天空を旅する人びとのかがり火

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はじめに

創作物語の回です。月に1回を目標に投稿していく予定です。お楽しみください。

天空を旅する人びとのかがり火

ゲレルが谷底で見つかった、と知らせが入ったのは、彼の馬が主なしで野営地に戻ってきてから、丸一日が経ったときだった。ハルトゥは全速力で馬を駆り、知らせを聞いた仲間うちで最も早く、その谷へ向かった。

ハルトゥとゲレルは、物心ついたころからいつも一緒だった。彼らは百人ほどで構成されたチャワリ族の一員で、遠い親戚だった。チャワリ族は家畜の食べる草が不足しないように、簡単に折りたためる家を持って、草原を移動しながら暮らしていた。ハルトゥとゲレルは、馬を駆って遊ぶのが大好きで、家畜の世話の合間を見ては、それぞれの馬にまたがり、競争するように駆けていった。二人がそうして丘の向こうへ行ってしまうと、一族の男たちは、どちらが先に戻ってくるか、その晩の馬乳酒を賭けて争った。ハルトゥとゲレルは実際、一族のなかでも一、二を争うほどの、卓越した馬の乗り手だった。

仕事が立て込んでいる日には、そうして丘を一周回って、どちらが速く集落に戻れるか、競争するのが彼らの楽しみだった。しかし半日ほど暇をもらったときには、馬に乗って馴染みない土地まで足を伸ばし、一緒に探検するのが、彼らの楽しみだった。

ある時には二人は、丘の上の灌木に身を潜めて、堂々とした角を生やしたアイベックスの群れが河を渡る様子を見た。ドド、ドド、と彼らが立てる足音は、うつ伏せになって見守る二人の腹に、振動として伝わってきた。

ある時には二人は、子供一人がやっと通れる程度の岩壁の隙間を縫って、洞穴の入口を見つけた。ゲレルが松明の火をともし、壁に掲げてみると、赤い顔料で絵のようなものが描かれていた。二人はもう少し奥まで探検したいと思ったが、松明を一本しか持っていなかったため、松明をたくさん作り溜めてからにしようと、引き返した。

ある時には二人は、誰も踏破したことがないと思われる、急峻な岩山をのぼった。頂上に辿りついたとき、どこかの一族の集落が、河砂利のように小さく点々と見えた。二人は両腕を天に向けて広げると、鬨の声をあげ、大地を征服したような気分を味わった。

一族の男たちが夜にかがり火を囲み、酒を飲んで語り合っている時間も、ハルトゥとゲレルにとっては、貴重な冒険の時間だった。天が雲に覆われず、月や星々が輝いている晩には、松明の明かりがなくとも、馬を駆ることは造作もなかった。ある時、ゲレルが空に瞬く星々を見上げながら尋ねた。

「なあ、ハルトゥ。星の正体は何だと思う?」

「さあ。考えたこともなかったな」

「アルス族から嫁いできた母さんが教えてくれたんだ。あの光の一つ一つは、おれたちと同じように、移動しながら暮らす人たちのかがり火なんだって」

ハルトゥはゲレルと同じように、天を仰いだ。ちかちかと瞬く星はたしかに、夜間に地平線近くに見かける、他の一族のかがり火にそっくりだった。ゲレルが言った。

「おれ、大きくなったら、サルヒ王国の騎馬兵になって、お金を貯めようと思うんだ」

ハルトゥは驚いて、友を見返した。ゲレルは続けた。

「お金を貯めて、他国の言葉も勉強して、世界中を旅してみたいんだ」

「そんなこと、一族の人たちが許すはずがないよ」

「競馬で一位になればいいのさ」

それを聞いて、ハルトゥははっとした。草原を移動して暮らす民は、一族ごとに分かれて暮らしている。それら全ての一族が、年に一度、交流を兼ねて集結するのが、祭典として行われる競馬大会だった。近年では、その大会にサルヒ王国の王が参列するようになっていた。理由は、乗馬に長けた若者を王自らが見つけて、自国兵団に引き入れるためだった。実際に数年前には、王に気に入られた若者が、サルヒ王国の騎馬兵団に入隊したことがあった。

たしかに、ゲレルの考えは魅力的だった。ハルトゥだって、できることなら、草原以外の世界を見てみたい。定住民たちは、自分たちの街を堅牢な壁で囲い、素晴らしく美しい家を建てて暮らしているという。しかし、そんなにうまくいくだろうか、という不安な気持ちもぬぐえなかった。

ハルトゥとゲレルは成長するにつれてますます乗馬の腕を上げ、数年後には競馬大会で上位に食い込むようになった。その頃には、草原の民のためだった競馬大会は、サルヒ王国のために開催されるようになっていた。つまり、大会は民の交流のためではなく、サルヒ王国の騎馬兵選出のために開催されるようになっていた。

かつては大会を主催する一族は持ち回り制で、毎年異なる一族が開催する決まりになっていた。ところが近年では同じ一族が毎年主催するようになっており、その一族がサルヒ王国から何らかの利益を得ていることは、はた目から見ても明らかだった。そして騎馬兵の選出という目的の変更に伴い、かつては平坦な草原の走路で行われていた競馬が、より実戦に近く、河や山などの複雑な地形を取り入れた走路での競馬に変わってしまっていた。

ハルトゥが十二歳になる歳に開催された競馬大会にて、競争中にゲレルの行方が分からなくなった。ハルトゥが最後に見たゲレルの姿は、優勝候補の一人であるアルス族の少年と、一位を争って馬を駆けている後ろ姿だった。山間部に入り、視界が悪くなって以降、ハルトゥはゲレルの姿を見かけなかった。そのため、てっきり彼は、先にゴールしているものだと思っていた。

しかしゴール直後に、一族の者たちに迎えられたとき、そこにゲレルがいないと知って、嫌な予感がした。結局、ゲレル以外の参加者たちがみなゴールした後も、彼は戻ってこなかった。ただ、彼の馬だけが主なしで野営地に戻ってきた。あらゆる一族の男たちが総出で、ゲレルの行方を探しにいったが、日が暮れるまでに見つからず、その日の捜索は打ち切りになった。

翌日になり、ゲレルが谷底で見つかったとの知らせが入ると、ハルトゥは全速力で馬を駆った。人だかりができているその場に着くと、彼の名を呼びながら、ゲレルに駆け寄った。目をつむって横になっているゲレルを抱き起そうとして、ハルトゥは硬直した。その場に広がっていたのは、あまりにも大量の血だった。チャワリ族の男が、ハルトゥの肩をぐっと掴んだ。

「ハルトゥ。残念だが……」

その後のことはよく覚えていない。

ゲレルが倒れていたのは、指定された走路から少し外れた場所だった。ハルトゥが最後に彼を見たとき、並走していたアルス族の少年によると、ゲレルはしばらく彼の前方を走っていた。しかし山間部に入ると、徐々に引き離されて、そのうち視界から消えてしまったという。草原の民の族長たちは話し合い、こう結論づけた。すなわち、ゲレルは道に迷ったすえに均衡を崩して、崖から転落してしまったのだろう、と。

その後も族長会議は続いた。そして、死人が出たことから、競馬の走路はやはり平坦な道に戻したほうがよい、という意見が多数出た。そして、不満の矛先はサルヒ王国の王と、彼と癒着していた主催者の一族に向けられた。従来のやり方だったなら、決して今回のような事故は起こらなかったはずだ。そこで族長たちは、以後の競馬大会への彼らの介入を禁止した。そして、来年からは主催者の持ち回り制を復活させ、競馬の走路を伝統的な草原に戻すことを宣言した。

一方ハルトゥは、ゲレルの葬儀が終わったあとも、上の空で日常を送っていた。家畜の世話をしていると、今にもゲレルが肩を叩き、「競争するぞ、ハルトゥ! そこの丘を一周だ」と言ってきそうな気がした。しかし一週間が経っても、一カ月が経っても、ゲレルは現れなかった。ゲレルはいなくなってしまった。それを実感しはじめると、辛くて耐えがたかった。ハルトゥは仕事に打ち込むことで気を紛らわせた。ゲレルの存在を思い出してしまうようなことは、なるべく遠ざけて生活した。そのため、あれだけ駆けまわっていたハルトゥの馬はずっと杭に繋がれっぱなしで、見かねた一族の者が、ときどき馬を運動させに連れていった。

ゲレルの葬儀が終わって半年が過ぎた冬の夜、ハルトゥは夢を見た。

ハルトゥは青々とした草原を、ゲレルと並んで馬で歩いていた。日は落ちたばかりで、西の空が紅く染まり、東にいくにつれて蒼くなっていた。そこにはぽつぽつと、星が控えめに輝きはじめていた。

「最近の調子はどうだい」

とゲレルが訊いた。ハルトゥは首を横に振った。

「ゲレルがいなくなってから、ずっとよくないよ。もう一度きみと馬を駆れたら、どんなにいいだろうか」

二人は小高い丘の上に登った。遠くの山並みには、まだ太陽の光が当たり、峰々が紅色に燃えあがっていた。

「昔、星の話をしたのを覚えているかい」

とゲレルが尋ねた。ハルトゥが首をかしげると、ゲレルが続けた。

「星の一つ一つは、天空を移動して暮らす人たちの、野営地のかがり火なんだって」

「ああ、思い出したよ」

「実は、おれは今、その人たちと一緒に旅をしているんだ」

ハルトゥは茫然としてゲレルを見返した。ゲレルが苦笑いして、「本当に元気がないな」とハルトゥの肩を小突いた。

「つまり、今やおれは天空じゅうを旅できるというわけだ。素晴らしいだろう?」

ハルトゥは怪訝な顔をした。

「おれを元気づけようと思って、嘘をついているんじゃないだろうな」

「嘘じゃないよ。きみもそのうち、こっちに来るから、そのときになったら分かる。でも、当分の間はそっちで暮らしてくれよな。いろんな場所を旅して、土産話をたくさん持ってきてほしい」

「……本当なんだな?」

ゲレルが頷いた。彼の背後の空は、蒼が深くなり、天の川が輝きはじめていた。ゲレルが微笑んで、拳を突きだした。ハルトゥも拳を握り、ゲレルの拳にぶつけた。

「分かった。そのときまで……」

さようなら、と言い終わらないうちに、ゲレルだったものがみるみる霧散して、夕闇の空に消えていった。振り返ると、もう西の空まで、蒼くなっていた。

翌朝、冷えびえとした空気のなか、ハルトゥは目覚めた。すると、待ち構えていたように、家の戸を叩く音が聞こえた。ハルトゥは外套をはおって、戸を開けた。そこに立っていたのは、族長だった。ハルトゥは族長を家に招き、暖炉の薪に火をつけた。温めた山羊の乳を差し出すと、族長はそれを一口飲んで、「ハルトゥよ」と口を開いた。

「雪が解けたら、ゲレルの馬を連れて、西へ行きなさい」

「西? そこへ行って、何をするのですか」

「馬を売りなさい。ゲレルの馬は優れた馬だ。だが、チャワリ族のなかであの馬の力を十分に引き出せる者はいない。あの馬には馬に見合った、新しい乗り手が必要だ」

「……そんな重要な役を、どうしておれに?」

族長は山羊の乳をすすって、一息ついた。

「ハルトゥよ。馬を売った金で、各地を旅し、見識を深めなさい。わたしは、さきの競馬大会の件で、外の世界を知らないことが、どれほど危険なことかよく理解した。サルヒ王国はこれからも、わが草原の民に関与し、配下になることを求めてくるだろう。それを防ぐためには、外の世界のことを知っている、信頼できる知恵者が必要だ」

ハルトゥは目を丸くした。

「お、おれにその役を担えというのですか」

族長は頷いた。

「一族の者はみな、おまえとゲレルが外の世界に行きたがっていたことを知っている。そういう若者は、放っておいても外に行ってしまうものだ。それならば、きちんと仕事を持たせようと思ったのだよ。ゲレルが見られなかった分も含めて、いろんなものを見てきなさい」

そうして雪解けがはじまると、ハルトゥはゲレルの馬と、自分の馬を連れて、西方に旅立つことになった。ハルトゥは、ゲレルの馬に見合う人間など、そう簡単に見つからないことを分かっていた。だから道すがら、当面の資金を得るために、自分の馬をサルヒ王国で売った。長年慣れ親しんだ、自分の馬と別れるのは辛かったが、買主が草原の民の出身だったため、相棒を大切にしてくれるだろうと思った。そしてゲレルの馬を連れたハルトゥは、生まれてはじめて、堅牢な壁に囲まれた、西方の都市にやってきた。そのときはまだ、近いうちにゲレルの馬に見合う西方人と出会い、その者と旅をすることになろうとは、思ってもみなかった。

おわりに

むかし読んだ本に、「ある遊牧民の間では、星々の光は、天空を旅する人びとの野営地のかがり火だと信じられている」と書いてありました。それがずっと印象に残っていて、数年前に、なんとかしてその本の引用元を見つけようと、それらしき手持ちの本を何冊か確認したのですが、結局見つかりませんでした。あの文章はまぼろしだったのでしょうか……。

そこから膨らませた物語です。

以上です。お読みいただきありがとうございました。前回の物語はこちら→『砂漠に消えたガラス玉

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