した点で重要でした。その捧げ物とは、「リックとジョジ―の互いに対する愛の永続」でした。お日さまによる特別な栄養が本格的にもたらされはじめたのは、リックの行動の後なので、この行動がなければ、ジョジ―が回復するほどのエネルギーはもらえなかったかもしれません。

まとめると、クララが最後まで希望を持ちつづけたことで、以下二つのよい結果がもたらされました。

  1. ジョジ―を救う最後のチャンスを逃さずにすんだ
  2. 他の者にも希望を伝播させた(第二の捧げ物の基盤を強化した)

絶望のふちでも希望を失わないことの重要性は、フランクル『夜と霧』(※)をはじめとする、数々の文学作品でも描かれてきた通りです。希望を持ちつづけたからといって、あらゆる人が救われるとは限りませんが、もし救われる者がいるとしたら、それは最後まで希望を失わなかった者なのです。

※フランクル自身による、ユダヤ人強制収容所での体験を基に書かれた物語。

前近代人に見られる、悩みの解決策としての信仰

The Flammarion engraving,1888年

クララの希望の根底には、「お日さまならジョジ―を治すことができるはず」という、一種の敬虔な信仰心があります。クララがお日さまを頼りにし、祈り、祈りを聞き届けてもらうために捧げ物をする様子は、人類に信仰対象が生まれるプロセスそのものです。

つまり、クララの思考と行動は、まだ私たちが超自然的な存在や力を信じていた頃の思考や行動と同じです。その時代は、一般的には科学技術(医療技術)が未発達だった前近代です。なぜその頃の人びとが信心深かったかというと、病気などの悩みが生じた場合、解決のためにできる、ほぼ唯一のことは「神頼み」だけだったからです。

すなわち、クララの思考と行動は、前近代の人びとに見られる、悩みの解決策としての信仰と一致しています。クララの祈りのあり方は、前近代の人びとが不確実な世界に向き合う思考のかたち、そのものです。

悩みの解決策としての信仰について、以下の記事で具体例を多く紹介しています。中世ヨーロッパにおいては、キリスト教も異教も、ある種、民衆の悩みを解決する手段を提供していました。

なおカズオ・イシグロは、このような前近代人の思考過程を好んで書く傾向にあります。例えば、『忘れられた巨人』における、ヒロイン・ベアトリスの不安にも、前近代人の思考がよく現れています。詳しくは以下記事に記載しています。

失われた信仰と、希望の物語

今回は、『クララとお日さま』にみる、現代に失われた信仰を考えました。

たしかにこの物語のテーマとしては、「AI技術」が挙げられます。しかし、同じくらい重きが置かれているテーマが「信仰」であり、クララがお日さまを頼り、救いを求める過程に、私たちは現代には失われた、昔ながらの信仰に想いを馳せることができます。また「AI技術」と「信仰」という、まったく真逆に位置するように思える概念を、同時に描く点そのものが、作品の魅力を高めているとも言えます。

この物語は、最後まで希望を失わないことの重要性も示唆しています。それは昔ながらの信仰が失われて久しい昨今、心のよりどころ、すなわち「希望」を何に求めるか?という問いにもつながります。

まとめると『クララとお日さま』は、失われた信仰と希望を描いた物語であると、読み解くことができます。私たちはこれから、何に希望を求めればいいのでしょうか。それを考えるきっかけが、『クララとお日さま』には備わっています。

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